20話 元聖女の戸惑い
殺人鬼に背後を取られたみたいに目を見開いたベアトリスの頬を、思いっきり両手で押し込んだ。
本当は摘んでやりたかったが、力加減が分からない。
だからこそ、精一杯の不満の訴えを掌に込めて頬を潰す。
本当に心臓が凍るかと思った。
俺をよく知る人間が周囲に沢山いる大通りならともかく、不届者も多いスラム街に一人で入って行くなんて。
怪しげなドアを片っ端から打ち壊し、ベアトリスの姿を探す羽目になった。
「ちょ……!」
潰された顔のままベアトリスは眉間に皺を寄せる。
もうお決まりとなった揺れる魔力。不運の気配。
そばで見ていた少女の手元から、溶けた蝋燭が傾き地面に向かって落下した。
「ダメ! みんな逃げて!」
エリーゼの張り詰めた短い叫び声。
その声よりも早く、俺は片手を離し袖口のボタンに仕込んだ魔法陣に魔力を流した。
ボタンが水色の光に包まれたと同時に、落ちる蝋燭の炎がジュッと音を立てて消える。黒い芯だけになった蝋燭は、小さな音を立てて床の上に転がった。
「部屋を燃やす気か」
「わざとじゃないの!」
立ち上がったベアトリスが声を荒げた。
その瞳は今にも泣き出しそうなほど揺らめいている。
まあ、また感情が昂ったのだろう。彼女はすぐに、しゅんと肩を落として俯いた。
「……ごめんなさい。いなくなったことも、他にも色々」
ベアトリスは罪悪感を滲ませながら、落ちた蝋燭に視線を向けている。
はい、もう許した。
無事ならいい。不運なんてなんとでもしてやる。
「ギル様さぁ、奥様との会話が足りてないんじゃね?」
振り返ると、イグナーツがニタニタと笑みを浮かべながら壁にもたれかかって俺を見ていた。
スラム街で使える全権力を使って探し出せ、なんて無茶な要求を捜索中にしてしまったせいかもしれない。
「ギル様……奥さんと仲良くないの?」
「ギル様すぐ怒っちゃうから?」
心配げに俺を見上げるノアとルイが呼びに来なければ、まだ探し回っていただろう。
「なんか、この人何も知らないんだよ。奥さんなのに。ギル様、ちゃんと教えてあげなよ」
「行動で示しせばなんとかなると思ってんのかね。ただでさえ口も態度も悪いのに」
「信用されるまでが問題なんだよねぇ。ギル様は」
エリーゼも会話に入って、全員で俺を責め立てる。
え、というかもう悪口じゃない?
こちとら、夫は初心者なんだ!
「……っ! 話そうとは思っていた! イグナーツ、奥を借りるぞ!」
「ああいいぜ。今魔術師達もいないからな」
ベアトリスの金色の瞳が、イグナーツに向かう。
まるで死人を見つけたように見開かれる目が、また一つ小さな違和感を積み上げた。
もう、このままにはしておけない。
俺はベアトリスの手を引いて、階段を上がり一つの部屋に入った。
薬液臭い救護院の空気に打ち勝つほど強烈な草や根の匂い。
乱雑に積み上げられた研究記録や蒸留機器にぶつからないよう部屋の奥へと進む。
布すら張っていない木の椅子を二つ引き出して、ベアトリスをその一つに座らせた。
「もう何度も聞いた質問だが、なぜここにいる」
「あの、迷っていたら子供達に助けてもらって」
「そうじゃない。なぜ側を離れてスラムに入った」
これは尋問じゃない。だから怯えた目を向けないで!
ベアトリスはまた何か断片的な情報を元に動いている。
それが何か話さない以上、行動で示していくしかないと思っていた。
けれど、何度も姿をくらまされ、その度に心臓が潰れるような行動をとる以上、見過ごすことはできない。
ベアトリスは気まずそうに視線を逸らし、魔術師達の研究スペースに視線を向けた。
「この部屋は何? あの瓶には何が入っているの?」
「俺が質問してる」
「私の質問に先に答えて!」
はい。答えます。
自然と取ってしまう不遜な態度に精一杯気をつけながら、俺はなんて言おうかとため息を漏らした。
「まず、あの瓶の中身だが高濃度のアルコールが入っている」
「アルコール……?」
「酒をもっとずっと濃くしたようなものだ。トリスカ国の蒸留技術でできた代物なんだが」
俺は立ち上がって、木箱にしまわれた実験用のアルコール瓶を一つ手に取った。
小皿に写し、そこに蝋燭の火を近づける。
小皿に布や紐はない。ただの透明な液体に青い炎が灯った。
「何これ……どうして」
「引火する性質があるんだ。それと同時に……この薬液は病の元を壊す性質がある」
小さく息を吐いた。
まだわかっている事は多くない。
ただ俺は病にかかるのは何故かを調べただけだ。
それで行き着いたのは、貴族や富豪が住む王都の北側よりも、貧困層が住む南側の方が病で死ぬ確率が高いということ。
住宅が荒れ果て、身体を清める手段を持たない人間の方が病にかかる。環境が悪ければ悪いほど死亡率が上がるという統計。そこに、俺は一つの可能性を見出した。
病には、俺たちの目には見えない元があるのではないかと。
トリスカ国の蒸留技術の発展に伴い、減少したのが死亡率。
彼らは、この液体を「生命の水」と呼んでいた。
気付け薬として使ったり、周囲をこの液体で清めるだけで病にかからないというのだ。妙薬のような副作用もない。
だから、俺はトリスカ国と取引をした。
俺がトリスカ国に対価として渡したのは、これまでかき集めてきた民間療法で使われる草花の研究結果。
平民の間で口伝されるソレを一つ一つ調べ上げ、効果が本当にあるのか確かめ統計を取った。
まあそれは、今も続けているけれど。
聖女を得られないトリスカ国と、王宮に仇なす嫌われものの狂王子だからこそできる秘密の取引。
「病の元があるって……それは本当なの?」
「そうじゃないかと思っている。しかもその元は生き物じゃないかと思うんだ。聖女と違って、魔術師は病を治せない。それが何よりの証明だと思う」
魔術は魔力を代償にして奇跡に近い現象を起こす。
でも、奇跡ではない。魔術は精霊の起こす奇跡を求めた人間が、悠久もの時間をかけて作り上げた方程式に過ぎないんだ。
魔力を代償に奇跡の真似事をしているだけ。
ただそこには、絶対的なルールがある。
魔術師は方程式を持ってして、自然の法則を書き換える事はできるが、生物の法則を書き換えることはできない。
病は魔術師に治せない。
それは、病の元が生きているから。
その結論に、俺は行き着いた。
「でも生きているなら物理的な力で殺すことが可能だ。病は退けられる」




