異議決闘-2
開始の合図が響いて、しばらくした頃。
オレは、オルディアンと向き合っていた。
他の二人の様子も気になって、オレはほんの少しだけ視線をずらす。
まず目に入ったのは、ルルルの方だった。
ルルルはクリュゼルが放つ薄い刃のような投擲武器を、まるでじゃれつく虫でも払うみたいに余裕そうにかわしていた。
肩の力は抜けているようで、どこか楽しそうにすら見えた。
……少なくとも、あっち大丈夫そう。
少しだけ安心だ。
次に、ルピナスの方も確認しようとした――その時。
「――よそ見とは、ずいぶん余裕ぶッこきやがるじゃねェか」
「……そういうわけじゃない」
オルディアンの低い声に、無理やり意識を引っ張られる。
オレは息を整えた。
ひとまず、できるなら言葉で何とかしたい。
殴り合いなんてしたくない、という気持ちがあるのも本当だ。
だがそれ以上に、この男と殴り合って、勝てる気がまったくしない。
「ねぇ、本当に違うんだ。オレはブラドリーナさんを襲うつもりなんてない。
君が見たのはオレじゃない」
「チッ。まだ言いやがるのかよ」
「本当に知らないんだって! 君が見たっていうその場面が、何かの間違いなんだって」
「間違いだァ?」
オルディアンの目がぎらつく
「確かに、オレは部屋の外でルピナスたちと喋ってはいた。けど、話の内容は君が言ってるようなものとは全然違った。
ちょうどその場面を見て、何か聞き間違いしたんじゃないの?」
「これ以上、薄っぺらい言い逃れを並べるんじゃねェ! 」
オルディアンの声は荒くなっていく。
「俺様は見たんだよ! てめェが代表を消すって話をしてるところをな!
それ以上でもそれ以下でもねェ!」
「だから、それが――」
言い終わる前に、オルディアンが踏み込んだ。
――速い。
そう思った時には、もう遅かった。
一切の躊躇なく放たれた拳が、顔面にめり込む。
「ぐぁっ……!」
視界が白く弾けた。
殴られた、という理解より先に、頭の中で何かが割れたような衝撃だけが広がる。
頬の内側が切れる。
口の中に、鉄みたいな味が滲んだ。
痛い。
痛い痛い痛い。
顔を殴られるって、こんなに痛いのか。
目の奥がじんじんする。
鼻の奥がつんとする。
頬が熱い。
頭が、遅れて揺れてきた。
石床に手をつき、オレはなんとか身体を起こそうとする。
「お願い……。話を、聞いて――」
なんとか言葉を絞り出しながら立とうとしたところに、今度は腹へ膝が入った。
息が潰れる。
「ぅぐっ……!」
空気が抜ける。
吸おうとしても、肺が上手く動かない。
息をつく間もなく、さらに続けて蹴撃――。
その足には、薄く炎がまとわりついていた。
抑えきれない怒りが火になって漏れ出しているみたいな、そんな炎だった。
「がぁっ……ぐぉほっ…!」
痛い。
そして、熱い。
蹴りの衝撃と一緒に、皮膚の上を火で舐められたような感覚が走る。
「う、ぐっ……!」
そのままオレは石床を転がった。
オルディアンは止まらない。
怒りが、身体から漏れている。
炎も同じだ。
感情が、そのまま火となって噴き出している。
「その人畜無害そうな面が心底ムカつくぜ」
オルディアンは拳同士を打ち合わせながら、こちらへ歩いてくる。
ごつ、と鈍い音。
威嚇するみたいなその仕草だけで、身体が強張る。
「裏でこそこそしやがるクソ腑抜け虫がッ!」
「だから違うって言ってるだろ……!」
立ち上がろうと、床を押す。
その顔を、また拳が襲った。
下から突き上げるように振り抜かれた一撃。
「うぶっ……ぅ!」
もう踏ん張れなかった。
身体から力が抜けて、また石床へ崩れる。
頭がくらくらする。
痛みで視界が滲む。
自分の顔が今どうなっているのか、見たくない考えたくもない。
このままじゃ駄目だ。
抵抗しないと、本当に潰される。
この男は止まらない。
たとえ殺すつもりがなかったとしても、この勢いのままなら本当に殺されかねない。
でも。
ここで本格的にやり返したら、派閥ブラドリーナとの対立は、もう完全に後戻りできないものになってしまう。
――いや。
もしかしたら、もうとっくに取り返しのつかないところまで来ているのに、オレだけがそれを認められていないのかもしれない。
そんなことを考えている間にも、オルディアンはまた拳を握る。
敵意。
怒り。
蔑み。
炎の中で渦巻くそれらの感情が、オレを見下ろしていた。
もう、選んでいる余裕はない。
オルディアンが拳を上げる。
次がくる――。
オレは、震える指で首から下げたペンダントに触れた。
結晶の冷たさが、指先に触れる。
「――オマージュ」
縋るように、小さく呟いた。
その瞬間、オルディアンの足元が抜けた。
「なっ…!?」
石床に、突如ぽっかりと開いた穴。
その下には水。
ルピナスたちとの魔法講座で模倣の対象に加えた、あの落とし穴の魔法だ。
――じゃぼん!
派手な音を立てて、オルディアンが穴の中へ落ちていった。
「……決まった」
とりあえず、一瞬だけ安心した。
こいつならかわしてきてもおかしくないと思っていた。
それでも、なんとか引っかかってくれたらしい。
これで、少し間を作れた。
また話せる隙を作れたかもしれない。
そう思いながら、自分が作り出した穴を覗き込もうとした――その瞬間。
「クッソ下郎がアアアアア!!!」
水しぶきと一緒に、オルディアンが跳び出してきたのだ。
「っ……嘘でしょ…!?」
深さはそこそこあったはずだ。
なのに、彼はいとも簡単に一跳びで穴から抜け出してきた。
「落とし穴ごときで俺様をやりこめたなんて勘違いしてんじゃねェぞ!」
水浸しのまま、飛びかかってくるオルディアン。
なるべくこちらからは攻撃しないとか、なるべく穏便にとか。
そんな考えは甘すぎた。
やらなければ、やられる――。
「オ、オマージュ……レアオルブ!」
迫りくるオルディアンへ掌を向ける。
オレは真正面から、炎の奔流を撃ち放った。
炎はうねりながら、オルディアンへ襲いかかる。
だが、彼は怯まない。
炎に向かって、躊躇なく突っ込んでくる。
「炎の扱い手である俺様に、炎で対抗できると思ってんのかよォ! このクソバカがァ!」
オルディアンの腕に炎が集まる。
さっきまでの漏れ出ていた火とは違う。
今度は、彼が、彼自身の意志でまとわせた炎だ。その熱量は先ほどまでとは比にならない。
その腕が、一振りされた。
そしてオレが放った炎の奔流は、真横へ裂ける。
「……!」
まるで意味をなしていない。
虫でも払うみたいに、たやすく弾かれた。
――次の瞬間。
拳が、またオレの腹へと叩き込まれた。
「ぐふっ……!」
身体が浮く。
ただ殴られただけで、足が床から離れた。
衝撃で、一瞬で宙に投げ出される。
そのまま背中から石床に叩きつけられ、転がった。
全身が痛い。
熱い。
鳩尾に入ったせいで、息がうまく入ってくれない。
苦しい。
いやだ。
もうやめて。
なんでこんな目に遭わされているんだ。
お願いだから、もうやめてくれ。
それでも、追撃の足音は近づいてくる。
まずい。
本当にまずい。
このままだと、殺される。
炎はだめ。
なら別のものを……。
どうする。
どうする。
どうする。
何を使えばいい。
模倣の対象内にして、使えるようになった魔法はいくつかある。
だが、実戦になると、頭がまるで働かない。
どれを使えばいい。
どれならば今の状況に合っている。
何なら間にあう。
何なら止められる。
考えれば考えるほど、選択肢だけがぐちゃぐちゃに増えていく。
オレは必死に首飾りの結晶を握りしめる。
そして、ほとんど反射で選んだ。
「――フリジアコルプ!」
生み出したのは、氷の腕だった。
中心都市でルルルが輩に放っていた、あの氷の腕を創造する魔法。
これなら、なんとか一撃入れられるはず。
炎に対して氷。
相性としてどうなのか、頭の隅で一瞬だけ疑問がよぎる。
けれど、もう今さら変えられない。
生まれた氷の腕は、オレの腕より一回り、いや二回りほど大きいくらい。
体格のいい大人の腕、といった程度だ。
派手さはない。
それでも、人ひとり殴るには十分な大きさだ。
氷の腕が横から現れ、そのままオルディアンの横っ面を殴りつける。
「うぁ……ッ!?」
鈍い音が聞こえた。
――当たった!
「……っ!」
ちゃんと食らった。
やっと効く攻撃を入れられた。
…………。
オルディアンは、殴られた勢いのまま顔を横に向けていた。
そのまま動かない。
一拍。
二泊。
嫌な沈黙。
「……おい」
低い声。
オルディアンが、ゆっくりと顔を戻す。
その目を見た瞬間、背筋が冷えた。
怒り、何て言葉では足りない。
燃えているというより、焦げついているような感情。
理性の表面が、じりじりと黒く焼けていくような目だった。
「魔法使えるようになったばかりのクソ素人がッ」
そう吐き捨てながら、オルディアンは宙に浮いていた氷の腕を掴んだ。
彼の拳から炎が噴き上がる。
「付け焼刃で俺様に挑んでくるんじゃねェ」
氷がきしむ。
溶けるより先に、握力と炎によって粉砕された。
白い蒸気が散り、砕けた氷片が石床を跳ねる。
すでに、オルディアンはその両腕に炎を纏っていた。
荒れ狂う炎が腕を這い、激しく揺らめいている。
「これが俺様の炎の魔法と身技だ」
オルディアンが見せつけるように拳を掲げる。
「いっちょまえに魔法使うってんなら、これくらいは当然にできるようになってからにしろよ。クソ虫がッ」
足が動かない。
完全に、腰が抜けていた。
怒り。
炎。
熱。
威圧。
全部が目の前に積み上がって、オレの身体を押さえつけてくる。
オルディアンが、誇示するように炎の拳を振りかぶる。
今にも叩き込むぞ――そう告げるような動きだった。
「……ん」
「あァ!?」
ダメだ。
身体も動かないし、口もうまく回らない。
言葉が思う様に出てこない。
これを食らったら死ぬ、
今度こそ、本当に。
そう分かっているのに――身体も、声も、まるで言うことを聞かなかった。
「ん……めんなさい」
「あァ!? 聞こえねェよ!」
「ごめんなさい! ……許して、ください」
「ハッ! やっと認めやがッたか!」
そう言うしかなかった。
謝って、止まってもらう。
もう、それしか思いつかなかった。
しかし、この男はオレに取り合ってくれる気なんてなかった。
「だったら、詫びのつもりでそのまま燃え尽きろよッ!」
炎が膨れ上がる。
「――このクソ下郎がッ!」
もう無理か。
これを食らった後、オレは生きているんだろうか。
いや。
もう、ある意味このまま死んでしまった方が楽になれるんじゃないか。
炎拳が振り下ろされる――。
その瞬間。
「お邪魔シマース!!!」
オレたち二人ではない声が、唐突に割って入った。
目を開ける。
オレとオルディアンの間に、人影が立っている。
腕を組み、どこかお気楽そうに。
けれど、どこか面倒くさそうに。
――そこには、ルルルが立っていた。
その背後には、長身のルルルさえ比較にならないほど巨大な氷の腕が、二本、静かに宙を漂っていた。
右後ろに一本。
左後ろに一本。
まるでルルルの背から生えた、巨大な守護の腕みたいだった。
「――うちのドン草童子、それ以上いじめてやるなヨ!」
「ルルル……っ!」
その声と姿に、オレは情けないくらい安心した――。




