8話 元聖女と大陸精霊祭1
ベアトリスの準備が整ったという知らせを受け、玄関ホールへと向かった。
煤けた窓から差し込む陽光がホールをいつもより明るく照らす。そこに凛と佇むベアトリスの姿は幻想的ですらあった。
ただ……ドレスが黒いことを除けば。
光沢のあるな滑らかな黒が、ベアトリスの細くしなやかな身体を際立たせている。花や蔓草を思わせる繊細なレースが首元を飾り付け、彼女をより大人びた淑女みたいに見せた。
似合わない訳ではない。
似合わない訳では決してないのだけれど……悪女にしか見えない。
「カイル! ちょ……他に無かったのか!? ベアトリスの意見はちゃんと確認したのか!?」
彼女の鮮やかな赤い髪には明るい色だって映えるはずだ。
成り損ないの聖女なんて誰からも言わせないほどの予算だって組んだ。商人だって複数呼びつけ、彼女が好むドレスを選べるようにと整えたはずだろう。
「やっぱり……俺が選ぶべきだったのでは……せめて同席して……」
「やめてください。ギルバート様に関与されると迷惑です。ドレスを選ぶどころじゃなくなるので」
「お前が選んだのか!? ちょっ……ドレス選びは女性の楽しみだからって……」
「ギルバート様以外の全員で選びました。最後の判断はベアトリス様にお願いしましたよ」
伏兵がここに潜んでいたらしい。
ドレス選びに男が関与するのは野暮だと俺に説いたのは、他でもないカイルだ。嵌められた。
カイルは『自分を見てみろ』とばかりに飄々と俺の宮廷服を示した。
銀糸の刺繍が施された真っ黒なコート。これは俺の髪色に合わせるためという体裁になっているが、実際は少しでも隙を見せないため。どんな策謀も通用しないと見せつけるための戦闘服のようなものだ。
魔法陣を仕込むことも容易だし、もし暗殺を仕掛けられ傷を負ったとしても、この色なら隠すこともできる。
「ベアトリスを巻き込むな! あんなに可愛いのに!」
「夫と全く違う意匠のドレスというのもまずいでしょう。婚礼がなかったんです。今回の大陸精霊祭は妻であるベアトリス様のお披露目の場でもあるのですから……ってニヤつかないでいただけますか」
「お前が余計なことを言うから! ひとまず……今日はこれでいい」
お揃い。お揃いってやつだ。
これでは不仲どころか仲良し夫婦じゃないか。
思わず上がる口角を手のひらで隠して落ち着かせる。
「ほら、そろそろ向かわないと」
「分かってる……!」
カイルの追撃。いつもの表情に戻ったことを確認して、ホールへと続く階段に足を進めた。
階下で待つベアトリスが俺を見た。同じ意匠で拵えられた黒の戦闘服。できるだけいい夫に見えるよう、精一杯の微笑みを浮かべ一段一段降りていく。
バキッ――
階段の中腹で握っていた手すりが音を立てて砕けた。
古いがこれでも王子の住まう離宮だ。階段の中腹でも高さがある。落下したら怪我は免れないが、反射的にバランスを立て直し踏みとどまった。
ずっこけたようでカッコ悪い。
「くっ……やってくれたな」
「残念です。怪我でもしてくださったら良かったのに」
「それは四六時中側で看病したいという申し出か?」
「もちろんです。ずっと側にいて差し上げますよ」
きゅん。一瞬で高まった胸。
「呪いたい放題なので」
それは次の言葉で一瞬にして萎んでいった。
食べ放題みたいな言い方をしないでほしい。
「そろそろ無駄な努力だと知るべきだな」
可能な限り澄ました顔をして姿勢を正した俺は、手すりを使わず残りの階段を降りた。
ベアトリスから仕掛けられてもギリギリ避けられる距離で彼女と相対する。
やっぱり綺麗だ。澄んだ金色の瞳に俺が映った。
「ベアトリス。これを」
「なっ……何よ」
彼女の挙動に細心の注意を払いながら、レースのあしらわれた首にそっと手を回した。
指先の感覚だけで留め具を嵌め、銀のチェーンに指を沿わせながらトップを整える。
柘榴石の深い赤が、ベアトリスの鮮やかな赤によく映えていた。銀の鎖や細工が黒いレースの上で存在を主張するように輝いて、想像より美しい。
「防御の魔法陣が仕込んであるから、身の危険を感じたら魔力を流せ。雑に流しても起動するよう緻密に作ってある」
彼女へ装飾品を贈るという夢にまで見た状況に、それ以上の言葉は出てこなかった。本当に夫婦みたいだ。
平静を装いながら彼女の手を取り、導くようにして魔法陣を仕込んだ柘榴石に触れさせる。
……このまま自然に。あくまでスマートに。
指先を翻すように滑り込ませ、彼女の手を取った。
触れた手の熱に意識が傾いて心臓が痛い。先ほどの焦りはどこか遠くへと吹き飛んで、胸に残るのは触れられたという喜びだけ。
眉間に皺なんて作られたら泣いてしまう。ベアトリスの表情は見ず、すぐに視線を開いた扉に向けた。
「では向かうか」
無事、俺はエスコートに成功した。




