主として
「代表にッ! 触るんじゃねえええええッ!」
その咆哮とともに、炎の塊が飛び出した。
そう見えた。
ヴァルの手がブラドリーナに届く直前。
オルディアンはこれまでで一番の速度でその間へ割り込んだ――。
ブラドリーナの身体を抱きかかえ、近くに落ちていた剣も片手で拾い上げる。
そして火の勢いを殺しながら、少し離れた位置へ着地した。
「代表……! おい、代表ッ!」
声が震えている。
「起きてくれよ! 頼むからよォ!
このまま……ぬなんて、許さねぇッから……」
さっきまでオレたちへあれほどの敵意を向けてきていた男とは思えない。
それほど必死な叫びだった。
ブラドリーナの腹部からは、血が流れ続けている。
刃物で深く刺されたような傷だった。
オルディアンは自分の衣服を乱暴に裂き、傷口を押さえる。
「くっそォ! 止まッてくれよ……止まれッて!」
「……ル、ディアン」
かすれた声。
ブラドリーナの瞼が震えた。
「――代表!」
「騒ぐな……まだ、死んではいない」
オルディアンの叫びに、ブラドリーナはかすかに笑ったように見えた。
そして、ゆっくりと身体を起こす。
「――! む、無理すんなッ……」
「ああ。無理はしないさ」
彼女は、血で濡れた手で剣を受け取った。
その手は震えている。
けれど、握りは離さない。
「目の前に敵がいる。
なら、ここで俯いたままでいることこそ、私には“無理”だからな」
ブラドリーナはヴァルを睨む。
その目は、まだ死んでいなかった。
剣に、再び水が集まる。
先ほどルピナスへ向けて放とうとして溜めていた大技。
水の魔法と武技を組み合わせた、幾重もの斬撃。
「水の魔法武技……」
ブラドリーナがヴァルに向かって剣を構える。
「――『水刻連斬』!」
剣閃が凄まじい速さで振り抜かれる。
縦。
横。
斜め。
それは縦横無尽に交差して、空中に水の弧が刻まれていく。
十字と斜線が重なり、まるで水で作られた紋章のような斬撃が形を成した。
それが一斉に、ヴァルへと向かって飛ぶ。
避けられない。
そう思うほど、密度の高い斬撃だった。
しかし、ヴァルは動かない。
ただ、その場で軽く拳を振るった。
まるで、目の前の虫でも払うみたいに。
その拳が直接触れたわけではない。
なのに、幾重にも重なった水の斬撃は、ヴァルへ届く前に失速し砕け散った――。
「……っ」
ブラドリーナの表情が強張る。
「ケッ。どいつもこいつも血気盛んだなぁ。獣小屋だったかここは」
ヴァルは薄気味悪く笑う。
「ダンスのお誘いだっつんてんだろ?
それをいきなり殺しにかかってくるとか、 “礼儀”ってもんを飼い主に教わらなかったか?」
「――ざッけんなァッ!」
オルディアンが吠える。
しかし、ブラドリーナはそれを片手で制した。
「オルディアン」
「でもッ!」
「……落ち着け。ただ怒ればどうにかなる相手ではない」
声は弱い。
けれど、重さは失われていなかった。
オルディアンは拳を震わせたまま、それでも踏みとどまる。
その時。
ブラドリーナは改めて剣を握り直した。
――そして、誰もが予想していなかった変化が起きる。
ブラドリーナの剣に纏っていた水が、だんだんと消えていく。
代わりに、切っ先からは金色の光が走り始めた。
「――あぁ?」
ヴァルがわずかに目を細める。
淡い光ではない。
目を焼くような鋭い輝き。
その光が、刃全体を包んでいく。
「ヴァル・モクスフッドと名乗ったか。
随分と余裕そうだが、悪いな。ここからは、私も踊りに付き合うとしよう」
「代表……その技って」
オルディアンが息を呑む。
その言葉に、ブラドリーナは少し穏やかに目を細めた。
「貴公の前で使うのは久しかったな」
「最初の頃は……けど、俺様はてっきり、水の魔法武技が代表の本気だと、ばかり……」
「私は本来、こちらの方が得手でな」
そう言いながら、ブラドリーナは光を帯びた直剣へ視線を落とした。
「なぜ私が、水の魔法武技を主軸に戦っていたか。分かるか?」
オルディアンは答えない。
というより、本人も答えを持っていない、という顔だった。
「貴公は、昔から加減を知らなかったからな」
「は……ぁ?」
「――だから、私は水を選んだ」
オルディアンの顔が固まる。
「オルディアン……お前がいつ暴れても、私が止められるように」
それだけで、十分だった。
それ以上の説明はいらなかった。
ブラドリーナは水が得意だったから、水の魔法武技を選んだのではない。
暴走する炎を止めるために、それを磨いたのだ。
その事実が、オルディアンの表情から言葉を奪っていた。
仲間を止めるために。
代表として、暴走する炎を抑えるために。
「そんな余計なこと……俺様の、せいで」
オルディアンが何かを言いかける。
その声に込められていたのは、怒りではない熱だった。
「――そんな余計なことをするのが、代表だ」
黄金色の輝きを帯びた直剣が、光を強める。
「――ここからは、私の本来の剣で行く」
「仲間同士の愛の茶番はもう終わりかぁ? もう少しで涙が出そうだったぜ」
「戯言は結構。貴公と交わす言葉はない」
ブラドリーナが短く返す。
直後、光の刃が走った。
水刃のような弧ではない。
鋭く、まっすぐ、空間に線を刻む光の斬撃。
ヴァルがわずかに身を逸らす。
「へぇ」
避けられた光の刃が、そのまま後方の壁へ衝突した。
――それと同時、ヴァルの方へ赤い線が奔る。
「面白れぇじゃねぇか。
こんな手札隠してやがったとはなぁ」
ヴァルが楽しそうに笑った、その直後。
オルディアンが彼の間合いへと突っ込んでいた。
全身の炎をさらに燃やし、拳を叩きつける――。
ヴァルはそれを掌で受け止めた。
衝撃で床に亀裂が入る。
炎が周囲へ散り、熱風がこちらまで届いた。
「なかなか熱い漢じゃねぇか」
ヴァルは笑う。
「その敵意剥き出しな面、嫌いじゃねぇぜ」
「るせェッ! 殺すッ!」
「ケッ。そんなに発情すんなよ、焼き猿」
「……! まじでッ殺すッ!」
炎の拳が振り抜かれる。
オルディアンが踏み込むたび、火が尾を引いた。
蹴り上げるたび、石床が焦げる。
炎色の髪が、本物の炎のように激しく揺れていた。
だがヴァルは、片手をポケットに入れたままそれを受けている。
かわす。
受け流す。
少しだけ身体を傾ける。
まるで、本気で相手にしていない。
それでも、オルディアンの攻撃は鋭い。
普通の相手なら、今の数発で燃え尽きていたはずだ。
けれど、ヴァルは笑う。
あの凶面で。
笑っているのに、笑っているように見えない。
楽しんでいるのに、そこには人間らしい感情がない。
やがて、オルディアンの炎がわずかに揺らぎ始めた。
さっきまでルルルと戦っていた。
さらにブラドリーナを救い出し、全力で突っ込んだ。
当然だ、体力が残っているはずがない。
拳が鈍る。
蹴りがわずかに遅れる。
「おいおい、もう終わりかぁ?」
そうニヤつきながら、ヴァルはそこで初めてまともに反撃した。
拳がオルディアンの頬へ入る。
骨に響く鈍い音。
続けて腹へ膝。
「ぅがっ……!」
オルディアンが咳き込む。
そこへ、もう一発。
ヴァルの拳が顔面へ向かう。
だが、その直前に光の斬撃が飛んだ。
ブラドリーナだ。
ヴァルはわずかに身体を引き、その一撃をかわす。
結果として、オルディアンへの追撃も逸れた。
ブラドリーナは止まらない。
ヴァルの方へ向けて、剣を前へ突き出す。
突きの動作に合わせ、光の針のような剣閃が一直線に放たれた。
ヴァルが拳を振る。
先の水戟技の時と同じように、光の剣閃が空中で砕けた。
だが、その隙にオルディアンが再び間合いへ入る。
ブラドリーナが遠隔から牽制し、オルディアンが近接で迫る。
即興ではない。
何度も繰り返してきた呼吸。
炎が前に出る。
光が道を作る。
オルディアンが攻める。
ブラドリーナが支える。
代表と、その供回り。
長く同じ戦場に立ってきた主従の連携だった。




