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閑話: 紅 

今回は紅視点になります。


 「翠、起きていますか?」

 翠が滞在している部屋のドアを遠慮がちにノックしたのは、もう夜も大分更けてからのこと。

 夕食の後、蒼は疲れたと言って早々に寝てしまい、萌黄や珊瑚もそれぞれに宛がわれた部屋に引きあげた。勇者にも一応は食事が与えられ、今は地下室に軟禁されている。

 「おう、紅か。珍しいな」

 「ちょっと話せないかと思いまして。もう寝るところでしたか?」

 「いんや、まだ起きてたよ。俺は今日は特に疲れること何もしてないからな。まあ入れ」

 他の部屋に聞こえないように控えめな笑いをこぼした翠は、そう言って私を部屋に通し、ひとりがけのソファを勧めてくれた。本人は複雑な意匠が彫り込まれた黒檀のベッドに、長い脚を組む形で腰をかける。

 「で、どうした?」

 そう言って微笑みかける翠の瞳は優しくて、一瞬言いようのない感情の嵐が胸の内に吹き荒れた。他の誰でもない『私』に、彼の優しさに縋る権利などありはしないと分かっていたから。

 「――翠は、私と同じ『天賦型』でしたよね」

 「ああ」

 魔王種には、二種類の系統が存在する。いや、「していた」と言った方が良いだろうか。

 神族に近い身体能力と魔力を持ち、誕生した瞬間から強大な力を振るうことができる『天賦型』と、人間とさして変わらない初期能力しか持たない代わりに、莫大な精神リソースと分析力を与えられて生まれてくる『研鑚型』。

 私と蒼は、それぞれが天賦型と研鑚型の初の完成作品だ。

 「天賦型に生まれたことを後悔したことはありますか……?」

 当初、何をさせても私には遠く及ばない蒼に対する協会関係者からの風当たりは、決して弱くはなかった。研鑚型は、創り出すのも天賦型より手間がかかり、さらには無事に生まれても物になるかどうかもわからない不安定な系統だったからだ。

 「いや、普段自分がどの型かなんて、考えたこともないぜ」

 「羨ましい」

 思わず苦い笑みが口の端を歪める。

 だが当時から数千年が経過した今、新しく生まれる魔王はすべて研鑚型だ。理由はただひとつ、いくら強い能力を持っていても、研鑚型の分析力がなければ人間種の柔軟性にうまく対応できないからだ。他でもない、私や他の天賦型の魔王たちがそのことを証明してしまった。

 「今日、勇者と戦う蒼を見て、私は怖かった」

 「勇者がか?聖剣もなかったし、あの程度なら俺やお前だって十分にいけただろ」

 「いえ、怖かったのは蒼です」

 自然と膝に落ちていた目線を上げてみれば、意外そうに片眉をあげた翠色の瞳と目があった。

 私は、勇者の最初の太刀を受け流してから先の蒼が怖かった。蒼の本来の剣筋を、私はよく知っている。同じ時期に、同じ師に剣の基礎を教わったのだから。なのに――。

 「一合打ち合うごとに、蒼の剣は変化していきました。刃を受け止める位置や角度、間合いの取り方、筋肉の使い方……相手の行動を丸裸にするかのようなあの瞳が、私は怖かった」

 ガラスのような目で勇者の動きを冷静に分析しながら、それに合わせて自分の動作も最適化していた。剣がぶつかり合う音にも耳を傾けていたようだったから、打ち込みで蓄積するダメージにも気を配っていたのだろう。

 「でも勇者を剣技で負かすだけならお前にもできるだろ。蒼の剣がお前に向けられることもない。なのにどうしてだ?」

 そう、ただ勇者と剣で戦うだけなら、私や翠にも十分できる。けれど私は、蒼があのガラスのような目とすさまじいまでの分析力で、五千年以上もの間人間種のあり方を見続けてきたことに気付いてしまった。

 そしてその結果、彼が研鑚型の魔王にすら人間種に対応できなくなる日が近付いていると判断したことにも。

 「自分でも上手く整理できないのですが――あの蒼が、昔何もできなかった蒼が、積みあげてきた経験値が怖かった」

 他人に伝えるための言葉を探して置き換えれば、己の胸の中の感情がどれだけ傲慢で醜いかがよくわかる。

 「それから、そんな蒼ですら対応できなくなると言った人間種にも恐れを抱いた」

 ぽつぽつとしか言葉は出てこないのに、翠は辛抱強く待っていてくれる。私にまだ続けたい言葉があることを、どうしてか理解してくれているようだ。

 「それ以上に、誰よりも先に天賦型の自分がいらなくなる日が来ることが……怖かった……」

 言葉にした途端に目頭に熱が集まって、じわりと視界が滲み、思わず両手で顔を覆った。

 同じ天賦型である翠にこんなことを言うべきではないのに、己の境遇を相憐れむ相手を求めた私は醜い。この胸に渦巻く不安やドロドロした感情も、蒼ならすべて最適化してしまえるのだろうか。

 「お前もバカだなあ」

 苦笑するような声が上から降ってきて、いつの間にか目の前に立っていた翠に頭を撫でられた。困惑して顔を上げると、いつになく優しい声で言葉が継がれる。

 「そんな日が来ないように、今俺たちで一生懸命考えてるんだろ。それに俺たちに分析できなくても、蒼にはできる。だったら俺たちは蒼の言う通りにして、あいつを支えてやりゃあ良い。それくらいは天賦型にだってできるだろ」

 翠はそう言って柔らかく笑うと、近くにあったチェストの上からティッシュペーパーを取って渡してくれた。柔らかい紙に涙を染み込ませれば、昼間からわだかまっていた心の澱も一緒に洗い流されたかのように胸がすっとしている。

 「そう、ですね……」

 とは言え、私は翠のようにすっぱりと割り切って考えられるタイプではないから、そんなにすぐに気持ちを切り替えることはできないのだけれど。でも本当に嫌なら、変える努力をしなければならないことは分かる。それをしないうちからこうやって涙を流すことは、本当は恥ずべきことなのだから。

 「それに俺はな、そう考えることこそが俺たちの活路なんじゃないかと思ってる」

 「え、活路……?」

 意外な話の展開に思わず聞き返したものの、この話は終いとばかりに大きな手でもう一度頭をぽんぽんと撫でられた。

 「ま、その話は追々な。俺の考えもまだ纏まってないし。さて、一杯付き合ってくれるよな?」

 そう言ってキャビネットに向かった翠は、嬉しそうにクリスタルのグラスと琥珀色の酒が入ったボトル、それに生ハムの塊を持ってきた。

 「これ、どうしたんですか」

 「蒼の貯蔵庫から盗んできた」

 「怒られますよ?」

 「お前が黙ってりゃわからないさ。ま、料理上手の魔王に乾杯ってとこか」

 グラスを軽く触れ合わせながら、私は心の中だけで翠の瞳の優しい魔王にも杯を捧げた――。

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