『殺戮』
「やっと分かったワ。――オメェのその気色悪い戦い方」
ヴァルが肩眉を上げる。
「空を殴ると、見てる相手が殴られる。空を斬ったら、見てる相手が切られる。不可視の攻撃かなんかを飛ばしてるってトコロカ?」
「……へぇ」
ルルルのその指摘に、ヴァルの笑みがわずかに変わった。
「なかなか鋭いじゃねぇか。当たらずも遠からずって答えとくか」
「ハッタリか? 素直に正解って言えヨ」
「さぁな。ここから勝手に答え合わせしてろよ」
ヴァルはニヤつきながら、懐からナイフを取り出した。
「それもそうダナ。オメェとはできるだけ言葉交わしたくナーイシ」
ルルルは飄々と返しながら、壊れた氷像の脚を修復していく。
白い冷気が集まり、砕けた脚が再び形を成した。
ルルル自身も、傷口を片腕で押さえたまま構える。
その雰囲気だけで分かった。
ルルルは、次で決める気だ。
ここから先は、もう削り合いではない。
どちらが先に相手の命へ届くか。
――そのための、最後の攻防が始まった。
ヴァルが空を殴る。
蹴る。
ナイフで斬る。
ルルルはヴァルの動きから、見えない攻撃の軌道を読む。
拳の角度。
蹴りの向き。
ナイフの軌跡。
そこに神経を張り詰め、自分の身体と氷像を同時に動かす。
見えない打撃が、ルルルの真横を通り抜ける。
斬撃が髪を裂く。
頬を掠める。
肩を切る。
それでも、致命傷は避けている。
避ける。
避ける。
避け続ける。
「おいおい、よく踊るじゃねぇか!」
ヴァルの声が弾む。
これほど傷を負ってなお対応してくるルルルを見て、むしろ楽しんでいるようだった。
「だがよ、そっちばっか警戒してると――」
気づいた時には、ヴァルがルルルとの間合いを詰めていた。
「現実の拳が疎かになるぜ」
その言葉とともに、ヴァルの拳がルルルの顔面に真正面から入った。
それでも、ルルルは倒れなかった。
続けて襲いかかる蹴りを、腕で掴む。
「――捕まえた!」
「ッ!?」
ルルルが、ヴァルへ見せつけるように笑みを浮かべる。
掴まれた足を支点に、ヴァルの動きが一瞬止まった。
その瞬間を逃さず、氷像が動く――。
右。
左。
右。
左。
巨大な掌が、ヴァルを左右から連続で殴りつけた。
左右から絶え間なく打ち込まれる氷の拳。
ヴァルの身体が何度も弾かれる。
「ぐっ……ぐぁっ! …は、ははっ……!」
殴られながら、それでもヴァルは笑っていた。
そして最後に、氷像が大きく拳を振りかぶる。
今度こそ叩き潰すための一撃――。
けれど、その溜めがわずかな隙になった。
ヴァルは瞬時に体勢を立て直し、両手で氷拳を受け止める。
衝撃が床へ広がる。
同時に、自由な方の足を振り上げ――ルルルの腕へ、容赦なく踏み下ろした。
鈍く、生々しい音が響く。
肉の内側で、骨が砕けた音だった。
「ぃっ…!」
声にならない声が、ルルルの喉から漏れた。
激痛で、掴んでいた手が離れる。
氷像の動きも一瞬乱れた。
ヴァルは距離を取る。
そしてその先に倒れているのは、ルピナスだった。
ヴァルはわざとらしく、ルピナスの頭を軽く踏みつける。
「けっこう遠慮なくやってくれたじゃねぇか」
返答の代わりに、ルルルは静かに目を細めた。
「……その足を、どけろ」
「ケッ。そんなに俺に踏まれるのが羨ましいのか。
とんだ変態やろうだぜ」
ヴァルは気にも留めず、ナイフを握り直す。
「本当に容赦なくやるカラナ?」
「こいよ。できねぇ脅しなら興醒めだ」
ヴァルが薄ら笑うのと同時に、ナイフが振られた。
空を斬る。
ルルルはそれを避ける。
直後、何もない空間が裂けたように鳴った。
見えない斬撃が、石床に細い切断痕を刻んだ。
「ケッッ!」
ヴァルの妖しい笑みがさらに深くなる。
「ここまで対応してくるか! いいねぇ。こんなに張り合ってくる奴は久しぶりだ。
気持ちよくなってくるじゃねぇか」
その言葉を最後まで聞き終わる前に、ルルルは動いた――。
それに応じるように、ヴァルの猛攻もまた勢いを増した。
右へ斬る。
上から降り下ろす。
逆手に持ち替え、下から斜めに裂く。
ルルルは紙一重で反応する。
腹の傷。
折られた腕。
蓄積した疲労。
それでも、避ける。
だが、すべては避け切ることが難しい。
肩が裂ける。
脇腹が切れる。
太腿から血が飛ぶ。
それでも致命傷だけは避け続けている。
逆に言えば、それだけだった。
ただ避けるだけで、精一杯になっていく。
ヴァルは着実に、ルルルを追い込んでいた。
「その状態でよくやるじゃねぇか」
ヴァルが軽く息を吐く。
「――だが、そろそろ終わりにするぜ」
そう言って、ヴァルが一歩踏み込んだ。
その瞬間――。
ヴァルが踏み込んだ足元の石床が、泥のように沈んだ。
「……あ?」
膝下ほどまで、ヴァルの足が床に呑まれていく。
――直後、その泥が固まり、石へ戻った。
ヴァルの両足は、床に埋め込まれたように固定されていた。
その様子を前に、今度はルルルが口元を歪めた。
さっき目覚めた時。
血で濡れた指先が、何気ない仕草で石床をなぞっていた。
あれは、ただの血痕ではなかった。
――命式術。
ルルルが得意とする技術。
つまりは、その場でとっさに仕込んだ即席の罠だったのだ。
「――やっと踏んでくれたナ」
その一言とともに、氷の腕が飛び出した――。
氷像とは別に生まれた、人間大の氷腕。
それが真っ直ぐヴァルへ飛び、彼の手からナイフを弾き飛ばす。
武器が宙を舞う。
ヴァルはその場から動けない。
――だから、今しかない。
ルルル本体と氷像が、同時に動いた。
氷像の拳が、円錐のように鋭く変形する。
ルルル自身の腕にも、氷の装甲がまとわりつく。
これで決める。
そう思わせるほどの、全てを乗せた一撃だ――。
「――これで、砕け消えろ!!!」
ルルルが叫ぶ。
氷像の槍拳と、ルルルの氷を纏った腕。
二つの攻撃が、その場に縫い止められたヴァルへと迫る。
――――。
そして。
ヴァルは一瞬だけ、不快そうに息を吐いた。
「チッ」
その舌打ちには、どこか忌々しさが滲んでいるように感じられた。
ヴァルの視線が、わずかにルルルから外れる。
その先にいたのは、身を潜めて控えていた、ヴァルの配下と思わしき者だった。
「――やれ」
その一言と同時に、横合いから白い影が飛んだ。
細い、投げ矢のようなもの。
――それが、ルルルの頭部を真横から貫いた。
時間が止まったような錯覚に襲われる。
ルルルの動きが止まる。
――それでも、ルルルは最後に反応した。
倒れるより早く、氷の矢を創成する。
そして、横合いから不意打ちを入れてきた白翼会員へ向けて、それを放った。
氷矢は、相手の頭を撃ち抜く。
白翼会員はそこで動きが止まり、仰向けに倒れた。
だが、ルルルももう限界だった。
その一撃を最後に、ルルルの身体から力が抜けていく。
まとっていた氷の装甲が砕ける。
氷像がその場で膝をつく。
主を失った巨体が、そこで動きを止めた。
そして、ルルルの身体も。
ゆっくりと崩れ落ちた――。
「ル、ルル……?」




