仄甘い出発
同盟者評議、当日。
心なしか、朝の空気は少しだけ張っていた。
冷たい、というほどではないけれど、肌の上に触れる空気には、普段の朝よりもどこかよそ行きの硬さがある。
玄関前には、出発の支度を終えた三人分の荷物がまとめられていた。
鞄に、小さめの荷袋がいくつか。
もっとも、今回は評議に顔を出して、そのあとはすぐ帰ってくる予定なので、そこまで大荷物というわけではない。
足元では、ルルルがしゃがみ込み、ちょうど靴紐を結び直しているところだった。
屋敷の扉は開け放たれていて、その前にルピナス、オレ、ルルル。
反対側に向き合うような形で、ぺル爺、そしてアエリスが集まっていた。
今回、同盟者評議に参加するのは、オレとルピナスとルルルの三人。
アエリスは別件が入ってしまって同行できず、ぺル爺は当然ながら館で留守を預かる。
「あー、もうクソっ……!」
朝一番から、ルピナスが不機嫌を隠そうともせずにぼやいた。
「ルピーナ、ご機嫌斜めだね」
「せっかく、そろそろ旅に出発できると思ってた頃合いに、別の予定が入りやがってさ……」
ルピナスは腰に手を当てたまま、これ見よがしに眉を寄せている。
彼女の言う通り、もともとこの予定が入らなければ、オレたちはそろそろ書探しのための中長期の旅へ出る流れだった。
だが、何日か前――ブラドリーナさんと会って少し経った頃に本人から届いた、同盟者評議の件の書状。
事前に知っていたとはいえ、文句のひとつくらい言いたくなるだろう。
「今日は一時休戦ナ! ドン草童子!」
支度が済んだルルルが、横から軽い調子で言ってきた。
「おう、あとドン草童子じゃねーから!」
このままだと、本当にこの呼び方が定着してしまう。
他の人にも呼ばれ始めたらたまったもんじゃない。
「なんでダヨ。気に言ってんのにヨ」
「オレは気に入ってねーよ!」
そのやり取りを見ながら、ルピナスは少しだけ口元を緩める。
中央都市に一緒に行ったあの日以来、ルルルとは妙なおふざけを交わす関係になっていた。
気がつけば、くだらない軽口を叩くのも当たり前になっていたし、しょうもないドッキリを仕掛け合うこともある。
お互い、変に気を遣わなくていい関係……そんな距離感になっていた。
「――しかし。新たに複数の派閥が同盟に加わるとは、珍しい話ですな」
落ち着いた声で、ペル爺が静かに言葉を挟む。
「確かにそうだねー。……ってなると、いつもより長引くかも」
「申し訳ないのです。本来ならこなたも同行したかったのですが……」
申し訳なさそうに、そう頭を下げるアエリス。
「いや、アエリスちゃんが謝ることじゃないよ」
そう返すと、アエリスはほっとしたように表情を和らげた。
「そう言ってもらえると助かります」
「――オメェ、アエリスンにだけ優しくネーカ??」
「そりゃ、純粋無垢で優しい子に! 親切にするのは当たり前でしょう??」
「まるでワタシが純粋無垢じゃないみたいな言い方ダナア!?」
「じゃないだろ」
「……! 言ったナこのヤロオオ!」
そんなふざけ口を交わすオレたちをよそに、アエリスは気にした様子もなく、小さな包みをオレたちに差し出してきた。
「その代わりと言ってはなんですが、これを。
移動中にでも食べてください! 焼き菓子を作ったので!」
「えー! お菓子作れるんだ。すご」
「美味しく作れてるといいのですが……」
包みは布で丁寧に巻かれていて、手に取るとほんのり甘い香りがした。
作ってから、まだあまり時間が経っていないのかもしれない。
“焼き菓子”という響きだけで、なんだかちょっと嬉しくなる。
「ありがとう」
そう言ってオレが代表して受け取り、一度包みを見下ろす。
そのまま鞄にしまってもよかったのだが、少しだけ迷ったあと、結局その場でひとつ取り出した。
「……これ、今食べてもいい?」
そう聞くと、アエリスはほんの一瞬だけ目を丸くした。
けれどすぐに、「も、もちろんです!」と小さく頷く。
ひとつ口に運ぶ。
さく、と軽い音。
最初に来るのは素朴な甘さで、そのあとにバターのような香ばしい風味がふわっと広がる。
甘すぎない。けれどちゃんと満足感のある味だ。
外側は軽く焼けていて、中はほんのりしっとりしている。
「……ん、うま!」
思わず、そのまま感想が漏れた。
「これかなり好きかも。……よかったら今度、作り方教えてよ!」
アエリスが、わずかに視線を逸らした。
表情は大きく変わらなかったが、耳のあたりがほんの少しだけ赤く見えたのは、気のせいじゃないと思う。
「それは……よかったです! ぜひ!」
短い言葉。
食べるのに夢中でよくは聞いていなかった。
けれどその声は、やわらかな風が通り抜けるように、嬉しさと明るさを滲ませていた気がする。
「おいドン草、それ今全部食うなよ」
ルルルが横から突っ込んでくる。
「大丈夫大丈夫、ちょっとしか食べてないから」
「ルピナたちの分も食ったらぶっ飛ばすからな!?」
どうやらアエリスの焼き菓子は、想像以上にこの館の人気商品らしい。
オレは苦笑しながら適当にあしらい、さりげなくもう一つ口に入れてから袋を閉じた。
「――では、お三方。お気をつけていってらっしゃいませ」
ペル爺が、この場を締めるように静かに言った。
相変わらずの低い物腰。
けれど、その一礼にはこの館を預かる者としての、静かな重みがあった。
「館のことは私にお任せください。
皆さまがご無事で戻られるのを、お待ちしております」
「ん。よろしくね」
ルピナスがひらりと手を挙げる。
「忘れてなかったら、お土産持って帰ってキテヤルワー!」
ルルルがいつもの調子で適当なことを言う。
「楽しみにしていますね」
アエリスがニコッと笑って、首を傾けた。
そんなやり取りをひとつ最後に挟んでから、ようやく出発となった――。




