エピローグ
「――それで、結局、どういう終わり方をしたんだ?」
リュー・ノークランはひときわ強い列車の揺れに顔をしかめながら、問いを放った。
時刻は早朝。場所は鉄道列車内の一室。食堂車の役割を持つ車両だ。
僕ら以外の客はおらず、広い車両にいくつも設置された四角いテーブルのうちひとつを、僕ら四人で占有している。
「どう、とは?」
聞き返すのは、同じく車両が揺れるたびに身体の痛みに顔をしかめる青年――エドガー・鬼島。
「俺は見ていなかったからさ。俺、暁之宮のお嬢様――あー、リリィ先輩に魔力回復薬手渡してから、俺自身の回復のために寝てたし。起きたら全部終わってんだもん」
「あの、ノークランさん? 貴方、どうしてわたくしのことを先輩と呼びますの? 同い年同い年」
「いや、前世の年齢と合計したら先輩だから、そのほうがいいかなって……」
前世と合計したら完全に老人なのでやめてほしい。
というか、前世と今生はまったく別――とは言わないけれど、あくまでも記憶という情報を持っているだけで、リリィ・暁之宮とはやっぱり別個の生命だったのだ。
「あと、なんかリリィ先輩って呼びやすいし」
「それは同意するね。私もリリィ君のことは先輩と呼んでみたいものだ。――体育倉庫の中とかが望ましいね! 視聴覚室でも可!」
「とりあえず、あんたのことは変態先輩って呼ぶことにする」
「ははは、せめて百合先輩とかにしてくれないかい……?」
「百合先輩は生徒会長の百合厨先輩と被るから。呼び名はわかりやすくないとダメじゃん」
「おいこらノークラン、僕のことを百合厨先輩と呼ぶんじゃない。いいか、一口に百合厨と言ってもだな、良い百合厨と悪い百合厨がいてだな――」
などと、馬鹿な会話を繰り広げながら、僕は実感する。
――うん。
生きている、と。
☆
終わり方の話をしよう。
おりん・スチュワートと玲王・暁之宮は、死亡した。
最後、炎に包まれながらもふたりで【薬祖神】を起動した彼らは、その祓いに特化した大儀式によって亜理紗から死という穢れを祓ったのだ。
そのおかげで亜理紗は回復し、しかし、おりん・スチュワートと玲王・暁之宮――僕の両親は死亡した。
「魔術の才能があるからといって、市井の女と華族の当主ですもの。その恋が実っても、どうしても世間の目がありますわよね。結婚という風にはいかなかったのでしょう」
うすうす勘付いてはいた――十六年間、僕はふたりを見続けてきたのだ。それくらいはわかる。
「亜理紗も勘付いていたのですわよね?」
「髪色と目の色、属性まで同じとなれば、単純な推理は成り立つさ。偶然という可能性もあったけれどね」
「おりんさんがリリィ先輩のお母さんだったから、一応友人である俺が見逃されたってことなのかな? 俺、街道で自爆した後、おりんさんに回復薬渡されてさ。『どこへなりとも行け』って言われたから、とりあえず追いかけるかってことで列車乗って奈良に来たんだけど」
「あー、その列車、たぶん僕も乗っていたやつじゃないか? 縛られて貨物輸送状態だったけど」
「たぶん、そうだと思う。――彌生さん、どうだろうか」
と、エドガーが問いかける先は、机の横。小袖を着て袴を履いたの上からフリル付きの白いエプロンをつけて控える女性がいる。
彌生さん。暁之宮という性に雇われている彼女は、お父様が亡くなったことを確認すると、ひとつ頷いてこう言ったのだ。
『暁之宮当主には返しきってない恩がございますので、これより貴女に仕え、返そうと思います』
そういうわけで、彼女はここにいる。
「どうでしょう。私にもわかりかねます。私はただ、エドガー様を運んだだけですし……どの時間の列車に乗ったかは、後程確認いたしましょう」
「いや、そこまでする必要はないよ。少し気になっただけで――。気になるといえば、彌生さん。最初から儀式場が奈良に作られていたなら、リリィを東京にとどめようとする意味はなかっただろ? どうしてとどめたんだい?」
「本来の予定ですと、私がリリィ様を抑え込み、反抗する心を折った上で奈良にお連れする予定でしたので。お嬢様は良くも悪くも予想を裏切る方ですし、単独行動させるよりもそうしてお連れするほうが安全と判断いたしました。上手くは行きませんでしたが」
――そうでもありませんわよ。
実際、僕の心は折れていた。
エドガーに叱咤されるまでは、本当に、亜理紗のことを諦めようとしていたのだから。
ああ、そうだ。
東京に着く前に、ひとつ、しておきたいことがあったのだ。
「あの、皆さま? 少し、一服よろしいかしら」
僕は懐から煙管を取り出し、聞いた。
形見である。長くて細い管と、美麗な細工を施された金属製の火皿と雁首が美しい。
――お父様が贈ったのでしょうか。
きっとそうだ。
全員が揃って頷いたので、僕は慣れない手つきで糸状に切られた煙草の葉を詰めて、魔法で火をともし、吸った。
「――は」
と、煙を吐いてみる。
「それで、どうだい?」
煙の向こうから、亜理紗が聞いてきた。
いろいろな意味が込められている気がするけれど、とりあえず、今はこう答えよう。
「よくわかりませんの」
☆
列車が東京に着いたのは、深夜であった。
僕らはそろって爆睡していたので、道中の記憶はほとんどないけれど、ともあれ。
「――ようやく、一件落着といった感じかな。家に帰るまでが遠足――と言うなら、この件も、屋敷に戻るまで終わらないのかもしれないけれど」
「そうだな、俺も早いとこ竜太郎に顔見せて安心させてやらないと」
「僕も両親にいろいろ報告しないと……面倒くさいが、まあ、これも華族の宿命か」
そのとき、ぐう、と音がした。
「……誰?」
「僕じゃないぞ」
「私でもない」
「俺でもない」
なら、と揃って彌生のほうを向くと、彌生は素知らぬ顔で言った。
「私は皆様がお眠りの間、ちゃんと食事をとりましたので」
「……まあ、誰でも一緒ですわね。おなか空いているでしょう? 皆様」
僕は、ふと思い立って、提案してみた。
――ええ、きっと今なら。
足りない味がある。それは依然、解決していない。
けれど、一緒に食べる人がいるならば――足りないものも共に補いあって生きていけるだろう。
僕はぎゅっと、亜理紗の手を握った。彼女は少しだけ驚いたように表情を変えて、微笑んだ。
「ひとつ、ご提案なんですけれど、それぞれ帰る前に、一度わたくしの屋敷にいらっしゃいませんこと? 御馳走したい料理がありますの。まだまだ研究途中で、物足りないところもあるでしょうけれど――一緒に食べてくれたら、それらもきっと解決できますの」
思い描くのは、白と黄金が混ざった魅惑のスープ。
緑のほうれん草、黒の海苔、茶色のチャーシューが乗った武骨な見た目。
ぶつりとした食感の中太麺をすする音――。
両親のこと。
前世の記憶のこと。
これからのこと。
いろいろ、気持ちの整理がついていないし、すべきこともたくさんあるけれど。
なにか食べなきゃ、始まらない。
画面に映らない、その外側でだって、生活がある。
シナリオの外で進む時間がある。
僕みたいな悪役だって、腹が減ればご飯を作るし、友人や愛する人と美味しいものを食べたいときだって、もちろんある。
「家系ラーメン、食べてみたいと思いませんこと?」
高めあうなら。認め合うなら。
僕のような悪役のロールに縛られた馬鹿でも、幸せが認められる場所があるなら――それほどに、素敵な空間を作り上げられるなら。
この食卓を、こう呼ぼう。
――僕の厨房と。
一章・了