田園風景
黄金色に色づき始めた麦畑と緑の牧草地が織りなす壮大なパッチワーク。それが地平線いっぱいに広がる光景は、何とも牧歌的なものでした。
牧草地では鮮やかな白黒斑の乳牛がのどかに草を食み、麦の穂の合間では赤いケシや薄青の矢車菊がさりげない彩りを添える――そんなとても穏やかな景色の中を、今僕とレオニールは歩いています。
一応胴長の短足竜も僕の首に巻きついていたりするのですが、これのことはもう気にしたら負けだという結論に達しました。
まあ、ほとんどの時間は眠っていますから、寝た子を起こさないことを心がけさえすれば僕の精神の平穏は保たれます。肩こりや腰痛にならないように、身体の重心や筋肉の使い方を最適化する必要があるといえばあるのですが。
「典型的な田園風景、ですねぇ」
「ああ、俺が何よりも大切にしている景色だ」
ここはマテアス南部にあるレオニールの所領のひとつで、これからここで件の教皇との極秘会談が行われるのです。
この会談は、先日僕がウロボロスの姦計に嵌って意気消沈している間に、紅が協会の許可を得てさっさとお膳立てしてしまったものなので、僕としては正直未だに現実感が持てていません。
大人の礼儀として、一応手土産の準備だけはしてきていますが。
僕が右腕に下げたバスケットの中には、アボカドに目がないという教皇のためにアボカドとトマトのキッシュやらアボカドとアンチョビのディップ、アボカドとグレープフルーツのサラダなどなど、結構な量の料理がぎっしりと詰まっています。
相手の情報が『職業:教皇』とレオニールの伯父であること以外、『アボカド好き』しかなかったのでこんなことになってしまいましたが気にしない。
だって僕とマテアス教皇のその他の接点と言ったら、めちゃくちゃ血生臭くなってしまうじゃないですかっ。
これで和やかな食事会になってくれればいいのですが……。
そんな僕の心配を余所に、会場となる領主屋敷(と言いつつも、その実態は単なる領主直営の農場)を提供してくれたレオニールは、十代の頃から管理してきたというこの農村地帯にきてからずっと誇りと愛情に顔を輝かせています。
しかしそんな彼の視線がふとある一点に留まりました。
その目線を追っていった先には、一頭の牧羊犬とそれを取り囲む数頭の羊。より正確に描写しますと、羊を統率するべき牧羊犬をぐるっと取り巻いてタコ殴りにする羊の一団。
前言撤回。典型的な田園風景にこんな暴力シーンはありません。
「あれは……?」
その光景のあまりの異様さに思わずレオニールの方を見れば、その顔にはひとかけらの動揺もなく、口元にはむしろ満足感そうな微笑みすら浮かんでいます。
「あれはこの地方の名産の『下剋上羊』と言ってな、俺が幼小の頃から鍛えて品種改良までした自慢の羊たちだ。あれを見るとここに帰って来た実感が湧くな」
「すみません。なんでそんなことをする必要があったのか聞いてもいいですか」
人間は羊を統率するために牧羊犬を訓練して飼育しているはずです。なのに自ら羊の扱いを難くしてどうするのか。何がしたいのか。僕にはさっぱり理解できません。
「ひと言では言い尽くせない理由が色々とあったのだが、強いて挙げるなら退屈だったから、だろうか」
「はい?」
「ここには畑と牧場しかない田舎だろう?この土地の管理を任された時に、あまりの娯楽の少なさに辟易としてな。ついでに農業以外での発展も視野に入れろと言われていたのもあって、地域おこし的に何かできないかと思ったんだ」
「はあ」
「それでまずはこの土地に伝わる牧羊犬の文化に目を付けたのだ」
確かにマテアスのこの地方では、一頭ないし二頭の牧羊犬を使って羊の群れを移動させたり囲い込んだりするそうです。
熟練の羊飼いとその愛犬の絆は、時には長年連れ添った夫婦のそれを上回るなどという冗談のような、それでいてよく近隣の町で小耳に挟むような熟年夫婦の事情を考えればさもありなん的な話を聞いたこともあります。
「それで羊飼いと犬がいかにスピーディーに羊を統率できるのかを競う大会を開催して、それを公営賭博として新たな財源にしようという試みに着手したのだが、それだといささかのんびりし過ぎていて盛り上がりに欠けてなあ」
前言超撤回。ここはまるっきり不健全な農業地帯だったようです。人間種の発展志向怖いよ!のんびりでいいじゃないですか!ビジュアルだけは大作曲家の交響曲の題材にでもなりそうなくらいに美しいのに……!
「それで牧羊犬に対するハードルを上げるために、反骨精神旺盛な羊を選んで品種改良していったら、一部の羊が下剋上を起こしてな。でもそれを見た農民は、諦めないで頑張れば草食動物の被捕食者としての業すら打ち砕けると気付き、人生に希望を持つようになったのだ」
一連の話の着地点は、なんとも微妙な美談もどきでした。
牧羊犬をタコ殴りする羊がどうアクロバティック回転すればここに着地するのか、正直狐につままれたような気持ちです。
やっぱり人間種ってよくわからない。いや、それともレオニールやその周囲の人びとがおかしいだけなのか。
と、そんなことを考えているうちに、僕たちは領主屋敷の入口に差しかかっていました。
大きなコの字型の典型的な農家づくりの母屋に、それをぐるっと取り囲むように作られた厩舎や作業小屋の数々。
しかし正面入り口の横には明らかに農家には似つかわしくない、貴族的な馬車が停められており、会談の相手が既に中にいることが伺えます。
いかん。今まで現実感などないままにふらっとやって来てしまいましたが、なんて挨拶すれば良いのか考えたら急に緊張感が胃を圧迫しはじめました。
『数千年間対立してきましたが悪気はなかったんです。ご理解ください』?
『今までいっぱい虐殺してきましたが、これからは基本無害ですので』?
これまで魔王を廃業したという前例がないので、対立していた人間種相手にどんな態度で振る舞えばいいのかわかりません。
そもそもリグヴァルド様の信者相手に、その主神の部下的存在として名乗り出ていいのかどうか、そこら辺ももっと真剣にみんなの意見も聞いて準備してくれば良かった!
後悔先に立たずとはまさにこのこと。
この日、胃の中に鉄の塊を放り込まれたかのような緊張感と共に、僕はレオニールの先導で領主屋敷に足を踏み入れたのでした。
更新滞っているのに見捨てずお読み下さって、本当にありがとうございます。
未だに多忙が続いている上に、ちょっと無理をしすぎて体調も崩れ気味で、我ながら常にも増してどうしようもない文章にしかなりませんでした(汗)
時間に追われているのもあって、動かないストーリーに他でもない私が一番焦れていると思うのですが、呆れず気長にお付き合いいただけますようお願いします;;




