天使の遊戯
「――かかりなさい!」
最初に飛び出したのは、クラフトだった。
重装を纏った巨体が、軽々しく信じられない高さまで跳ね上がる。
空中で拳を握り込む。
命力が集まり、鉄魂のような拳がさらに重みを増したように見えた。
狙いは、少女の頭上。
だが、少女は動かなかった。
杖も構えない。
目を伏せたまま、ただそこに立っている。
そして、クラフトの拳が少女を叩き潰した。
――そう見えた。
石路が抉れ、砂塵が舞う。
「無抵抗……?」
メリッサが呆然と呟く。
あまりにも呆気ない。
あまりにも手応えがなさすぎる。
だが、砂煙が薄れた時、そこに少女はいなかった――。
血もない。
潰れた痕もない。
衣服の切れ端すらない。
「――なかなか華やかな一撃ですね」
声は、少し離れた場所から聞こえた。
全員が反射的に振り向く。
少女は、先ほどまで立っていたはずの場所から離れたところにいた。
無傷で。
白い衣装には、汚れひとつなく。
先ほどと同じ笑みを浮かべたまま。
「力任せではありますが、今のはなかなか見応えがありましたよ」
「……っ! なにがっ!」
クラフトが即座に身を翻す。
同時に、ノワーレも動いた。
クラフトの正拳。
ノワーレの手刀。
黒青の命力が、刃のようにノワーレの手先から伸びる。
二つの攻撃は、確かに少女へ届いた。
そう見えた。
だが、次に砕けたのは、人の身体ではなかった。
道端の、ただの街路樹だった。
クラフトの拳とノワーレの手刀が、細い幹を無惨に砕いている。
「木……?」
護衛を優先して動かなかったメリッサも、目の前の状況には声を強張らせた。
「瞬間移動……いや、位置を入れ替える類ですかな」
ダステンは顎に手を当て、少女を睨む。
だが、考えを深めるにはもう遅すぎた。
「――やったぞ、捕えた! このまま逃さず終わらせるべき!」
普段ならまず聞かないような、ノワーレの張り上げた声。
その手刀は――クラフトの腹を貫いていた。
「……な、ん…」
クラフトの口から、血がこぼれる。
視線だけが、信じられないものを見るように、ノワーレへ向いていた。
だがノワーレは止まらない。
引き抜くどころか、さらに深く。
その腕を、クラフトの腹へねじ込んでいく。
「ノワーレ! 何をしているのですか!」
ダステンの叫びが響く。
その声が届いた瞬間、ノワーレの目がぴくりと揺れる。
まるで、そこで初めて自分のしていることに気づいたかのように。
「……え。ち、違う」
瞬きひとつ。
彼の見ていたものが、現実へ戻る。
自分の腕は少女ではなく、仲間の腹を貫いている。
それを理解した瞬間、ノワーレは慌てて手刀を引き抜き、後退した。
「違う! 自分は確かに、ヤツを殺ろうと……なのに!」
「――あら」
今度は、ノワーレの背後から少女の声がした。
「仲間割れでしょうか。私としては助かりますけれど、もう少し結束は高めておいた方がよろしいのでは?」
囁くような声。
ぞっとするほど近い。
「お前えぇ! 何をしたあぁ!」
「待つのです、ノワーレ!」
攻めかかろうとするノワーレへ、ダステンは即座に手をかざした。
ノワーレの身体が、その場で沈む。
重さを与えて、強制的に止めたのだ。
ノワーレが止まったことを確認し、ダステンは少女へ視線を戻した。
「ふん。なるほど。小生も見誤っていたようですな」
ダステンは顎をつまみ、少女を見据える。
「問題とすべきは、かの神話ではなく、あなたの方だったわけですぞ」
「――」
少女は何も答えない。
ただ、次に何を見せてくれるのか楽しみにしているように、微笑んでいる。
「ここからは、小生が主となって彼女の相手をしましょう。
お三方は、補助に回りなさい」
「承知しました」
メリッサが盾を構える。
クラフトは腹を押さえながらも、まだ立っていた。
ノワーレも、動揺を無理やり押し殺すように息を整える。
そして、ダステンは手を上げた。
「特者能力――『万有制圧』!」
その手を、静かに落とす。
瞬間。少女の周りの空気が沈んだ。
衣装の裾が地面へ引かれる。
杖の先が石路を擦る。
少女の膝が、ゆっくりと折れる。
今までブッキーたちにかけていたものとは違う。
動きを鈍らせる程度ではない。
確実にその場に縫い留めるための、重い干渉。
「――――」
少女は片膝をついた。
続いて、もう片方の膝も落ちる。
白い魔杖を支えに、手をつく。
そのまま押し潰されるように、少女の身体が地へ沈んでいった。
「……ふう。ひとまず、小生の能力で抑え込むこと自体は、できそうですぞ」
傍目には、とうに勝負が決したようにも見える。
しかし、ダステンは油断しない。
手応えを確信することなく、なおも臨戦態勢を崩さない。
そして少女へ向けた鋭い視線を外さぬまま、手の向きを変えた。
地へ押し付けていた重さの流れを、横へ――。
少女の身体が弾かれるように動いた。
まるで見えない巨大な手に掴まれたように、白い身体が周囲へ叩き回されているようだった。
木の幹へ叩きつけられる。
地面へ落とされ、路面を抉る。
また横へ引きずられる。
最後には、壊れかけた人動車へ叩きつけられ、車体がさらに大きく歪んだ。
「――ノワーレ氏、そのままとどめを刺すのです!」
「っ、了解……!」
ノワーレが合わせて跳ぶ。
動揺はまだ残っていた。
それでも、彼は無理やり冷静さを形にしていた。
黒青の手刀刃を伸ばす。
壊れた車両ごと、少女を貫くように突き刺しに行く。
今度こそ――。
そう思える沈黙が流れた。
「ダ、ステン様……っ」
しかし、メリッサの声が震えていた。
その異常を察し、ダステンは即座に振り返る。
だが、メリッサが視界に捉えていたのはダステンではない。
その、すぐ傍。
――そこに、少女が立っていた。




