【ベアトリス視点】真実の扉
闇の精霊、ゾーイの力は相手にとっての不都合を引き寄せるもの。
離宮の使用人や騎士たちが、ギルバートから言いつけられたのは『私を離宮の外に出さないこと』だ。
職務に忠実な彼らがゾーイの呪いを受ければ、連鎖する小さな不運と共に私を物理的に見過ごしてしまう。
居住階に配置された警備の騎士はくしゃみを連発して視界が奪われた。
使用人は離宮に侵入した鳥に気を取られて、裏口の扉の鍵を落っことす。
庭師は棘のある低木に服を絡ませ身動きが取れなくなり。
馬丁は、突然暴れ出した馬に逃げられた。
シーナにだけ行き先を告げた私は、不運の連鎖が巻き起こるタイミングを図るだけで、難なく離宮からの脱出に成功した。
馬丁から逃げ出した馬に飛び乗った私は、シーナの用意してくれたフード付きのローブを被り一人王宮を目指す。
「ここからが本番ね」
私の言葉に答えるように耳元でチリンと鈴の音が鳴った。
さすがにゾーイの姿を現したまま行動する訳にもいかず、ギルバートの作った実体化のネックレスは私の手首にある。
会話はできないけれど、不思議と不安はない。
ゾーイが何て返事をしているのか、なんとなく分かるもの。
しばらく馬を走らせて、私は目的地である王宮の裏手に辿り着いた。
今は選定式の真っ最中。国王も選定式へと出向いているため、王宮内はいつもより警備が緩い。
それでも最低限残された王宮周囲を巡回する警備は、ゾーイがなんとかしてくれた。
城壁の壁にもたれかかって、小さく息を吐く。
「ごめんね、少し休憩」
自分の足で走った覚えもないのに、息切れする胸を抑えて呼吸を整えた。
魔力……足りるかしら。
身体に纏った魔力が、確実に少なくなってきたことが嫌でもわかる。
極限まで魔力を使ったのは、トリスカ国の国使をマクスベル王子の私兵から守った時が初めてだった。
あの時は、立っていられないくらい身体が脱力し、その場でへたり込んでしまったっけ。
魔力とは世界の理に干渉する力だと、最初に習った。
なくなっても死ぬことはないけれど、負荷はかかるって。
今、すでに目眩がして、指先が震えてる。
でも大丈夫。
ここまで来れたのだから、あとは調べるだけ。
「行こう」
大陸精霊祭でギルバートが使っていた出入り口。
その古びた扉に手をかけ、固い決意と共に一歩を踏み出した。
薄暗くひんやりとした使用人専用の通路。
王宮のお仕着せをこっそり拝借して、使用人のような顔で情報を集める。
事件の当日、何があったのか──
晩餐という舞台の裏にいる使用人達。
彼らが知る情報で何か糸口が見つかるかもしれない。
貴族達のいない王宮は、下働きの使用人達による『王妃暗殺未遂』の噂話で持ち切りだった。
廊下の物陰を通り過ぎるたび、ヒソヒソと囁き合う彼らの声が耳に届く。
「厨房の人間が取り調べを受けたらしい」
「給仕した人間も連れて行かれたって」
「勝手に犯人扱いされては堪らないよ」
「王妃様こそ、昔はよく第三王子に毒を盛れと指示をだしていたのにな」
「第三王子が報復に出たんじゃ」
「幼い子供にあんな事したんだから、恨まれても仕方ないよ」
彼らの横を通り過ぎるたび、握り込んだ手の中で爪が皮膚に食い込んだ。王族の揉め事に巻き込まれる使用人達の気持ちもわかる。
でもギルバートは、そんなことしない。
病に効果がある薬を生み出すことのできるギルバートが犯人なら、その逆の効果がある毒も作れるはずだ。
あの知識と集中力と追求心で確実を突き詰める。
彼がもし犯人なら『未遂』じゃ終わらないわよ。
人気のなくなった厨房近くを通り過ぎようとした時、中にいた洗い場のメイドが重々しく息を吐いた。
「王妃様はいつまで伏せっているんだろうね。聖女なんだから自分で治せばいいのに」
「そうだよ。私達と違って病も毒も怖くないお人なんだから、こんなに大事にしなくてもねぇ」
思いがけない言葉に、ピタリと止まる足。
王妃が……まだ伏せっている?
どういうこと?
選定式に行っていないの?
王妃の寝室は王宮内の居住区、その最奥にある。
遠すぎる道のりに愕然としながらも、感じた違和感を放置するなんてできない。
「……本人から話を聞ける絶好のチャンスってことね」
耳元で鳴る鈴の音に励まされながら、少なくなった魔力をかき集め居住区へと足を進めた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
居住区へと向かう通路の先で、人の気配を感じた私は物陰に隠れた。
二人のメイドが、お喋りをしながら窓を磨いてる。
その顔に見覚えがあった。
アルフレッド王子と婚約していた過去で。
——彼等は王妃様に仕えていたハウスメイドだ。
「あの日はアルフレッド様もレイヤード様も晩餐に来ていて、彼等の使用人も厨房に入り乱れてたわ。誰がやったかなんて分からないわよ」
「ああ、そう言えばアルフレッド様の使用人が変な動きをしていたって。厨房の子が言ってたの聞いた?」
「聞いたわよ。厨房にしつこく張り付いて。毒味後の食事を作り直させたりもしたって」
「厨房を乱して、その隙に毒を入れたんじゃない?」
窓枠の埃を払いながら、若いメイドの一人がふざけるように粉を撒く仕草をする。もう一人はそれを見て困ったように眉間に眉を寄せた。
「アルフレッド様が? 一番の後ろ盾である王妃様をかい?」
「レイヤード王子を暗殺しようとして失敗したとか」
「ああ、有り得るかも。まさかあの可愛らしい弟王子に追い抜かれるなんてアルフレッド様も思ってなかったでしょうよ」
「しかも、お二人の婚約者がまだ決まっていないせいで聖女も呼べないって。皮肉な話よね」
クスクスと彼女達の不謹慎な笑い声が廊下に響く。
その時、ずわりと魔力が吸われた。
直後、廊下の曲がり角の先で何かが落下する物音が響き、彼女達が顔を見合わせる。
「何か落ちた?」
「え、本当? さっき掃除したところよね!?」
彼女達は慌てて物音の正体を探りに、廊下の先へと駆けていく。
姿が見えなくなったと同時にその廊下を突っ切った。
「ゾーイ、ありがとう。助かったわ」
足が重たい。息が切れる。
風邪を引いた時みたいに頭がくらくらして、視界がチカチカと明滅した。
ゾーイが魔力を使って不運の呪いを発動させるたびに、命を削られているような感覚がする。
命という根源的な部分を、直接触れられているような、そんな感じ。
魔力に余裕がある時は『減った』という感覚しかなかったけれど、限界が近いのが嫌でもわかった。
「……一気に部屋に向かいましょう」
鈴の音が微かに響いた。
上階の居住区へと近づくにつれ、巡回の警備の数が増えていく。
私は身を隠しながら前進し、見つかりそうになる度にゾーイが不運を撒き散らした。
そして、ついに目的の場所にたどり着いた。
重厚な扉には屈強な護衛が一人、直立不動で立ち塞がっている。
物陰て息を潜めてしばらく待つと、侍女と思わしき女性が部屋から出ていった。
中に入るなら今しかない。
「ゾーイ、お願い」
なけなしとなった魔力を全てかき集め、ゾーイに小さく告げる。集めた魔力が身体から消えると同時に、私は最後の力を振り絞って駆け出した。
突然姿を現し突っ込んでくる私を見て、護衛の騎士は咄嗟に剣に手を伸ばす。
呪いによって喉を詰まらせたのか、叫び声は上がらない。
私は彼が剣を抜き切るよりも早く、その屈強な身体に体当たりをした。
本来ならビクリともしないはずの突進だけど、不運にも彼は足元の絨毯の弛みに足を引っ掛け、バランスを崩し背中から床に倒れ込む。
——ガシャン!!
鎧が床と激突する、たった一度の音だけを立てて護衛は沈黙した。
運悪く、頭を妙なところに打ちつけたみたい。
命に別状がないか確認して、鉛のような身体を引き摺るように立ち上がった。
立っているのがやっと。
もう、魔力は残っていない。
目の前には重厚な扉。緻密の装飾が施されたドアノブをそっと押し下げた。
踏み入れた部屋の中は厚いカーテンが陽の光を遮っていて、昼間だというのに薄暗い。
全ての調度品が最高品質の物で揃えられた豪華絢爛な室内の空気はどこか重たく澱んでいる。
部屋の奥、巨大な寝台を囲む真っ白な天蓋の向こう側に横たわる人物の影。
その人物は、苦しげな浅い呼吸を繰り返していた。
「誰……?」
布擦れの音と共に、絞り出すような掠れた声が響く。
私は天蓋のレースを横に引きながら、お仕着せのヘッドドレスと髪留めを外した。
カーテンの隙間から差し込む細い光が、私の赤い髪を照らし出す。
「ベアトリス様……貴女ね」
横になったまま、王妃は目を細めて私を見据えた。
陶器のように青白い肌。頬がこけ、目は落ち窪んでいる。
かつて国王の隣に立ち、絶対的な自信と誇りに満ちあふれた微笑みを浮かべていた高貴な彼女の面影はどこにもない。
色を失った薄紅色の唇が、弱々しく歪んだ弧を描く。
「アルフレッドとの婚約をなかったことにしたものね。でもまさか、貴女がくるとは思わなかった。ギルバートだったらまだ理解できたのだけど。それとも、彼にお遣いを頼まれたのかしら? 最高の機会が巡ってきたから、私を殺してこいって」
「彼はそんなことしないわ」
「そうかしら? 私は随分と恨まれていると思うわ。彼の母を殺したのも私。使用人の女から生まれた彼を利用し尽くすために、王子として引き上げたのも私だもの」
彼女が咳き込むと同時に、悲しげな鈴の音が部屋に響いた。
ゾーイとは違う精霊の気配を感じる。
かつて王妃が契約した光の精霊がそばに居るのだろう。
「どうして自分で治さないの? 貴女の精霊はそれができるでしょう?」
王妃が契約したのは治癒の精霊。
自身の病も、それが毒だって治せるはず。
私の問いに、王妃は緩く首を振った。
「魔力が上手く作れなくなったのよ。これも毒のせいかしら。精霊に渡せる魔力がない。治すこともできないまま、じわじわと弱っていく」
「今いる聖女に治してもらったら」
「ふふ。このタイミングで王妃の命を救えば、その聖女は間違いなく次の王妃の座を約束されるわ。アルフレッドとレイヤード、どちらが国王になるか分からない今の時期だからこそ誰を呼ぶか決めることができないのよ」
王妃は視線を天井に向け、自嘲した笑みを漏らした。
「本当に、よく考えているわよね。私は見誤ったのよ。あの子は私より狡猾で、如才なく立ち回る手腕があった。まるで操り人形で遊ぶみたいに周囲の人間を動かして、己の欲しいものを取りにいく。そんな陰険な子だったなんて思わなかったわ。こんなに恨まれていたこともね」
「一体……誰の話を……? 毒を持ったのが誰か、分かっているんですか?」
私がここに侵入したのは、王妃に話を聞くため。
暗殺未遂が起こった晩餐の夜、何が起こったのか。
レイヤード王子に盛られた毒を、母親である彼女が庇ったのではないか、そんな淡い期待を抱いていたのかもしれない。
その時、部屋に鈴の音が響いた。
二人の精霊が、まるで警告を発するみたいに鋭く短い音。
振り返るよりも先に、背後から私の肩へそっと冷たい手が置かれた。
足音なんてなかった。
気配なんて、一瞬たりとも感じなかった。
高度な魔術に絡め取られたような、ざわりとした悪寒だけが一瞬で身体中を駆け巡る。
王妃や、アルフレッドとよく似た、美しい黄金の髪が視界の端でゆらりと煌めいた。
「僕ですよ、ベアトリス様」
「……選定式に参列してるんじゃ」
「影武者って、すごく便利なんです。こういう時に」
そこに立っていたレイヤード王子は、その手に乗せた厚みのある小さな魔術書をパタリと静かに閉じた。
まるで、蝶を捕まえた子供のように無邪気な青い瞳が、楽しげに私を見据えていた。




