先走る緊張
「わっ!……あれか」
少し先には、ひときわ目立つ大きな建物がそびえていた。
荘厳で、どこか洒落た雰囲気すらある。
あそこが、指定された同盟者評議が行われる会場なのだろう。
少し離れた位置からでも、そこが普通の民家や商館とは違う空気を持っているのが分かった。
重たそうな扉。
出入りする人影。
そして、どこかきっちりと整った雰囲気。
喉の奥が少しだけ詰まる。
初めての場所。
会議。
知らない人間が大勢いるであろう空間。
オレは、別に大人数が得意な方ではない。
というかむしろ苦手だ。
そこに加えて、追求者の会議なんてものに自分がいて大丈夫なのか、という不安もある。
移動中は比較的マシだったが、到着した途端、心拍数が上がってくるのが自分でもよく分かった。
「ちょっと早いかもしれないけど、もう入っちゃおっか」
ルピナスが先頭を切り、あの目立つ建物の方へと歩き出す。
「ホーイ」
二人はお気楽だなあ、と思った。
メンタルが強いのか、ただ場慣れしているだけなのか。
なんにしろすごい。
オレはこの二人に今後置いてかれないようにしなければならない。
そう考えると、余計に緊張が増し、足も震え始めてきた。
なんとか無理やり、震えを抑えて踏み出そうとした、そのときだった。
「――そこのあなた」
唐突に声をかけられた。
振り向くと、宗教じみた赤紫の衣をまとった女が立っていた。
にこにこと感じのいい笑顔を浮かべているが、逆にそれが胡散臭い。
「あなたも、この聖水で救済されませんか?」
手には小瓶。
中には透明な液体が入っている。
「家に置いて拝むだけで、穢れを祓い運気が巡る特別な水でして――」
うわ、と思う。
またこの手の輩か。
オレがやたらと辛気臭い顔をしていたから、いいカモに見えたのかもしれない。
ここら辺はこういうやつが多いのだろうか。
けれど、今はちょうど気持ちが落ち着いていなかったせいか、反応が一瞬遅れてしまった。
うまくあしらえばいいだけなのに、断ればいいだけなのに、その“ちょっとした隙”に、相手が強引に距離を詰めてくる。
「いえ、あの、今は……」
「ぜひ、あなたもこちらの聖水を――」
うまく言葉が出ない。
言いよどんだ、そのとき。
横から、ルルルがするっと現れた。
「へぇ、聖水ナア」
そう言ったかと思うと、その小瓶をひょいと取り上げる。
「えっ」
眼前の宗教人が止める間もなく。
ごく、ごく、ごく――
「お、おい」
オレの声も間に合わなかった。
ルルルは、その聖水とやらを一気に飲み干した。
数秒の沈黙。
宗教女の笑顔が固まる。
「……」
「……」
ルルルは空になった瓶を見下ろし、それから相手へ返した。
「うん。ただの水ダナ」
女の口元がぴくぴくと引きつる。
「な、ななな……!」
「救済って、飲んでも効くノカ?」
無邪気に聞くな。
オレはもう吹き出しそうだった。
ルルルの雑さ加減に、気づけば足の震えも心の圧迫感も、だいぶマシになっていた。
女はしばらく言葉を失っていたが、やがてぎこちなく表情を張り直して、
「その、これは本来、拝礼用でして……主への冒涜行為――」
「オメェが何を信じようが勝手ダケド、それを押し付けてきたり勧誘してきたりすんじゃネーヨ」
宗教女は、困惑したような、怒ったような、泣きそうな顔で固まっている。
けれどルルルはそれ以上相手をいじらず、くるりとこっちへ向き直った。
「オメェ、緊張してんのカア?」
「ちょっとね……でも、なんか今のでだいぶほぐれたと思う。ありがと」
正直に答える。
ルルルは鼻を鳴らした。
「まあ無理もネエナ。
知らねぇ連中の集まりなんダカラ、そんなもんだろ」
そして、少しだけ笑って続ける。
「でも、入っちまえば案外“ただの人間”ダゾ。
初対面だとトクニ、相手がとんでもないすごいやつとか、化け物みたいに見えがちだけど……実際はみんな、ただの人間ダ。
だから、そんなに身構えなくていい」
その言葉は、思ったよりもすっと胸に入った。
たしかに、過剰に相手を大きく見積もってしまうせいで、変に自分から引いてしまうことは昔からよくあったような気がする。
「うん……」
短く、自分に納得させるように頷く。
さっきまであった胸のつかえは、随分と軽くなっていた。
ルピナスはこちらのやり取りをみて、優しく笑う。
それから、建物の方へ顎をしゃくった。
「んじゃ、そろそろ行こっか」
オレは一度だけ深呼吸してから、頷いた。
これから扉をくぐれば、いよいよ追求者たちの評議が始まる。
緊張が消えたわけではない。
けれど、それでも足を前に出せるくらいには、今のひと騒ぎがちょうどよかった。
聖水を一気飲みしたルルルの横顔を見て、オレはもう一度だけ小さく笑う。
そして三人で、建物へ向かって歩き出した――。
**********
いざ建物の中へ入ると、そこは――大きな図書館だった。
「おお……スゲーな」
思わず、そんな声が零れた。
天井まで届く本棚が、壁という壁を埋めるように立ち並んでいる。
棚と棚のあいだを渡る回廊、上へ続く階段、幾層にも重なった書架の影。
見上げれば、どこまでが本でどこからが建物なのか、一瞬分からなくなるくらいだった。
ところどころに、本のジャンルを示す案内板のようなものも貼られている。
だが、目を引くのはそれだけじゃない。
壁に埋め込まれたような、どこにも通じていない扉。
階上にも階下にも続かない、意匠としてそこにあるだけの階段。
実用性という観点からは、無意味な造形。
この建物を設計したものが、見た目の美しさや遊び心にまでこだわって作られているのが、よく分かるデザインだ。
紙の乾いた匂いがある。
古い本の匂い、新しい紙の匂い、木の棚に染みついた埃っぽい香り。
それらが混ざって、図書館特有の静かな空気を作っていた。
けれど、しんと静まり返っているわけじゃない。
靴音はやわらかく抑えられているし、大声で騒いでいる人はいない。
ただ、人がいる音は確かにある。
ページをめくる音。
小さく交わされる会話。
誰かが本を読み聞かせているような語り声。
司書らしき人が本を運ぶ気配。
それらが高い天井へ吸い込まれていくみたいに響いて、妙に心地よい。
利用しているのは、大人だけではなかった。
当たり前のように子どももいる。
親に連れられた小さな子もいれば、自分で本を抱えて歩いている子もいる。
追求者だの会議だの、そういう物騒な空気とはまったく関係ない、普通の公共の図書館みたいな景色がそこに広がっていたのだ。
「……え、普通に図書館なんだ」
とてもこんな場所で「追求者評議」などという裏社会じみた催しが行われるとは思えない。
戸惑ってそう呟くと、ルピナスがこちらを振り返った。
「そりゃそうよ。
追求者専用の怪しい施設、みたいな方が逆に目立つでしょ?」
「まあ……それはそう、だけど」
なんだか言いくるめられた感じにはなってしまった。
だが、本当にこんな大衆向けの図書館を評議の場に使うのか? という疑問は残ったままだ。
オレは少しきょろきょろと見回しながら、ルピナスたちの後を追う。
その途中――。
図書館の一角に、小さな人だかりが見えた。
子どもたちが、床に敷かれた布の上に何人も座っている。
その前には、板絵をめくるための大きな枠みたいなもの。
「紙芝居、みたいなやつかな……?」
読み手らしい年配の女性が、ゆったりした調子で物語を語っている。
なんとなく目を引かれて、ついオレは足を止めた。
この世界の童話は、どんなものなんだろう?




