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29.狼との対話

あれから数週間が過ぎた。

カインとの別れをいつまで引きずっているわけにもいかない。今の自分には日常がある、そして忘れられない仕事がある。どこかで人間が人間を殺せば、あるいはどこかで異種族が死ねばーまたその逆もしかりー自分が駆り出される。誰かが誰かに殺意を抱く限り動き続ける。それが今の日常だ。その中の断片でヴィオの事があれどそればかりに囚われてはいけないのだ。

ヴィオといえば、あれからこちら伺う様な気配こそ見せるが顔を出してはこないようだった。それはそれでありがたかったけれど、同時に内にある血が彼を呼び寄せるように度々叫んでいる。ヴィオの血は魔術が身体に絡みつく様な感覚にさせてくるのだ。それを何とか捉えて生きていた。カインにはもう会えないと分かっていたから彼を余計に求める自分を罵った。


自分はそんな欲に負ける人間ではないと、己に鞭を打ちながら何とか生きていた。


今日はある路地で人間がうっかり人狼を殺してしまい、その王が一族を率いて人間を殺しにかかろうとして画策していたところを別の捜査官が別の調査でたまたまその事を発見して、おまけに発狂してしまった。彼女が元に戻る事はもうないのでその件がこちらに回ってきた訳だ。

路地裏のクラシックなカフェで王と対峙する。彼とは数年前にとある事件で関わったことがあり、面識があったので挨拶もそこそこに本題に入り、彼を説得にかかった。やがて彼が黙りこみ、考え込んでいるのが伺えるのが分かると視線をコーヒーに戻し、そして店内を見回した。種族の経営するそこは彼の好きなように出来るらしい。赤いベロアのソファ、時計はねじまきの八角柱時計。店内が心地よいクラシック音楽が流れている。


エスプレッソのコーヒーを一口すすり、目の前の男性に向き直る。立派な体躯で今やロマンスグレーが端正な顔立ちに似合う中年の男になっているその男は、一瞬で分かる人狼の空気をまとっている。


「今回は引き下がろう」


ゆっくりとした低音が耳に入りこむ。思わず気をゆるめそうになって、慌ててそれを閉じた。そのまま頭を下げる。


「ありがとうございます、王」

「君がそんなに言うのだ、無下にあしらう事も出来まい。ただ」


ことん、と受け皿にカップを置き、彼はじっとこちらを見た。鮮やかな緑色のまなざしがこちらを射抜く。


「いずれ、君に借りを返してもらおう。いつになるかは分からぬがそれだけの事を人間がしてくれた。ルナ、何らかの形で私たちの種族に貢献してもらう」


しん、と一瞬だけ静寂が訪れ、クラシックが包み込む。まあこうなる事はうすうす分かってはいた。まあ人類の為だ。腹をくくろう。にっこりと彼にほほ笑みかける。


「分かっています王。私はそのために使わされているようなもの。ご用命の際はお申し付けください」

「ああ。物分かりの良い人間で助かる。流石君は上位の能力者だな。私は君にしか頼まぬ。いずれは連絡をする」

「ありがとうございます」

「……そろそろ日が暮れる。戸口まで送ろう」


ゆっくりと立ち上がった彼は昔通り背が高かった。見下ろされるその瞳が先ほどより柔らかく見つめてくるのに気がつく。そして戸口を前に彼が申し訳なさそうに言った。


「少々立てつけが悪くてな。錆もきている。私があけよう」

「いえ、そんな王にわざわざ」


慌ててノブを握って、回す。少々力を込めたら普通に開いたのでほっとして大丈夫でした、と笑いかけると、王がひどく目を丸くしていた。


「もしや君は…」


その言葉の次に突如驚き、嫌悪、そんな感情が混じって流れてきた。そしてその中の感情で王が何故この扉を開けようとしてくれたのか分かってしまった。王がおそるおそる口を開く。


「仲間づてに、ヴァンパイアに関わっていると聞いたが…取り込んだのかね」

「…王」


言い訳などできようがない、そんな事をすれば誇り高い彼の心を、信頼を傷つける。答えられず黙っていると、仕方のない…と呟く声が聞こえた。その声に思わず彼を仰ぐ。


「……これ以上、人間から遠ざかりたくなければ取り込んではいけない。能力は抑制出来ようが、人から遠ざかる。分かるね、ルナ。取り込まなければやがて薄れよう」

「……すみません、王」


しょぼん、とうなだれると、彼は穏やかな笑みでルナ、と頭を撫でてくれた。


「昔のように、名前で呼んではくれないか、ルナ。いつまでも私のかわいい捜査官のお嬢さん」

「……分かったわ、ありがとうございます、ヴィネ」






ため息だけを身体に押し込めたような一日でうーんと伸びをして身体を折り、ため込んだ息を全て吐き出した。


「…疲れた」


今回の事はうすうす感づいてはいたので別段驚きはしなかた。まあいずれそうなるという事で腹を括っておこう。かえって王―ヴィネには気を使わせてしまった。逆にほのかに見せる優しさは昔通りでちょっとほっとしていた。


「……帰ろう」


ぽてぽてと歩みを進め、電車に乗った。ゴトンゴトンと揺れる車体、次々に変わっていく景色。ぼう、と眺めて、嗚呼、今日も夕方が来たんだ、と思う事が出来た。暗くなって、夜が来て、明るくなって、朝が来て、また一日を送る事が出来る。ただそれだけの感情が今は湧きおこるだけだった。

ふと手元のバッグを見ると、携帯のライトがピカピカと光っている。メールかしら、と思って開いて見ると、どうやらオギから電話があった様だ。二三時間前に何回か掛かってきている。電車の電話が出来るスペースに出て慌ててかけなおすと、少し低い声オギが電話の向こうでどうなった、と答えた。今日の人狼の件で電話をかけてきていたらしい。


「納得していただけました。かろうじて、ですが。私がいずれ彼らの種族に貢献するという形で。まあ、腹をくくりますよ」

『そうか。だが長がそれで答えを出しても、彼につく者が納得はしないだろうな。しばらく君に護衛をつけた方がいい』

「…なぜです? 私は能力者ですし、自分の身は守れると自負していますが」


見えてはいないが思わず電話越しに眉をひそめ、耳をよせた。彼はふぅ、と浅いため息を漏らすと、呆れたように返してきた。


『……君は人狼の本当の怖さを知らないのか。あれは獣だ、そのまま人間と考えるのは浅い。・…まあ色々言ったが、保険を持っておくにこしたことはないだろう』


いまいちこちらが納得できかねない答え方だ。砂を噛むようなもどかしさを抑えて分かりました、と答えておく。オギはでは、と水の様な冷たさで冷静に切り替えた。


『護衛の手筈はこちらで整えておく。そうだな、早い方がいい。早急に君の所に向かわせるようにしよう』

「……分かりました、報告の方は以上です」

『御苦労だった』


そのままブツン、と電話を切ってパチン、と折りたたみの携帯を元に戻す。今まで溜めていたため息をゆっくりと吐き出した。外を見ると夕暮れがもうだいぶ落ちてきている。もう夜だ。全てを包み込む闇。そういえば護衛といっていたけれどいつ頃来るんだ。早急にとは言っていたが、まあそんなすぐには用意できないよね。携帯をしまい、丁度流れてきた電車内のアナウンスに耳を傾けると次の駅が丁度降りる駅だった。そのまま立っていればいいやと思い立って、流れる景色をぼうと見つめ、停車駅を待つ事にした。



◇ ◇ ◇



家の前についた途端にオギからまたしてもコールが入り、慌てて通話ボタンを押した。

オギは何度もすまないな、と社交辞令を堅苦しく述べ、ルナ、と切り出した。


『例の件、ちょっと厄介になってな』


言われてしばし何の事か迷ったが、先の護衛の件だと思いつく。


「護衛が無理ならば結構ですが…」

『まだ言っているのか。その逆だよ。まあ急なんだが、明日の夕方でいい、仕事が片付いたら私の部屋まで来てくれないか』

「はあ…構いませんが…どうなっているのですか」

『ご託はいい。では待っている』


そのままプッと無造作に切られてしまった。茫然として受話器を見つめ、ため息をついた。何なんだあのおやじ、急に。護衛が必要とか言ってぶっつり切ったと思えば次の展開には来いとか、訳分からない。まあいい、行けば分かることだし。とりあえず今日は寝よう。ただでさえ獣の相手は疲れたというのに。ふん、と息を吐いて部屋の扉を開いた。鍵こそ今は古いカードタイプだけれど、アナログな方がどこか安心する。まあ入口は掌紋認証だし、セキュリティはそこそこな所が良い。

ふう、とため息をついた所瞬間、三度携帯のBGMがけたたましく鳴り響いてびくん! と身体が跳ね上がり、慌ててまたボタンを押した。途端に3Dビューアが立ち上がり、次の瞬間にはケタケタと笑う端正な中年が浮かび上がったので問答無用で画像をオフにした。


「…どうして私のナンバーを知っているのかしら爺」


低く呻くように言うと相手はケタケタと不気味な笑い声を上げて答えた。


「そっこは言わねぇでおけよぉ。うっすい心だなぁ…」

「レイ。なんの用?」


ヒッヒッヒッ…と引きつったような笑い声が電話口に響く。


「おめぇ、厄介なヴァンピーにひっかかったなぁ…世紀をまたいだあのジェイド=ゾフレーズの血ィ、飲んだんだってなぁ…まあ、カイン程じゃあないがなぁ」

「な…」


それは異種研に行った時は言わなかったのに…バレている。気配を察したか、彼の真面目腐った声が聞こえる。


「…おめぇ、今まで俺に隠し事してばれなかった事あったかぁ? …挙動不審だったのバレバレだったぜぇ…ま、カインがゲロったってのがあるんだけどな」

「…隠すつもりなかったわ、必要ないと判断しただけ」 


そっけなく言うと、レイはのんびりばぁか、とこちらを叱りつけた。


「お前がそう感じても研究者はそうはいかねぇんだよ。今まで己の力だけでコントロールしてきたテメェの力をまあどういう巡り合わせか上の狒々爺の陰謀か知らんが世紀をまたいだヴァンパイアの血を取り込んだ。2匹もな。さあお前はどんな化け物になるか、上も下も俺も興味津々なんだぜぇ…ひひ、さあルナ、かたが付いたらまた研究所こいよぉ。これは俺のメ・イ・レ・イ。来なかったらオギに命令書作ってもらっちゃうぜぇええ? ヒッヒッヒッヒ…ブツ!」


最後まで聞く事なく電話の通話を荒々しくぶっちぎった。ちくしょうあの爺、色々と調子に乗ると厄介な事しにかかる。

でも、カインすら知らない事実がある。それは自分があの後ヴィオの血も取り込んでしまった事だ。彼は自分を半吸血鬼だと言っていた。彼はさらに片親が魔女の血統だとも言っていた。魔女は吸血鬼と関係なくもない、切っても切れない縁だ。レイがその事に気づくのはそう遅くないだろう。現に自分は前よりも『力』が強くなっている。肉体的にも、今日の階段で錆ついて開きづらかった扉を簡単に開けてしまった時に気がついた。対して抑制力も高くなっている。自分は確実に化け物に近づいていた。ジェイドの血を取り込んだのは数滴だったし、おそらく効果はもうなくなるだろう。それをヴィオは知っていたのかも知れない。いや、知っていたのだ。今更気がついた。ずるい、自分の気持ちも、こちらの気持ちも知ったその上でどちらも利用したのだ。そしてその結果、少なからずヴィオの事を忘れられないでいた。そのままずるずると家に入り、ソファに倒れ込んだ。両手で顔を覆う。色々と厄介になりそうだ。



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