もう一つの舞台
それぞれの戦いは、しばらく続いた。
ブッキーは器用だった。
蛇曲刃。
袖に仕込んだ矢。
視線、間合い、呼吸をずらすためのちょっとした虚動。
相手の意識を削り、崩し、できた隙へ刃を滑り込ませる。
正面から斬り合うための剣ではない。
相手を崩すための、搦め手の積み重ね。
それが、彼の戦い方だった。
だが、メリッサも簡単には崩れない。
大盾が攻撃を受け止める。
重装が浅い傷を殺す。
そして何より、彼女自身の判断が揺らがない。
ブッキーが背へ手を回す。
二本目の刃を抜く。
そう思わせて、横腹へ蹴りを放った。
メリッサは盾で受け止める。
だが、それすらも囮だった。
背へ入れた手は、本当に二本目の刃を抜いている。
一本目とはまた違う、ひしゃげた形の短刀。
ブッキーはそれを、メリッサの重装の隙間へ振り下ろした。
盾では間に合わない。
メリッサは即座に左腕を上げる。
刃が腕の装甲に噛みついた。
火花が散る。
だが、切り裂かれたのは、鎧ではなかった。
欠けたのは、ブッキーの刃の方だった。
「その装備、丈夫すぎるだろ。よくそんなもん纏って身軽そうに動けるな」
「逆にそっちは、軽装なわりに動きが鈍いわね。まぁ、それも仕方ないんでしょうけど」
「言ってくれるじゃねぇの」
ブッキーは欠けた刃を投げ捨てる。
次に懐へ手を入れ、小さな容器を取り出した。
それをメリッサの顔へ投げる。
メリッサは即座に盾で受けた。
甲高い音を立てて容器が割れ、中から粘ついた液体が弾ける。
それは盾の表面にべったりと張りつき、飛沫となってメリッサの顔にも散った。
「んっくさっ……! なんなのこれ……!」
鼻を突く悪臭。
妙獣の液体か、糞尿か。
判別したくもない臭気だった。
だがメリッサはすぐに気づく。
これは攻撃ではない。
気を逸らすための一手。
すぐに注意を戻そうとする。
しかし、ブッキーはすでに次の手を打っていた。
踏み込みながら、メリッサの顔へ手を向ける。
「――レアフラミナ!」
放たれたのは、攻撃魔法ではない。
閃光。
メリッサの顔の前で、光が爆ぜた。
「こいつ、魔法も……!?」
視界が白に潰れる。
ブッキーはその隙へ踏み込んだ。
二本目の刃で、首元を刺し貫く。
――必中。
そう思える一撃だった。
だが、刃は届かなかった。
メリッサの手は動いていない。
視界も奪われている。
それでも、大盾だけが動いていた。
「――武技、万撃盾舞!」
大盾が彼女の手を離れ、宙に浮いている。
自律するように動き、ブッキーの刃を弾いた。
「……まじかよ。盾が勝手に守ってくんのか」
ブッキーは顔をしかめ、刃を揺らす。
「あの盾を抜けても、まだあの重装があるし……どうしたもんかなぁ」
けれどその間にも、ブッキー自身の動きは少しずつ鈍っていた。
ヘーモンも。
ビレーも。
この戦いは、純粋な三体三ではないのだから――。
目に見える攻撃ではない。
派手な魔法でもない。
ただ、踏み込みがわずかに浅くなる。
呼吸が重くなる。
腕の振りが、ほんの少し遅れる。
刃の軌道が、わずかに沈む。
そのわずかが、戦いの中では致命的だった。
気づかれぬ程度に積み重なる重さが、ブッキーたち三人を確実に削っていた。
そして――。
戦いが続いた、しばらく経った頃
最初に崩れたのは、ヘーモンだった。
クラフトの拳を受け、何度も立ち上がったはずの身体が、ついに敷石へ沈む。
次に、ビレー。
ノワーレは無数の影を払い、本物を探し当て、動きを封じた。
最後に残ったのは、ブッキーだった。
メリッサの自律盾が、ブッキーへ盾撃を放つ。
ブッキーは蛇曲刃でそれを受け止めた。
受け止めた、はずだった。
だがその背後から、クラフトの大拳が振り下ろされた。
まともに受けたブッキーの身体が、地面へ叩きつけられる。
「ま、じか……」
力の抜けた声が漏れた。
ブッキーはそのまま前のめりに倒れる。
手から蛇曲刃が離れ、石路の上を軽く滑った。
そこへ、ノワーレも歩み寄る。
「とりあえず出てきた奴は全員片づけた。
まだ中にいる最後の一人も、とっとと片付けるべき」
ビレーも、ヘーモンも、すでに倒れている。
三人とも、上から何かに押しつけられているかのように地へ伏せていた。
ブッキーは、かろうじて動く指を、車両の方へ伸ばす。
だが、重さがそれを許さない。
顔を上げることすらできないまま、彼は最後の力を振り絞るように呟いた。
「姫、ボス……」
その声が届いたのか。
あるいは、ただ頃合いだと判断しただけなのか。
前方を潰され、半ば破壊された人動車の扉が、静かに開いた。
軋む車体。
折れた車輪。
倒れ伏す三人。
その惨状の中で、一人の少女が、姿を現した。
場違いなほどに、ゆっくりと。
焦りもない。
驚きもない。
怒りもない。
まるで、予定よりも少し早く舞台へ上がることになった役者のように、少女は小さな段を降りる。
白い靴が、荒れた石路に触れた。
神聖さを感じさせる純白の衣装。
ドレスと法衣の中間のような、清廉さを感じさせる装いだった。
布地には、汚れひとつ、皺ひとつ見当たらない。
夜の暗がりの中でも、そこだけが淡く浮かんで見える。
髪もまた、薄く霞んだような白だった。
幼い、と形容するような年ごろではない。
けれど手足は細く、身体の線も小柄で、庇護欲を誘うようなか弱さがある。
だというのに、その瞳だけは違った。
可憐さだけでは説明できない、冷えたものが奥に沈んでいる。
その小さな影が、かえって彼女の白さを際立たせていた。
手には、自分の身長を超えるほどの白い魔杖。
細く、優美な杖だった。
先端には、鳥の羽根を模したような装飾がある。
一見すれば、羽ばたく翼。
しかしよく見れば、その根元には、小さな手のような意匠が絡んでいた。
羽が広がっているのか。
それとも、その掌から逃れようとしているのか。
見る角度によって、どちらにも見える造りだった。
少女は、その杖をこつ、こつ、と荒れた石道に着きながら歩く。
ダステンでも。
三重兵でもなく。
まずは、倒れているブッキーのもとへ。
「あら、ブッキー君――」
その声は、ひどく柔らかかった。
「とても情けないお姿ですね」
「ひ、め……」
「真に最初に見定める相手を、見誤りましたね」
ブッキーは苦笑しようとした。
助けを求める声に返ってきたのは、気遣いの言葉ではない。
ただの評価だった。
それでも、その声を聞いて少し安心してしまうほどには、彼にとって彼女は主だった。
そのやり取りを見て、ダステンが一歩前へ出る。
「――おっと、ようやく大将のお出まし、ですぞ」
その一言が号令であったかのように、メリッサが大盾を戻す。
クラフトが拳を構える。
ノワーレも無言で位置を取った。
「相当な手練れでしょう。それも、先の三人より格段に。
――必ず、油断なさらぬように」
三人は頷いた。
少女はその様子を見届けると、丁寧にお辞儀をした。
「先ほどまでのお話、無礼ながら少し拝聴しておりました。
私の子たちへの教育に、とても参考になる機会をいただけましたこと、感謝いたします」
上品だった。
所作も、姿勢も、言葉選びも。
あまりに場にそぐわないほど、上品だった。
自分の配下が全員倒れている。
車両は壊れ、道は抉れ、戦場はまだ荒れた空気が残っている。
それでも、少女は焦らない。
ただ、優しく微笑んでいた。
「ならびに、このように不甲斐ない結果となってしまいましたことも、恥ずかしく思います」
少女は杖の先で、軽く敷石を鳴らした。
「では、まだまだ力量不足でありました私の子たちに代わり――僭越ながら、私がお相手いたしましょう」
数秒の静寂。
木々を抜ける風の音。
遠く、都市を囲む水路の音。
その静けさの中で、少女はそっと目を閉じた。
ダステンは警戒を緩めないまま、ついに言った。
「――かかりなさい!」




