【ベアトリス視点】闇の精霊と決意
シーナの手を引いたまま、与えられた部屋へと飛び込んだ。後ろ手で乱暴に閉めた扉に背中を預け、そのまま床に座り込む。
なんていうことをしてしまったんだろう。
いや、なんていう事が起こってしまったんだろう。
「もう! ちゃんと呪いなさいよ! 人を不幸にできる精霊なんでしょう? 貴方しかいないんだから! 貴方に頼るしかないんだから! ちゃんとギルバートだけを呪って!」
契約を結んだ、目には見えない精霊に向かって私は叫んだ。
返事なんてない。何を考えているかも分からない。
ただ鈴ような微かな音が周囲から聞こえてくるだけ。
私の叫びは、与えられた部屋の空気に溶けていく。
シーナは、耳を掠める鈴の音と荒ぶってしまった私を前におろおろと狼狽えていた。
「これが最後のチャンスなのっ……」
私は、見えない精霊に魔力を渡して願うだけだ。
具体的なお願いはできない。
ただ相手の不幸を願うだけで、私と契約した精霊が『相手にとっての不都合』という呪いを起こす。
絵画ひとつ、装飾品ひとつない殺風景な食堂。
彼と私の間には、古びたシャンデリアくらいしかなかった。
だから、それに賭けたのだ。
いつもより少し多く魔力を渡して、彼の不幸を願った。
巻き込まれたって構わない。
彼が怪我をしてくれるならそれで良い。
動けなくなってしまえば、私が起こす不幸を避けることすらできないもの。
それが叶えば――
彼を生かしたままここに閉じ込めることができたのに。
「血も通わぬ狂王子」と呼ばれるギルバート。
彼の危険性を表すように、王宮の端にひっそりと佇む彼の離宮。煌びやかで贅を尽くした王宮とは違い、この離宮は必要最低限の物しかなくどれも古びている。
ひび割れた石壁、薄暗い廊下、殆どの部屋は日当たりも悪い。御伽話に準えて封印された魔王の城なんて言われているそうだ。
実際、彼は人々が恐れる魔王そのものだった。
でも、この封印は意味を成していない。
彼は、隣国と戦争を起こし。
王都に混乱を招き。
邪魔な王子を暗殺し。
王宮に火を放った。
前代未聞とも呼べる、反逆罪。
何度も何度も繰り返した、あの日々の記憶が蘇る。
やっぱり、全てを壊すつもりなんだ。
今はないはずの熱が肌を焼くような感覚がした。
真っ黒な煙と焼けた匂いが、まだそこにある気がする。
「ベアトリス様……大丈夫ですか?」
座り込んだ私の肩に、シーナがそっと手を添えた。
ただ心配を向ける優しい瞳に、ぐらりと心が揺れる。
最初に事情を説明した時。彼女は酷く驚いていたが、私を信じてくれた。
本当は脅してでも協力させるつもりだったけれど、私を疑うそぶりなんて微塵もなくて拍子抜けしてしまったくらいだ。
ギルバートから「誠心誠意仕えるように」と言われて私の侍女になったらしい。「誠心誠意仕える」とは、どんな状況でも私のことを信じ味方でいることだ、と彼女は私に言った。
人の言葉をそのまま受け入れる、純粋でまっすぐな女の子。貴族社会でも、教会でも、絶対出会うことのない優しい性根。
もちろん、ギルバートが彼女の性格を知らないはずがない。仕えた人間の絶対的な味方になる事が侍女の役割だと教えたのが、そもそもギルバートなのだから。
だから揺れる。
牢獄のような離宮に住む第三王子ギルバート。
彫刻のように整った顔立ち。
闇夜に浮かぶ雪景色のような白銀色の髪。
柘榴より鮮やかな赤い瞳。
「国王の最大の過ちは、婚外子であるギルバートを王子として認めたことだ」
そう言われるほど、貴族達から聞こえてくるのは悪い噂ばかり。
それなのに、彼の下で働くのは素敵な人ばかりなんだ。
彼らは「卑しい身分の者なので」なんて恐縮しているが、仕事はすごく丁寧で、こんな私ですら歓迎し心を配ってくれている。
目の前の大きくてふかふかな寝台も。精巧な装飾が施されたテーブルも。ゆったりと座れる長椅子も。全部全部、あの男が決めたらしい。
この離宮の一つ一つが、私の疑いを否定していた。
口は悪いけど、思いやりのある、優秀な王子だと。
「追い出されるかしら」
「ギルバート様はそんなことなさいませんよ」
「でも彼の計画を阻止しようとしてるのよ? 知っていると告げる事で諦めてくれたら良かったのに……やめるつもりはないって言われたわ」
その時、部屋にノックの音が響いた。
シーナは私に一度視線を向け、消沈している私の代わりに「はい」と応答する。
「ベアトリスに怪我はないか」
「大丈夫です。少しお疲れで……休んでおいでです」
「そうか。出せなかったデザートがあるらしい。もし食べられそうなら後で出してやれ」
「かしこまりました」
扉の向こう側で、気遣うような足音が遠ざかっていく。
やめて。そんな優しい態度で惑わせないで。
さっきの、あの恐ろしい物言いで私を脅しなさいよ。
何度も、何度も見た、あの悲痛な表情が脳裏に浮かんだ。
耳の奥にこびり付いた彼の叫び声が、頭の中でこだまする。
「ベアトリス様を信じていないわけではありません。でも、本当にそんな恐ろしい事をギルバート様がなさるのでしょうか……元々秘密主義なお方ですが……」
迷う私の背中を撫でながら、シーナはポツリと呟いた。
彼がどんな悪人だったとしても、シーナにとっては大切な主人の一人なのだ。
彼女と出会えてよかった、と胸に温かいものが広がっていく。
それと同時に、彼女に訪れる残酷な未来が浮かんで背筋に悪寒が走った。
なぜあんなことを?
どんなに考えてもわからない。
彼に利はないはずだ。
この国に対する復讐……のつもりなのかもしれない。
分からないから、全部できることは試した。
縛り付けられた聖女という役割の中で、精一杯、彼の反逆を阻止しようと頑張り続けた。
それでも、できなかったんだ。
だから、私はやっぱり彼を呪わなきゃいけない。
これが最後のチャンスなのだから。
ギルバートを呪って――
彼と、この離宮のみんなを救ってみせる。




