幻獣開発課 2
農家の香水的な意味でのビロウな話注意。
戻って来たイルッカが手にしたお盆の上には、コーヒーカップが三客とミルクピッチャーにシュガーポット、そして謎の紙コップがふたつ乗せられていました。
「こちらは幻獣開発課で考案した新種のコーヒーなので、よろしければ味見してみてください」
そう言って差し出された紙コップには、真っ黒い液体が注がれていました。いや、比喩じゃなくて本当に真っ黒なんです。普通コーヒーって、カップのふちの表面付近くらいはこげ茶に見えるじゃないですか。それが光をまったく通さない真っ黒な液体なんです。これは警戒せずに口を付けろという方が無理な話でしょう。なにせ幻獣開発課ですからね。
「すみません、これは一体どういう……?」
ものすごく曖昧に問いかけながら翠の方に目をやれば、彼もコップを手に持ったまま口を付ける気配はありません。
「高級コーヒー豆のコピ・ルアクはご存知ですよね?」
「ええ。ジャコウネコにコーヒー豆を食べさせて、その腸内で発酵熟成された豆を糞から取り出すという、作り方を聞いてしまうとちょっとアレなあのコーヒーですよね」
「こちらはそのコピ・ルアクに我々がヒントを得て開発したコーヒーです」
「どこにどうヒントを得て、何をしたんですか?」
ここはきっちりと聞いておかなければ命が危うそうです。絶対にろくなものじゃない。
「マンティコアにコーヒー豆を食べさせてみたらちゃんと糞の中から豆が回収できたので、それを洗浄して焙煎しました。ほら、マンティコアって餌代が馬鹿にならないじゃないですか。なので新商品で一山当てれば予算の足しになるかと思いまして」
飲まなくて良かった……。僕は顔に笑顔を貼り付けたまま紙コップから手を離し、強引に本題に入ることにしました。隣で翠もさりげなく紙コップを脇に押しやっています。
「今日は新しく開発許可が下りた幻獣について相談しに来たのですが」
そのままひとしきりこちらの事情を説明する間、イルッカは専門家の顔できちんと話を聞いてくれました。上司への態度や怪しい飲み物を勧める点については色々と思うところがないでもないですが、仕事に関することでは信用できそうです。
「そうですね。やはり強力な魔法干渉力を備えるとなると、素体は竜種以外ありえませんかと」
「やっぱそうなりますか」
「他に何かあればと思ったんだがな」
うーん、面倒なことになる予感的中で、思わずため息が零れます。
「竜種は私の専門外ですので、担当者を呼びましょう。少々お待ちください」
そう言い残してイルッカは一旦会議室を出て行き、しばらく後にふたりの人物を連れて戻ってきました。
「こちらが龍の専門家の鱗瑛とドラゴンの専門家のブレイズフィールです」
はい、僕でも名前を知っている幻獣開発課の問題児たちの登場です。面倒な予感というのは、すなわち彼らのことですね。
「魔王さま、新しい幻獣にはぜひ僕の優秀な龍族をお使いください!魔法干渉力でしたら龍以外にありえません!」
先陣を切って口を開いたのは、青みがかった長い黒髪の鱗瑛でした。白磁の肌に異国風の衣装の何とも艶やかな美貌の青年ですが、今は興奮に頬を染めて熱弁を振るっています。
「ざけんな!抜け駆けしてんじゃねーよ、テメェ!新しい素体は俺のドラゴンに決まってるだろう。純粋な物理攻撃力抜きで人間と対等以上に渡りあえるかよ!」
そこに燃え立つ赤毛のブレイズフィールが噛みつくように言葉を挟みました。浅黒い肌のがっしりとした体躯に漲る覇気がビリビリと伝わってきて、非常にうっとうしいです。そう、このふたりは最低最悪に相性が悪いんですよ。
「それでは専門家の紹介も済みましたので、私は自分のラボに戻ります。お帰りの時に声をかけてください。ごゆっくりどうぞ」
牽制する暇さえ与えずに始まったふたりの口論に、助け船を求めるべくイルッカに目をやれば、涼しい表情で逃げられました。こちらが何も言いだせないように早口で、しかも言い終わる前にはもう身を翻していましたよ!この要領の良さ、僕もちょっと見習わねば……。
「知力はドラゴンよりも龍のほうが……!」
「龍なんて軍勢に囲まれたら即撃墜……!」
ですがその専門家たちは客を無視してひたすらにお互いを攻撃し続けるだけですから、まずはどうにかして場の主導権を握らなければなりません。しかもこのふたり、興奮が最高潮に達すると竜体に変化して幾度となく建物を破壊しているんですよね。そうなる前になんとかしないと、僕まで始末書を書かされる羽目になりかねません。
そこでふと良いアイディアを思いつきました。
「翠、それをこっちにください」
隣で腕と足を組んで、目まで閉じてシャットアウトモードに入っている翠の肩を軽く叩いて注意を促せば、彼にも僕が何をしようとしているか分かったようで、唇の端がにやりと弧を描きました。
右手と左手に例の紙コップをひとつずつ持って、白熱しているふたりの顔に遠慮なくその中身をぶっかけると、ふたりとも面白いくらいに呆気なく床に崩れ落ちます。心なしかひくひくと痙攣していますから、やはりあのコーヒーは相当の危険物だったようです。
「蒼さま、ひどい……」
「テメェ、何しやがる……」
生理的な涙を浮かべたふたりからか細い抗議の声があがりますが、神族の中でも特に強力な回復力を持つ竜神族相手にそう大したことにはならないはずです。いや、僕もあのコーヒーの成分については何も知らないので、竜神族の頑健さを信じて言っているだけなんですが。
「とりあえず、お仕事の話をしましょうか。その際、貴方がたは自分の種族についてだけ意見をくだされば十分です。相手の種族に対する批判、非難は必要ありません」
にっこりと笑って見下ろせば、涙目のふたりも少しずつ体のコントロールを取り戻したようで、のろのろと起き上がってきました。短気なブレイズフィールには反撃されるかと少し身構えましたが、ふたりともそんな気も起きないくらいにぐったりとした様子で手近な椅子に腰を下ろします。
「あのコーヒー、そんなにヤバい代物だったのか?」
その光景を面白そうに見ていた翠が聞くと、テーブルに突っ伏した鱗瑛がくぐもった声で答えました。
「世界中のヘドロを集めた肥溜めに突き落とされたような感覚でした……」
しかしマンティコアコーヒーも役に立つものですね。これでようやくお仕事にかかれそうです!
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本文補足:【マンティコア】
赤い毛皮、胴体ライオン、コウモリの羽根、毒針いっぱいの尻尾、人面。超大喰らい設定。
こんなものが腸内発酵させたコーヒーがろくなものであるはずが(略)




