10話 元聖女と大陸精霊祭3
「……やってくれたな」
「何の話でしょう?」
「魔力が減ってる。その言い訳は少々苦しいんじゃないか?」
ベアトリスの頬を指で挟んでこちらに顔を向けた。
喧騒に紛れた鈴の音が、ケタケタと笑っているように感じるのは気のせいではないはずだ。
彼女は頬が潰れた間抜けな顔のまま微笑みを浮かべ、俺から視線を逸らす。
「……カイル! ベアトリスの側にいろ。国使はこちらへ」
「嫌ですわギルバート様。妻を放り出して何を企んでおいでですか?」
俺の腕を掴むベアトリスの指先に力が籠った。
嬉しいけれど今じゃない。
背筋を走ったのは悪寒だった。他の繋がりは全て見逃したくせに、ここぞとばかりで手を打ってきたのだ。
まさか、計画の全てを察してる?
何故? どうやって?
「ただ国使を心配してるだけだ。情けない姿を衆目に晒しているからな」
カイルを呼びつけ嫌がるベアトリスを無理矢理託すと、貴族達の視線が俺に集まっていた。
当然だ。
狂王子が、トリスカ国の国使に親切をするなんて。
この国と緊張状態にあるトリスカ国。
理由は当然、聖女取引が関わっている。
一年の半分は雪に覆われてしまうトリスカ国は我が国が求める利益をこれまで満たせなかった。聖女という恵みも与えられず、トリスカ国は周囲に比べ常に苦しみの中に身を置いていた国だ。
その苦しい生活を改善しようと発展した蒸留技術——
それは長い時間をかけて、強力な燃料や爆薬となり今のトリスカ国を支えている。聖女の力以外で豊かになる方法を見出した国に、聖女なんてますます派遣されるはずもなく、二国間の関係は悪化の一途を辿り続けているのだ。
だからこそ、狂王子である俺が取り込めた。
他の王子では絶対できない裏取引。
でも、俺との繋がりは公表されるべきじゃない。
まずいんじゃないか、と国使が視線で訴える。
まあ、ズボンが破れていることもまずいが、俺とあからさまに接触することもまずい。視線だけで交わし合う言葉のないやり取りの末、国使は機転を効かせた。
「いや……私は大丈夫です……」
「なんだ? トリスカ国はこの王子の親切を無碍に扱うつもりか?」
「そ……そんなわけでは!!」
嫌がるそぶりを見せた彼に、俺が強要する。
カイルがベアトリスを抑えた。周囲の貴族は誰も止められない。
そう思ったが、視界の端でベアトリスの魔力が動いた。
僅かに減った魔力の痕跡に神経が張り詰める。
物も、人も溢れてる。
何が起こるか予想もできない。
その瞬間、必死に首を振る国使の頭からズルリと髪が動いた。
その髪は風に乗ることもなく、重力にしたがってファサリと地面に落下する。
か……カツラァァア!!!
え、何?
何の嫌がらせ?
国使の尊厳を奪って何がしたいんだベアトリス!
いや、俺が接触しないよう阻みたいのだということは分かっている。ただ、あんまりじゃないか!
凍りつく空気。
え、ズボンが破け、カツラが落ちた国使を庇うの?
狂王子であるこの俺が?
「……っ! こちらへ来い!」
乱暴に彼の腕を掴んだ俺は、奇術師のように素早い手つきで、必要な情報を彼の袖に滑り込ませた。
彼からの情報も受け取らなくてはいけないが、注目を集めてしまっている以上難しいと判断したらしい。ハゲ散らかした国使は涙目で訴えながら小さく首を振った。
どうする……?
死角さえ作ればなんとなるはずだ。
このまま無理矢理を装って連れ出すか?
彼は辱めを受けてもなお、確実に情報を渡さんと必死に周囲の視線に耐えながら機会を窺っている。忠臣の鑑のような男。
自然に、違和感なく連れ出す方法は——?
「ギルバート王子。国使はこちらで対応させていただきますよ」
「マクスベル王子……」
焦る俺に追い打ちをかけるように、新たな邪魔者が現れた。
第四王子マクスベル。
王家の集まる壇上近くにいたはずの彼が、どうしてここに。
「ギルバート王子のお手を煩わせることもないかと声をかけただけです。王子の離宮は遠いでしょう?」
「何か含みのある言い方だな」
「いえ、トリスカ国が面倒事にでも巻き込まれては、と気を利かせただけですよ」
俺がトリスカ国に無茶な要求でも突きつけようとしているかのような、不穏な言葉を吐いてマクスベルは笑みを深めた。国使は手を尻に当てたまま、ブンブンと首を振る。
第四王子のハッタリだ。気に留める必要はない。
国使の腕を離し、ゆらりとマクスベルに歩み寄る。
「必死だなマクスベル」
「五カ国の平和が乱されることは阻止しなくてはなりませんから」
「まあ内政で力を示すことができないのだから、このような場で少しでも点を稼ぎたい気持ちは分かる」
マクスベルにだけ届くその距離に顔を寄せ「無能も大変だな」と呟いた。マクスベルの顔はみるみるうちに赤くなる。
「……っ! 上手くいくと思うなよ!」
マクスベルは尻が破けた国使を連れ、王宮の方へと向かった。彼のカツラは地面に残されたままだ。
周囲は気まずげに視線を逸らす。その中で、マクスベルの従者がカツラを拾い上げ二人の後を追って駆けて行った。
上手く躱せたはずだ。
しかしこれで大陸精霊祭の間、トリスカ国の国使に接触することはできなくなった。ベアトリスはカイルに腕を掴まれたまま、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「……これで俺を阻止したつもりか」
「もちろんです……ひゃっ!」
小さくため息をついて、彼女を抱き上げた。
どこかに隠しているだろう短剣で刺されないよう、彼女の手首を掴んだまま。
どれほど騒ぎ立てても、俺を止める人間なんて現れない。トリスカ国とは違い、成り損ないの聖女を助ける善人なんていないからだ。
カイルには、この場に留まり情報を集めるよう視線だけで指示を出す。
俺はベアトリスを担いだまま、会場から抜け出した。
あの日、王宮から抜け出すために使った人気のない回廊と使用人の通路を使い分け、今は使われていない古い木の扉から外に出る。
咲き誇る花と貴族達の放つ香水が入り乱れていた鼻腔に、新鮮な空気が浄化するように通り抜けた。眼下に広がるのは、初夏の日差しを反射して波打つ広大な森の絨毯。そのはるか先に城壁が地平線の如く伸びている。
この王宮を一言で表すなら鳥籠だ。
中央に高く聳え立つ王宮が、広大な敷地で精霊の住まう神聖な聖地の保護という名目のもと聖なる泉と聖女候補が住まう教会を抱きかかえている。
当初の精霊信仰は廃れ、長い歴史の中で教会組織はすでに国へ取り込まれた。聖女は国有化され、その力は国が掌握している。
それらを取り囲むよう五角形に配置されているのが王子の離宮だ。俺の離宮は王宮からも、街からも、聖なる泉からも最も遠い場所にあるが、まあそれは別の話。
俺は手首を掴んだままベアトリスを下ろし、城の壁へと押しやった。ベアトリスは身を引こうとしたが逃げ場はない。
あの日の約束が脳裏をよぎった。
もう聖女で亡くなったベアトリスに、あの約束は必要ないのかもしれない。
奥歯を強く噛んで、胸に巣食う虚しさから意識を逸らした。
「めちゃくちゃにしてくれたな」
「思う通りにさせないと言ったでしょう?」
「――っ! 全部壊すことはもう、俺の望みでもあるんだ」
口に出して、もう一度自分の心の行き先を定めた。
ベアトリスのためになんて言葉を、彼女に押し付けるつもりなんてない。あの日の約束を果たしたいと願うのは、俺の勝手なエゴだ。
ベアトリスの目元がぴくりと震える。
「……なんの話ですか? その言い方じゃまるで、私が望んだみたいな」
やっぱり、覚えてないよな。
ふと自嘲した笑みが溢れ、堪らず俯いた。
「ギルバート様……?」
ベアトリスの声が揺れてる。
彼女は今、どんな顔をしてる?
見るのが怖い。嫌悪されていたら?
俺は、これからどうすればいい?
感情がグラグラと揺れる中、不意に近づく足音を鼓膜が捉えた。
「あーにーうーえーっっ!!」
その音に視線を向けるよりも早く、横から弾むような衝撃が飛び込んできた。
横から身体ごと抱きつかれるような、強い衝撃。
もう聞き慣れた、突き抜けるように明るい声。
第一王子とよく似た、輝くような金の髪が俺の肩先でふわりと揺れた。その衝撃に視線を落とせば、快活な青色の瞳が、すぐ間近から俺のことを見上げていた。
「レイヤード……追ってきたのか!?」
第五王子レイヤード。
俺の隠れた協力者がそこに立っていた。




