37話 元聖女との約束
「何があった」
ベアトリスの手を握って問いかけると、彼女は瞬時に瞳を揺らした。
「カイルに……異端審問のことは言わないでって私が言ったの。自分で言うからって」
異端審問?
その言葉を聞いて、一瞬で血が沸騰する。
レイヤードが糸を引いていたという事実が明るみになり、審問は流れたと思っていた。
ベアトリスの心と尊厳を傷つけた罪で教会を叩き潰してもいいかもしれない。
……ってそうじゃない。
今はゾーイの話だ。
ベアトリスは教会関係者の見守る中、契約の文言を聖なる泉で唱えたそうだ。
契約の文言は、精霊の姿を体現させる。
それで契約の有無を確認したらしい。
「ゾーイが教会に見つかったのか? 教会が契約を解いたとか」
「私に精霊は付いていないって。そう、言われた」
言い切った瞬間、ベアトリスの瞳から涙が溢れた。
堰を切ったようにボロボロと溢れる雫が膝の上で握りしめた彼女の手の甲に落ちる。
「ギルバートを助けて……くれたの。でも、私の魔力が足りなくてゾーイが消えちゃった。自分の魔力を使うって……!」
本当に、限界だったのかもしれない。
取り繕うことも、我慢することもなく、ベアトリスは子供のように泣き始める。声を詰まらせ、嗚咽を漏らし、目を真っ赤にして。
「ギルバートが助かって嬉しいの。私が助けて欲しいって願ったの。でも、ゾーイが……」
ギュッと心臓が潰れるように痛んだ。
ゾーイの憎たらしい顔や言葉が脳裏に過ぎる。
ドクドクと流れる心臓の鼓動。
言葉にならない感情が胸を支配する。
ベアトリスを抱きしめた。
でも、かける言葉が見つからない。
ただ、彼女の涙が止まるまで静かにその悲しみを受け止めることしか俺にはできなかった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
俺の腕の中でしばらく泣き続けたベアトリス。
涙がようやく止まったのか、俺の胸からそっと顔を離した。その目は赤く腫れ、未だ罪悪感が滲み出ている。
「ごめんなさい。私……」
「いや、大丈夫だ」
気にするなも違う。
謝るのも違う。
ただ、必死に自分のできることを俺は探していた。
ゾーイは好きじゃない。
でも俺の命を救うために、ゾーイが消えるなんて、そんなことなんの解決にもなっていない。
誰の幸せにも繋がらない。
重たい沈黙が部屋を満たす中、ベアトリスはドレスから何かを取り出した。それを手の中にそっと広げる。
一つは俺が作った体現のネックレス。
そしてその横にもう一つ、小さな焦茶色の粒が転がっていた。
「……何だこれは」
「消えたゾーイの身体から出てきたの」
断りを入れ、その粒を指で摘み上げた。
二つの膨らみが、下に向かってなだらかに窄んでいく妙な形。その表面は小さな凹凸がある。
「これは……種だ」
「種?」
「ケヤキの……」
ゾーイはあの日、俺がベアトリスと交わした約束を知っていた。ずっと彼女を見ていたと、そう言っていた。
精霊は木に関係があるのか?
大股で壁際にある書類入れに近づき、戸棚に手を伸ばした俺は、幾つもある資料の中から精霊についてまとめた羊皮紙を取り出した。
ゾーイの身体は、恐らく魔力で構成されていた。
小さな種を核にした何かということだ。
自身の魔力を使って消えたなら、精霊の魔力は回復性のない有限的なもの。
だから精霊は愛する人間を助けるために契約を結ぶ。
「魂で繋がった」根源的な繋がりを作れば、精霊は契約者の魔力を使えるのだろう。ゾーイが力を振るう時、ベアトリスの魔力だけしか使えないことがそれを証明している。
じゃあ命に関しては?
ゾーイが精霊について教える時についた嘘。
それは自身の命に関することがほとんどだ。
ゾーイはベアトリスを愛してる。
ベアトリスが契約で憂うことのないよう『自身の命』に関する事柄で嘘をついたとすれば。
彼らが死ぬのは、契約した聖女が死んだ時。
やはり、それはほぼ確定してる。
光の精霊がベアトリスの時を戻す時、わざわざ自身との契約前に戻してるのは「もう嫌だ」と聖女に道連れにされないため?
それほどまでに、魂で繋がった契約は重たいもの。
逆に捉えれば、ベアトリスが生きている限り——
ゾーイは本当の意味で死んでないのではないか。
ふと顔を上げると、ベアトリスも真剣に資料を覗き込んでいる。至近距離まで近づいた彼女を見て、さらに確信を深めた。
何故気づかなかったのか。
今思えば、ベアトリスが闇の精霊と契約したことを確信したのは、彼女の纏う魔力の色が変わっていたからだ。
先ほど目が覚めた時、ベアトリスの纏う魔力に変化がなかった。
ここに嫁いできてから、ずっと変わらない魔力の色。
闇の精霊と契約した者の、魔力の色をしていたから。
やはりベアトリスとゾーイはまだ繋がっている。
でもまだ予測の域を出ない希望的観測。
それを確かめるには——
「……国王になるしかないな」
「えっ?」
「この国は絶対的な独裁政権。国王になれば聖なる泉を支配できる。精霊についても、聖なる泉についても調べ放題だ。もちろん、ゾーイを呼び戻す方法も」
ベアトリスは一度目を見開いた。
以前とは違う、親愛と信頼を込めた目で俺を見る。
「本当?」
「ああ、俺が君の精霊を取り戻すよ」
ベアトリスの瞳に、また涙が溜まった。
ボロボロと再びこぼれ落ちる涙を拭いたくて、ハンカチを取り出そう——としたけれど、今持っていないことを思い出した。
さっきまで寝ていたからな。
なんなら寝巻きだ。
涙を袖口でそっと拭うとベアトリスは小さな笑みを漏らす。
やっぱりカッコ良くは決まらないけれど、それでいいのかもしれない。
細くて柔らかな彼女の腕が、俺の背中に回された。
それを受け止めるように、彼女の身体を優しく抱きしめる。
「ギルバートのこと信じてる。今度は〝約束〟忘れないから」
ベアトリスの優しい声が鼓膜を優しく撫でた。
信じると言われたその一言で、なんでもできそうな気がする。
……って、ちょっと待て。思い出してる!?
んああああ! 色々! タイミング!!
今! おそらく! キスできるタイミングのやつだ!
俺の身体が強張って、ベアトリスは不思議そうに身体を離した。彼女的には、絶対今のタイミングじゃない。
いや、でもここでキスしなきゃ次はいつ出来るのか。
そして、キスもおそらく許可制。
試すだけなら、いいかもしれない。
「……身体で払ってもいいんだぞ?」
ダメだ!! これは許可じゃない!!
ベアトリスに叩かれるかと思って一瞬目を瞑ったが衝撃はやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、ベアトリスが優しく蕩けそうな顔で微笑んでいる。
「もう、仕方ないわね」
彼女の唇が、ふわりと花弁のように俺の唇に重なった。
そんな俺達の周囲で、小さな鈴の音が怒りながらも優しく響いている気がした。
お読みくださりありがとうございました。
これでギルバートのお話は終わりです。
最後、エピローグを夕方投稿します。
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