21話 元聖女の真実
「信じられない。だって……こんな」
「でも、実際死亡率は下がった。眉唾物とされてきた草や根を使った民間療法も効果があるんだ。俺は、いずれ病の元とその治療法を見つける。聖女の力に……頼らなくても済むように」
まぁ実際、どこまでできるかは分からない。
でも、病にかかる人間の総数は減らせるはずだ。
方程式に長けた平民の魔術師を雇い、この部屋で日夜研究も行っている。
長い道のりかもしれないが、魔術という理論の組み変えと組み立てに特化した研究分野の先には病の根絶があると信じている。
「ちなみに聖女だけならすぐさま根絶させることができるぞ。人の魔力の生成を阻害させる実を見つけた。精霊と契約してようが、魔力を渡せなきゃ力は使えない。君が契約した、闇の精霊も同様にな……」
ベアトリスの瞳が揺れた。
蝋燭の炎のように、ゆらゆらと揺れた先に一筋の涙が目からこぼれ落ちる。
「えっ!? ちょ!?」
ベアトリスは元聖女候補。
聖女の力に頼らないと言ったのがまずかったのだろうか。
それとも闇の精霊を無力化するぞと脅したのが不味かった!?
いや、あれはベアトリスに言ったわけじゃない!
彼女のそばにいるであろう精霊に言っただけで!!
箇条書きにして脳内で整理してあった『聞きたいこと』が全て吹っ飛んだ。
終わった。
今、この瞬間、俺とベアトリスの道は違えた。
思想の違う夫婦でもうまく行くのだろうか。
イグナーツは度々エリーゼと喧嘩をしているが、ベアトリスと喧嘩はしたくない。
そう思ったところで、日常的に呪われていることを思い出した。
ダメじゃん。俺。
絶望に天井を仰ぎ見ようとした俺の体に、衝撃が走った。
ベアトリスの華奢な身体が、俺に密着している。
細い指先が俺の背中へとまわり、服にシワを作る。
赤い髪からほのかに香る花のような匂いが鼻腔から侵略を開始し脳を侵して呼吸を止めた。
俺の思考は――完全に停止。
密着したベアトリスの身体に触れることもできない俺の掌が宙を彷徨う。呼吸は完全に止まっているのに、心臓だけが早鐘どころか連鎖的に起動する炎の魔術のように胸の中で爆発を起こした。
全く落ち着かない鼓動と真っ白な思考の中で、ベアトリスから漏れる小さな嗚咽が、狭くて暗い小さな部屋の中を満たしていた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
救護院の一室。
呼びつけたカイルが窓際にもたれかかり、イグナーツが椅子に腰掛けテーブルに肘を付く。
「ようやく情報のすり合わせですか。長かったですね」
「え、俺全然状況が掴めないんだけど……ギル様は何? 離縁寸前だったってこと?」
「そんな訳ないだろう……!」
とんでもない事を言い出したイグナーツを睨みつける。
イグナーツの同席は、ベアトリスが望んだことだ。
彼女はさっき会ったばかりのイグナーツをこの場に呼んだ。
どんな人物かも知らないはずなのに。
俺は彼女に向き直り、先ほどの椅子に座ったまま俯くベアトリスの言葉を待った。
彼女は睫毛を震わせながら紡ぐ言葉を必死に探し、ゆっくりと声を落とす。
「私は……貴方の計画を止めるためにここに来たの」
「俺の計画を知っていると言っていたな。ただそれは、断片的だった。違うか?」
ベアトリスは小さく頷きを返す。
あの日の事はやはり覚えていない。
本当に計画を止めるためだけに俺の所へ嫁いだのだという事実が、胸を焼く。
ベアトリスは深く息を吸った後、躊躇いがちに言葉を重ねた。
「貴方がトリスカ国の国使を暗殺し」
「え」
「スラムの民を使って反乱を企て」
「待って」
「最終的に、王宮を血の海に……」
「やるわけないだろう!」
どんなことでも受け止める。そんな気持ちで話を聞いていたつもりが、思わず立ち上がった。
彼女の跳ね上がった身体を前に、ふと彼女の放った単語に疑問が浮かぶ。『最終的に』とはどういう意味だ?
まるで、見てきたかのような――
「私は、時を戻っているの」
ヒュっと喉から空気が漏れた。
時を戻す。
意味は分かるが理解ができない。
時間は常に現在から未来に向かって進む。
誰しもが同じ時を、同じ速度で。
その時間を戻ることなんて理論的に不可能だ。
それこそ世界の法則を全て覆す『奇跡』でもない限り――
「過去の私が契約した精霊は、死んで時を戻す力を持っていたのです」
ベアトリスは全てを語った。
自身が『役立たずの大聖女』と呼ばれていた過去の記憶と、これから起こる血に濡れた未来の話を——




