19話 元聖女は王都へ2
ここには王子妃が着るような服飾店や宝飾店なんてものはない。立ち並ぶのは古着屋に雑貨店、怪しげな魔術の店だ。
街に漂うのは花の香りどころか、屋台から漂う香ばしい匂いばかり。
治安はだいぶ改善しているとはいえ、目つきの悪い人間がうろつく貧民街は、決して品が良いとは言えない。
それでも、この街を見せたかった。
案の定、ベアトリスは怖がることもなく、市井の様子に感嘆の息を漏らしながら、好奇心に溢れる少女のように周囲に目を輝かせている。
「あーあれは魔術の店だ。街ではああやって、一枚一枚売ってる。でも、当たり外れがあるから知らない店で買わない方がいい。最悪死ぬ」
肩の力を抜いた俺は、自分の知る限りの貧民街知識を語りながらベアトリスの隣を歩いた。
彼女の口数は少ないけれど、王都に着いてからここまで一度も呪われていないし、俺の話に静かに耳を傾けている。
これはデートだ。
誰が何と言おうとも、真っ当なデートをしている。
帰る頃には甘い雰囲気になっているんじゃないか?
——心の中で高笑いしたのも束の間だった。
俺が有頂天になった瞬間を見計らったように、予期せぬ問題が発生した。
いや見通しが甘かったと言った方がいいかもしれない。
「ギル様、視察かい?」
「これが視察に見えるか」
「ギル様ー! その人誰ぇ?」
「うるさいっ!」
街の人間がいちいち話しかけてくる。
揶揄うように、ニタニタと笑みを浮かべながら俺を呼び止めるのだ。いつもはここまで話しかけてこないくせに。
「ギル様ー!」
「邪魔をするな……! 灰にするぞ!」
睨みつけると、薄汚れた子供達は笑いながら路地裏に消えていった。
まさかこれも呪い?!
いや、ベアトリスの魔力が減っている様子はない。街の人間がデートの邪魔をしてくるのは本当にただの不運らしい。
もう少し北の、顔が割れていない通りに行くべきか考えていたらベアトリスがふと俺を見ていた。
「……王都へはよく行くの?」
彼らとのやり取りを黙って見ていたベアトリスだったが、どうやら度々入る横槍を不快に思ってはいないらしい。甘い時間にたどり着ける可能性はまだ残されている。
「ああ、もうこの辺りは既に掌握しているからな」
「掌握……?」
胸を撫で下ろした瞬間、彼女の魔力が揺れた。
それと同時に、目の前でボールを持った子供が転んだ。
そのボールが、向かいを歩く男性のカップを弾き飛ばす。
——バシャン。
弾き飛ばされたカップ。
そこから飛び出した水は俺の顔に直撃した。
「ベアトリス……!」
「あっ……つい、うっかり」
「つい、うっかり呪うのか!!」
首を振って水分を弾く俺の頬に、ベアトリスがハンカチを差し出した。受け取ることなく見据えていると、彼女はおずおずと俺の頬を拭う。
不運を逆に利用してやった。ちょっと夫婦っぽい。
彼女は俺の顔を拭いながら、戸惑いつつ口を開く。
「街が変わっていて驚いたの。昔はもっと……」
ああ、病気の人間や死体が道に転がっていたな。
親を亡くした子供達が物乞いし、暗い目をした人間が路地裏から人を付け狙う。
貧困層が多く住む王都の南側のスラム。
この一角はそんな場所だった。
「貴方がこれを?」
「ああ」
「一体どう「ギル様ー! お菓子食べませんかー?」
問い詰めるような緊迫感を孕んだ言葉。
ベアトリスの様子を伺おうとしたその時、また横槍が入った。
「食べるかっ……!」
睨みつけると、露天の店主が袋を掲げ俺に手を振っていた。
彼は数年前、路上でくたばりかけていた男だ。
人から奪った金で安酒を買い、路上で寝るその日暮らしの生活。
保護した後、露天商として身を立てられるようにまでなった数少ない人間だった。彼の顔にはかつてない程の正気が灯り、見違えるように身綺麗になっている。
ただ——彼だけなら通り過ぎていたかもしれない。
足を止めたのは、その店主の後ろにスラム街の裏役イグナーツの姿が見えたからだ。
深い紫色の髪に、茶色の目。左目にある大きな傷が目を引く男。イグナーツは、露天商の後ろから俺に意味ありげな視線を向けて小さく手招きをしていた。
露天商はただ彼に、声をかけろと言われたのだろう。
少し小綺麗になった露天商と貧困街の裏役。
胡散臭さが倍増していて思わず顔が歪む。
「ベアトリス。ちょっと……お菓子を買ってくる。少し待っていてくれ」
「うん、わかった」
ベアトリスを広場の端に座らせ彼らの元に向かった。
店主は意味ありげな視線をベアトリスに向けながらニタリと笑う。
「ギル様、噂の奥様とデートかい?」
「デートに見えているなら声をかけるな……!」
「いや。イグナーツ様が呼べって言うもんだからさ。あと、せっかくだからコレも持っていきなよ。最近商売の手が広がったんだ。商売を支援してくれる人が見つかって、お菓子まで取り扱うようになったんだぜ。北側にも店を出せるようになってさ」
「人相が悪いくせに子供が寄ってくるのか」
「ギル様に言われたくないよ。この菓子は北側の富豪に人気なんだ。こっちじゃまだあまり売れないけど、他国のお菓子だってさ」
金を払い、菓子の入った小袋を店主の手から受け取ると、イグナーツが立ち上がりすっと耳元に顔を寄せた。
「例の物は全部届いたよ。まだ効果は出ていないが」
「一朝一夕で出る物じゃない」
「分かってる。まあ俺達はギル様を信じてるよ。それより……」
イグナーツは眉間に皺を寄せ低く声を落とす。
「王都でおかしな事が起きている。もう聞いたか?」
「怪しげな行動を取る連中がいると聞いた。突然暴れたり叫んだり……今カイルに調べさせている」
「ヤバいものが流行ってるって噂だ」
「ヤバい物……?」
「なんでも、苦痛取り除く奇跡のような妙薬ってものがあるんだとよ」
「苦痛を取り除く……」
他国で流行っていると聞き、調べたことのある植物が脳裏をよぎった。乾燥させ、その粉末を吸い込んだり飲んだりすると身体の倦怠感や苦痛が軽くなるという。
最初は病の苦痛を取り除く為に使われ始めたと聞くが、その国では徐々に現実から逃避するための娯楽として使われ始めた。
強い依存性があり、乱用すると興奮や幻覚を引き起こすという。
最初こそ歓迎されたものの、依存性から抜け出せなくなった国民が増え、生産性の低下や二次犯罪の増加で社会問題にまで発展していると聞いた。
「……厄介だな。どこで流行っているか分かるか?」
「行動がおかしくなった奴は至る所にいるよ。ただ、会話すらままならないんだ。このスラムを取り仕切る俺の所に話が来ない時点で、発生源は北側だと思う。薬なんて売ってたら報告する前に調べてるさ」
「北か……」
北側は貴族や富豪の住む地区だ。
ようやくトリスカ国から例の物を取引できたばかりだというのに、嫌な胸騒ぎがした。
「もし、何か分かったら知らせてくれ」
「仰せのままに」
「あと、あまりちょっかいをかけるなと周囲に伝えろ。今日は妻とデートなんだ。邪魔をされると」
「あんたの妻ならさっき立ち上がって何処かへいったぞ」
「え……?」
振り返ると、ベアトリスが忽然と消えていた。
俺の背後で妻が消えるのを見送ったイグナーツの胸ぐらを掴み掛かる。
「どこにいったんだ!!」
「知らねえよ! 路地裏に消えてった!」
イグナーツが指を指したのは王都の南に向かう路地。
まだ整備が済んでいないスラム街へと続く道だ。
まさか……愛想を尽かして!? 背中を冷たい汗が伝った。




