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2人の贖罪-世界+ ~命《いきる》を選んだその先は~  作者: 【表現者のツボミ】/ようかの夜
第2章 求める者と阻む者

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この部屋に戻れたなら






 身体の重さを感じながら、ゆっくりと瞼を開く。



 最初にオレを迎えたのは、深い静けさだけだった。


 誰かに呼ばれたわけでもない。

 何か音がしていたわけじゃない。


 ただ、静けさそのものに押し上げられるように、意識がゆっくりと浮上していった。



 ぼやけた視界の中に、見覚えのある天井がある。


 木目の天井。

 そこを渡る漆。

 かけられた布団。

 薄暗い部屋。

 左手側には窓があった。



 窓の向こうには、沈んだ夜の色が広がっている。



 しばらく、それがどこなのか分からなかった。


 けれど、見覚えのある光景をひとつずつ拾ううちに、少しずつ思い出す。



 ――派閥ルピナスの拠点。



 オレがこの館へ来てから与えてもらった部屋。

 ミリナ村を出て、初めてこの館へ来た時にも寝かされていた、今となっては自分の部屋になっている場所だった。



 静かだった。


 本当に、静かだった。



 別に、この館がいつもより静かなわけではないのだと思う。

 きっといつも通りだ。


 夜の館は、たぶんいつもこんなものだった。



 けれど、オレの中ではまだ残響が鳴り続けていた。


 石床が砕ける音。

 炎が爆ぜる音。

 氷が割れる音。

 誰かの叫び声。

 あの凶面男の笑い声。


 さっきまで、視界も耳も、全部あの死地にあった。



 なのに今、目の前には薄暗い天井がある。

 耳に届くのは、自分の呼吸と、遠くでかすかに軋む館の音だけ。


 その落差が、現実感を奪っていた。



 オレは、評議に参加するために街へ出ていたはずだ。


 追求者同盟の評議。

 新しい陣営の加入。

 決闘。

 白翼会。


 そこから先を考えようとした瞬間、胸の奥が詰まった。


 考えたくなかった。


 思い出したくなかった。

 頭の中で、あの光景をもう一度再生したくなかった。


 だから、オレは逃げるように窓の方へ視線を向ける。



 外は暗い。



 知らないうちに、時間は夜になってしまっている。

 けれど、その暗さはいつもとは違って見えた。


 窓の向こうの闇が、こちらを覗き返しているような気がする。



 何かを隠している闇ではない。

 もう何も残っていないことを、ただ黙って見せつけてくるような闇だった。



 ルルル。



 その名前が浮かびそうになって、オレは慌てて別のことを考えようとした。


 ――そいえば、誰がここへ運んでくれたのだろう。


 ルピナスか。

 アエリスか。

 ペル爺か。


 それとも、他の誰かか。



 考える材料はいくらでもあるはずだった。


 なのに、どの思考も浅いところで止まってしまう。


 深く潜ろうとすれば、その先には必ずルルルがいるから。


 血を流して倒れるルルル。

 笑おうとしていたルルル。

 最後に、オレの奥にしまっていたはずの何かへ触れてきたルルル。


 そして。


 ヴァルが、ルルルに触れた直後のこと。


 その光景が蘇りかけて、また息が詰まった。




「……ルルル」




 窓の外を見たまま、その名前だけが漏れた。


 ルルルは、ただ命を奪われただけじゃない。

 最後の最後に、ルルルとしてそこに残ることさえ許されなかった。


 笑って。

 喋って。

 ふざけて。

 オレの頭をぽんと叩いて。

 ドン草童子なんて呼んできて。

 氷の腕を操って。

 一緒に街を歩いて。

 くだらないことで笑った。


 その全部が、あいつの手で、ただ壊れたものみたいに扱われた。


 ルルルという人間が、ここまで歩いてきた足跡ごと踏みにじられたような気がした。



 そう思った瞬間、喉の奥が爛(ただ)れるように熱を帯びた。



 でも、涙は出なかった。


 あの時、流せる涙はすべて流しきってしまったのかもしれない。

 あるいは、感情がまだ涙になる場所まで戻ってきていないだけなのかもしれない。


 記憶を辿ってしまう。


 二度と思い出したくないはずなのに。

 思い出せば苦しいだけだと分かっているのに。



 あの時は、目の前のルルルのことで頭がいっぱいだった。


 けれど、記憶の外側には、他のものもあった。



 ブラドリーナ。

 その傍に膝をつき、彼女を腕の中に抱えていたオルディアン。

 途中で姿を消していた、他の派閥の追求者たち。

 ヴァル。

 白翼会の連中。


 そして、ルピナス。


 あの時は、ルルルのことしか見えていなかった。

 そのせいで抜け落ちていた記憶が、今になってゆっくりと戻ってくる。


 ルピナスもまた、血を吐き、倒れ、そのまま動けなくなっていた。




「……ルピナスは」




 生きているのか。


 その疑問が、ようやく頭に届いた。


 それが分かったところで、救われるわけじゃない。

 前向きになれるわけでもない。


 でも、せめてルピナスだけでも無事でいてくれたなら。


 彼女が何か大きな目的に向かって進んでいることを知ってしまったオレとしては、せめてそこだけでも失われずにいてほしかった。



 あるいは、それすらも逃げだったのかもしれない。



 ルルルの死から一瞬でも目を逸らすために、まだ確認できる別の不安へ飛びついただけなのかもしれない。

 そんな、誰かを気遣う優しさとは程遠い、ただ自分を守るためだけの心の働き



 それでも、動く理由にはなった。



 オレはゆっくりと身体を起こした。


 身体が鉛みたいに重い。

 全身に鈍い痛みが残っている。


 それでも、致命的な怪我はないようだった。


 ベッドから足を下ろす。


 床に触れた足裏が、冷たかった。



 立ち上がってから、改めて部屋を見回す。


 この部屋にいる。

 その事実に、妙な引っかかりを覚えた。



 前にも、こんなことがあったなと。



 ミリナ村を出て、この館へ来る途中で意識を失って。

 目を覚ましたら、この部屋に寝かされていた。


 時間帯も夜だった。

 周りは暗くて。

 状況が分からなくて。


 あの時も、困惑しながら部屋を出た。

 屋敷の中を彷徨った。



 似ている……。


 あまりに、似ている気がした。



 そんなはずがない。


 でも。


 もしそうだったら。



 この世界には、もう何でもある。

 

 常人離れした力も。

 魔法も。

 命式術も。

 世界を変える書物なんて代物も、あるらしい。


 なら、ありえないなんて言い切れるのか。




 ――もし、あの地獄みたいな光景から、”時間が巻き戻って”くれているのだとしたら。




 あの同盟者評議の日に起きたすべてが、まだ起きていないということになる。



 ルルルは、まだ生きている。



 ブラドリーナだってまだ死んでいない。


 決闘も。

 白翼会の乱入も。


 全部、これからのことになる。



 やり直せる。



 まだ救える。



 そんな馬鹿げた考えに、脳が飛びついた。


 ありえない。

 そんなことは百も分かっている。


 でも。


 もしそうなら、オレはまだ耐えられる気がした。



 現実と向き合うための足場が、ほんの少しだけ戻ってくる気がした。



 そんな、希望とも呼べないものを抱えて、オレは部屋を出た――。




 廊下は暗かった。


 壁にかけられた明かりは、ほとんど落とされている。

 ところどころに残った弱い光だけが、床板の一部をぼんやり照らしていた。


 廊下の奥は、夜の色に沈んでいる。



 あの時も、こんな風に歩いた。



 もし、時間が戻ってくれているのなら。

 もし、あの日からやり直せるのなら。


 この後、オレはアエリスに出会うはずだ。


 あの日、オレは侵入者として誤解された。

 問答無用で拘束され、地下の独房へ放り込まれた。


 その流れが来るはずだ。


 おかしな話だが、来てほしいとさえ思った。



 警戒してほしい。

 間違えてほしい。

 あの日と同じように、最初からやり直させてほしい。


 そんな、一筋の光というにはあまりにも暗すぎるものを抱えながら、オレは廊下の角を曲がろうとした。



 ――ちょうどその先から、アエリスが出てきた。



 両腕には、畳まれた衣服がきれいに重ねられている。


 こちらに気づいた彼女の目が、大きく開いた。






「アイト、様……?」






 その声で、分かった。


 分かってしまった。


 警戒ではない。

 敵意ではない。


 今から拘束しようとする人間の顔では、全くない。



 そこにあったのは、ただ安堵だけだった。




「目、覚まされたのですか?」




 その声は、ほっとしたように震えていた。


 そして、その滲む安堵とは裏腹に、オレの中で膨らみかけていた何かは、あまりにもあっけなく砕け散った。




 ――時間は、巻き戻ってなんかいなかった。






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