35話 狂王子の手が届く先
王座の間、高すぎる天井から巨大なシャンデリアが轟音と共に落下してくる。
必死に手を伸ばしても、魔術を発動しても間に合わない。
「——ベアトリスッ!」
俺の叫びが、広い王座の間に虚しく反響した。
その刹那。
引き寄せられたベアトリスは、咄嗟に俺の贈った柘榴石のペンダントを握りしめる。
直後──眩い緑の光と共に旋風が巻き起こった。
周囲を拒絶する凶暴な風が、レイヤードと落下してきたシャンデリアを力任せに吹き飛ばす。
レイヤードの手から、ベアトリスを捕らえていた鎖がジャラリと離れ、床に叩きつけられた。
吹き飛ばされたシャンデリアが轟音を立てて激突し、粉々に砕け散る。
飛び散る鋭利な金属片は、まるで意思を持った刃の群れとなってレイヤードへと襲いかかった。
「……これは、タチが悪すぎる!」
襲いかかる金属片を風の魔術とマントで防いだレイヤード。
彼はすぐさま剣を抜き、ベアトリスに向けて迷いない足取りで真っ直ぐ刃を突き出した。
地面を蹴った俺は——
考えるよりも先に、床に伏せたベアトリスの前に身を投げていた。
「ギルバート!!」
鋭い金属が腹を貫く嫌な音。
凄まじい衝撃と激痛が遅れて脳を駆けた。
ベアトリスの悲鳴。
レイヤードが容赦なく剣を引き抜くと、傷口からどっと血が溢れ出す。
視界が歪み、膝から崩れ落ちた俺に向かって、彼女はなりふり構わず駆け寄ってきた。
「ははっ。今回は……間に合ったんじゃないか?」
「嫌っ……嫌だ。嘘でしょ、こんなの嫌!!」
深さを確かめるように傷口に伸ばされる震えた手。
取り乱す彼女の目から、温かい雫が降ってくる。
ああ、やってしまった。
もう泣かせないって誓ったのに。
ベアトリスが泣いてる。
「あはは、兄上に勝った。僕が一番だ。僕が一番になった! 誰もできなかった狂王子を、僕がやっつけた! 母上に教えてあげなきゃ、あとは母上の大切なアルフレッドを目の前で処刑して……」
無邪気に喜ぶレイヤードの声が耳鳴りのように鼓膜を叩く。
それを打ち消すように、ずっと、ずっとベアトリスが俺を呼んでいた。
その必死な姿に、これはもう完全に夫婦だな、なんて不謹慎な感情が胸をよぎる。
ベアトリスの嗚咽で満たされた空間に、レイヤードの軽い靴音が響いた。彼は片手に血濡れた剣を握ったまま、いつもの人懐っこい笑顔を彼女に向けている。
「ベアトリス様、僕と取引しましょう」
先程の出来事なんてなかったかのような軽い声に、沈みかけた俺の意識と、ベアトリスの嗚咽がぴたりと止まった。
「……とり……ひき?」
「ええ、闇の精霊の呪われた力を振り撒く貴女を、ここで殺したことにしてあげます。姿を変え、僕に従い、僕だけの呪いになってください。その代わり、今すぐ教会から聖女を呼び寄せて兄上の命を助けてあげます」
……は?
ふざけるな。
それじゃあ、本当にただの道具だ。
ベアトリス! 話なんて聞くな! さっさと逃げろ!
一か八かでいい、扉まで走れ!
言葉にしたいのに、口から溢れる血が喉に詰まり声が出ない。
俺は血に塗れた手でベアトリスの手首を掴み、必死に入り口の方へと引っ張った。でも、彼女は縫い止められたように動かない。
「それは……本当?」
「本当ですよ。兄上は処刑じゃなく幽閉にしてあげます。気軽に会うことはできませんが、ベアトリス様が、僕の敵を呪い続けてくれさえすれば、一生僕が面倒をみてあげますよ」
手首を掴む俺の手の甲に、温かい雫がぽたり、ぽたりと落ちた。
ベアトリスの瞳から溢れた大粒の涙。
彼女の金色の瞳は、真っ直ぐ俺を見ていた。
やめろ。そんなこと聞かなくていい。
咽せるように必死に口の中の血を床へと吐き出した。
もう一度、彼女の腕を引くが、ベアトリスは何も言わない。
ただ静かに唇を結んで、悲しげに目を細めるだけ。
ベアトリスは、ゆっくりと顔を寄せて、俺の額にそっと優しい口付けを落とした。
「ごめんね」
静かにそう呟くと、俺の髪をそっと撫でて立ち上がる。
殆ど黒く染まりかけた視界の向こうで、レイヤードが満足げに微笑んでベアトリスに手を伸ばしていた。
勝手に、どいつもこいつも。
何をやっても、どれだけ努力しても、邪魔をされる。
やっとベアトリスがこの手に落ちてきたのに。
それを横から掠め取るなんて許せるわけがない。
体内に残った血液が沸々と、沸騰するように熱くなる。
力の入らない腕を、鉛のように重たい足を執念だけで無理矢理動かし立ち上がった。
殆ど闇に塗りつぶされた視界の中で、地面を蹴り、真っ直ぐレイヤードの顔面に拳を振り抜く。
ゴッ——
「俺の妻だ。悪役の執着を舐めるなよ」
やっぱり、魔術より殴った方が早い。
最後の言葉を吐き切って、俺の意識は真っ暗な闇に沈んでいった。




