6話 元聖女と晩餐
ベアトリスのために用意した一室。
この離宮の中では特別陽当たりのいい、女主人のための部屋。
その重厚な扉の前で俺はごくりと喉を鳴らした。
いざ、晩餐に誘うとなると緊張してしまう。
強気に発言したさっきの勢いで約束を取り付けようとしたが、すげもなくシーナを介して断られてしまったのだ。
カイルに強く背を押され、直接彼女を呼びにきたのである。後ろを振り返ると、カイルは「さっさとしろ」とばかりに俺を視線だけで急かした。
緊張に震える拳でそっと扉を叩く。
数秒の沈黙の後、中から「はい」と警戒を滲ませたベアトリスの声が返ってきた。
「さあ、今日こそは晩餐の席に着いてもらうぞベアトリス」
するりと口から飛び出したのは、妻を誘いにきたとは思えないほど高圧的な言葉だった。
しまった。あまりの緊張で――!!
後ろに視線を向けると、カイルが呆れたように首を振ってる。
「……食べたくありません」
当然すぎる冷たい返答。
彼女の気持ちが分からないからと、ずっと声をかけなかったからか!? まさか拗ねている!?
「おそらく違いますよ」
カイル! 心を読むな!!
俺は一度深く息を吸い、沈黙する扉を睨みつけた。
「ほぉ? 俺の誘いを断って許されると思ってるのか?」
「もちろんです」
血も通わぬ狂王子として染みついた自身の仮面は俺を引かせることすら許さなかった。取り繕い続けた悪役の仮面を被ったまま、彼女に言葉を紡いでしまう。
「扉を吹き飛ばされる前に自分から出てきたほうがいいんじゃないか? 扉のない部屋でこれから過ごしたいなら別だがな!」
力の籠った拳が、古い離宮の扉を揺らした。パラパラと古い離宮を支える木の屑が降ってくる。
長年染みついた口調と言葉選びが彼女を追い立てる。
というか、もうこれは完全な脅しだ。
本音で話せない自分自身に絶望した矢先、部屋の扉が開いた。
その先にいたベアトリスに、怯えなど微塵もなかった。受けて立つとでも言いたげに彼女は余裕ある笑みを浮かべている。
「仕方ありませんね」
「生意気な女だ」
どうして対抗するんだ俺!!
彼女の頑なで勝気な態度に呼応するように、俺はすでに本当の自分を曝け出せなくなっていた。
これじゃあまるで、悪女と悪役じゃないか。
笑みを浮かべたまま差し出した右手に、彼女はそっと左手を重ねた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
カチャカチャと食器が合わさる微かな音だけが、殺風景な食堂に響き渡る。
計画よりも随分と早く共にとることになった晩餐。せめてタペストリーくらいは他の部屋から移動させて食堂を飾りつけるべきだったか、と胸を焼いたが杞憂だったようだ。
ベアトリスはシーナの給仕する食事一つ一つに目を輝かせ、フォークを口に運んでいた。
先ほどの悪女の仮面は剥がれ落ち、あどけない少女の顔になっている。まるで初めて会った時みたいだ。
「お肉もお魚も美味しいっ……」
はい可愛い。俺の妻は世界一。
「当然だ。最底辺の嫌われ者だが仮にも王子だからな」
王宮から派遣される料理人の作る食事は信用できない。
今厨房にいる者は俺が王都の端、スラム街から拾ってきた者達だ。彼らの腕前が彼女の満足させられるレベルに仕上がっていたことに胸を撫で下ろす。
ちゃんと褒章を出さなくては……!
ベアトリスを笑顔にさせたで賞とでも名付けるか。
もぐもぐ、もぐもぐ、と必死に口を動かして食事を楽しむベアトリス。邪魔はしたくない。いつ話を持ちかけるべきかと俺は悩んだ。
交わす言葉もないまま、静かに晩餐が進んでいく。
終盤に差し掛かった頃合いを見計らって、ベアトリスがふと俺を見た。
その瞬間、目には見えない彼女の魔力がゆらりと揺らめく。
——きたか。
精霊の力の行使。
不穏な気配が、ベアトリスの魔力を奪う。
俺とベアトリスの間に流れる無の空気に、ピリと緊張が走った。
どこからくる?
天井のシャンデリアでも落とすつもりか?
そうなれば、ベアトリスも無事では済まない。
上着に仕込んだ数々の魔法陣に意識を向けながら、彼女を保護した上で金属片から防御する過程を頭に描いた。
すぐ後ろでカイルが運び込んだ数本のワインのうちの一本を、俺のグラスに注ぎ入れる。
とくとくと音を立てながら注がれるワイン。
そこから湿った地下室のような香りが鼻を掠めた。
「……毒か」
俺の言葉と同時に、異臭に気づいたカイルがサッと顔色を変え、腰に下げた短剣に手を伸ばす。
ベアトリスは微笑みを浮かべたまま緩く首を振った。
「いえ……お腹を壊す程度かと。厨房の者は何もしておりません。熟成に失敗したワインにでも当たったのでしょう。本当はシャンデリアでも落下して怪我でもしてくだされば良かったのですが……こちらも想定外です」
ぽつりと付け足された想定外という言葉に、ぴくりとこめかみが震えた。現象をコントロールできる訳ではないらしい。
「ベアトリス、君は一体……何の精霊と契約した」
「私にも正確なことは分かりません。ただ……性質をみた限りでは『闇の精霊』と呼ばれるものの類いかと」
闇の精霊――
それは御伽話や伝承の中で語り継がれる、人に災厄を齎すと精霊の名称だ。御伽噺では常に、光の精霊に対を成す悪い存在として描かれている。
一角獣やドラゴンと同じ、正しく生きるための道を示す教訓話だと思っていた。
いくつかの逸話も残っているが、本物じゃない。
本物じゃなかった。
ベアトリスが契約した、あの瞬間までは。
「闇の精霊か……しかし呪うと言った割りにはずいぶんと矮小な力じゃないか。こんなレベルで俺を殺せると?」
「貴方が大人しく呪われてくだされば、殺さなくても済むかもしれません」
ちょ、待って。暗殺なの!?
ここは否定するところだろう!
背後から「ほらみたことか」というカイルの冷たい視線が突き刺さる。
「第二王子……いや、第四王子にでも与しているのか」
「いいえ。私は私の意思で――あなたを呪いに来ています」
たった一人で?
一瞬の疑いはすぐ確信に変わった。
ベアトリスは本気だ。本気で俺を止めに来たらしい。
「計画を……知っているということか」
「全てを壊すつもりなんでしょう?」
どこから計画が漏れたのかは分からない。
でも、真実だ。
誤魔化しても仕方がない、と俺は一度頷いた。
勝気な笑みを保っていたベアトリスの瞳が、動揺に揺れる。
「どうして――」
「悪いが、もう計画は走り出してる。止めるつもりはない」
きっかけは確かにベアトリスだったかもしれない。
けれど、これは俺の意思で俺自身が決めたことだ。
全てを壊すその責は全て俺が被ればいい。
探り合うように交わし合う視線。
彼女の瞳の奥に、あの日見せた悲みが一瞬、顔を覗かせた。
「ベアトリス……?」
「貴方の思い通りにさせるわけにはいかないの」
彼女の真意の糸を手繰らせようとしたその時、背後で軽い大砲のような音がした。
ワインを入れていたカラフェの蓋が、弧を描きながら宙を舞う。
まるで狙ったかのような精密さで、その蓋は頭上のシャンデリアにぶつかった。
パキンと何かが弾ける音。
ぐらりと傾くシャンデリア。
天井から吊り下がった金属の鎖。そのヒビが伝播するように広がり、一本ずつ音を立てながら切れていく。
「ギルバート様!」
「避けろカイル!」
カイルは俺の言葉通りに、身体を一気に部屋の中央から離した。
俺はテーブルを飛び越え、彼女を椅子ごと押し倒す。床に頭を打ち付けないよう、右手でベアトリスの頭を庇いながら、反対の手でボタンに仕込んだ魔法陣に魔力を流した。
風と炎を組み合わせた魔法陣。
俺の背を守るように、背後に炎の渦が広がった。
熱を撒き散らしながら、落下してきたシャンデリアを吹き飛ばす。飛び散った火の粉や金属の破片が背中に当たる。火は一瞬でテーブルクロスに燃え移った。
「じっとしていろ」
彼女の耳元に囁きながら、水の魔法陣を仕込んだ襟元のボタンに左手を当て魔力を流した。ジュッと絞るような音が鼓膜を震わせ、焦げた香りと白い煙が部屋に充満する。
ゆっくりと身体を起こすと、腕の中に庇ったベアトリスの顔色は真っ青になっていた。
「ベアトリス、怪我は?」
「あっ……ありませんっ…………」
我に返ったかのように、彼女の歯がカチカチと音を鳴らす。全身を震わせながら俺の左手と煤まみれになった俺の身体を見つめていた。
彼女は飛び上がるように身体を起こすと、部屋の隅で金属片の塊と成り果てたシャンデリアと焼けこげた家具や天井に視線を移す。
「わ……私、なんてことを」
「いや、俺が失念していたんだ」
彼女を守るためとはいえ、抱きしめてしまったことに動揺して魔力を流しすぎた。
熱風程度で済ませられるはずだったのに、シャンデリアを崩壊させ、部屋も家具も焼いてしまったという大失態。
やりすぎに気づいたカイルは、すでに身体を起こして俺に非難の目を向けている。
「気にしなくていい」
「本当に申し訳ありません!!」
ベアトリスは俺を素通りし、カイルに向かって深く頭を下げた。顔を上げた彼女に瞳には、耐え切れなくなったとばかりに涙が浮かんでいる。
「ベアトリ……」
「さっさと私に呪われてください!」
ビシッと差された人差し指。
その瞬間、悪い癖が顔を出す。
「ふっ……本気で俺を止めたいのなら、次はもっと上手くやるんだな」
余計なことを!
ただ心配したいのに、思いとは正反対の態度を取ってしまう。ベアトリスはわなわなと震えながら俺を睨みつけ、背を向けた。
大きな音に慌てて入ってきたシーナの手を取って、食堂から飛び出していく。ベアトリスを前にすると、どこまでも平常心じゃいられない自分に嫌気がさして思わず俯いた。
「どうして……普通に心配ができないんだ!」
「そうじゃないでしょう。完全に宣戦布告し合っていましたよ」
すでに夫婦としての未来が更地目前すぎる!
頭を抱えた俺を横目に、ため息を吐いたカイルがすぐに使用人を呼びつける。食堂へと入った彼らは、部屋の惨状にただ目を丸くしていた。
後日——
ベアトリスは屋敷にいる使用人一人一人に頭を下げて回ったらしい。
当然、俺以外のだ。
「ギルバート様、屋敷の全員が彼女のファンになりましたよ。食堂を焼き払ったあなたの好感度だけが地の底です」
「おかしいだろ! 命がけで守ったのは俺なのに!」
ベアトリスの真意を暴く機会を失ったまま、ただ時間だけが過ぎていった。




