【ロベルト視点】崩壊
第二王子に与えられた離宮。
その自室の窓からは壮麗な王宮とその敷地がよく見えた。窓枠に添えた手に、自然と力が入る。
もう少しで、王座に手が届く。
第一王子アルフレッドと比べれば、明らかに自分の方が優れているという自負があった。
先見性も決断力も求心力も、国王に必要な素質は己の方が上だ。大きな後ろ盾を誇示し、その力だけで王座に座ろうとするアルフレッドとは素質から違う。
それでも、私は最初からアルフレッドに対して大きなハンデを背負っていた。
ただ一点、私には聖女であり王妃である女性を母に持たなかったから――
王妃という後ろ盾は、それだけで他の王子より頭一つ以上飛び抜けているのだ。
だからこそ、王座を得るために俺には大きな功績が必要だった。
そのために時間と人手を払ったのだ。
これが上手くいけば、税を払う力もない小汚い貧困層と、後ろ盾がないにも関わらず煩わしい第三王子ギルバートをまとめて処分できる。
そして私は、反乱を事前に阻止し、皆が恐るギルバートを失脚させた事で貴族達の圧倒的な支持を得て王になるのだ。
「ロベルト様……本当に私に王都で暮らせと仰るのですか?」
背後からの声に振り向くと、妻マディローゼが不安げに両手を組み、私を見上げていた。縋るようなその声に先程までの高揚した気分が一瞬で白けていく。
「しばらくの間だけだ。君には富裕層の相手だけをしてもらう」
「でも聖女の私がわざわざ王都に降り癒しを与えるなんて——!」
「口答えをするな。ベアトリスを下し、王妃になりたいんじゃないのか?」
「……ベアトリス様は私と違ってすでに儀式に失敗しました。下さずとも、私が一番優秀な聖女です」
「最終的には、王妃がこの国一番の聖女だ。そこを履き違えるな」
マディローゼは悔しげに唇を噛んだ。ベアトリスが失脚したにも関わらず、他の聖女に王妃の座を奪われるなんてプライドが許さないだろう。
期待されていた聖女候補ベアトリスを、第一王子アルフレッドと王妃は早々に囲いこんだ。
常にアルフレッドの次だという屈辱に耐えながら選んだ聖女。マディローゼは自尊心が無駄に高くて面倒臭い。
でも──
ベアトリスは儀式に失敗し、アルフレッドとの婚約は流れた。私にとって最高の好機。
第二王子の私がすでに婚姻を結んでいるからこそ、アルフレッドは聖女候補達が次の儀式で精霊と契約を交わすことを待つことすらできない。
あのアルフレッドが、私が選ばなかった余り物の聖女から婚約者を選び直す。
その焦る顔を想像するだけで笑みが溢れた。今年誕生した聖女の中にも、王宮に住まう他の聖女の中にもマディローゼの力に勝るものはいない。
キャビネットの花瓶から、名も知らない真っ赤な花を一本引き抜いた。それを南側の窓、王都に向けて掲げてみせる。
上を向いた不規則な花弁が、まるで炎のように王都の南側に灯った。
「こんな小さな花が人を狂わせるなんて、本当なんですか」
「ああ。今少しずつ砂糖菓子に混ぜこんだ物では満足できなくなった人間が増えている。そこに純度の高い妙薬を一気に広げれば……」
王都は狂う。
多幸感、浮遊感に溺れ、依存し、気づけばその薬がなくては生きていけなくなるのだ。
薬を断ち切るには、マディローゼ……聖女の力が不可欠になる。
懐に入れているのは、試供品だと彼から渡された純度の高い妙薬達。それが昂る胸に共鳴するように熱を持っている気がした。
「このような妙薬で王都を汚し、反乱を企てたギルバートめ。次期国王である私が、直々に手を下してやろう」
「ふふっ、悪いお方」
マディローゼが腕に絡みつき俺に微笑みを向けた瞬間、ノックもなく乱暴に開いたドアの音が空気を揺らした。
「なんだ騒々しい」
「……そ……それが、王宮から至急の呼び出しが! ロベルト様に反逆の疑いがかけられています!」
「な……何ぃ!?!?」
顔中から汗を吹き出して叫んだ従者の言葉に、私の思考と離宮の時間が止まった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
王座の間にはエルヴァニア王国の重鎮達がすでに詰めかけていた。
国王から内密に尋ねられる事実確認ではない。これはすでに貴族達を巻き込んだ上で致される審議だ。
私とマディローゼが入場した途端、懐疑的な視線が一気に集まり喉が鳴る。足音を消し去る厚い絨毯の上を、鉛のような足取りで進んだ。
視線を上げると、王座に座る国王、そして王妃が温度を感じさせない目で私を見下ろしていた。
背後で扉が閉まったと同時に、国王である父は静かに口を開く。
「来たな、ロベルト。今回、そなたに反逆の疑いがかけられている」
「どのような……内容でしょうか」
「人を狂わせる妙薬を他国から仕入れ、王都にばら撒いたと」
「なんのお話でしょう? 人を狂わせる薬なんて私はなにも」
否定する以外、今の私に何ができるだろうか。
どれだけの証拠を元に審議されているのか分からない以上、不要な発言は全て『証拠』に繋がってしまう。
ただ自身に繋がる証拠は全て消し去っているはずだという一抹の望みに賭けるしかなかった。
「ただそういう話が上がっている。実際王都では突然暴れたり、叫び出したりする人間が後をたたないそうだ。それはどうもただの病とは違うらしいと」
額に嫌な汗が滲んだ。
まだ全てが整っていない。
貧民街の人間を雇って、薬を王都に広げている途中なのだ。
貧民街の人間を主犯に仕立て上げるどころか、ギルバートに繋がる証拠だって作りきれていない。発覚の全てが早すぎる。
王都に薬をばら撒くよう指示した貴族達の顔を浮かべながら、彼らに全てを擦りつけ切り捨てる算段を必死に脳内で搾り出した。
「身に覚えがありませんね。どうして私がその主犯だと言われるのでしょう?」
「告発がな……あったのだ」
反射的に広場に集まる貴族達を見渡した。
私を裏切って利を得る人間は、徹底的に排除し今回の計画に臨んだはずだ。
指示した貴族達が率先して裏切るなんてあり得ない。
誰がこのような告発を——
混乱する思考の中、それを切り裂く高い声が王座の間に響いた。
「告発したのは私です」
貴族達の間から姿を現れたのは、レイヤードだった。
ここに集まる貴族達に比べ一回りは小さく、細い体躯。
まだあどけなさが残る第五王子。
彼は王座に続く階段を登り、国王の隣に控え、憐れみの籠った瞳で私を見据えた。
何故——
どうして——
全く予期しなかった告発者を前に、喉と口にある水分が全て干からびる。
口から漏れるのは声にならない空気だけ。
「証拠は……?」
「ロベルト王子が人を狂わせる妙薬……その材料となる花の種を取引した記録と書簡を揃えました」
「そんなものはでたらめだ! 私に罪を着せる気だろう、レイヤード!」
搾り出した叫び声は、再度響き渡った扉の開く音に掻き消された。
振り返った視線の先にいたのは、第三王子ギルバート。
闇をそのまま写し出したような真っ黒な宮廷服に身を包んだ彼は、この世を統べる魔王のような笑みを浮かべてそこに立っていた。
「ああ、少し遅れてしまったか?」
「ギルバート……! 何故そなたが!」
「俺は楽しげな宴が開かれると聞いて足を運んだだけですよ。折角ですから、花でも添えようかと思ってね」
まるで自身の婚礼のように、彼の隣には揃いの真っ黒なドレスを着た元聖女候補ベアトリスが立っていた。
ギルバートは彼女の手を引きながら、王座に歩みを進める。
彼が歩く度に、ジャラリジャラリという金属が擦れ合う重たい響きが大広間の空気を震わせた。
ベアトリスをエスコートする反対側の手に握られていたのは、重たい鎖の端だった。
私の横を通り過ぎ、王座の前に来たギルバートは、手元の鎖をグイと無遠慮に引き寄せる。
その鎖の先で手枷を嵌められ、奴隷のように歩かされていたのは、私が指示を出した貴族達。
ベアトリスの手を離したギルバートは、彼ら背後に周りその肩をガラス細工でも扱うような手つきでそっと触れる。
「さあ、さっき俺に話した愉快な告白を国王陛下にも聞かせてくれないか。君はロベルト王子に強要され人を狂わせる妙薬を王都にばら撒いた……そうだな?」
「はい……ギルバート様のおっしゃる通りです……!」
ギルバートは懐から白い封筒を取り出し、見せつけるように一枚ずつ地面に落とす。
それは、私が彼らに送った書簡だ。燃やしておくようにと指示を出した、この世に存在してはいけない紛れもない証拠。
「彼はロベルト王子が強要した証拠の書簡をちゃんと保管していた忠実な国王陛下の臣下だそうです。是非ともこの場で証言したいと」
邪悪な笑みを浮かべ、脅迫の末歌わせたことをのうのうと語るその姿に背筋が凍る。
彼らが口を開くたびに、ガラガラと積み上げてきた全てが崩れ落ちる音がした。
手駒であったはずの貴族達が、私に全ての罪をなすりつけ、許しを乞うその姿を呆然と眺めることしかできない。
その視界の端で、ギルバートの視線を感じた。
交わる視線。
目が合った瞬間、彼の口角が楽しげに吊り上がる。
「保身に走る準備だけは怠らぬ、自慢の部下だな。ロベルト」
浅くなる呼吸。震える指先はそっと腰に下げた剣に伸びた。




