炎拳と氷腕
オレとオルディアンの間を遮るように、ルルルは堂々と立っていた。
腕を組み、背筋を伸ばし、まるで最初からそこにいたみたいな顔をしている。
その背後には、二本の巨大な氷の腕。
右後ろに一本。
左後ろに一本。
ルルルの身体よりもずっと大きいそれが、まるで彼女の背から伸びた守護腕のように浮かんでいた。
「ルルル……!」
思わず名前を呼ぶと、ルルルはちらりとこちらを振り返った。
「オメェ、ボロボロじゃねーカ。ちゃんと後で手当てしてもらえヨ」
「うん……へへ」
ルルルは軽く息をつき、オレの頭にぽんと手を置いた。
乱暴だけど、雑じゃない。
からかうようでいて、ちゃんと気遣いがある、優しい手。
その手の感触だけで、張りつめていたものが少しだけ緩んだ――。
一方、オルディアンはしばらく目を見開いていた。
ルルルがここにいる。
それはつまり、彼の仲間であるクリュゼルが敗れたことを意味している。
オルディアンはすぐに視線を動かした。
そして、少し離れたところで地に伏しているクリュゼルの姿を見つける。
「あの野郎ォ……」
低く呟いたその声には、怒りとは別のものが混ざっていた。
驚き。
信じがたさ。
そして、仲間の実力を知っているからこその困惑。
「負けやがッたのかよ……」
その瞬間だけ、燃え上がっていた感情がわずかに落ち着いたように見えた。
ずっと怒りに突き動かされていた彼が、ほんの一瞬だけ現実に引き戻されたような顔をする。
けれど、それも長くは続かない。
オルディアンの視線が、ルルルの背後に浮かぶ二本の氷腕へ向いた。
そして、再び怒火は膨れ上がる。
「炎に氷とか、どいつもこいつもドバカしかいねェのかァ!? そっちの派閥はよォ!」
オルディアンが吠える。
「溶かしてくれって言ってるようなもんだよなァ!」
「バカのレベルに合わせてあげてるんダヨ。それも分かんねえあたり、やっぱバカはどこまで行ってもバカなんダヨナア」
ルルルが肩をすくめる。
「そもそも、今回の件だってオメェの早とちりから始まってんダロ。
ドバカのお手本はオメェじゃネーカ。面倒事増やしヤガッテ」
「黙れ! 思い込みじゃねェってのは代表が証明したはずだろうが!
これ以上異を唱えてくるんじゃねェ!」
ルルルは一度だけ、オレの方を振り返った。
「ここまでよく持ったナ。初陣にしちゃ上出来ダ」
軽い調子だった。
でも、その言葉はちゃんと届いた。
慰めというより、認めてくれたような言い方。
それが、想像以上に胸にきた。
「後はそこで見トケ」
ルルルが、再びオルディアンへ向き直る。
オルディアンは答える代わりに踏み込んだ。
腕に纏っていた炎が、一段と勢いを増した。
赤い炎が肘から拳へと奔り、その腕を一回り大きく見せる。
そして二本の氷腕も動いた。
巨大な拳が、左右からオルディアンを挟み込むように襲う。
「舐めんなァ!」
オルディアンは炎を纏った腕で、片方を受け止めた。
白い蒸気が爆ぜる。
炎が氷を舐め、表面を溶かしていく。
じゅう、とせめぎ合う音が広がる。
だが、砕けない。
氷腕は大きく、分厚い。
表面が溶けた程度では、勢いは死ななかった。
「……くッ!」
「溶かすんじゃなかったのカ?」
片方を受け止めるオルディアンの横から、もう一本の氷腕が振り抜かれる。
巨拳がわき腹を叩いた。
「がぁッ……!」
オルディアンの身体が横へ吹っ飛ばされる。
だが、彼もただでは転ばない。
空中で身体を捻り、着地の瞬間に両脚で石床を削るように踏み止まった。
ずざ、と靴裏が地を削る。
髪に残る水滴を熱で飛ばしながら、オルディアンはすぐに顔を上げた。
「クソがッ!」
吐き捨てると同時に、彼はまた踏み込む。
今度は腕だけではなく、足からも激しい炎が燃え上がる。
赤く炎が膝から足先へ流れ、蹴り足そのものが燃える刃のように変わっていく。
炎の脚が、氷腕を蹴り上げた。
氷が欠ける。
砕けた欠片が石床に跳ね、白い冷気が散った。
ルルルはオレの近くに立ったまま、ほとんど動かない。
ただ、その両腕だけを動かしている。
拳を握ると、氷腕も拳を握る。
腕を払う。
氷腕も横へ薙ぐ。
指を開く。
氷腕がオルディアンを掴もうと迫る。
まるで自身の身体の一部であるみたいに、ルルルの動きに合わせて巨大な氷の腕が唸りを上げていた。
オルディアンはルルル本人ではなく、その氷腕と戦わされている。
なかなか本体には近づけない。
それがさらに、彼の苛立ちを煽っているようだった。
「舐めてんじゃ――ねッ!?」
その時、一本の氷腕がオルディアンを掴んだ。
胴を握り込み、そのまま締め上げる。
普通なら、そこで終わっていてもおかしくはない。
だが、オルディアンは口元を歪めた。
「こ、んなもんでッ――!」
彼を掴んだ巨腕の内側から、赤い炎が爆ぜた。
氷の掌の隙間から火が噴き出す。
内側から焼かれ、白い蒸気が一気に膨れ上がった。
氷腕に亀裂が走る。
次の瞬間、オルディアンは力任せにそれを砕いた。
さらに、もう一本の巨腕へも身体ごと突っ込み、炎の拳を叩き込んだ。
氷が割れる。
破片が派手に飛び散った。
「……お」
ルルルが少しだけ目を丸くした。
「やるジャン」
「いちいち上から物言ってんじゃねェぞ! ムカつく奴だなァ!」
オルディアンの怒鳴り声に、ルルルは口元を緩めた。
「じゃあ、ちゃんとやるカ」
そう言うと、ルルルは砕けかけた二本の氷腕の操作を切った。
力を失った氷腕が、どさりと石床に落ちる。
砕けた腕が転がり、冷気だけが残った。
直後。
ルルルの背後で、空気が白く霞んだ。
冷気が渦を巻き、新たな腕が形を取る。
一本。
二本。
三本。
四本。
さっきよりも多い。
四本の氷の腕が、ルルルの背後に浮かび上がった。
オルディアンの炎で熱を帯びていた空気が、一気に冷えていく。
対するオルディアンも、それを見て負けじと炎を荒れ狂わせた。
腕
足。
肩口。
髪の先。
全身から火の粉が散り、身体の輪郭が熱で揺らぐ。
このまま全身が炎に呑まれてもおかしくない、そう思えるほどの勢い。
火力がまた一段跳ね上がったのは、一目で分かった。
そして二人は、真正面からぶつかる――。
四本の氷腕が乱打する。
拳。
裏拳。
掴み。
叩きつけ。
オルディアンは炎の拳でそれを迎撃し、蹴りで跳ね返す。
時には空を殴るようにして、炎の拳圧を飛ばした。
炎撃が氷腕にぶつかり、表面を抉る。
砕けた氷が散る。
蒸気が上がる。
灼熱と氷塊が、石造りの空間で激しくぶつかった。
そのうちの一撃が、ルルル本人の近くまで届く。
熱が頬をかすめた。
「おっと」
ルルルは軽く身を傾けてかわす。
ふざけた調子は崩さない。
欠けた氷腕は、すぐに修復されていく。
砕けた部分に白い冷気が集まり、欠けた氷が巻き戻るように再生する。
「ちッ! 鬱陶しいなァ!」
「欠けたくらいじゃ止まらねーヨ!」
「だったら、本人叩けば終わるだろうがァ!」
オルディアンが一気に踏み込んだ。
四本の氷腕の隙間を縫うように進む。
炎の拳で一本を弾き、蹴りで二本目をずらし、身を低くして三本目をくぐる。
瞬く間に、ルルルとの間合いを詰めた。
「やっと近づいたぞォ!」
炎の拳を大きく振るう。
ルルルは身体を半身にして、紙一重でかわした。
熱が横を抜ける。
続けて蹴り。
ルルルは片腕で受け流すように軌道を逸らすが、炎の熱に眉をわずかに上げた。
純粋な徒手格闘の上に、炎魔法と身技の合わせ技。
まともに素手で受ければ、さすがのルルルもただでは済まない。
だからルルルは下がる。
避ける。
いなす。
そしてその間も、氷腕の操作は止めない。
背後から四本の氷腕が、オルディアンを捉えようと襲いかかる。
「邪魔、すんなァッ!」
オルディアンは目の前のルルルに食らいつきながらも、迫る氷腕に気づいた。
炎の拳で一本を弾く。
膝を入れて二本目を止める。
だが、意識がそちらへ一瞬だけ流れた。
その隙に、ルルル本人が踏み込んだ。
長い脚が跳ねる。
蹴りが、オルディアンの腹に入った。
「ぐっ……!」
さらに横から、氷でできた巨大な足が生まれる。
腕ではない。
氷の脚。
それがオルディアンを横から蹴り抜いた。
蹴りの勢いと同時に氷足は砕け散り、白い破片が舞う。
オルディアンの身体が大きく吹き飛ばされた。
石床へ転がり、肩から滑る。
それでも、彼は倒れきらない。
片膝をつき、炎で石床を焦がしながら、無理やり体勢を戻そうとする。
強い。
それは間違いない。
さっきまでオレを一方的に殴っていたのも、当然だ。
オレが一対一で太刀打ちできる相手じゃない。
ただ――。
相手がその上を行っていた。
ルルルという相手が、あまりにも悪かった。
オルディアンが完全に立て直すより早く、四本の氷腕が動いた。
両腕。
胴。
足。
その身体を、氷腕が握り潰す勢いでがっちり捕える。
「なッ――!」
次の瞬間、オルディアンの身体が石床へ叩きつけられた。
轟、と鈍い音が響く。
氷腕が、そのまま彼を押さえ込む。
うつ伏せに近い形で、両腕を封じ、胴を押さえ、足を動かせないように固定していた。
「……ッ、なせッ!」
「やーダネ」
暴れようとするオルディアンを、氷腕がさらに強く押さえ込む。
ルルルはゆっくり歩いていき、押さえ込まれたオルディアンの背中を見下ろした。
そして、何の遠慮もなくその背中に腰を下ろす。
「――ちょっと頭冷やせヨ、炎ダケニナ……ブァハッ!」
「殺、すぞッ!」
「その元気だけは評価スル」
ルルルは足を組み、軽く肩をすくめる。
その姿は、完全に勝者のそれだった。
さっきまであれほど怖かった男が、今は情けないことに石床に押さえつけられている。
それを見て、助かったのだという実感が、遅れて胸に広がった。
こうして、オルディアンとルルルの戦いも決着した――。




