奇妙な石室
それは、生き物と呼んですらいいのか分からない不条理な存在だった。
最初に見えたのは、靴。
人間が履くような古びた革靴が一足、片方だけ。
ただし、そこから上にあるべきもの――脚が、ない。
代わりに、革靴の履き口からそのまま、一本の細長い首がぐにゃりと伸びていた。……いや、脚が首のようになっているのか。
判別がつかない。
革靴と皮膚の境目も曖昧な、異様な繋がり方。
本来あるべき構造が崩れている。
その先にある顔面には、目も鼻も耳もない。
あるのは、人間の口。
横に裂けるように開いた、巨大な歯なしの口だけ。
さらに意味不明なことに、頭には帽子のようなものが被せられている。
帽子を被った“口”が、革靴の上から生えている。
そんな悪夢のような姿。
それは間違いなく――
「妙獣、か……」
理解するべきでないものを理解してしまい、全身がぶるりと震える。
無意識に、何も掛けられていない胸元へ手をやりながら思考する。
あの時のように魔法で応対できればいいが、生憎今は首飾りを持たされていない。
「どう、する…」
じっと異形の動向を注視していると、その異形は唯一の顔面のパーツをゆっくりと大きく開き始めた。
呼吸音のようでもあり、笑い声の前触れのようでもある。
唇の奥で、湿った空気の音が漏れた。
次の瞬間――。
「ンァァァァァァァァーーーッッッ!!!」
耳をつんざく不愉快な唸り声をあげ始めたのだ。
「――っ!」
オレは反射で駆けだしていた。
妙獣とは逆の方へ、両耳を押さえながらとにかく走る。
背後でまた、あのコツ……コツという音が追ってきている。
息が乱れる。
足元の砂利が滑り、バランスを崩しそうになるのをどうにか耐える。
洞窟の壁が視界の端を流れていく。
先ほどオレが転送された場所も通り越し、さらに奥へ進んだ先で、何かが見えた。
岩肌の中に、不自然な空間。
石でできた構造物だ。
近づくにつれ、それが人工物だと分かってくる。
石室というべきか、小さな遺跡の一部というべきか。
洞窟の中に、場違いなくらい整った一室の輪郭が、そこにあった。
ちょうど目の前に扉のような開口部がある。
「まあいいっ――!」
深く考える暇はない。
オレは逃げ込むように中へ飛び込んだ。
「っ……はぁ…はぁ」
石室に入ると、明らかに空気が変わった。
外よりもよりひんやりしていて、少し埃っぽい。
振り返ると、開口部のすぐ前まで、あの歪形が迫って来ていた。
入ってくる――!
そう身構えたのと同時に、突然重い音が鳴り響いた。
岩が擦れ合うような音。
開いていたはずの出入り口の脇の壁が、ゴツゴツと音を立てながら動き始める。
「――え」
何が起こったのか理解する間もなく、石の厚板が横からせり出し、出口を塞いだのだ。
鈍い音を立てぴたりと閉じ、洞窟側の光が断たれた。
先ほどよりも薄暗くなった石室に取り残される。
「え、待って……!」
駆け寄って、閉ざされた石壁に拳を打ちつける。
冷たく、固い。
押そうが叩こうが、当然びくともしない。
閉じ込められた。
それを理解した瞬間、背中が粟立った。
妙獣に襲われることは回避できた。が、今度はこの謎の空間から出られなくなってしまったらしい。
「流石に御免だぞ……」
またここから長時間監禁生活はいくらなんでもひどすぎる。
耐えられるわけがない。
勘弁してくれと思いつつ、オレは石室の中を見回す。
謎の小部屋。
反対方向に進んでいたせいで気が付かなかったが、オレが洞窟に転送された場所の、少し後ろへ外れた位置にそれはあった。
広さはそれほどではない。
外から見た印象と大差なく、内部も石でできた四角い空間。
湿気はあるが、洞窟の方よりかは乾いているのを感じる。その代わり、長く放置されてきた場所特有の、埃っぽさと石の匂いが鼻につく。
出入口は完全に塞がれてはいるが、何かしら抜け出す方法はあるはずだ。
そんな願い混じりの予想を胸に視線を巡らせていると、壁際に一つ、収納箱のようなものを見つけた。
「……?」
近づいてみると、それは収納箱――というより宝箱に近い雰囲気の箱だった。
だが、上蓋はすでに開けられていて、中は空っぽだ。
「ってことは……」
オレより先に、ここへ来た人間がいるということ。
部屋に白骨化した遺体なども見当たらない。
……つまり、その人間はこの部屋から出られた、と考えていいだろう。
ならば、オレも脱出できる可能性はある。まずはそこに一安心だ。
一応箱の中身を覗いてみるも、本当に何もない。貨幣ひとつ、ガラクタひとつ残されていない。
そしてそのすぐそばに、腰ほどの高さの石台があった。
「こっちは…なんだろう」
祭壇と呼ぶには簡素なただの平たい台座で、よく見ると、その正面には文字が刻まれていた。
オレは身をかがめて、それを読んでみる。
「『手段は問わぬ。汝の罪を招くな』……?」
低く、読み上げた瞬間だった。
背筋をひやりとしたものに撫でられ、石室の空気がわずかに変わった。
「……!?」
反射的に一歩下がる。
すると、少し離れた壁面にも文字が見えた。
しかしこちらは端正に刻まれた文字ではなく、誰かが書き殴ったような、乱れた字。
石片か何かで無理やり削りつけたみたいな、落書きのような文字だった。
「――咎人の幽閉の場」
その字を認識した頃には、すでに床を踏みしめる感触はなくなっていた。
手の先、足の先。
触れているはずの感覚が、ひとつずつ剥がされ消えていく。
呼吸の音さえ、自分から遠ざかる。
世界の輪郭までもが、薄れていく。
「――まさかっ…!」
また転送される――そう一瞬直感した。
が、あの時の感覚とは違う。
あの時よりも、もっと静かで柔らかい。
夢に落ちる瞬間のような、脱力感
無抵抗のまま、その感覚に身をゆだねると、視界がゆっくりと光に包まれていった――。




