31.その味はまるで
それからあっという間に部屋が解約されて新しい部屋が用意され、荷物が運び込まれ、ひとまず落ち着いた部屋の中でルナはミネラルウォーター片手に一息ついた。ダイニングは対面式キッチン、大して使う用途もない人種が二人もいるのに。なんでこんな事になったんだろう。考える事がありすぎてただでさえ頭痛いのに。ふう、とため息をつきカウンターで頬づえをついていると、カインが自室から音もなく出てくるのが見えた。そのままキッチンにある冷凍庫を開け、お気に入りの血液を取り出してレンジの解凍ボタンを押す。少しして解凍が済んだというメッセージの甲高い音が鳴ると、取り出してキャップを開け、口に含んだ。嚥下した喉に思わず視線が集中してしまい、自分に呆れかえってそっぽを向く。嫌だ、こんなの。
カインがゆっくりとこちらに歩み寄ってきて、カウンターテーブルの隣に腰を降ろした。こちらを見つめてくる顔は血を飲んだせいか仄かに赤みが差している。カイン、と声をかければ、じっと見つめていた表情が不意に苦々しい顔に崩れ、あさっての方を見る。
「カイン」
再び呼べば、やっとのことで彼はこちらを向いた。何かを口を開き、何かを言いかけて止め、そしてそっとーこちらの髪の毛をすくい取った。それを自身の鼻先に近づけ、すん、と鼻を鳴らす。切なげに呟く声が聞こえた。
「あいつ…の匂いがする」
「っ…!」
やはりカインは気が付いていたのだ。再会した時からのどこかがそっけない感じを幾度となく受け取っていたが、気がつかない訳がない。何も発する事も出来ないまま、カインに強く抱きしめられた。彼の匂いが鼻をくすぐる。ドキン、と心臓が跳ね上がった。どうしようもない。身じろぎ、声を上げようとしてカインの唇が覆いかぶさる。
息をつけない程に強く啄ばまれ、苦しさに喘いだ。身じろいだ瞬間イスから落ち、テーブルに押さえつけられる。やっと離れたカインの顔は、今にも泣きそうだった。
「俺だけの…俺だけのモノだったのに…!」
首筋に埋まる彼の唇の感触に思わず身体が震えた。どうしたらいい。どうすればいい。
ただ彼の思うがままに任せるしかないのか。自分がいけないのは分かっている。でも、どうすれば!涙がポロポロと零れ落ちて頬を伝った。
「ごめ…カイン…」
消え入りそうな声で、何とか呟くのが精いっぱいだった。
頬を伝った涙がカインの髪へ、肌へ伝い降りて自分の首筋に落ちた。ふと、カインがゆっくりと顔を上げる。その目尻に赤い涙が溜まって彼の顔を汚していた。
「…そんな顔…させたかった訳じゃない…御免」
「だって…」
「でも分かる…ルナは今アイツの…ヴィオの事も気になっている。クソッ!」
吐き捨てるように囁かれたその言葉は確かに毒を持っていた。それは苦い毒だ。カインの飲んだ血の味がまだ口腔内に残っている。なぞる様に舌先で唇を舐めて、飲み込んだ。それは毒の味がした。
ルナ、と呼ぶ声がして顔を上げると、カインが瞳を覗き込むように見つめて、自分に請うた。その瞳は赤く染まっていた。
「今だけは…今だけは俺を見て」
牙が薄い皮膚を破る音がする。
血が流れる。
それがフローリングに堕ちる音がする。
これは過ちなのだろうか。
罪悪感も快楽もすべてかき混ぜてしまったその感情が心をよぎる。
カインの囁く低い声が脳髄を細菌のように浸食していく。
―それはあまりにも禁断の果実の響きに似ていた。
2部につづく




