絶えない呼び声
とりあえず、小悪党どもと若者の揉め事は半分どうでもよくなった。
あの後。
残された連中も、さすがにこれ以上続ける空気ではなかったらしい。
若者は若者で気まずそうに去っていき、小悪党らも「なんだったんだ今の……」みたいな釈然としない顔で散っていった。
それを見届けてから、オレはひとり、都市の水溝へと向かっていた。
近くの区画に対応する辺りなら、飛ばされたルルルもそこまで遠くにはいってないはず。
……たぶん。
「自信満々に大丈夫とかいってたくせに……」
石橋の脇から、水路沿いの道を歩く。
水溝は、近くで見るとやはり深い。
水の色も暗く、落ちたら自力で上がるのは相当大変そうだった。
「もう先帰ってようかな……」
たまにぼやきながら、辺りを捜索する。
ただ、そんな簡単に見つかるはずもない。
もしかしたら真反対の溝に落とされている可能性もある以上、見つけるのには相応の時間を要するかもしれない。
「てか、落とされた人ってどうなってるんだろう」
落とされたまま放置、では自分で這い上がってこない限りそのまま死んでしまうだろう。
……あるいは、そこまで考慮した上で、命式術の判定で“一定以上の重罪”を対象にしているのかもしれない。
けれど、ルピナスのように空を飛べる者なら、自力で戻ってくることも不可能じゃない。
そう考えると、命式術として完璧に機能しているのかどうかは、少し怪しい気もする。
……いや。
単純に、飛べるような連中の方がそもそも少数派で、そこまでは考えて作られていないのかもしれない。
結局、あの命式術も絶対じゃないらしい。仕組みとして万全ではなく、抜け道もある。
……まあ、そんなものか。
思考を巡らせていると、不意に背後からふいに声がかかった。
「そこのおにいさん、少しいいかい?」
声をかけてきたのは、見通しの良い通りで行き交う人々を眺めていた、商人風の男だった。
身なりはきちんとしていて、物腰も柔らかい。
押しつけがましさのない笑みまで浮かべている。
「……? オレですか?」
「はい、少しだけ時間をくれないかな」
柔らかい笑顔と穏やかな声。
オレは戸惑いながら近づいてみる。
そして、その商人の口から飛び出したのは、完全に予想外の言葉だった。
「おにいさん、 ひょっとして世改の書に興味はないかな」
「え……」
その単語に、思わず足が止まる。
「あ……あります」
反射だった。
言ってから、しまった、と思う。
男はにこっと笑った。
「やはり。そうだろうと思いました」
その笑みは穏やかだったが、どこか確信めいていたものも感じた。
「実はね、私、少し特別な情報を持っていまして」
なんでいきなり、追求者の関係者であるオレにそんな話を振ってきたのか。
手当たり次第なのか、それとも何かを見抜かれたのか。
いくつもの考えが浮かぶ。
それでも表面上は平静を装い、問い返した。
「ど、どうしてオレが書に興味があるって……」
「書を求めている者たちに変わり者が多いという話は、商売柄よく耳にしますからね」
男は肩をすくめてそう言う。
「おにいさんもひょっとして、と思ったんですよ」
さすが商人、とでもいうべきか。
理由としては曖昧だが、少なくとも、この世界ではオレの雰囲気や格好が“少し変わって見える側”なのは自覚している。
そういう人間を見逃さないよう、ずっと広場で観察していたのだとしたら――まあ、筋は通る。
「なるほど。……それで、書に関する情報ってどういうものをお持ちなんですか?」
ここは慎重に聞いていこう。
もしかしたら、思わぬ収穫になるかもしれない。
新しく仲間になって早々、有益な情報を拾えたとなれば十分手柄だ。
ルピナスに借りたお金の件だって、少しは返しやすくなる。
男はそんなこちらの内心を見透かしたように、言葉を選ぶ間すら心地よく見せながら続けた。
「もちろん、無料とは言いません」
そう言って、声をさらに落とす。
「ですが…… “世改の書そのもの”の話ではなく、それを追っていた者が最後に残した手がかり――そう聞けば、安いと思いませんか?」
「追っていた者……?」
「ええ。
数年前、この都市に“書”を探していた学者崩れがいたんです。
その人物が、ある遺跡の名を繰り返し口にしていたという記録がある」
男の言葉は滑らかだった。
断定しすぎず、けれど興味を引くところだけはしっかり押さえてくる。
「その遺跡の場所に繋がる手がかりを、私は持っています」
「その場所ってのは……?」
「まずは、お値段の相談からいたしましょう。
こうしてお話ししたのも何かの縁、今回は特別に融通させていただきま――」
「――ハイ! 詐欺」
横から、大きな声が急に割り込んだ。
半ば驚くように振り向いてみると、そこにはびしょ濡れのルルルが立っていた。
「うわっ」
髪から水を滴らせ、服もぐっしょりで、でも表情は妙に平然としていて、何事もなかったかのように話に参加してきた。
「そういうのは基本、嘘ダゾ」
ルルルはオレの肩を掴んで、商人風の男から距離を取らせた。
男は露骨に舌打ちこそしなかったが、笑みを崩さないまま肩をすくめる。
「おやおや、残念。
また機会があればよろしくお願いいたしますね」
そう言って、あっさり人混みへ紛れて消えていった。
何も言い返してきたりはせず、事を荒立てたくなさそうだった、という感じか。
「――んなもんアルカ!」
隣で、最後にそう言い放っていた。
「……マジ、か」
「マジだよ」
ルルルは服を絞りながら言う。
「書がらみは夢見てるやつ多いカラナ。
それに漬け込む詐欺も山ほどアル。ああいうのにひっかかんナヨ」
「ご、ごめん……」
「第一、あんなどこの誰だか分からねぇやつより、ワタシたちみたいに追求者と実際に関わってる側の方が、持ってる情報は多いし確かダシナ」
そう言って、ルルルはこちらを指差す。
オレは首を傾げた。
「書を手にする資格があるのは恩寵者だけ――そういう基本的なことすら、ちゃんと分かってねぇやつも珍しくないんダヨ」
なるほどな。
書に関連する情報は、それこそ情報格差……知ってるやつと知らないやつの差が激しいんだろう。
極端な話、世改の書って名前だけ知ってるようなやつでも、それっぽいことを言って金を取ろうと思えば取れてしまう。
……そりゃ、詐欺の種にもなるわけだ。
「リアルに追求者と…ルピナスと関わってるオレらの方が、よっぽど情報は正確で豊富ってことね……。
あ、ってか探したぞルルル!
大丈夫とか言っといて飛ばされてんじゃねーか!」
「マアマア、そんなチイセェこと気にすんなヨナ!」
「絶対小さいことではないと思うんだが……」
びしょ濡れだし。
「戻ってキタシ問題ナーイ!」
「……言われてみれば。なんで当然みたいな顔して戻って来てるんだよ」
「ホラ、そこは根性デ!」
「根性でどうにかなる溝じゃないだろ……」
言いながら、ちょっと笑ってしまう。
ルルルも笑う。
なんだかんだで、本当に戻ってきた。
それが妙に安心できて、自分でも少し不思議だった。
「もう、ほんとに……。頼むよ」
呆れ半分の笑いを浮かべながら、ルルルを見る。
すると、ルルルもなぜかじっとオレの目を見ていた。
「……?」
「会った時から思ってたんダケドサ……」
少しだけ溜めてから、「ずっと言いたかったんだよ」とでも言いたげに口元を緩め、
「ワタシたち、めっちゃ気ぃ合うヨナ!?」
「……っ」
一瞬、きょとんとする。
そのあとで、思わず吹き出した。
「ふふ……実はオレも、めっちゃそう思ってた。
こんなに気の合う人、初めてかもしれない。一緒にいて楽しいし、疲れないし」
口にしてから、少しだけ照れくさくなる。
けれど取り消したくはなかった。
「コンナニ相性いいやつ、ワタシも初めてかもシレナイ!
どっかで会ったことあるんカってくらいダワ!」
大げさなくらいの声で言う。
その言い方がなんだかおかしくて、また笑ってしまった。
ルルルもつられて笑う。
そんなふうにひとしきり笑って。
今度こそ帰路につくか、そんな話になった、そのときだった――。
「――貴公ら、派閥ルピナスの者ではないか?」
先ほどの詐欺商人男に続き、またしても用件ありげな声がオレたちにかけられた。




