30.思わぬ人選
翌日早速オギの執務室に向かう事にした。思い出して胸糞悪くなるが、もうあの爺の事は後でもいいだろう。良かれ悪かれ行かなくてはいけない、ならそうなった時でも構わない。そう思い直して後回しにすることにした。
静かなリノリウムの廊下を一人歩く。天井は薄暗く、重苦しい雰囲気を醸し出していた。上層部の人間はよくこんな空間でいられるものだ。自分には到底無理だ。まあ能力者が出世するなんて当分ないけれど。
たどり着いた扉の前で一つ、息を吸う。そして吐いた。その扉を見ただけで銀が80%入っているのが分かる。そこらへんの低級異種ならば簡単にはじき出すだろう。
「ルナ=コンジョウ、入ります」
天井の感知センサーが蒼く光り、扉がプシュッ、と音を立てて横にスライドした。中に入ると、ワークデスクに肩肘をつき、片手で書類を読む端正な顔がにっこりとこちらを向いた。
「少し待っていてくれないか、後ちょっとでこの書類を読み終わるから」
頷いて、彼のデスクの真正面にある対面のソファの方に座る。少ししてオギは書類を置き、生ぬるくなっているであろう紅茶をすすって笑った。
「待たせたね、ルナ」
「いいえ、オギ。それで昨晩の電話の件ですが…」
「ああ、それだそれだ」
ティーカップを持ったまま立ちあがってルナを見下ろす。柔らかさの中にきらりと刺すような視線が混じった視線。
「護衛を申請したら、立候補者が2人も出てね」
「はっ!?」
あっさりとびっくりするような事を告げられて、開いた口が閉じない。この親父、いつもこうだった、そう言えば。勿体ぶっても仕方ない事をさらっと言いやがる。そんな驚きを隠せない自分にオギはニコニコと微笑むながらもう一口、紅茶を含んだ。
「まあ、人狼の件もある、それに君がカインだけでなくジェイド=ゾフレーズの血も取り込んでしまった事で、君は何らかの変化を遂げるだろうと上も危惧している。まあ、これが終わったら強制的に異種研に行かせるがね」
「…はい」
「カインだけならよかったんだがね。悪く言えば…こちらの実験体をさらに進化させるいい事例だった」
「……」
キラリと視線が光った様な気がして思わず視線を下げてしまった。そうっとまた上げると、オギの視線が光線のようにこちらに向いている。この瞳は今まで見た事がない。ああ、この冷酷な瞳が彼をこの世界に生かしたのだ、と思った。静かな声が視線と共にこの身を刺し貫く。
「…悪く思わないでくれ。君なら分かるだろう、この世界ではこの冷酷さ、この矛盾こそが真実なのだという事を」
「…ええ」
だからこそ、これ以上の秘密は露呈してはならない。どこまで隠し遂せるかは分からないが。太腿の上に置いた拳をぎゅうと握りしめる。それを良くとらえたのかは分からないが、オギはにこりと急に笑みをつくり、まあさておき、とデスクにティーカップを置いて切り出した。
「まあ、実際に候補者に会ってもらった方が早いね、さあ、おいで」
扉に向かってオギが声をかけると、プシュ、と先ほど自分が入ってきたドアが再び開いた。コツ、コツ、と靴音を響かせゆっくりと入ってきた二つの影に開いた口がふさがらなかった。くす、と笑い声が聞こえて耳朶を穿つ。オギに手を引かれて立ち上がり、対面する彼らはー
「カイン…ヴィオ」
それ以上言葉が見つからない。カインは黒のYシャツに濃紺のスキニ―、足元はロングノーズのレースシューズ。髪の毛は前と変わらない長さで、緩くウェーブして顔にかかっている。長いまつ毛に縁取られた大きな瞳がそっと、こちらを見つめた。
「ルナ」
呼ばれた瞬間、瞳から涙がこぼれだした。返事をしたいのに声がでない。喉の奥で引っ掛かって詰まる。そうしている間にふわりと彼の匂いが包み込んだ。ゆっくりと背中を上下する手のひらになだめられて、心が何とか平常を取り戻すと、ルナはどうして、と声にならない声を上げた。
彼はにっこりと静かな笑みを作りこちらを見下ろすと、次にオギの方に顔を向けた。オギはそのまま柔らかく微笑むと、では、と話を切り出した。
「彼らが立候補者だよ」
「え…?」
「分からない?俺らがルナを護衛しようって言ってるの」
こちらに視線を合わせるように移動して、今度はヴィオがあどけない笑みを向ける。彼は紺のストレッチスキニ―に白のコットンシャツ、その上にブラックのツイードジャケット、足元はダークブラウンのエンジニアブーツだった。警視庁に来るにはちょっとカジュアルな気もするが、彼はまあいいのだろう。ヴィオを見てふと、あれ、と首をかしげる。
「何で俺が候補になったかって思ってる?」
ヴィオがとても可笑しそうに笑いを堪えながら聞いてくる。その通りなのでそのまま頷くと、彼はクスクス笑いながら答えてくれた。
「俺から志願したんだよ。もともと警察とも関係ないし、死んだって影響ないし、オギさんもオッケーしてくれて。まあお金は頂くけどね」
「最初はカインが真っ先に言ってきたんだけれどね。その後どこで嗅ぎつけたのか彼もやりたいと言い出した。ま、多いに越したことはない。君をたかだか人狼に殺させるわけにもいかない。前に言ったような事もある」
にこやかにほほ笑むその顔の、今はその奥の鋭い光が怖かった。それを必死に隠し、笑みを作る。微笑むオギは、さらにゆっくりと手を叩くと二人に向かって言葉を紡いだ。
「とはいえ、今度は二人、か。護衛が離れる訳にもいかないから、一緒に住んでもらう事になるな」
「は!?」
今度は今まで出ていた涙があっという間に引っ込んでしまった。開いた口がふさがらない。何となく自分の考えている事が大体は分かるようで、はっはっは、と愉快そうに笑って言った。
「まあ両手に花でいいじゃないか」
「……」
「不服そうだな、ルナ。それとも、また命令として出されたいかな?」
それを聞いて思わずカッとなって力を使いそうになり、かろうじて何とかそれを抑えた。途端、ピシリ!と壁にうっすら亀裂が入ったのはどうか誰も気がつかないでほしい。カインが先ほどからこちらをじっと見ていたが、次の瞬間にはふい、とそむけていた。どうしてあのクソ爺といい、このペルソナだらけの仮面上司といい、女に命令したがるのだろう。ホントに男ってなんで上から目線なのか。そんな自分とは裏腹に、例の二人はゆっくりとこちらにやってきて、ぽん、とそれぞれ肩に手を乗せて耳元で囁いた。
『よろしく、ルナ』
何だか大変な事になりそうだ。
つくため息すら途中で消えた気がした。




