11話 元聖女と計画の協力者1
突然現れたレイヤード。
第一王子アルフレッドと同じ母を持つ、この国の五番目の王子。
彼が不意に姿を見せたことで、一瞬だけ思考が奪われた。
その隙を、ベアトリスは見逃さなかった。するりと俺の手をすり抜けると、彼女はドレスの腰布の一部に仕込んだ短剣を引き抜く。
そのまま、俺のすぐそばにいるレイヤードの腕を掴み、自身の背後へと力任せに引き寄せた。
「レイヤード王子から、離れてください!!!」
突きつけられた短剣。
その刃の先は真っ直ぐに——俺を向いていた。
「なんで俺!?!?」
「王子に近づかないで!」
「いや、俺も王子だし、近づいてきたのがこいつだ!!」
俺が! 君の! 夫!!
庇うべき相手が違うだろ!
当のレイヤードは、ベアトリスと俺を何度も見比べながら「え、えっ!?」とただ困惑していた。
僅か一歩で届く至近距離。刺激しないよう、彼女の向ける剣先に手のひらを向ける。
「ベアトリス、完全な誤解だ。剣をしまえ」
「誤解……? だってレイヤード王子は」
「第一王子の兄弟だからな。言いたいことは分かる。でも別に……」
言いかけたその瞬間、ベアトリスの纏う魔力がごっそりと減っていることに気がついた。
ベアトリスも意識していなかったのかもしれない。無意識に魔力を精霊に渡したことに気づいた彼女が「あっ」と目を見開いた。
本能的な危機感。
咄嗟に一歩下がると、ズボンの裾を枯れた蔦のような何かが貫いた。硬い芯でも通っているみたいに、力任せに引き抜くことも折ることもできない。
――まずい。
ベアトリスに向けた注意を、周囲に広げた。
懐に忍ばせた魔術書や衣装に仕込んだ魔法陣をいつでも発動できるよう意識を集中させる。
「兄上! 逃げて!!」
緊迫した空気を破り、レイヤードが叫び声を上げてベアトリスの持つ短剣に飛び掛かった。
彼はベアトリスが強く握りしめていた短剣の柄を、力一杯、横から弾き飛ばす。
「うわっ……!?」
ベアトリスの手から離れた短剣は、鋭く回転しながらこちらへ飛んできた。
俺は上体を大きく反らし、間一髪のところでその刃を回避する。
「兄上っ……!」
レイヤードはきっと、純粋に俺を庇おうとしたのだろう。短剣を弾いた勢いのまま、彼は俺に向かって全力で飛び込んできた。
すでにナイフを避けたことで崩れた重心。蔦のせいで身動きの取れない無防備な俺の胸元に、レイヤードの頭が直撃する。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「兄上……大丈夫ですか? 僕、そんなつもりじゃ」
「大丈夫だから気にするな」
痛い。
身体を起こし地面に座り込んだ俺を、レイヤードが覗き込んだ。完全に動揺し狼狽えている。まぁ、今回ばかりは死ぬところだったから当然か。
レイヤードのタックルで後ろに倒れ込む刹那、後頭部に迫る巨石を視界に捉えた俺は、咄嗟に上着のボタンに仕込んだ風の魔法陣を真下に向けて起動した。
方向性も威力も考えず、地面に打ちつける身体の向きだけを変えるために爆発させた風圧。
そのまま倒れ込んでいれば、きっと頭を石に打ちつけていたに違いない。たぶん死んでた。
「…………大丈夫?」
声と共に白いハンカチが頬に当たる。
ベアトリスが、俺のすぐそばで腰を下ろしていた。
「……呪わなくていいのか」
「ちょっと……やりすぎたの」
え、待って可愛い。しょんぼりしてる!
ベアトリスは俺の頬についた土を丁寧に拭った。
拭われたところに熱が集まる。そのせいで、いつもの悪い癖が顔を出した。
「トドメを刺すなら……今だけどな」
「貴方に死んで欲しいわけじゃないから。それに……誤解していたの」
ベアトリスは俺とレイヤードを交互に見比べた。
現王妃の産んだ正当なる第五王子のレイヤードと、婚外子として冷遇されてきた狂王子の俺。
ドロドロとした王位継承を巡る派閥争いの中で、本来なら、絶対交わらない歪な関係。
「まぁ、当然か。お互い殺し合ってもおかしくない間柄だからな」
「でも実は、兄上と僕は仲良しなんです」
「……っ!!」
レイヤードの屈託ない笑顔に、ベアトリスの肩がびくりと震えた。あまりのバツの悪さに視線を逸らす。
その可愛さに毒気を抜かれた俺は、宥めるように彼女の小さな頭に手を乗せた。
「気にしなくていい」
優しく声をかけた瞬間、飛び込んできた虫が、バチッ、と音を立てて手の甲を直撃する。
地味な嫌がらせのような不運が、拒絶されているみたいで普通に悲しい。
「表向きには関わりのないよう見せかけていますからね。でも定期的に周囲の目を掻い潜り逢引きしているんですよ」
「レイヤード! 言い方っ!」
あらぬ誤解を生む言葉を使ったレイヤードを怒鳴りつけた。レイヤードはクスクスと楽しげに笑いながらゆっくりと立ち上がる。
服についた土や葉を軽く払い落とすと、彼はベアトリスに向かって完璧な王族としての礼を見せた。
「お騒がせいたしました。改めて、第五王子レイヤードです。私的な場所でお目にかかるのは初めてですね、ベアトリス嬢」
「そんな、私に礼なんて!」
「あはは。兄上が選んだ人なのですから、当然ですよ。遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
「お二人は……ずっと親交がおありだったんですか?」
まだどこか信じられないというように、ベアトリスが俺に視線を向けた。「こいつと?」とでも言いたげ懐疑的な目に、今度は心が負傷する。
そんな彼女に対してレイヤードは笑顔で頷きを返した。
「はい。もうずっと。ほら、僕は五番目の王子ですから……年も少し離れていますし、王位継承権なんてないようなものです。そんな僕に、寄り添ってくれたのはギルバード兄上だけだったから……」
「そんな風に……自分を落とすな」
「へへ、すいません」
いつものように無邪気に笑うレイヤードの前で、ベアトリスはただ呆然と立ち尽くしていた。全てを見透かしたように、確信をもって俺を睨みつけていた瞳が動揺で揺れている。
なぜここまで戸惑っているんだ?
頑なに伏せられた、彼女の行動の真意。
掛け間違えたボタンみたいに違和感だけが募っていく。
その時、ベアトリスが弾かれたように突然立ち上がった。
すぐに太陽の位置を確認し、切迫した声を上げる。
「私……行かなきゃ!」
「え、どこに?」
「馬車を借りるわよ!」
一切の説明もなく、ベアトリスは扉を開けて王宮の中へと消えていく。馬車を借りるということは、王宮の外に出るつもりだ。
貸すなんて! 言ってないのに!
「ベアトリス――!」
「兄上、先にこちらを。これを渡すために探していたんです」
追いかけようとした俺の裾を握って引き留めたのはレイヤードだった。差し出したその手には、小さく折り畳まれた羊皮紙が握られていた。




