36話 元聖女と狂王子
手が、柔らかな温もりに包まれていた。
その温もりに導かれるように意識がゆっくりと浮上する。
目を開けると、見慣れた天井だった。
まるで長い夢でも見ていたような、奇妙な感覚に襲われる。
手の温もりを追いかけるように首を横に向けると、ベアトリスと目が合った。
「ギルバートッ!」
「うえっ!?」
手が握られていることに驚いて飛び起きる。
ここは離宮の自室。
部屋にはベアトリスをはじめ、カイルやイグナーツが揃っていた。
部屋の隅には、何故かアルフレッドまでいる。
えっと、何が起きたんだっけ。
咄嗟に腹に手を当てると、刺されたはずの傷がない。
「聖女に……治してもらったの」
ベアトリスは少し儚げに「無事で良かった」と笑った。
あの後、証拠を回収し終わったカイル達に俺とベアトリスは助けられたらしい。
レイヤードの離宮にあった証拠の数々を突きつけて、俺とアルフレッドの無実は無事証明された。
……いや、アルフレッドはどちらにせよ俺を嵌めようとしていたのだから無実ではないけれど。
王妃の妨害もなく、アルフレッドの口添えもあって俺は聖女の治療を受けることができたらしい。
それでも三日ほど眠っていたらしいから、かなりの血を失っていたようだ。俺は部屋の端で居心地悪そうに佇むアルフレッドを睨みつけた。
「レイヤードは……結局どうなる」
「どうだろうな。まだ確かなことは言えないが……幽閉になればいいんじゃないかとは思う」
「なればいいじゃなくて、お前がそう誘導しろ。アルフレッド」
ため息をついてアルフレッドを冷たく見据えると、彼はビクリと肩を震わせ「え?」と素っ頓狂な声を上げる。
何故こいつはいつも他人事なのか。
本当に心の底から理解できない。
「唆され、操られていたとしても、マクスベルはトリスカ国の国使を暗殺しようとした実行犯だ。ロベルトも王都に妙薬をばら撒いた。レイヤードは他の王子を唆した上、王妃の暗殺未遂を起こした実行犯。後ろ盾しかない第一王子と嫌われ者の狂王子なら、国王になるのはお前だろ」
「えっ……!?」
本気で驚いていることに、こっちが驚くわ。
ベアトリスとの約束を最高の形では果たせなくなったけれど仕方がない。
「国は頼んだ。命を助けてやった礼として、どこか辺境の地に領地をくれ。そうだな、トリスカ国の近くがいい」
「ちょっ、その借りは返したはずだろう!!」
「小屋での分はな。陰謀を明らかにする手助けをしてやっただろ。レイヤードはお前を王妃の前で処刑するつもりだったらしいぞ」
アルフレッドの顔色は一瞬にして青く染まった。
まぁ、こちらも異端審問にかけられて処刑されるはずだったけれど。
気づいていないこいつが悪い。
研究は領地をもらった後でもできるはずだ。
自分の領地から、病に苦しむ人間を減らしていく。
そうすれば民衆を伝って、いつか王宮や聖女の価値が変わっていく。
もしそれで反逆の疑いをかけられた暁には、今度こそトリスカ国に亡命しよう。そうしよう。
「しかし、これほどまでに国が荒れた後だと、再建が大変でしょうね」
カイルがしみじみと、憐れむような目をアルフレッドに向けた。
すでに青い顔をしたアルフレッドが「え」と声を震わせ、ヒクリと頬を引き攣らせる。
「教会も失った権威を取り戻そうと、これを機に躍起になるだろうな」
「待って」
「他国への対策もしなくては、エルヴァニア王国の失墜を見せると次の大陸精霊祭で地獄を見るかも」
「ちょ」
「最悪、他国から攻め込まれるな」
「そんな」
「王都で王宮への不信感が高まっている。反乱が王都の北側で起こったりしてな」
「無理」
「妙薬の治療が上手くいっていないんだ。放置しておくと、原産国から密輸が始まる」
「嘘だろ」
「もしかすると、第二王子と第四王子の恩赦もあるかも。暗殺に気をつけて」
「ひっ」
魔力が全て抜け切った屍のようなアルフレッドに向けて、カイルが両手を口の脇に添え大きく息を吸い込んだ。
「第一王子! 頑張って!」
「……待て! 無理だ!!」
アルフレッドの断末魔のような悲鳴が部屋に響いた。
彼はぶんぶんと子供のように全力で首を振る。
「全部に対応するなんて、私は無理だ!!」
「無理も何も、国王の仕事だ。何も一人でするわけじゃない。的確な人材に的確な指示をするだけさ」
「無理だ! 後ろ盾しかない第一王子と呼ばれているんだぞ!!」
知ってるわ。
今の国王は、すでに今回の王位継承争いで心をすり減らしている。
一刻も早く次期国王を内定し仕事を引き継がせたいと思っているはずだ。自慢の金色の髪がストレスで抜け落ちる姿を想像して、ニヤリと笑みが溢れる。
「まあ、小さな領地を管理するだけの俺には関係のない話だ」
「ギルバート行くな! 変わってくれ!!」
涙目で立ち上がったアルフレッドのあり得ない叫びに、シン、と部屋が静まり返った。
笑った口角が、痙攣を起こすレベルで引き攣りを起こす。
「……自分が何を言ってるのか分かってるのか」
「分かってる! でも、よく考えろ! 俺にできると思うのか!!」
……できないと思う。
きっとここにいる全員の心の声が揃った。
何故か全員の視線が俺に向けられる。
でも狂王子が、国王になるのもふざけているとしか思えない。
「恐怖政治の始まりだろ」
「恐怖政治の方がまだマシかと。アルフレッド王子も貴族達の間に立って支えてくれるみたいですし」
カイルが圧のある笑みをアルフレッドに向けた。
「えっ! 待て、それは」
「発言には責任が伴うことをご存知ですか?」
アルフレッドは小さく息を飲み、喉を詰まらせたまま頷いた。
……やばい。これは完全に想定外だ。
確かに王位に着くのは最短な道ではあるけれど、一瞬見えたベアトリスと僻地でまったり甘々ライフの夢が砂の楼閣のように崩れていく。
そういえば、ベアトリスはどう思っているんだ。
彼女に視線を向けると、彼女は複雑そうな笑顔を顔に貼り付けていた。
「私……聖女ですらないのに王妃なんて」
「聖女かどうかなんて、俺の治世で関係あるはずがないだろ!」
——しまった。やってしまった。
額に手を当てて、自分の迂闊さを呪った。
アルフレッドが瞳を輝かせ、イグナーツは安堵し、カイルがこれでまともな給金を得られるとほくそ笑む。
そんな中、ベアトリスはただ笑っていた。
ふと、そこにあの時と同じ儚くて痛々しい面影を見つけてしまって、胸がドクンと嫌な音を立てる。
「少し……ベアトリスと二人にしてくれ」
全員を退室させた俺は、起き上がりベアトリスを長椅子へと導いた。
向かい合わせがいいのか、横並びがいいのか、それとも直角がいいのかと悩んで、一先ず横並びに座る。
彼女の表情と同時に気づいた違和感。
彼女のそばからゾーイの気配が消えていた。




