第三話 拝啓、花子様。僕は年末年始を爆美女と過ごすことになりました。
僕は今、なかなかのピンチに陥っている。
だが、その話は少しだけ待っていてほしい。
読者の皆さんには、まずここに至るまでの経緯を説明させてもらおうと思う。
――
僕は最近、成績が落ちている。
受験を控えた身でありながら、散々花子に会いに通い詰めた過去の報いだ。
……いや、花子ばかりを責めるつもりはない。恋にうつつを抜かしているだけではいけない事を、僕自身が一番よくわかっていた。
ただ、怪異とは時の流れ方が違うせいか、そもそも価値観が噛み合わない。
なにせ「未練を残して死ねば、ずっと一緒だね♥」を甘い口説き文句だと信じて疑わない相手だ。
下手な未練の残し方をすれば、行動範囲の限られた地縛霊になりかねない。
そうなれば会いに来るどころではないときちんと説明したのだが、返ってきたのは、「綺麗に成仏してしまったら、それこそもう会えなくなる。だったら私と離れること自体を未練にしなさいよ。ここの地縛霊でいいじゃない」の一言だった。
閑話休題。
そんな受験生の大事な冬休みのスマホに、突如LINEが届いた。差出人は言うまでもなく花子である。
用件はこうだ。
『ベートーヴェンの誕生日が先日過ぎてしまったけれど、遅ればせながら三大ピアノ・ソナタの一つ〈月光〉を弾けるようになって驚かせたいの!だから何も言わず一旦来て』とのこと。
『誕生日は過ぎてしまったけど、気持ちに期限はないでしょ?』とのこと。
『音楽室で練習すれば本人に聞かれてしまうし、トイレに楽器はないし、でもスマホの演奏アプリでは味がない。だから小学校の頃の鍵盤ハーモニカを持ってきてよ』とのこと。
『はぁ、素敵。音のラブレターとも言える『月光』こそ、私にはお似合いなのね』とのこと。
『ジュリエッタから月光の思い出を奪い取ってやるのよ!身分の差なんて、はじめと違って私には恋愛の障害にならないの』とのこと。
僕への嫌味だろう。
謂わば僕と花子の旧恋物語は、人族と死霊族とでも言えばいいのか、種族の壁を越えた、とてつもなくスペクタクルな恋愛劇であった。
ただし、僕には無理だ。生きているのだから。
どう考えても障害どころでは済まされない巨大な壁である。
そう思いながらも、押し入れの奥から鍵盤ハーモニカを引っ張り出して、きちんと持っていってしまう僕も僕だが。
その日、三階の女子トイレでは、三番目の個室から間の抜けた鍵盤ハーモニカの音色で奏でられる『月光』が、延々と響き続けた。
あの重厚な名曲が、こんなにも情けなく聞こえることがあるのか。
それでも花子は、指が絡まるたびに「もう一回!」と叫んで、冒頭の三連符を何度も何度も吹き直していた。
ずっと聞かされている僕の身にもなって欲しいものだと思ったが、面倒だからやめておいた。
それこそベートーヴェンに教われよ、とも思ったが言うのはやめておいた。
(それにしても別れてから偉そうだな、花子。鍵盤ハーモニカ当然のように吹いてるけど、それ間接キッスだからな。言ってやるか。嫌がらせに。……いや、ベートーヴェンに悪いからやめておこう)
*
結局、冬の夕日がおねむになって沈み始めた頃、ようやく解放された僕は、いつもの窓からこっそり這い出して、一人で帰り路についた。
吐く息が白い。首をすくめて歩く。
花子のせいで大変長らくお待たせしました。
ここからが、冒頭のピンチであります。
僕の前に、凶器を持った不審者が立ち塞がっているのです。
不審者、という言葉から連想されやすいのは、下校時の怪しい人物日本代表推薦枠『口裂け女』。
口裂け女といえば、一九七〇年代スタイルのやたらと大きなガーゼマスクに、綿のロングトレンチコート、それから巨大な裁ち鋏を握った女。
だが、目の前にいるのは、やはり全然噂とは違っていた。
ベージュ地にオールドローズの紐を合わせたバイカラーの立体不織布マスク。小顔効果有り。
足首まで届く、落ち感のあるモーヴグレーの上質なロングトレンチコート。100点。
そこへ黒の厚底レザーロングブーツが加わって、ただでさえ高い背をさらに引き上げ、全身がモード誌の一ページのように仕上がっている。120点。
鋏を持つのと反対の手には、最新型のiPhone。
そう、僕の行く手を塞いでいたのは、めちゃくちゃお洒落なお姉さんだった。
手に持っているのが巨大な裁ち鋏でなければ、素直に見惚れていたところだ。
「警察を呼びますよ」
「ねえ、わた――」
「さすがに凶器はまずいですって。今の時代、そんなものをちらつかせたら、一瞬でSNSで晒されますよ」
「ねえ、わたし――」
「僕はSNSをあまり触らない方ですけどね。どこでスマホを向けられているか分かりませんから、早めに隠した方がいいですよ。ほら、あそこの人もこっちを見ていますし」
「ねえってば!一回でいいから最後まで聞きなさいよ!」
「嫌です。怪異のルールに付き合う気はありませんから」
「……え?なんで怪異だって分かるの?」
(むしろ、マスクに鋏に『ねえ、わたし』まで揃って、気づかない方が難しい)
「口裂け女さんでしょう?」
「だからどうして分かるのよ!こんなに現代的なおしゃれな格好をしてるんだから、普通は分からないでしょ!」
「今の時代は、便所配信系の地縛霊とか、迷子になる可愛いメリーさんとか、いろいろいますからね。怪異も時代と共に形を変えていくんだなぁって。……エモい。今、ちょっとエモいこと言いましたよね。あとで花子にLINEで自慢しよう」
「べ、便所配信系地縛霊???一体何を言ってるのか意味が分からないけど…小馬鹿にするのもいい加減になさい!」
苛立ったように鋏を握り直すと、彼女は耳にかかっていたオールドローズの紐に指をかけた。
「ねえ、私、綺麗?」から「これでも?」の2コンボからグッサリで決めてくる、例の流れに秒で入る状態にしているのだろう。
だが、そうはさせない。
僕は怒られた事を気が付かぬふりをして、強引にそのまま続けた。
「意味が分からなくないですよ。だって、あなただって口裂け女なのにお洒落じゃないですか。最新のiPhoneも持ってるし。僕なんて一円のアンドロイド三年目ですよ?僕よりよっぽど現代的です。背も高いし、髪もツヤツヤして綺麗だし。どうせマスクを外しても綺麗なオチでしょう?怪異モードでマスクを外せば、そりゃ怖いんでしょうけど。大体雰囲気で分かりますよ。それになんだか、めっちゃいい匂いするし」
「えっ……。ちょっと、やだ。まだ聞いてもいないのに、先に綺麗だなんてズルい。それに匂いとか……恥ずかしいじゃない」
照れている。
紐にかけた指が、行き場をなくして、もじもじと動いていた。
――
口裂け女とは、一九七九年(昭和五十四年)頃に岐阜県を中心に噂が広まり、瞬く間に全国へ拡散した都市伝説の代表格である。
マスクで口元を隠した女が「私、綺麗?」と尋ね、「綺麗」と答えればマスクを外して耳まで裂けた口を見せ「これでも?」と迫り、「醜い」と答えれば鋏で口を裂かれるという。
当時は、集団下校や警察への通報が相次ぐ社会現象にまでなったという。
対処法として、「ポマード」と三回唱える、べっこう飴を渡す、「まあまあ」とはぐらかす、などが有名だ。百メートルを数秒で走る、という驚異の脚力設定まである。
起源は、整形手術に失敗した女性の怨念説をはじめ諸説あり、現代でも確定していない。
つまり、ルールさえ崩してしまえば、ただのスタイル抜群の綺麗なお姉さん(凶器所持)なのだ。
――
「はじめまして。境はじめです」
「あら、ご丁寧にどうも。口裂け女よ。よろしくね」
「お名前はないんですか?」
「名前?うーん……あったのかもしれないけれど、忘れてしまったわ。口裂け女で構わないわよ」
「ちょっと呼びにくいですね」
「……じゃあ、サキコでいいわ」
「裂き子さん。余計に怖くなりましたね」
「漢字を当てるのはやめなさい」
「すみません」
「もう。調子が狂うわね」
そう言うと、サキコは裁ち鋏をコートの胸元にしまい、マスクを外した。
超絶美女だった。
聞けば、人間社会に溶け込んで、皆さんの知る某大企業の事務職をしているらしい。
普段は、綺麗だ綺麗だと持て囃されすぎて、うんざりしているのだとか。
でも聞かないと存在意義が見出せないらしく、複雑ではあるらしい。
怪異モード中褒められることには、めっぽう弱いと言っていたが、これはシークレット案件である。
しかも、現代では「私、綺麗?」の作法がなかなか通用しないので、ここ数年で雰囲気ごと路線変更したのだという。
それでも怖がられずに無視されたり、スマホを向けられたりするせいで、肝心の変身ができずにいるそう。
メリーさんといい、怪異というのは思いのほか苦労が多いんだなとしみじみ思う。
「そうだ、これも何かの縁だし。はじめ、LINEやってるかしら?」
「一応。便所の花子とメリーさんくらいしか入ってませんけど」
「あら、私が三人目ね」
なぜかそのまま連絡先を交換する流れになった。彼女の画面には、可愛いスタンプがずらりと並んでいた。
「はじめ。連絡先を交換した仲だから、言わせてもらうけど」
「はぁ」
「あんたの周りの怪異は、たまたま良い子ばかりだっただけ。本当にタチの悪いのもいるのよ。気をつけなさいね」
「それって、ああいうのですか?」
僕はサキコの背後を指差した。
サキコが振り返ると、五十メートルほど先に一人の男が立っている。さっきからずっとこちらをチラチラと伺っていて、少しずつ距離を詰めてきていたのだ。
「あれ、怪異ですよね?」
「そうね。最近、ここいらで噂になっているやつかしら。概念じゃなくて、力ずくのゴリ押し系。ルールを無視するというか、そもそもルールがないのよ。人間でいうところの、通り魔みたいなものね」
男は後ろ向きにじりじりと近づいては、時々振り返ってこちらを確認している。
かなりの巨漢で、ロングコートの上からでも相当な肥満体型だと分かった。
「あんなロングコートなんて着て。気味が悪いわ」
「サキコさんにだけは、言われたくないと思います」
「なっ……男と女では違うし、何よりあれは古臭いじゃない。それに私は、ロングコートの似合う美人なの」
「たしかに」
「ああいう輩は、怪異と猟奇殺人犯の区別がつかないの。名前も付かないから、余計に縛られずにふらふら彷徨っているのよ」
「倒せます?」
「私が?それは無理ね。私が攻撃するにはルールが必要だもの。それに、もし運悪く本当に力のある怪異だったら、はじめは首を掻き切られて終わり。私は逃げられるけど」
「どうしよう。それは困ったな」
「呑気なこと言ってないで、逃げるわよ」
言うが早いか、サキコは僕をさっと抱えて走り出した。
小柄とはいえ、僕も男である。
しかも男性一人抱えているのにも関わらず、この速度は人間の域を超えていた。
(お姫様抱っこ初体験だ。花子の気持ちがわかった。こりゃいいや。あと口裂け女の足が早いって伝承は本当だったんだなぁ)
角を曲がると、サキコはひょいとブロック塀に飛び乗り、そのまま民家の屋根へと駆け上がった。
「伏せなさい」
言われた通りすぐにその場に伏せた。そして屋根の縁から、そっと下を覗く。
するとすぐに、あの男が走ってきたのが見えた。後ろ向きに近づいてきたのかと思いきや、そうではなかった。
首だけが捻れて後ろを向いていて、体は普通に前へ向かって走っていた。
「あれ。絶対に前見えないよね。よく走れるな。大したもんだ」
「そうね。もともとはただの地縛霊だったのかもしれないわ。調子に乗って、こじらせちゃって。そのうち強制的に除霊されるんじゃないかしら」
怪異の友達がいる僕にとっては、少し不穏な単語だった。
男は僕たちを見失ったらしく、癇癪を起こして地団駄を踏み始めた。
すると突如、あれほどの巨体がみるみる萎んでいき、スマートな体型に変わっていくではないか。
代わりに、頭部がどんどん膨らんで、頭だけで二メートルほどの大きさになった。
「なにあれキモ」
「キモいわね」
「あっ、人が来た!まずい…助けないと!」
「しぃっ、大丈夫よ。静かにしてて」
通りの向こうから、歩きスマホの女性がやってくる。
男は重そうな頭をブンブン振り回し、その女性へ叩きつけた。思わず目を瞑ったが、頭はまるで幻のように女性をすり抜けた。
スマホに視線を落としたまま、女性は何事もなかったように歩き去っていった。
「ね?」
「なるほど。歩きスマホは危ない、ということは分かりました」
「そうじゃないでしょ。あいつ、さっきからはじめしか見てないのよ。標的にされた人間以外は、あいつには見えないし、そもそも干渉もできないの」
「どのくらい狙われるんでしょうか」
「さあ。二、三日じゃない?でも、思ったよりしょぼそうだし、このまますぐどこかへ行くんじゃないかしら」
「そうですか。まあ、ちょうど冬休みだし。家で勉強でもしてようかな」
「……呑気ねえ、あんた。でも、知り合ったからには、見捨てられないわ。休みの間くらい私が見張っておいてあげる。戦うのは無理だけど、あいつが来たら一緒に逃げればいいだけだもの。さぁ、そろそろ降りましょ」
そう言って、サキコはまた僕を抱き上げ、ぴょんと軽やかに屋根から飛び降りた。
綺麗な長髪が風に揺れる姿が、とんでもなく綺麗で、お姫様抱っこをされてるのが恥ずかしくなった。
(あっ、インナーカラー入れてる。やっぱり、おしゃれさんだ)
*
こうして、僕の冬休みは守られた。
なんと、サキコは顔だけでなく頭も大変良く、ついでに勉強も教えてくれることになって、一石二鳥。
年末年始の休暇をまるごと僕の身の安全に費やしてくれたのだ。
良い人過ぎて申し訳ないから、うちに来た時は母の高い紅茶で丁寧にもてなした。
「あんな美人みたことないわよ!闇バイトじゃないでしょうね。何食べたらああなるのよ!」と、母からの圧が凄かった。
その後、結局、男は一度も僕の前に姿を現さなかった。気まぐれ頭ブンブン丸とでも呼ぼうか。
お正月の三賀日の夜が過ぎ、彼女が「もう大丈夫でしょ」と判断してくれた頃には、ネットの噂にすら聞こえなくなっていた。
貴重な連休を無駄にした彼女は、休み明けの事務仕事に精を出しているらしい。
LINEには、疲れ切ったスタンプがたくさん届くようになった。管理職の人の愚痴とか言われても全然わからない。
サキコには必ず沢山お礼をしようと思う。いい匂いするし。
そうだ。今度花子に、常識的で大手に就職している超絶怒涛に優しい激美女友達ができたと報告しておこう。




