卵
前回訪れた会議室のテーブルに置かれたその卵は、今までに見たどんな生物のそれとも違う不思議な存在感でもって僕の目を引きつけました。
球形の下半分を柔らかな毛布に包まれた卵は、全体的に緑がかった金属質の輝きを帯びており、その滑らかな曲線を描く表面は鱗瑛とブレイズフィールが描き込んだのであろう呪術的な文字や記号に覆われています。
それはさながら複雑かつ精緻な魔力の綾が織りなす、一個のの芸術作品でした。
「これはまた……」
「すげぇな」
言葉もなく魅入られたように卵を見つめていた僕の隣で、紅や翠も感嘆の声をあげています。でも気になることがひとつ――。
「それにしては鱗瑛とブレイズフィールの様子がおかしいんですが」
肝心の卵の制作者たちは、なぜかテーブルに両肘をついてがっくりと項垂れたまま微動だにしません。
「すまねぇ、なんかしくじったわ」
顔を覆った両手の隙間からブレイズフィールが声を絞り出しました。状況は分かりませんが、嫌な予感だけはてんこ盛りです。
「と言いますと?」
できればこの先を聞きたくない。そんな無意識の願望のせいか、協会の事務方役人のような白々しい返事が口をついて出てきてしまいました。お願いだから大したことない内容だと言って。
「その卵、何が孵るのか僕たちにもわからないんです」
ですが無情にも、現実逃避するかのようにテーブルに突っ伏した鱗瑛がとんでもないことを言い出しました。
「最初から説明をお願いします」
「ドラゴンと龍の生体コードを組み合わせて、新しい素体を作ったところまでは良かったんだ」
「そこに依頼されていた守護者としてのスクリプトを書き込もうとしたのですが、この卵は僕たちの指示を自分で勝手に書き替えてしまうんです」
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な声が飛び出しましたが、この話は声どころか眼球が飛び出してもいいレベルの内容だと思います。
だって未だに自我も確立していない卵が、自分の上位存在である竜神ふたりの指示を、中指を立てる勢いで突っぱねているわけですから。
「それがわかったのは人化能力の設定を弄っていた時だったんだが……ほら、この前人化はさせない方向でって言ってただろう?」
そう、人間種とコミュニケーションを取れるようにしてくれとお願いしたものの、意思疎通があるということは、お互いに好意も抱きやすくなるということでして。
領域の守護者に人間と恋仲にでもなられたら困るので、人型にはなれないなどといった制限をいくつか設けてもらったのです。
「その設定値はゼロにしておいたのに、翌朝になったら解除されていた上に人化時のパラメータ設定まで書き込まれていて……」
そう話す鱗瑛はもう半分涙目です。何なの、この真夜中の小人さんみたいな卵。
「それでまたスクリプトを書き直して観察していたら、卵の内部からの干渉で指示式や陣がどんどん書き替えられていくんです」
「何が孵るにせよ、コイツは人化した時には青みがかった銀髪の大層な美形になるらしいぜ」
いや、そんな自棄になって放り出すかのように言われましても。
あまりにとんでもない話に、みんな何と言っていいのかわからない様子です。気まずい沈黙が、空気を物質化させる勢いで会議室を重く満たしました。
とは言え、黙りこくっていても状況が好転するはずもないわけで。まずは必要な情報を少しずつ整理していくしかないのでしょう。
「――とりあえず、これは守護者たりえる存在ではあるのですか?」
「特定の領域と結び付くためのコードは確認しましたから、守護者ではあります。ただその領域を指定するコードが解読できませんでしたので、この存在が『何』を領域と認識するのかは不明です」
竜言語の専門家であるふたりが解読できないコードって、嫌な予感しかしないのですが。
「あなたたちに読めないコードがあるということは、この卵は竜種ですらないかもしれないということですか?」
「いや、素体にはドラゴンと龍のコードしか使ってないから、それはないはずだ。だがこの卵を見ればわかるように、あまりにも膨大な数のスクリプトが複雑に絡み合っていてな……」
苦虫を噛み潰したかのような表情のブレイズフィールの視線の先にある卵は、確かに表面をびっしりと精緻なコードで覆われています。
「これが全部解読できれば、この生物の生態から一生分の行動パターンまで、すべてが手に取るようにわかるはずなんですが……」
深い困惑を滲ませながらがっくりと肩を落とす鱗瑛を見れば、解読がほぼ不可能に近いことが察せられました。
「うーん……孵化するまでにどれくらいの余裕がありますか?それまでにできるだけ解読を進めてほしいのですが」
これは考えたくもない可能性ですが、最悪の場合――この卵の中身が制御不能な力の塊であった場合、何らかの被害が出る前に廃棄を検討するよう迫られることだってあるかもしれません。
でも仕事とはいえ、僕のエゴによってこの世に生まれ落ちようとしている命です。
できることならこのまま役目を全うしてほしいですし、それが無理でもコードの解読を進めることによって、何らかの形で共存を模索できればと祈るばかりです。
「まだもう少しは余裕があると思うぜ。ここを見てくれ。他は全部びっしりコードで埋め尽くされているのに、ここの一か所だけぽっかりと空白だろう?」
そう言ってブレイズフィールが卵を覆っていた毛布をめくって見せると、そこにはちょうど親指と人差し指で輪を作ったくらいのスペースが未記入のままになっていました。
「ここのコードが埋まった時が孵化の準備ができた時だと思う」
「ああ、なるほど……しかし本当に美しいですね」
僕がそう呟いて手を伸ばし、卵の空白部分に指の腹を滑らせた瞬間――。
「なっ!?」
卵に触れた指先を中心に銀の光の魔法陣が展開し、膨大な量の魔力が僕の中から吸い取られるのを感じました。
「早く!手を離してくださいっ!」
鱗瑛の鋭い叫びを聞くまでもなく、頭ではそうしなければと思うのに、なぜか体は一ミリたりとも動いてくれません。その間にも、卵の空白だった部分は僕の魔力を吸って次々と新しいコードで埋められていきます。
「ヤバイッ!」
それを見たブレイズフィールが卵との接触を断たせようと僕の腕を掴みますが、銀色の光に弾き飛ばされて床に崩れ落ちました。
そして為すすべもなく僕が立ち尽くす間にも卵の空白部分は小さくなっていき、やがて最後の一文字と思われる記号がその中心に納まった瞬間、ぴしりという音と共に黒い亀裂が魔法陣を切り裂いたのでした――。
いつもお読み下さってありがとうございます。
こんなにも読みにくい物語にお付き合い下さっている方々に、言い尽くせないほどの感謝と申し訳なさを感じる日々です。
少しでも読みやすくせねばと思うものの、いざ改行を増やそう、文章の長さを変えてみようと思うと、唐突に物語の雰囲気が変わる気がしてためらっておりますorz
このまま最後まで突っ走るべきか悶々としている毎日ですが、反省だけは山ほどしておりますので……!
もうしばらくお付き合いいただけますと喜びます。




