29話 元聖女と事件の勃発
「ゾーイ。ほら、これも美味しいのよ」
「んーっ! 本当だ! もう一口、もう一口ちょうだい!」
「仕方ないわね。もう少しだけよ?」
秋も終わりに近づいた頃。
庭園で過ごすのは今日が最後とばかりの、楽しげな声がガラス越しに聞こえてくる。
執務室から窓の外に視線を向けると、ベアトリスが闇の精霊とお茶を楽しんでいた。
闇の精霊の首には、魔法陣の刻まれた小さなネックレスがある。
俺が研究を重ね、簡略化した魔法陣を刻んだネックレス。
ポイントは水の魔法陣を利用した光の屈折だ。
聖なる泉を完全に再現しなくても、魔法陣と契約の文言で姿を現し話すことができる。
範囲も最小限。首に掛けておけばいい。
定期的に魔力を補充しないと魔法陣自体が消えてしまうので面倒な代物ではあるが、知識と技術を詰め込んだ最高傑作であることは間違いない。
闇の精霊はゾーイと名付けられ、目下ベアトリスの元で教育中。
いや、教育というよりも可愛がられ甘やかされていた。
俺に力を使ってくることはなくなった。
けれど、嫉妬で心が焦土と化している。
俺が見ていることに気づいたゾーイは、複雑に色を変える羽根を蝶のように動かして執務室の窓へとやってきた。
「ふふん。羨ましい?」
「羨ましくない!」
「さっさと言っちゃえばいいのに。昔、重たーい約束をした、あの時の男の子だよって」
「うるさいっ! どうして知ってる!」
「ベアトリスをずっとずっと見てたから」
重たい。カイルは俺のことを粘着質だと言うけれど、こいつの方がよほど粘着してるじゃないか。
精霊に性別はないらしいが、ここまでくると同じな気がした。間違いなくベアトリスとの関係を阻む強敵だ。
「言うなよ」
「どうかなぁ? 僕は嘘つきだから」
ゾーイを掴み上げ、庭園に向かって放り投げた。
執務机に突っ伏し、荒ぶった心を必死に宥める。
原因は分かっている。
研究にのめり込んだせいだ。
計画は大詰めを迎え、俺の手から離れた。
トリスカ国と正式な取引を開始するのは、レイヤードが王座に就いた後。
救護院では、俺がいなくとも魔術師やイグナーツの主導で着々とデータが集まっている。
俺の忠告を聞いたレイヤードは、護衛を増やし周囲を固めた。
要はやることがない。
時間を持て余した俺は、簡略化した魔法陣ができる度にゾーイで実験を繰り返した。
精霊の謎が一つずつ解き明かされていく快感と、ゾーイと話すことができたと喜ぶベアトリスの笑顔があまりにも可愛くて。頑張りすぎてしまったのだ。
気づけば、俺が研究室に籠る分だけゾーイとベアトリスの距離が縮まっていた。
敵に塩を送っていたのだ。
あまりにも熱中する俺が四つめの魔法陣を渡した時。
ベアトリスは「ギルバートは王宮関連の執務や業務に携わってはいないの?」と気まずそうな顔を浮かべていたのを思い出す。
狂王子に仕事を渡す人間が王宮にいるわけないだろう!
裏での取引や病の研究に時間を注いでいられたのも、王宮の仕事が殆どなかったせいだ。
「庭園に行かれては」
「邪魔だって顔をされたら、泣く気しかしない」
「狂王子! 頑張って!」
「ベアトリスの真意を探ってきてくれ」
カイルは残念なものを見るような顔で「お茶を淹れてきます」と部屋から出て行った。命令違反だ。
ため息をついて、ゾーイから聞き出した精霊についての情報をまとめることにした。
一つ目、精霊は二つの種に分かれている。
病や傷を治癒したり、植物の成長を促す光の精霊。
ベアトリスが過去に契約していた『時を戻す』精霊もその一部だ。
闇の精霊にはその逆の性質がある。
生物を老化させたり、傷つけたり。人には受け入れられにくい性質を持つのが彼らの特徴だった。
今のベアトリスが契約を結んでいる闇の精霊の力は『人の望みに相反する現象を起こす』というもの。
要は確率の操作。それが不運という形となって現れる。
この力が尊厳を破壊することに傾いているのは、王族や貴族の高いプライドのせいかもしれない。
そしてそのどちらも、精霊だけでは力を使えない。
契約した人間の魔力で力を使うのだ。
二つ目、契約は聖女から解消できない。
時を戻す精霊が特殊だっただけだ。
寿命のない精霊にとって、人間との契約は一時の気まぐれのようなもの。基本は聖女が死ぬまで契約が続く。
聖女が死ねば、精霊は泉に還っていくらしい。
ゾーイは一生ベアトリスに付き纏うつもりだと分かって絶望した。
三つ目、聖女となるために厳しい戒律は必要ないということ。
これには、ベアトリスが大きなショックを受けていた。
おそらく、上位貴族の令嬢達を教会の者がコントロールするために敷かれた戒律なのだろう。
戒律を守らせることで精神的な上下関係を叩き込んでる。
肉も魚も食べ放題。
必要なのは、精霊の目に留まることだけ。
あと、儀式で使う葉や文言くらいだろうか。
ムクノキの葉を浮かべれば、それを好む光の精霊へのアプローチになるというだけだ。
闇の精霊は様々で一様には言えないらしい。
——うん、どの情報もどこかしら嘘が混じってる。
スラム街の子供達が真実を誤魔化したくて咄嗟につく嘘みたいに整合性を感じない。
「『僕は嘘つきだから』か……」
精霊なりの生存戦略? それともゾーイが特殊なだけ?
精霊の考えは理解できないと天井を見上げると同時に、部屋にノックが響いた。カイルが戻ってきたのかと応答すると、伺うように扉を押し開け入ってきたのはベアトリスだった。
「あっ……あの。お菓子を届けにきたの。とても美味しかったから」
背後から突然刺されたような衝撃が胸を貫く。
その肩にゾーイはいない。
庭園に置いてきたのかもしれない。
余計なことは言うな、と必死に自分を律した。
「何をしていたの?」
「ああ、ゾーイについて少しまとめていた。精霊本人の証言だが、たくさん嘘が混じってる。あいつは真実を話す気がないな」
慌てて目の前の書類を横にずらして、ペンが床に転がり落ちる。転がるペンを拾い上げると、ベアトリスが書類に顔を寄せて目を通していた。
その近い距離に、また心臓が飛び上がって必死に息を吐く。
落ち着け。落ち着くんだ。
ベアトリスは文字を目で追いながら、小さく息を吐く。
「嘘かどうか……見分けがつくのね」
「契約の解消については分からないが、精霊は年々減っているだろ。おそらく、聖女が死んだら精霊も死ぬ。精霊の本質的なものが魔力そのものみたいだから、それが関係していると思うんだが……」
目を身開くベアトリスの顔で失敗を悟った。
震える声で「ゾーイが死ぬ?」と呟くベアトリスに何度も首を振る。
「まだ確かなことは分かってないからな!? 可能性の話だ! まだ研究の途中だから」
「そうなの、良かった」
少し顔を綻ばせたベアトリスは、コトリ、コトリとカップと皿を俺の前に並べた。
「厨房の使用人が、前集めた果物でジャムを作ったの。ほら、これ。焼き菓子に付けると美味しいのよ」
「ああ」
つけてください。つけてください。つけてください。
必死に念を送りながらベアトリスに視線を送ると、彼女は躊躇いがちに「つける?」と尋ねた。
重々しく頷くと細い指先が銀のナイフでジャムを掬い上げ、スコーンの上にそっと載せる。
「はい、できたわ」
「……手が塞がってる」
俺は両手を上に上げて、使えないことを示した。
いや、使えないわけじゃないけれど。食べさせて欲しい。
だってさっきは、ゾーイの口に運んでた。
戦場のような、張り詰めた緊張感が執務室を満たしていく。一秒が永遠のように感じる短い間。
「……ぷはっ」
ベアトリスは真剣な俺に向かって吹きだした。
お腹を抑え、楽しげに声をあげて笑い出す。
「ちょっと、狂王子がその言い訳は苦しいんじゃない?」
何この幸せ。
尊厳を投げ捨てたら、幸せが降ってきた。
仕方なさそうに焼き菓子を摘み上げたベアトリスは、それを俺の口へと運ぶ。
ホロホロと口の中で優しく崩れる焼き菓子に、甘酸っぱい酸味が加わったはずなのに味がしなかった。緊張で。
紅茶に口をつけることなく飲み込んだ俺を見て、ベアトリスは納得したように小さく呟く。
「ギルバートって、アレなのね。素直になれない」
「……うるさい。妻としてやるべきことはわかってるだろ」
「分からないわよ。だって妻になったことなんてないもの」
目を細め、悪戯っぽく笑うベアトリスに心臓が暴発した。
血液が沸騰したんじゃないかと思うほど、熱く全身を駆け巡る。
思わずベアトリスの手を引いて、膝の上に座らせた。
背中からギュッと身体を抱きしめると、いい香りが鼻を撫でる。
「ここにいろ」
「ちょっ!」
身じろぐベアトリスを、さらに強く抱きしめる。
ゾーイがいたら多分死んでるレベルの接触。胸を叩く心臓が痛くて仕方ない。
「匂いを嗅いでも?」
「そんなこと聞く!?」
「許可制って聞いた」
「……っ! 勝手にしなさいよ!!」
やばい。いい匂いが肺に染み渡る。
これ以上早くなるはずがないと思った心臓がさらに早く脈打った。
そして考える。
ここから先はどこまでが許可制なのだろう。
いや、永久に許可制なのかもしれないけれど、どこまで許される領域に俺はいるんだ!?
口付けはしていいのだろうか。
そもそも彼女が嫁いだ時の状況から、ズルズルと夫婦別室で過ごしているが、それはいつまで!?
「ちゃんと……君の夫になれているのだろうか」
不安がそのまま口をつく。
しまった、と思った矢先。ベアトリスが抱きしめる腕を握り返した。
「ギルバートは……まあほら、表情とか言い方とか悪党でしかないけれど。ずっと最初から夫だったわ」
ファンファーレと共に、脳内で精霊が乱舞した。
口付けの手順を思い浮かべつつ、ゾーイの隔離という名の監禁方法を考えながら身体を離すと、二度目のノックが部屋に響く。
「——っ。なんだ」
仕方なくベアトリスを膝から下ろし応答すると、カイルが扉を開けた。腰に縛り付けられたゾーイをぶら下げているという滑稽な状況に反して、その表情は固く強張っている。
こういう時の嫌な予感は当たるものだ。
カイルは、重々しく口を開いた。
「王妃が……毒を盛られたと連絡が。まだ終わっていません」




