バックロード
あれから翠に応接室に運ばれて、長椅子の上に寝かせてもらいました。
激しい頭痛と目眩に正直このまま意識を手放してしまいたい誘惑に駆られますが、確認しなければならないことが山積みです。しかもリグヴァルド様以外では僕にしかできないことですから、へたばるわけにはいきません。替えのいない仕事って時として本当に辛いですよね……!
「先輩、お水持ってきました」
心配そうに眉を落とした萌黄が、口元に水の入ったグラスを差し出してくれます。受け取ろうと手を伸ばしたものの明らかに震えておぼつかないその様子に、萌黄は僕がひと口飲む間ずっとグラスを支え続けていてくれました。
水の清らかな冷たさが、まるで体内に渦巻く不快感を洗い流すかのように食道を滑り落ちていき、僕は少しだけクリアになった意識を集中して、この世界の管理ツールである『神玉晶』を手の中に呼び出しました。
「蒼、無理は良くない」
僕の頭の側のひじかけに腰掛けた翠に窘められますが、これが僕の仕事――存在意義です。そして何よりも、僕自身がこの愛すべきクリスティルダに何が起こったのか知りたいと願っているのです。
「同調――投影」
魔力を込めた左手に神玉晶を乗せて短い言葉で指示を出せば、それまで透明だった球体が俄かに色を纏い、手のひらから数センチ浮き上がった状態でゆっくりと自転を始めました。この特殊な水晶は今、世界と少なからず同調している僕の魔力を受け取って、その状態を表面に投影しています。まあ要するには、リアルタイムのミニチュア模型ですね。
青、緑、碧、茶、黄、赤、白――あらゆる色の彩を湛えたクリスティルダは、いつ見ても本当に美しい世界です。なのに今、その美しい表面のある一点にどす黒い影のような穴が発生して、地面に食い込むかのように根を張り巡らせていました。
「異空間……?どうして……」
「まさか、私たちが設置する前に自然発生したのですか!?」
僕の微かな呟きを拾った紅が焦ったように問いかけますが、これはそうとしか思えません。僕たちは異空間の準備には全く手を付けられていませんでしたし、協会が設置するにしても事前連絡があるはずです。そうでなければ、今のように同調中の担当魔王がぶっ倒れます。
「位置はマテアスの聖都から少し西に行ったところか。そう遠くはないな」
僕が異空間のせいで歪んだり詰まってしまった周囲の地脈や水脈の流れを最低限整えていると、翠が位置などの情報を他のみんなに伝えてくれました。
「それは周囲に害を為すものなのか?」
そう翠に聞いたのは努めて平静な口調を心がけている様子のレオニールで、声は平坦でもその眼にだけは自分の国を案じる気持ちがはっきりと浮かんでいました。
「異空間の性質や中にあるものについては、実際に行ってみないと何もわからないんだ。それぞれまったく違うからな」
そうこうしているうちに応急処置も終わり、僕の頭痛と目眩もいくらか軽減されました。普段病気というものをしない僕たち魔王にとって、頭痛は結構堪えます。あれって、頭の中で小さな鍛冶職人にガッツンガッツンハンマーを打ちつけられているみたいじゃないですか!
「同調――終了。とりあえず異空間の周辺には目くらまし的なものをかけておきましたから、明日の朝一番で確認に行きましょう」
神玉晶を元の状態に戻し、長椅子から体を起こしてみんなに声をかけると、意外にも猛反対の嵐を突き付けられました。
「先輩、ご自分が倒れられたってわかってらっしゃいます?世界からバックロードしたダメージを甘く見ていると痛い目に会いますわよ」
「そうですよ、蒼。私も一度だけ経験がありますが、バックロードの痛みは結構引きずるので辛いんです」
「いや、でもこれは僕の世界のことですし、同調している僕でないとわからないこともありますから」
そう言っただけで長椅子の周りをみんなに取り囲まれました。何これ、包囲されてるみたいで怖い。
「蒼さん、俺が行って来ますから、ゆっくり休んでいてください」
「異空間の中は何が潜んでいるのかわからないんだぞ?俺も一緒に行ってくるから、お前は無理せず休んでろ」
ううう、心配してくれるのは有り難いですが、ここは譲ってはいけないところな気がします。とは言え、どうすれば過保護なみんなが納得してくれるのか……。
「行かせてくれないのなら、もうみんなのご飯は作りません」
あ、なんか今どうしようもないことを口走りました。やはり頭痛で思考力が落ちているのでしょうか。一度音にしてしまった言葉を取り消せるものなら取り消したい。
「「「「「えっ」」」」」
と思いきや、結構効力があったようで、みんな明らかにうろたえています。
「確認しに行くだけで、何もしないと約束しますから」
畳みかけるように懇願すれば、意外にも最初に折れたのは翠でした。
「お前に何もせずに守られていることができるのか疑問だが……言い出したら聞かないからなあ」
肺の中の空気を空にする勢いで、盛大に溜息を吐きながらそんなことを言われましたが、何なんでしょうね。人を駄々っ子みたいに、失礼な。
「戦ったりなんかしたらダメっすよ。絶対に何もしないでください」
「それでもやっぱり心配ですわ」
「私たちがちゃんと守りますから」
いつの間に同僚たちは僕の保護者になったのでしょうか。だけど今ここで過保護ぶりを発揮するよりも、そろそろ休ませてほしいんですけど……。
とりあえず、明日は日の出と共に異空間ですね。お弁当は何を持って行こうかな。




