後編
私はどんどん明るくなっていった。
とりまきだったメリーアにもアイナにもそう言われたし、自分でもそう思う。
イライラすることが少なくなり、使用人にも当たらなくなった。王女だけではなく周囲の者に不満を感じることも少なくなった。
ナシアスは顔を合わせる度、何かしら私の喜ぶことを言ってくれる。私は嬉しくてふわふわした。
そして守るべき王女には余計なことは一切言わず、お追従のひとつも口にしない。
それはそうだろう。この王女は大人の女性としての魅力に極端に欠けるのだから。
勇者は奇特な趣味の持ち主―おそらくロリコン―で、だから私の魅力に気づくことができなかったのだ。
そんな男はこちらから願い下げである。私はこのナシアスとこそ、愛を語り合いたい。
そもそもあの堅物の勇者に愛を語り合うなどということができるのだろうか。武力も統率力もあるかもしれないが、男と女の間にそんなものは必要ない。色も香もないあの雰囲気はロマンチックの欠片もありはしない。私はそんなのは嫌だ。
やはり私を愛してくれる人、優しくしてくれる人とこそ一緒にいたい。
いくら偉業を成した勇者とは言え、私には何の関わりもないことだ。私が助けられたわけではない。これから先の人生を、ただ過去の偉業に縋って生きていくなんて、愚の骨頂である。
あの勇者は、変わった趣味の持ち主で、実は腹黒で野心塗れの最低男なのかもしれない。少なくとも私にとっては必要ない人だ。父母が何と言おうと、こちらから見切りをつけてやる。
そう達観すると気持ちはとても楽になった。私は勇者の妻となることから手を引いた。
ナシアスは私の魅力に気付いてくれたらしく、時々プレゼントをくれたり散歩に誘ってくれたりするようになった。
私も手料理をご馳走したり労いの言葉をかけたりおしゃれなドレスを着て見せたりと、アプローチに余念がなかった。
頑張った甲斐あってナシアスと私は晴れて恋人同士と呼べるまでになった。
ナシアスのキスはとても素敵でいつも恍惚としてしまう。女性の気持ちをとてもよく心得ているので愛の行為に不満など一つもなかった。
普通に接することができるようになった王女は私たちの仲を応援してくれているようで、度々気を利かせて場を外してくれる。それは素直に嬉しかった。
「ねえ…」
私は言った。
「一平さまはあなたに譲ってあげるわ」
「え?」
「聞こえなかったの?もうあなたと張り合うのはやめ。私はもっと素敵な人と一緒になるわ」
「エスメラルダ?」
せっかく譲歩してあげたのに、王女は不思議そうな顔をするだけだった。
「どうぞお幸せに!」
心から出た言葉ではなかった。礼儀上言っただけだ。曲がりなりにも王女であり、再従姉妹でもある相手なのだから。
王女から離れてだいぶ経ってから、彼女は思い出したように私に呼びかけた。
「…ありがとう!!エスメラルダ。…あなたもお幸せにね」
悪意などまるでない屈託のない声音が、私が間近で聞いた彼女の最後の言葉だった。
私は青科から退き、ナシアスとの婚活に精を出した。
彼は本当に完璧だった。男前で身なりもよく礼儀正しくフェミニストだ。細剣の達人でその腕も確かで、真面目にそつなく任務をこなすところは有能であると思わせる。王女の護衛に任命されるくらいだから国王からの信頼度も高いのだろう。ジーの出身であるらしいがそんなことはどうでもいい。
とまあ。ここまでは、世間で勇者が評価されている内容と遜色ない。決定的に違うのは私への対応の仕方だ。私は私を大切に扱わない人には価値を認めない。それがよくわかった。
「姫…」
「ナシアスさま…」
優しい声で語りかけられ、見た目よりもがっしりとした腕に抱きすくめられる。彼の愛撫は私を至福の境地に誘うが、彼の方からは決して一線を越えようとはしてこなかった。
私が王族であるからだろう。結婚もまだなのに子を孕んだとあっては王族の姫としては外聞が悪すぎる。勇者に対してはあからさまに言い過ぎたので、その反省の下、私も自分からは言い出すまいと、心に決めていた。
いい加減に求婚ぐらいしてほしいと思い始めた頃、私はとんでもない場面に出会した。
彼が他の女性の肩を抱いて人気のない森へ分け入っていくところだった。
そこは若者たちにとって格好のデートスポットであり、密会に適した大小様々な洞窟が点在している場所だった。私も何度か足を踏み入れたことがある。
入口に暗号の貝を並べておくことで使用中だと表示し、他の利用者とかち合わないようにとの暗黙の了解が定められている。
私は二人をつけていった。あるまじき行為だと理性が警告してきたが、止めることはできなかった。並べられた貝を無視し、私は洞窟に足を踏み入れた。
その報いはすぐにやってきた。
わたしは見てはいけないもの、一番見たくなかったものを見てしまったのだ。
もう彼を信じることはできなかった。
触れられても優しく語りかけられても私の心は彼を拒絶した。
「別れましょう、私たち」
別れの言葉を切り出したのは私の方からだった。それがせめてもの私の矜持。彼の方から切り出されていたら私の負けだったから。
ナシアスは何も反論せず私の提案を受け入れた。私がそう言い出すことをわかっていたのかもしれない。
私は婚活をやめた。
男の方と付き合うのは好きだ。だが、人生なにも結婚が全てではない。
そういう考え方は海人の性にそぐわない。でももう誰にも振り回されたくなかった。母にも父にも占いにも、男性にも。
自由奔放に自分の心の赴くままに生きていきたかった。
結婚に拘らず、好きな人と好きな時間を共有し、合わなくなればまた一からやり直す。その過程で子を授かればよし。授からずとも大勢に影響はないだろう。
一人くらいこういう生き方をしてもいいではないか。私は王族に生まれたが、望んでそうなったわけではない。私の人生は私のものだ。
両親は驚いて何とか私の考えを変えさせようと手を尽くしていたが、私は耳を貸さなかった。そもそも誰のせいで私の人生が狂い始めたと思っている!?
その両親も今はない。
多少は譲歩してあげてもよかったのかもしれないなと思うこともある。
けれど私は私の人生を自分で選んだことを後悔していない。
前を向いて堂々と頭を上げて生きている。
風が来ようと波が打ち寄せようと揺らぐことはない。
人生は一度しかないのだ。
私は今テトラーダで音楽家として活動している。
人々に歌って聴かせる度、若かりし頃目の敵にしていた王女のことを思い出す。
僅か十六でトリトニアの人々を癒し尽くしてこの世を去った私の再従姉妹を。
風が吹けば飛んでいってしまいそうな痩せっぽちの少女のどこにそんな力が潜んでいたのだろうかと今でも不思議に思う。
勇者が青の剣の守人に就任して既に十有余年。
彼は過去の偉業の上に胡座を掻くことなく数々の問題に対処して功績を上げ続けている。あの王女との愛の結晶も青科でめきめき頭角を現しているという。
勇者に会いたいとは思わないが、彼の息子には会ってみたい。
二人の息子にもしも相見えることがあったとしたら、王女を苛めていたことを話して聞かせてみたいと密かに思っている。あの二人の息子がどういう反応をするのか大変興味がある。
そして私は今日も歌う。
癒しの姫パールティアのサーガを。
(トリトニアの伝説 外伝18 威風堂々 完)
ヒロインを苛める敵役として登場していたエスメラルダの独白です。
彼女の目から見た自分の青春時代を回顧するという趣向で書き始めましたが、まさかこういうラストになろうとは思ってもみませんでした。
最後の最後で急にわかったのです。
パールが諦めざるを得なかった音楽の道。パールになり代わり、という気持ちがあったかどうかはともかくとして、エスメラルダがパールの偉業を後世に伝えようとしていることが。我ながら書いていて思わず涙が滲んできました。
生まれた時の占いに翻弄されたエスメラルダ。王族であるが故に占いなどされてしまい、かわいそうに。
そんなことがなければ、同い年の再従姉妹同士、勉学に共に励み、友達として仲良く青春を過ごしていたのかもしれません。敵対視していたのはもっと親密になりたいという願望の裏返しだったのかも。
本編でも外伝でも称賛されてばかりの一平くんですが、エスメラルダにとっては嫌悪の対象にしかならなかったみたいですね。息子の方には会いたいけど、本人には会いたくないとはっきり言っています。
もしかしてトリトニアの政治に関わって陰ながら守人たちを支える存在になるのでは?とも思いましたが違ったようです。私の未来を勝手に挿げ替えるなと、怒られた気がしました。
パールは言ってみれば聖なる歌姫でしたが、エスメラルダは歌う語り部ですね。どんな歌声なのかな?生み出した自分にも聴くことはできないのが残念です。
題名はかの有名なエルガーの威風堂々をそのまま拝借しました。




