中編
浅はかにもその後も私は執拗に王女を苛め続けた。
当時の私はプライドの塊であり、自分が他人より優れていると信じきっていた。そして何よりあの占。父と母の言葉を人生の指標として生きてきたのだ。
私を煽るのは主に母だった。父も同調してはいたが、父は母には甘い。
国王に近しい位置にいたのに後継となれなかったことを引け目に思っているのだろう。これ以上母をがっかりさせたり怒らせたりしたくないという負い目があるのに違いない。そんな気弱なところも為政者には向かない人だったのだ。
母は言う。
「大丈夫よ。未来は明るいと占に出ているでしょう?」
「あなたは勇者の妻になるの。縁を結ぶのよ」
「家の誉れだわ。あんな素敵な人と添い遂げられるなんて」
「パールティアなどただの小娘。あれだけ病弱だったのだから、そのうちポックリ逝ってしまうかもしれないわ」
そんな不遜なことまで口にして、私のやる気を掻き立てた。
私も馬鹿だった。
母の勘違いを真に受けて、貴重な青春時代を不毛なことに費やした。
自分の想い人を蔑ろにする私のことを勇者がよく思うはずもなく、私の熱意とは裏腹に、彼の心はどんどん私から離れていった。いや、そもそも近くにはいなかったので離れたとは言わないか。
王女は成人し二本足になったが、急に肉付きがよくなるわけもなく、相変わらず痩せっぽちで胸などないに等しかった。だから私はプロポーションを貶し、おっとりした性格をぐずだののろまだのと言って攻撃した。
王女にはなぜか世にも稀なる癒しの力があり、医科では一目置かれる存在になっていたから、傷つけるのはその点しかなかったのだ。
王女の歌は他人を安らがせ、傷病を回復させる力がある。健康であれば眠くなる程度だが、その力が仇となり、王女は早々に芸術科を破門されていた。気持ちを切り替えて医科に入り、既に籍を置いていた青科の副科と並行して勉学に励んでいた。
青科の副科とは、青の剣の守人を目指す者がそのノウハウを学ぶ青科に付随する科で、守人の伴侶としての在り方を学ぶ。青の剣の守人となるべく励んでいる勇者の妻として相応しい女性になることを目指していたのだ。
青の剣の守人は国の武の頂点だ。国王の赤の剣の守人と同じように、試儀によってトリトン神より選ばれる。
どうやら勇者は青の剣の守人になれたら王女を娶ってよいとオスカー王から言葉を賜っているらしい。
勇者が青の剣の守人になるなら私は守人の妻になるはずだと、私も青科の副科に所属した。
副科に入ってわかったのだが、実は王女の成績はあまりよくない。大きな要因は刃物を器用に扱えないというところからくる。王女は刃物が苦手で、刃先を向けられただけで卒倒するほどだった。
だから私はここでも王女に対し優越感を覚えることができていた。
いくら苛めても王女はやり返してこない。
告げ口すらしていないようだ。
勇者が知れば何らかの手を打ってきそうなものだし、国王とて黙ってはいないはずだが、特にそのような気配はない。王女がそういう人格ではないことを計算した上で、私は言いたい放題で鬱憤晴らしをすることができた。
あの何事にも成績優秀な勇者がそれに気付かぬはずがないので、自分が出て行けば逆効果になると自重していたのだろうと今ではわかる。
そんな中、決定的とも言える事態が起こった。
王女が隣国レレスクに攫われたのだ。
黒死の病という伝染病の蔓延を食い止めるために、レレスクは王女の癒しの力を欲しがった。正当な手段ではなかったことから戦に発展、王女奪還軍の総大将に任命された勇者が一命を賭して救い出したという。
勇者の名声はまた上がった。戦役の後は中将にまで昇格している。このことで勇者は晴れて守人候補生の資格を得た。そしてこの事件は勇者と王女の結びつきを深めることに一役買ってしまった。
私は半ば諦め心地だった。
正直、もう疲れた、という心境でもある。
いくらアピールしても勇者は私に靡かない。
最近では避けられたり無視されたりしているような気さえする。
これほどまでに軽く扱われたことはなかったのに。
―なんで私の魅力に気がつかないのよ!!―
怒りさえ湧き上がってくる。王女第一の頑なな態度も気に障る。
―ちっともいい人なんかじゃないじゃない!!―
蝶よ花よと甘やかされてきた私が自分の思い通りにならない人間にいい感情を持つわけがない。
―なんて堅物なの!!―
一度王女を真似て腕に絡み付いたことがあるが、勇者はすぐさま振り払った。照れてしたことではない。私を袖にしたのだ。
私の思いは急激に冷めていった。
攫われたことで王女には護衛がつくことになった。
ナシアスという名のすらりとしたイケメンだ。
全く、何でこの女にばかりいい男が付き従うのだろう。
護衛というからには使用人であるのに、王女は「さま」をつけて呼ぶ。
理由を尋ねると命の恩人を呼び捨てにはできないと言う。
本当にこの王女は何を考えているのかわからない。時々突拍子もないことをやらかしてくれる。
話の途中で本人がしゃしゃり出てきて言った。
「私が…付け上がりはせぬかとご心配ですか?」
(あら…)
そんなつもりで言ったのではないが、いい方にとってくれたのならそのまま誤解されておこう。
「ご安心召されよ。どう呼ばれようと私は護衛官に徹すると剣にかけて誓いました。姫さまを誰より大事に思う中将どのの剣にかけて」
オスカー王の命ではないのか?と私は疑問に思った。中将とはいえ、一兵士に剣を捧げるとは聞いたことがない。
(変な男…)
ナシアスに対する最初の印象はそれだった。
王女と同じ青科の副科に通っているため、ナシアスとも何度も顔を合わせた。
ナシアスは護衛に徹しているようだ。任務の間はできすぎるほどのポーカーフェイスである。
講義の間など王女に張り付いている必要がない時はその限りではない。女性に話しかけられると表情を崩し、爽やかな笑顔を向けてくる。それは私に対しても変わらなかった。誰に対しても愛想がいいのだ。
(紳士だわね」
私を主人の同級生として認識し、失礼がないようにと振る舞っているのだろう。
ナシアスの微笑みは修練所の女性たちの心を虜にした。
後に聞いたところでは、彼は女性に手が早いということだったが、そんなことはある意味海人たちには当たり前のことだ。もたもたしていたら婚期を逃してしまって子孫を残せなくなってしまうのだから。
勇者はと言えば、中将に昇進したことにより修練所での課程を終了し、トリトニア軍の重鎮として任務に専念することになった。
中将というのは大将である青の剣の守人の次の位。守人に直接指示を受けて部下を動かしたり相談に乗ったりする重要な役目を担っている。もう滅多なことでは修練所に出向くことはなく、所在を詮索してアプローチすることは難しくなっていた。
ハートを射止めたい相手であれば会えないことを嘆くのが普通だが、生憎とそんな気は微塵も起こらなかった。それよりも、私の心は王女の護衛官に向いていた。
なぜなら、彼が私に優しい言葉をかけてくるからである。
修練所の校内ですれ違う時はもちろん、その他の場所で顔を合わせる度に優しい笑顔を向けて挨拶してくれる。
当たり前と言えば当たり前だが、出会ってからこっち追っかけを繰り返している勇者からは、冷たい眼差しを注がれはしても笑みなど向けられたことは一度たりとてなかった。
こんな人と添い遂げるのが本当に幸せなことなのだろうかと思い始めていた私の心は次第にナシアスの方へと傾いていった。
「ごきげんよう、ナシアスさま。お役目ご苦労様です」
王女を修練所に送ってきたナシアスに、自ら進んで声をかけた。
「パールティア姫もお変わりなく?今日の講義も楽しみですわね」
今までなら共にいた勇者の方にだけ声を掛けて王女のことなど視野にも入れなかったのに、すんなり挨拶の言葉が口をついて出たのが不思議だった。
「ありがとうございます。エスメラルダ姫もご健勝のようで何よりです。今日もまた一段とお美しくていらっしゃいますね」
社交辞令ではあるのだろうが、褒められて悪い気はしない。私の頬は思わず緩んだ。
いつもすげない態度の私に声をかけられて面食らっているのか、王女はすぐには言葉が出てこないようだった。
「あ…ごきげんよう、エスメラルダ。私は元気よ。お気にかけていただいてありがとう…。エルメス尊師の講義は私も楽しみにしているの」
それでも精一杯私の挨拶に応えようと気持ちを奮い立たせているのが感じられた。
(そんなにビクビクしなくてもいいじゃない)
今までの所業を棚に上げて私は思っていた。あなたがそんなふうだと私が何かしたと思われるじゃないの、と。
私はナシアスによく思われたくていい女を演じ始めていた。
演じると言っても不思議と無理をしているわけではなかった。かつていろいろな男たちに色目を使った時とは心持ちがまるで違った。被り物を一つ外したというのか、皮を一枚脱いだというのか、自分を覆っていた硬い鱗が剥がれ落ちていくような感覚が私を襲っていた。
「おしゃべりをしている場合じゃないわ。少し急ぎましょう」
私は王女の手をとった。
「ナシアスさま、ここからは私が代わりますわ。大丈夫。すぐそこですしもう構内ですから」
「エスメラルダ姫が護衛を代わってくださると仰るのですか?」
面食らっているのはナシアスだけではない。王女も、そして私も同じだった。
このような対応をずっと前からしていたら、勇者にもあのような目で見られることはなかったのにと、今なら思える。




