34話 狂王子の問い
王宮の裏口に身を潜め、準備しておいた魔法陣に魔力を流す。
直後、赤い光と共に王宮の城壁が大きな爆発を起こした。
王宮内を火の海にするつもりはない。
あくまでも、これは牽制。
中にいる使用人達が逃げ出す時間を稼ぐものだ。
間髪入れず、次は水の魔法陣に魔力を流し、大量の蒸気で王宮の周囲を取り囲んだ。
これで中からも、外からも火の手が上がっているように見えるはずだ。
「行くか」
あらかじめ髪も瞳も黒色に偽装した俺は、そっと裏口の扉から王宮内に滑り込んだ。
狭くて薄暗い使用人用の通路は、案の定、混乱に陥った人々で溢れ返っている。
これまで他国からも内部からも攻め入られた経験のない彼らは、我先にと安全な出口を求めて逃げ惑っていた。
「王宮の奥からだ! 玄関ホールに逃げろ!」
声を張り上げ避難の誘導を装いながら、俺は逃げる彼らの流れに逆らって王宮の奥へと足を進める。
その途中、衰弱した王妃を背負って必死に走る騎士とすれ違った。
どうやら、王妃はまだ死んでいなかったらしい。
出口へと急ぐ騎士の腕を、さも内部の人間のように捕まえた。
「ギルバートの妻はどこだ。地下牢か」
「い……いや! それが王座の間に連れて行かれたらしい。今は知らん」
「分かった。それと、馬小屋の周囲に罠が仕掛けられているという報告があった。増援を要請するなら馬は使うなと他の者にも知らせておけ」
短く告げて、騎士の腕を離す。
これで教会に詰める騎士達の到着を少しは遅らせられるだろう。
そう思っていると、大きな地鳴りと共に王宮が激しく揺れ動いた。
これほど大きな爆発を起こすには魔術しか方法がない。
やはり、レイヤードはここにいる。
自分で大きな火の手を上げて、教会側に俺の襲撃を知らせるつもりだろう。
「魔術が苦手というのは嘘だな」
目的を成し遂げるために、利用できる知識や技術は全て手に入れる。最底辺の婚外子である俺も、第五王子のレイヤードも、その執念深さにおいては全く同じ考えだ。
持てる手札全てを嘘で塗り固め利用し尽くさなきゃ、この嘘と陰謀が渦巻く王宮で目的など達成できるはずがない。
奥へと進むほど、レイヤードが放った火の手から生まれた黒い煙が周囲をじわじわと侵食していく。
重厚な彫刻が施された王座の間の扉。
その前に立った俺は、躊躇いなくそれを力任せに蹴り飛ばした。
煙が室内に流れ込むと同時に、何度も聞いた彼の声が広くて高い王座の間に響き渡る。
「やはり来たんですね、兄上」
まるで本物の国王のように玉座に深く腰掛けたレイヤードが、静かに俺を見下ろしていた。
その歪んだ青い瞳には、まだこの状況を楽しんでいるような無邪気な色が宿っている。
そして彼の足元には縛り上げられたベアトリスが捕虜のように膝をついていた。
俺は懐の魔術書を開き、黒い髪を冷たく光る白銀色に。黒い瞳を血のような赤色に戻した。
「ギルバート……」
今にも泣き出しそうな顔で俺を見るベアトリス。その周囲にゾーイの姿はない。でも、確かにそこに気配を感じる。
「兄上、いくつか質問があるんです。ベアトリス様は答えてくれなくて」
「ははっ。奇遇だな。俺も聞きたかったんだ。じゃあ答え合わせといこうか」
「ふふっ。そうですね」
いつものように無邪気に笑ったレイヤードから、一瞬で表情が消えた。まるで不気味なものを見るように、その瞳には隠す気もない嫌悪感が滲んでいる。
「僕ね、最近の兄上が本当に気持ち悪かったんです」
「気持ち悪い?」
「だってそうでしょう? 絶対に成功させる自信があったんです。国使の暗殺も、スラム街の鎮圧も。兄上の行動を僕は全部知っているんですから当然ですよね。でも、失敗した」
淡々と、感情を排した声が王座の間に響く。
動くことは許されない張り詰めた緊張感が声と共に大広間を満たしていった。
「それもこれも、彼女が兄上に嫁いでからです。今まで上手くいっていた計画に狂いが生じた。そもそも、あの婚姻から不気味に思っていたんです。聖女の儀式であんな光景見たことない。成り損ないを兄上がわざわざ娶る意味も分からない」
レイヤードは隣で膝をつくベアトリスを忌々しそうに睨みつけた。
「だから、調べたんですよ。国王になった暁には教会の権威をさらに強化すること。ベアトリス様の処分に手を貸すことを条件に、大司教から教えてもらいました」
「何を教えてもらったんだ?」
「闇の精霊という、危険な精霊の存在についてです」
異端審問会の召喚状から察していたが、教会はすでにレイヤードに抱き込まれていた。
武器にも転用できる闇の精霊。
その実在を教えるということはそういうことだろう。
レイヤードは真実を見極めるように、冷たく俺を見据えた。
「兄上は僕の計画に気づいていたんですか?」
「いいや、俺はお前の計画を今朝まで知らなかったよ」
「じゃあ、最初からベアトリス様と繋がっていたんですね。わざと闇の精霊と契約をさせ、僕の裏切りに備えようと?」
「それも違うな。俺にとっても全て予想外だった」
「はぁ? そんな嘘、通用するわけないでしょう?」
無理矢理弧を描いた彼の唇。
レイヤードに苛立ちが募っていく。
「じゃあ、やっぱり彼女だ。彼女が契約した闇の精霊の利用価値に兄上が気づいて……」
「闇の精霊の利用価値なんて、俺には興味がない。俺はただ……ベアトリスが欲しかっただけだ」
「嘘だ!」
レイヤードの怒号が王座の間にこだまする。
そんなに信じられないことだろうか。
俺はベアトリスが聖女だろうが、成り損ないだろうが、呪いを振り撒く暗殺者だろうがどうでもよかった。
彼女を自分の手で幸せにしたかった。それだけだから。
レイヤードの計画が狂ったのは、ベアトリスが死ぬ物狂いで未来を変えようとしたからだ。
彼女の行動が全てを変えた。
立ち上がり、肩で息をしながら睨みつけるレイヤードに俺は静かに言葉を投げかける。
「俺も聞きたい。お前は何がしたかったんだ」
「僕? 僕は王になりたいんです。見たらわかるでしょう?」
「王になるだけなら……このまま俺との計画を進めるだけでなれただろう。どうして……」
「聖女の代わりとなる方法を見つけ、国同士で協力し合う兄上の理想の国の話ですか? そんな寝言、本気で叶う訳ないでしょう?」
レイヤードは闇を孕んだ目で、嘲るように笑った。
「聖女の価値を上げることが大切なんです。病を治す方法なんて……聖女以外に解決する方法なんて存在しちゃダメなんです。誰もがひれ伏す国にしなきゃ。解決方法を唯一授けられる国にしなきゃ」
「奇跡に頼るだけの国なんて、そのうち瓦解する」
「それをさせないのが国王でしょう? もっと格差を広げて、歯向かう国は叩き潰して、絶対的な権力を作ればいいんです。だって裏切られたら終わりなんですよ」
ああ、レイヤードは誰も信用していないのだ。
全ての人を欺いて信用を勝ち取った彼は、誰のことも信じられない。
だから、ベアトリスという人間そのものに価値を感じる俺のことも理解できない。
人を信用できないから、対話という選択肢すら出てこない。
無邪気に笑うレイヤードの面影が真っ黒に塗りつぶされていく。
レイヤードは闇を孕んだ本当の顔で、歪に笑った。
「結局、僕の計画を全て狂わせたベアトリス様は、何の力を持つ精霊と契約を交わしたんですか?」
見せつけるように彼女に繋がる鎖を持ち上げながら、レイヤードは首を傾げた。俺は焦燥を抑え込み、冷徹に笑みを返す。
「さすがに質問しすぎじゃないか?」
当然レイヤードも正直に答えるとは思っていない。
焦げた匂いが鼻を掠め始める中、彼はさらに笑みを深めた。
レイヤードが鎖を引いた瞬間、ベアトリスがよろめいた。
咄嗟に足を踏み出しかけた俺に、ベアトリスは必死に何かを訴えるように首を振った。
手首につけたゾーイのネックレスを僅かに揺らして、俺に小さな合図を送る。
「だって気になるでしょう? 教会と結んだ約束よりも利用価値があるかもしれないんですから」
レイヤードが準備運動のように首の骨をコキリと鳴らす。
それを待っていたかのように、ベアトリスが纏うわずかな魔力が合図のように揺らめいた。
「兄上、ベアトリス様は先の未来が見ることができるんじゃないですか?」
「ハズレだ」
ベアトリスは死に戻ってきただけ。
誰も知らない、光の精霊の力で。
俺は床を強く蹴ると同時に、風の魔法陣で足元に爆発的な風圧を起こした。剣に手をかけながら一気に縮まる距離。
レイヤードは懐から取り出した魔術書のページを指で弾き魔力を流す。
ずるっ。
二歩目で蹴った絨毯の上で、俺は足を取られた。
バランスを崩した俺は前につんのめる。
普段なら絶対こんなミス、起こさないのに。
その瞬間、目の前で青い炎が吹き上がった。
ただの炎じゃない。
煙や煤すら殆ど生まない完全燃焼の炎だ。
「——っあ!?」
「ちっ……」
舌打ちをしたのはレイヤードだった。
俺が躓いて、狙いが逸れたのだ。
レイヤードはすぐに、袖のボタンに魔力を流す。
緑の光と共に発生したかまいたちが、バランスを崩した俺に死角から襲いかかった。
俺は僅かに身体を逸らし、至近距離で放たれた魔術を回避する。
「絶対躱せないでしょう? 今のは」
そんなことはないけれど、確かに無傷は無理だ。
多少なりとも怪我は負う。
運良く全て躱せているだけで。
いや、レイヤードが魔術を放つタイミングがほんの少し不運に犯されていただけで。
レイヤードは次々と魔術を放った。
炎を放ち、蒸気の煙幕を張り、風の刃で切りつける。
剣を抜いた俺は、仕込んだ魔法陣に魔力を流しながら防いでいく。
一歩一歩、レイヤードとの距離を詰めた。
呪われた彼の小さな不運に身を任せるようにして、一つの怪我も負うことなく。
「絶対におかしいですよね。未来を見てる訳じゃないならなんだろう」
ベアトリスの魔力が、また揺れる。
殆ど使い切る勢いで、ゾーイに魔力を渡したのが分かった。
「ああ、分かった。運を操作するのか」
レイヤードがその魔力の揺れに、ついに気づいた。
その刹那、王座の上にあるシャンデリアが、不気味な軋みを立てて落下する。
それと同時に、レイヤードは狂気に満ちた笑みを浮かべ、ベアトリスに繋がった鎖を自身へと一気に引き寄せた。




