異議決闘
決闘開始の合図が響いてから、そう時間は経っていなかった。
ルルルとクリュゼルが、広間の一角で向かい合う。
ルルルは肩の力を抜き、両腕をだらりと垂らしたまま、軽く首を回していた。
戦闘前というには、あまりにも気の抜けた態度だ。
対するクリュゼルは、そんなルルルの様子に惑わされることなく、静かに指を開いた。
服の内側へ手を滑り込ませる。
そこで手に掴んだのは、隠していた得物。
投げナイフ――というものに近い。
柳の葉のように細く、薄く、両端が鋭い。
柄らしい柄はなく、全体が一枚の刃として作られている。
握るためではなく、投げるため。
ただそれだけに最適化された、冷たい形の刃だった。
「お前は随分と余裕そうな態度だな」
クリュゼルが静かに口を開く。
「そうカ? そんな態度に出てたカ?」
「少なくとも、真面目に取り合ってるようには見えないな」
声は涼しいままだ。
けれど、クリュゼルは目元をわずかに硬くさせる。
ルルルの態度が気に入らないのだろう。
それでも表面上は崩さないあたり、かなり自制の利くタイプだ。
「あんまり真面目にお堅く、ってのは得意じゃないんダワー」
ルルルはのんきに腕を回しながらも、視線だけはクリュゼルから外していない。
「ソッチは逆にずっと澄ました顔してるよナ。自分に酔ってるのカ? ブァハッ、どっかの角刈りと似てるじゃネーカ」
その表現で誰のことを指しているのかは、さすがにクリュゼルも察しがついたらしい。
涼しげな表情は崩れない。
だが、指先が刃を持つ角度だけ、ほんの少し変わった。
「こんな状況でそんなヘラヘラしている方が、不適切だとは思うがな」
「それは……ソウダナ! ブァッハッハッ!」
「ちっ……」
まるで響いていない。
クリュゼルの言葉を、ルルルは笑って流す。
その態度が、また少しクリュゼルの神経を逆撫でしているようだった。
「これは忠告ダケド」
ルルルが、にやっと笑う。
「そのクールぶって澄ました感じ、やめた方がいいゾ。結構多くの人に鼻につかれるカラナ」
「それはどうも。だったら俺からも忠告だ」
クリュゼルも薄く目を細めた。
「そのへらへらした世の中を舐めたような態度、それも相当鼻につく。改めた方がいい」
「……! それは申し訳ネエ!」
「そういうとこだって言っているんだ!」
その言葉が終わるより早く。
クリュゼルの手が、服の内側から抜けた。
その指の間には、薄刃が三本。
ほとんど音もなく放たれた刃が、一直線にルルルへ走る。
速い。
一本は顔へ。
一本は胸へ。
そしてもう一本は、足元を狙う軌道だ。
ルルルは焦らない。
身体を少しだけ傾ける。
顔を狙った刃が髪をかすめた。
半歩引き、胸元を狙った刃が空を切る。
最後に、軽く床を蹴る。
足元を狙った刃が石床に刺さった。
どれも、必要最小限の動きでかわしている。
長身を感じさせない、軽い身のこなしだった。
クリュゼルの眉が、ほんのわずかに動く。
「っブネェ~。いきなりくるナ~」
「当たり前のようにかわすか」
「ヘッ!」
「なら、これはどうかな!」
クリュゼルは間を置かず、再び懐へ手を入れた。
今度は、三本ではない。
片手に収まる限界まで、薄刃が挟まれている。
――直後、空気を裂く音が重なった。
だがルルルは、ゆっくりと前へ歩き出した。
一歩。
二歩。
三歩。
飛来する柳刃をかわしながら、じわじわとクリュゼルとの距離を詰めていく。
ある刃は、首を傾けるだけで避ける。
ある刃は、肩を沈めてやり過ごす。
時にはくるりと身を翻し、まるで踊るみたいに刃の間を抜けていく。
どの刃もルルルにはダメージにはなっていなく、しかも余裕そうなルルルに、流石のクリュゼルも、そこでわずかに表情を変えた。
余裕。
遊び。
そう見える動きだった。
クリュゼルはさらに刃を追加する。
だが、当たらない。
ルルルは時に最小限の動きでかわし、時にわざと大きく跳ねるように避ける。
危ういようで、掴めない。
近づいているようで、触れられない。
――しかし。
不意に一本、逃げ道を塞ぐような角度で刃が走った。
肩口を狙う軌道。
さすがに避けきれない。
そう思ったクリュゼルの目が、わずかに鋭くなる。
だが次の瞬間。
ルルルはその刃を、指先で挟んでいた。
刃はそこでぴたりと止まる。
「返したほうがイイカ?」
「生憎と、予備は十分にある」
「じゃあいらねーカ」
ルルルは挟んだ薄刃を横へ軽く投げ捨てる。
その間にも、歩みは止まらない。
クリュゼルが距離を取ろうと後ろへ下がる。
だが、その一瞬。
ルルルの姿がぶれた。
今までの動きが嘘のような、凄まじい踏み込み。
さっきまで歩いていたはずのルルルが、一息のうちにクリュゼルの間合いへ入り込んでいた。
「――っ」
クリュゼルが反応するより早く、ルルルの脚が上がった。
蹴り。
魔法でも特別な技でもない。
ただの蹴りの一撃。
けれど、それが綺麗にクリュゼルの鳩尾あたりへ入った。
「がっ……!」
クリュゼルの身体が、大きく後方へ吹っ飛ぶ。
石床を転がり、数度跳ねる。
それでも何とか片膝をつき、ぎりぎりで体勢を立て直した。
「……っ!」
「あんまりイジメたくネーシ。
降参してくれたら、もうやめるヨ」
煽りというより、割と本気で言っているような物言いだった。
それが余計に、クリュゼルの顔を歪ませる。
「…っ、舐めるなよ」
屈辱を噛み潰すように、クリュゼルは口元を拭って立ち上がった。
「澄ました感じの雰囲気。いつまで続けられるんダロウナ」
ルルルの言葉通り、クリュゼルにはもう、涼しい顔を保つ余裕がなくなりつつある。
だが、その目だけは落ちていない。
「そうだな。お前の言う通りだ」
「……ホー。なるほど」
声は落ち着いていた。
けれど、目が変わっている。
ルルルもそれに気づいたのか、笑みを少しだけ深めた。
「出し惜しみしている相手ではないらしい……なっ!」
言い切ると同時、クリュゼルが新たな薄刃を取り出した。
その刃には、淡い灰色の光が宿っていた。
光というより、金属そのものの輪郭が鋭く震えているようにも見える。
そして、空気が変わる。
「――武技、『穿刃』!」
投げられた刃は、今度は鋭い風切り音を連れて走っていく。
「ワっ……!」
ここにきて初めて、ルルルの顔に少しだけ驚きが浮かぶ。
身体を反らす。
さっきまでのような魅せる動きではない。
確実に避けるための、大きな動き。
それでも一本、避け切れなかった刃が、ルルルの頬をかすめた。
細い傷が走る。
床へ突き刺さった柳刃たちは、石を深く抉っていた。
「……あっブネェ!」
ルルルは頬の血を親指で拭う。
「武器そのものの強化と、速度上げる系の武技ってトコロカ」
ケロッとした言い方。
けれど、普通の相手なら今の一撃で終わっていてもおかしくない。
「今のはすごかったナ~!」
「それは光栄だ」
そう返しながらも、クリュゼルは油断しない。
服の内側。
袖口。
腰。
どこからともなく、また柳刃を取り出す。
どこに隠し持っているのか。
あるいは収納の魔具か、何かしらの魔法なのか。
ともかく、数が尽きる様子がない。
「いったい何個持ってんダヨ、ソレ」
「必要なだけ」
短い返答。
その瞬間、刃の群れがルルルへ走った。
横殴りの刃の嵐。
武技で強化された薄刃が、直線と曲線を織り交ぜながら、ルルルを囲い込む。
ルルルは避ける。
弾く。
蹴り落とす。
時には掌で刃の腹を叩き、軌道をずらす。
それでも、さっきまでのように一方的に前へは出られない。
クリュゼルは冷静に距離を取り続けている。
自分の間合いを保ち、近接戦には持ち込ませない。
彼の戦い方として、それは当然の判断だった。
――しかし。
「……ちっ」
攻めきれない。
どれだけ攻撃の数で押しても、ルルルを追い詰め切ることはできていない。
じれたクリュゼルは、両腕を広げる――。
袖口から。
腰から。
背の内側から。
これまでとは比べものにならない数の薄刃が姿を見せる。
淡い灰の光を帯びた刃が、クリュゼルの周囲で扇のように広がった。
「――これで押し切ってやる!」
ルルルは、襲いかかる刃を捌きながら、彼のその動きにもしっかり目を向けていた。
「――マジカ!」
驚きの声。
だが、恐怖ではない。
ようやく面白くなってきた、と言いたげな声だった。
次の瞬間、無数の薄刃が一斉に放たれる。
正面。
左右。
低い軌道。
高い軌道。
逃げ道を塞ぐように、刃たちがルルルへ殺到する。
速度も上がっている。
数もさっきの比ではない。
「避け切れるはずがない」
クリュゼルが、そう確信した――その瞬間。
ルルルの背後で、冷気が走った。
「――はっ!?」
空気中の水分が凍りついたみたいに、白い霞が広がる。
その中から現れたのは、巨大な氷の腕だった。
人間の腕ではない。
当然、ルルルの腕でもなければクリュゼルの腕でもない。
巨人の腕。
そう形容するのに相応しい、肩から先だけを切り出したような、氷でできた巨大な右腕。
それが、横薙ぎに振るわれる。
重い風切り音と、氷の軋む音が重なり、刃の群れが、まとめて弾き飛ばされる。
いくつかの薄刃は石床へ跳ね、いくつかは壁へ突き刺さり、いくつかは氷の腕に弾かれて折れ曲がった。
「な――」
クリュゼルの表情が崩れた。
その隙を、ルルルは見逃さない。
「そうやって思いっきり戦った方が男らしいゾ!」
ルルルが楽しそうに笑う。
「もう、すかしてカッコつけるのは卒業、シ・ロ・ヨ!」
その言葉と同時に、氷の巨腕がクリュゼルを横から叩いた。
防御は間に合わない。
というより、できるはずがない。
クリュゼルの身体が大きく吹っ飛ばされる。
石床で一度跳ね、さらに転がり、壁際まで弾き飛ばされたところでようやく止まった。
動かない――。
どうやら完全に意識を失っているようだった。
ルルルは軽く肩を回す。
「――はい、一丁!」




