見えない手の内
ルルルが氷像を動かす――巨拳がヴァルへ振るわれる。
ヴァルは避けない。
堂々と突っ立ったまま、氷拳が届く前に、何もない空中へ裏拳を振った。
ただ空を殴っただけ。
少なくともオレにはそう見えた。
さっきも見せていた、何もない空間へ拳を振るう、意味の分からない動き。
――なのに、氷像の拳は横から殴られたかのように粉砕した。
氷が砕け、破片が飛ぶ。
ブラドリーナの水刻連斬を砕いた時と同じだ。
触れていない。
なのに、殴れた。
そんな攻撃だった。
ルピナスがすかさず追撃を――炎を放つ。
ルルルの氷像も、残った腕を上から叩きつける。
ヴァルは炎を避け、氷拳が床を砕くより早くルピナスへ踏み込んだ。
速い――。
魔法使いであるルピナスにとって、近接戦は圧倒的に不利だ。
「――ルピナス!!!」
思考より先に、彼女の名を叫んでいた。
まるで攻撃を受けたのが自分だったみたいな悲鳴だった。
ヴァルの拳がルピナスに届く、その寸前。
「特者能力――『陰歩き』」
ルピナスが、そう小さく呟いた。
恩寵者だけが持つ、あの能力。
ルピナスだけのあの権能を使ったのだろう。
ヴァルの反応が明らかに変わる。
オレはルピナスを認識できているが、ヴァルは違うということだ。
ルピナスの顔面へ叩き込もうとしていた拳が、振り切られる寸前で止まった。
ヴァルが、訝しげに目を細める。
目の前にいたはずの相手を見失ったみたいに。
「……あ? 消えやがった。瞬間移動か? いや……認識阻害の類か」
即座にそこまで察する異常さに、背筋が冷える。
だが、考える間はない。
ルルルがヴァルへ跳ぶ。
勢いを乗せた蹴り。
ヴァルは片手でそれを受け止め、掴んだ。
続けて、氷像の回し蹴りが迫る。
ヴァルはルルルの脚を掴んだまま姿勢を低くし、それをかわした。
その背後で、炎が激しく渦を巻き、一つの巨大な球体へ収束していく。
ルピナスだ。
オレには見えている。だが、おそらくヴァルにはそれが認識できていない。
その認識の外で練り続けられていた炎の球が、ついに撃ち放たれた。
――直撃。
炎がヴァルの背中を呑み込む。
それと同時に『陰歩き』も解け、ルピナスへの認識は戻る。
「やった――」
言いかけた瞬間。
ヴァルが、燃えながらルピナスの方を振り向いた。
ルルルの脚を掴んだまま、その身体を一回転させる。
そして、ルピナスへ向かって投げつけた――。
「うわっ!」
「っ――!」
そのままなだれ込むように二人が衝突する。
石床を滑り、石の破片を散らしながら止まった。
ルピナスが咳き込んだ。
ルルルもすぐには立ち上がれない。
「なん、だ……」
違和感、というにはあまりにも些細な引っかかり。
だが、二人ともさっきより動きが鈍くなっているように見えた。
疲労。
負傷。
ダメージの蓄積。
理由を付けようと思えば、いくらでもつけられる。
……だが、それだけじゃないような気がした。
息が浅い。
顔色が悪い。
時々、手足に力が入っていないように見える。
ただ疲れているだけには見えなかった。
ヴァルが、ゆっくり笑う。
「そろそろケツ出して尻尾巻いて逃げるかぁ? だいぶしんどそうじゃねぇか」
その挑発に、ルルルは返事をしない。
ヴァルが喋っている最中に、もう踏み込んでいた。
その背後で、ルピナスの姿が再び薄れる。
『陰歩き』
ヴァルはルルルを正面に捉え、左拳を構えた。
そして、その場で拳を振るう。
何もない空をただ殴る。
次の瞬間、ルルルの身体が横から殴られたみたいに吹っ飛んだ。
さらに、横から追っていた氷像へ向けて、ヴァルが空を蹴る。
氷像の脚が、横薙ぎの蹴りを受けたように砕けた。
巨体がバランスを崩し、派手な音を立てて盛大に倒れる。
ヴァルはその様子に、不敵に口元を歪める。
――だが、その背後からルピナスの魔法が放たれた。
水の奔流。
炎の奔流。
二つの魔法が、ヴァルの位置で交差するように殺到する。
右から水が牙を剥き。
左から炎が渦を巻く。
認識の外からの挟撃。
今度こそ入った! ……そう思った一手だったが、ヴァルは反応した。
「――!?」
認識できていなかったはずのルピナスの攻撃を、勘だけで避けたのだ。
「――クソッ、かわされた!」
ルピナスの声に、悔しさが滲む。
今の攻撃をきっかけに、陰歩きもまた解けた。
ヴァルは再びルピナスを認識し、その方向へ顔を向ける。
そして、空中へ蹴りを突き出した――。
見えない蹴撃。
ルピナスの腹に、それが真正面から叩き込まれた。
「ぅがっ……!」
ルピナスの身体が後方へ吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられてもなお勢いは止まらない。
肩を打ち、背中を打ち、何度も転がっていく。
最後に壁際の瓦礫へ激突し、ようやくその勢いが止まった。
「ルピナス!!」
叫んでも、反応はない。
かろうじて息はしている。
けれど、立ち上がれない。
一方で、ルルルがゆっくりと立ち上がった。
「あー……そういうことカ」
血の混じった息を吐きながら、ルルルはぼそりと言った。
「やっと分かったワ。――オメェのその気色悪い戦い方」




