護られる男装令嬢
目を覚ましたら見知らぬ場所だった。
「え……まさかの貴族牢?」
きっと暗くてじめじめした地下の石牢にでも放り込まれるだろうと思ってたから、うちのよりもふかふかのベッドで起きるなんて全く微塵も想像していなかった。着ている物も肌触りからするとシルクかなこれ? 因みに女性用寝間着だ。
「あ、これ夢か」
そうだきっとそう。手と頭の怪我だって手当てしてある。王子にやらかしておいてこんな厚遇を受けるいわれはない。アハハ、ハハ…………駄目だ、痛いから夢じゃない。
頬を抓った手を下ろすと改めてぐるりと豪華な室内を見回した。窓の外は明るいから日中だ。
「うーん、誰かのお屋敷、とか? でも王宮に連行されたはずだしなあ」
困惑していたら誰かが部屋に入ってきた。
ノックもないのは、まあ私が囚人みたいな扱いだからだろうか。
いや、違う。
「なな何だ目を覚ましたのか!」
その相手がまさにこの国のカーストトップ組の王子様だからかもしれない。
「……第二王子殿下」
我知らず睨んでしまっていたのか、向こうは明らかにうっと足を止めて怯んだ。怒りか悔しさかすぐに顔を赤くもして。どうぞお一人で勝手に怒ってて下さいよ、こっちも今更敬う態度を取る気にもならないからね。
仏頂面でいる私へと王子は気まずそうにしたけど、不思議な事もあるもんで逃げたいのを押し殺すようにして顔を上げると、私を正面から見据えた。へえ、案外気骨はあるのかも?
王宮騎士みたいに鍛えればそれなりに使える人材になるかもしれない……なーんて、この王子が厳しい鍛錬に耐えられるわけないか。ふと彼の持ち物に意識がいく。トレーに載った包帯やら消毒薬の瓶が見える。どうして彼が手当ての道具を持参したんだろう。手当てなんて不要だと私を迫害しそうな人間ランクの現在No.1なのに。
彼はやや慎重に近寄ってくると、ベッド脇の低い棚にトレーを置いた。
「て、手当てをしてやるから、まずは手を出せ」
「…………怪我が悪化するような毒薬ですかそれ?」
「何でだっ! そんなものを使うわけないだろ!」
「殿下は私に腹を立てていましたし、その腹いせに毒でも塗るかなあと」
「そんなのするならとっくにしてる! 大体な、僕は女には優しくする」
あー、そうだった。彼にはバレたんだっけ。故に女物に着替えさせられているんだろうけど。
「まさか私の着替えは殿下が……?」
「はあ? 王子たるものそんな真似するか!」
目に軽蔑を薄く滲ませると、向こうは心外だと言わんばかりの顔をした。
「レティとかベルフォード嬢には破廉恥な下心で接近した癖に、そう言われて素直に信じると思ってます?」
「あれはっ……っ、悪かったよ! もうしない!」
え、は? 何て?
聞き違い? だって謝った。平民を見下し貴族相手でも横暴と評判の男が? もうしないとも言ったし。
大きな溜息が出た。
「殿下、人をからかって楽しいですか?」
「からか……? 僕はからかってなどにゃいっ……あっ、ないっ!」
思い切り噛んだよこの人。本当に演技じゃないの?
「仮に真面目な言葉だとして、私に謝って何の意味が? 当事者に言わないと意味はないですよ。それとも何か他の意図が?」
「……あの二人には謝罪を添えた贈り物をしておく。それと、お前の言う通り他の意図ならある。お前は、エマと言う名だと聞いた。マクラウドはその他は知らないの一点張りだが、絶対知っていて言わないだけだろうあれは!」
ステファンは私の同意のない以上、勝手な暴露はせず素性を伏せてくれたんだ。ありがとう、さすがは師匠の孫!
「殿下、私はロビンズ男爵の娘です」
「ふうん、男爵令嬢か」
「そうです。小さい家なので殿下はご存知ないかもしれませんけど」
「それは……もう忘れないから良いだろ!」
忘れてくれていいんだけど? ステファンにまで変な迷惑が及ぶのも嫌だから素性を明かしたけど、レティシアもわかってくれるよね。それ以前に女とバレてたから本格的に調べられれば時間の問題だったろうしね。王宮だって甘くない。
こっちの正体もわかったわけだし、男爵令嬢なんてこの王子からすれば平民と大差ない感覚じゃないの? でも蔑む様子は皆無だ。
彼が私に何を望んでるのかさっぱりわからない。怪訝にして次の言葉を待っていると、彼は先に私の手の怪我の消毒と包帯巻きをしようとしてだろう「手当てが終わらないと落ち着いて話せない」と手を伸ばしてきた。
「ちょっと待って下さい。本当に殿下に手当てなんてできるんですか?」
「失礼な、医者からもマクラウドからも習った」
「え? ステファンから?」
「ステファン……」
何故かこの時彼はとても不愉快そうにした。
「お前の性別をあいつも把握しているそうだな」
「ええまあそこは諸事情があって」
「マクラウドと、たぶんレティシア嬢もだろ。あと他には誰が知っている?」
「どうしてそんな事を訊くんです? まさか罰するつもりですか?」
「違う。言い触らすかもしれないだろ」
「私の一番の懸念は殿下ですけど?」
「僕はお前の秘密を他者にぺらぺら喋ったりしない!」
どうなんだかって猜疑の眼差しでじっと見据えたものの、本心からなのか彼は私の目をきちんと見つめ返してきた。何故か赤くなって急に咳き込んだけど。持病でもあるの?
「わかりました、とりあえず殿下の言葉を信じましょう。それに心配は要りません。レティなんて最初からグルですから」
「グル……?」
社交界の高嶺の花たるレティシアの見栄が始まりだとは夢にも思わないだろうなあ。それは良いとして、先の質問に答えない私へと彼はどこか恨めしそうな目を向けてくる。ホント一体何なんだか。癇癪を起こして言えーって噛み付いてこられても嫌だしなあ。彼を縛ってここから逃げるのもできるけど、後々を考えると無謀な策だろうし、よし、ここは話題を逸らすか。
「ところで、ここは王宮で合ってます?」
「ああ。王宮の中の僕の宮殿だ。ここには滅多に外部の者は入れないんだぞ。しかも最高級の部屋だ。ふふん、怪我だって応急処置はマクラウドがしたが、後でちゃんと王宮医にさせたから安心しろ。光栄に思えよ!」
鼻高々と語ってくれてるけど、元凶から厚遇されても全然ありがたくも何ともない。
むしろ本格的に裏の意図があるのではと勘繰るよ。
「殿下は私を公爵家への人質とか、取引材料に使うつもりですよね?」
「は? さっきから僕を何だと……っ。そんなのは人でなしのする所業だろ!」
だから、人でなしなのでは……?
ああそっか自覚ないのか。
彼はこっちの眼差しに感じるものがあったのかもっと文句を言いたそうにしたけど、ぐっと堪えて結局何も言わずに手の方の手当ては完了させた。意外に器用でしっかり包帯を巻いてくれたから、少し動かしたくらいでは傷口が開いたりはしなそうだ。
見直したりはしない。ジムを平気でいたぶっていた姿が嘘みたいでも、あのバルコニーでの出来事は夢でも幻でもない。自然眉根が寄る。
「い、痛むのか?」
「平気です。丁寧な手当てありがとうございます。殿下は私を罰するつもりで連れて来たんですよね。なのにどうして親切にしてくれるんです?」
「それは、その、怪我人でもあるし、もう罰するつもりもないから安心しろ。気が変わったんだ」
「そうなんですか? ならいつまでもこうしてお世話になるわけにもいかないので、そろそろ家に帰ります。あ、治療費はうちに請求して下さいね」
「なっ、帰るだと!? 頭の方がまだだろ。そもそも気を失うくらい強く打ったんだ、あと三日はここで安静にしていろ。食事も手当ても保証する」
「さすがに三日は長いです」
「長くない。僕を庇ったからこうなったんだしな。僕が快癒まで責任を持つべきだろ」
「……実は中身別人だったりします?」
「失礼な。僕は僕だ! ただ、気が付いただけだ。このままじゃ駄目だとな」
「駄目? ああまあ蹴り飛ばしたいレベルで横柄でしたもんね。自覚したなら何よりですよ」
「……結構ズケズケ言うよなお前も。本当に不敬罪になりたいのか? まあいい。とにかくだ、欲しいものができたから、心を入れ替えようと努めてはいる。……マクラウドから言われてな」
お、もしかしてステファンに諭された? 人生相談したら生真面目に答えてくれそうだもんなあ。この王子にも親身になったのかもしれない。
何にせよ、思わず目を丸くしちゃったよ。
人間変われば変わるものらしい。
「え、でも欲しいものって、殿下ならレアな宝石だってテイムされたドラゴンだって、手を尽くせば大抵の物は手に入るでしょう?」
「……大抵はな。だが全部ではないからな」
「へえ、案外謙虚なとこもあるんですね」
「す、少しは見直したか?」
「いえ特には」
あ、率直過ぎた? 不愉快に思ったのかもしれない、急に王子はじっと私を見つめてきた。うわー、やっぱ投獄だーっとかなったらどうしよう。
「ええと、何でしょう?」
「お前はそれを僕が得られると思うか?」
「それはわかりませんけど、まあ努力は無駄にはならないって言いますし頑張ってみては?」
「……」
「あのそこは別に人それぞれですし、私の言葉を信じなくてもいいで――」
「――なら、頑張るからな!」
「へ? まあやる気があるのは良い傾向ですよね。良い結果にも繋がるかもしれませんし」
彼は急に上機嫌になって顔を綻ばせたけど、周りからはこんな励ましと言うかヨイショを聞き慣れているだろうにね。まあ私のは別にヨイショじゃないけど、特筆すべき激励でもない。
大体初対面も同然だ。よもやバルコニーで身を挺して庇ったのに恩を感じたとか? うーんよくわからない。
まあそこはいいとして、わからないままにはしておけない事もある。
「殿下、確認したいんですけど、バルコニーでの一件では、レティもベルフォード嬢も、ベルフォード嬢の護衛も罰するつもりはないんですよね?」
「まあ、そうだな」
「良かった!」
私含め誰もお咎めはなしだ。安心したら頬も気も緩んだ。微笑みに近い顔をしていたかも。
彼は何故か短くハッと苛立ちと呆れと感心が綯い交ぜなような溜息をついた。
「やっぱり人の事ばかりだな。自分一人が罰を受けるつもりでいたしな。見返りもなく僕を助けるし、本当に馬鹿の中の馬鹿だろお前、お人よしめ」
「私自身の場合は、まあそうなれば脱獄でもして国外逃亡でも何でも手はあるかなーっと思ってましたから」
「脱獄!? 国外逃亡!?」
「あ、いや今のは言葉のあやですよ。レティに迷惑かけるような真似はしません」
「どうだかな。ふんっ、逃亡なんて絶対させないからな」
「何だかんだでやっぱり怒ってるんじゃないですか」
「は? 怒ってはいない。お前が国を捨てるみたいな事を言うからだ。ずっとこの国にいろ。ずっと僕の傍――あっごほごほっ、むむむ無駄話はもうここまでだ。さっさと頭の方やるぞ」
椅子に座って双方の腕を伸ばせば届いた手の時とは異なり、王子はトレーから必要な物だけを取るとベッドの端に腰掛ける。その表情は真剣だ。
「待って待って、頭は王宮医にやってもらいたいです!」
「何で」
「何でって、さすがに殿下にそこまでしてもらうのは気が引けるんですよ。親しくもない相手に頭を触られるのもちょっと……」
「むぅ。手はさせただろ」
「熱心に主張するのでおまけしたみたいなものです」
「ならこっちもおまけしろ」
「いや、どういう理屈ですか……」
ぎゅっと眉を寄せた彼は諦めるかと思いきや、逆に急接近。
あろう事かこっちを覗き込むように身を乗り出して、手で頬に触れてくる。
「何ですか?」
「これくらいで退いていたら、努力だってできない。痛くしない、優しくするから。怖いなら目を閉じていろ――エマ」
うわ近っ。手当てだからだけど、何故にどうして熱に浮かされたみたいな顔で見下ろしてくるわけ?
その可愛い顔にほだされる人はいるかもしれないけど、私は違うからね!
クラウスさんだったら撃沈だけど。
ああ彼のこと考えたら急にすんごく会いたくなってきた。昨日の今日だし心配してるだろうから申し訳ないよ~っ。
頭だって触られるのも顔を寄せられるのも何もかも全部彼が良い。
「殿下、いい加減にして下さい! ――クラウスさんじゃなきゃ嫌ですっ!」
あ、私うっかり変なことを言――
――ドガンッ、と激しい音と共に廊下との扉が粉砕したのが、たまたま私の位置からだと良く見えた。
え? え!? 重厚な木材で仕立ててあったろう扉が木っ端微塵て、何事!?
「なっ何だ今のは!?」
王子もギョッとした様子で振り返って、更にその驚愕を顕著にする。
だって扉を破壊した犯人がそこには佇んでいたから。
「エマ、迎えにきた」
唖然としてしまった私はその声にハッと気を取り直した。
「クラウスさん?」
「うん、エマ。ところでそんなに近い距離で二人きりで何をしていたんだ?」
「何って、殿下が手当てを」
「……へえ、状況を見るに、彼は素手でエマに触れたんだ?」
「はい? ああそう言われれば、手袋をした方が衛生的でしたね」
「そうだな。エマが汚いものに触れなくて済む。だけど済んでしまったからそこは仕方ないけどな」
汚いもの? ええとまさか王子を指してるんじゃないよねえ?
「お、おい公爵子息っ、僕の宮殿に不法侵入して挙げ句に器物損壊もしておきながらその悪びれもしない態度は何だ!」
「殿下こそ何でしょう? ――人のフィアンセに横恋慕ですか?」
「「フィアンセえええ!?」」
不本意ながら王子と見事にハモった。だけど、でも、フィアンセって、いきなりどうした!?
王子は猜疑的な様子でクラウスさんを睨む。
「因みに誰が誰のフィアンセだと?」
王子ナイス! 私から確認するのは気が引けたから助かった。果たしてクラウスさんは躊躇いなんて全くなさそうに、王子へと妙な余裕のスマイル全開で返答する。
「エマが、俺の」
「「…………」」
私の言語理解度がおかしくなったわけじゃなくて良かった……っていやいやそれより、いつ私は彼の婚約者になったっけ?
「ふんっ出まかせを! 公爵子息にフィアンセがいるなど初耳だ!」
「まあそうでしょう。今日決まりましたから」
「「今日!?」」
またハモった。思わず王子と顔を見合わせちゃったし。視界の端のクラウスさんが頬をヒク付かせた。
「ええ。そういう正当な理由ですので、俺のフィアンセを連れて帰りますね。ああ一応お知らせしておきますと、国王陛下の同意も得ていますから、疑うのであれば直接陛下にご確認下さい」
ツカツカと長い脚で傍に来たクラウスさんは、王子を掴んでベッドからポイッと放り出すと何事もなかったように私に向き直る。
「うわあぁっ、おい危ないだろ!」
「エマ、遅くなってごめんな」
「え? 何で謝るんですか。謝らないとならないのは私の方ですよ」
王子は完全無視だ。でも大丈夫なんだそんな扱い……?
クラウスさんは私の姿を見てほんの一瞬だけ顔を歪めた。
――っ。
その一瞬に、私の中で猛烈に羞恥心が膨れ上がって、同時に胸が痛んだ。彼は淑女としてみっともない私に幻滅とか嫌悪を抱いたのかもしれない。現に髪の毛は整えていないままだから長さがバラバラだ。
髪の毛は伸びるとあの時は気にしなかったのが嘘みたいに今は恥ずかしい。彼には見られたくなかった。
知らず知らず俯いて、両の手をぎゅっと握り締めていた。
「エマ!? 傷に触るだろ!」
クラウスさんが焦った声で指を開かせて、眉を下げてこっちを見つめる。
婚約者ってどういう事だとか、王宮を破壊して大丈夫なのかとか、疑問は沢山あるはずなのに、何一つ喉の奥から出てこない。
だけど、心配そうにする彼にいつもの気配を感じて、ようやく肩から力が抜けた。
「クラウスさん、傷は大丈夫なので帰りましょう。レティも気を揉んでると思いますし、折角迎えにきてもらいましたしね。ああそうだ、殿下が言うには誰もお咎めはないそうです」
クラウスさんはまだ暫し無言で案じたままの目でいたけど、小さく息をついて「わかった」と頷いた。
「何を勝手に! エマはここで僕と――」
王子が慌てて立ち上がろうとした矢先だ。複数の足音が急激に近付いてきた。
「フレデリック殿下大事はないですか!?」
「殿下! 先の爆音は何事です!」
レイブン騎士団の面々が駆け付けたんだ。破壊された扉口にはさしもの彼らもすわ襲撃かって一様にギョッとした。だよねー。気持ちわかるよ。
すぐに駆け付けられなかったのは、王子が彼らを宮殿から遠ざけたからだとは後で聞いた。それでも宮殿近くに控えていたので大きな破壊音を聞いて急いで駆け付けたそう。
「なっ、何が起きたのですか殿下!」
タイミング悪くもまだ床に尻餅をついたままでいた王子を見て騎士達は血相を変える。
そして視線を巡らせ、ベッドに私――少年エドウィンと、どうしてなのか公爵子息が一緒にいてこれまた度肝を抜かれたようにした。
何故なら、私はクラウスさんの上着でぐるぐる巻きにされていたからだ。足音が聞こえた時点で目にも止まらぬ早業で巻かれた。
たぶん女用の寝間着を隠すために。でも更に彼の陰にほとんど姿が隠れるように抱きしめられてもいた。
あまつさえ――
「ああ愛しいエドウィン、俺がどれだけ心配したのかわかっているのか? ん? これは帰ったら仕置きが必要だな。最高に泣かすから覚悟しておけよ? 愛の鞭もたまには振るわないとな。……嫌だと言っても止めないからな」
「……っ……は、反省してますクラウス様」
「その反省が如何程のものか、しかと俺のこの目で確かめてやろう……隅々までな」
「なっ、クラウス様の意地悪……っ」
私は敢えて恥じらうような声を出す。そりゃ女とバレるのは得策とは言わないけど、急にアドリブBL演技をぶつけてくるのは勘弁願いたい。クラウスさんってば何気に楽しげだしーっ。
だけど無自覚に色気出してくるの止めてもらえますー? その誘惑が辛いっ。
目論み通り王宮騎士達には巷で噂のBLカップルがいちゃこいている図にしか見えなかったようで、その中の一人が敢えてだろう強めの咳払いをした。ああ彼は私が素手で剣を握った相手だ。そこにあったからとは言え剣を汚して少し悪かったかなと実は思っていた。たぶんきちんと手入れはしたよね。
「アドレア公爵子息様、どうしてあなたがここに? 殿下と扉の有様を見るに決して穏やかとは言えない状況のようですし。それと、そこのエドウィン少年は現在殿下の管理下にあります故、離れて頂けますかな」
他の騎士に王子を助け起こさせて、彼が代表して会話を主導する。クラウスさんは冷ややかな目で相手を一瞥した。
「ごちゃごちゃと……。しかも管理下だって? マグヌス団長、俺は単に奪われた自分のものを返してもらいにきただけだ。それが何か問題か?」
あたかも、ピリッと空気が鋭く鳴るようだった。
その場の誰もが凍り付いたように息を詰まらせたのは私からでもわかった。団長と呼ばれた騎士も反論や疑問を返す勢いを完全に失ってしまっている。
何故なら、クラウスさんのその声は穏やかだったけど大いに寒気を感じさせたからだ。
顔を見ても彼は微笑を浮かべている。しかしその微笑みがまた見ている者を薄ら寒くさせている。目は全く笑ってないから。
えっと、どうしよう? 性別隠しは成功だけど、完全完璧にクラウスさんが怒髪天だ。
クラウス・アドレアはエマの手前殺気こそ抑えてはいるようだが、憤慨MAX不快指数MAX敵意MAXなどなど相手方への負の感情が半端ない。
それも道理だな、と一人廊下に佇むステファンは胸中で独り言ちた。
昨晩は妹と好きな女の両方を傷付けられて、更に好きな女を攫われたも同然なのだ。怒らない男などいない。ステファンだって昨夜は王子を殴りたかったが、少女二人が存外に勇敢だったので結局出る幕がなかったのだ。
現在、彼の場所からでも部屋の扉が大きく破壊されたので室内が丸見えだった。
彼はクラウスが何を話すのか気になって黙って耳を傾ける。ぶっちゃけ王子を殴るならそれでもいい。自分は止めないから存分に殴れとも思う。
この宮殿を訪れたクラウスをエマのいるこの部屋まで案内したのは、実は他でもないステファンだ。
彼は例の夜会で王子の様子が些かおかしかったので密かに観察していた。そして王子もエマの性別を隠そうとしているのに気が付き、試しに帰りの馬車でエドウィンの性別に気付いたのかと直球を投げた。この問いはステファン自らにも返る問いだ。彼も秘密を知るからこそできる。
加えて、自分も秘密を知ると明かしたのは、王宮でもエマから離れずにいる理由を得るためだ。案の定王子はエドウィンの知り合いだからと、ステファンだけは自身の宮殿への立ち入りを許可した。
馬車ではまた、王子からエドウィンの素性を訊かれたのでエマと言う名前だけは教えたが、それ以外は知らないとシラを切った。とは言えおそらくステファンが敢えて情報を隠したと察していただろう。
他にも、どんな娘だと問われたので、エマと親しくなりたいのなら振る舞いを改めるべきだと、結構ズケズケとアドバイスもしてみたりした。不興を買ってレイブン騎士団を首になろうとも構わなかったが、予想に反し素直にアドバイスを聞き入れたのには驚いたものだった。
話してみるとエマに悪いようにはならないだろうと思えた。そうでなければとっくに彼女を連れ出していた。
王子は余程エマが気に入ったのだ。
下手をすると初恋かもしれない。ステファン自身と同じように。
気に食わなかったものの、エマに無体を働かないのならそれでいい。
どうせ、王子に脈はない。
「エマはおそらく……」
呟きを止め、彼はゆるゆると頭を振る。
無論、王子がエマに手を出そうとしたら全力で阻止するつもりでいた。案じていたような危険は起きなかったので良かったが。
ただ、今からは別の意味での危険が起きそうな空気ではある。ステファンは続けて室内を注意深く眺めた。
「――ああそうだ、言い忘れるところでしたけど、殿下のその頬、昨日はうちの不肖の妹が大変にお世話になりました」
あたかも、兄として公爵子息としての正しい礼儀かと錯覚するような態度には、さしもの王子ですら最初は非難が浮かばなかったようだ。そこですよ、と指で代わりに自身の頬を指してふっと余裕の微笑を浮かべたクラウスの銀髪がさらりと揺れる。王子の頬は昨晩のレティシアパンチでまだ赤くなっていたのだ。
やっと皮肉られたのを理解するや王子は頬を引き攣らせた。騎士達は物理的な脅威でないのならと、団長以下下手に二人の会話には関わるまいと暗黙の了解で無表情無言を貫いている。
意趣返しと言う程冷静な思考からではなく、単にムカついて幼稚にも何らかの形でやり返したかったのかもしれない。王子は口元に昨日までのように彼独特の嫌な笑みを作った。
処置なしだなとステファンは心底白けた。もう真面目な話、第二王子の護衛任務から外れるのもいいかもしれない、とも。
「ははは世話か、その見返りはとても強烈なものだったがな、ははははは。折角レティシア嬢を赦してやろうと考えていたが、やめた。しかし赦してやらないこともない。そこのエドウィンが僕付きの侍従になるならな。勿論この宮殿に住まわせてだ。贅沢な衣食住は保証する、どうだ?」
王子は悪知恵でも働いたのか、騎士の後ろから出てクラウスへと近寄ると内緒話をするようにする。その口元の歪みは彼のそこそこの美貌を完全に損なうレベルだ。
「こいつの秘密だってバラさないでやるよ。レティシア嬢も諦める。悪くない話だろう? こいつは生涯僕の傍で暮らして、僕がたっぷり可愛がってやるから安心しろ。……良い体もしてそうだしな」
「なっ、クラウスさんの前でななな何て事をっ!」
離れていたステファンからは生憎何と言ったのか聞き取れなかったが、エマのカッと赤くなり喚いた様から粗方察した。今までの悪癖の延長で破廉恥な発言でもしたのだろう。
そしてそれは、クラウスの逆鱗に触れたのは間違いない。
室内の窓ガラス全てにほぼ同時にヒビが入り、一部は割れて砕けた。
「ひっ、何が起きた!?」
即座に騎士達は身構え、大きく慌てる王子はまたもぺたんと無様に尻餅をつく。急に腰が抜けたのはクラウスの殺気にあてられたからだろうが、よくわかっていないようだ。
誰もが固唾を呑んで次の事態を見守った。
ステファンにはクラウスから黒いオーラが立ち上る幻覚が見えた。爽やかに青いはずの瞳が禍々しく底光りしている。愚かな王子は決して起こしてはならない地獄の番犬の尾を踏んだのだ。
アドレア公爵家は魔法使いの家系でクラウスも魔法使いだと公表されている。今のは彼の抑制できなかった魔法が生み出した現象で間違いないだろう。
しかしその真実に気付いた者はこの場の騎士でも半数程か。
微笑を浮かべているクラウスは傍目には決して怒っているようには見えないのもある。
「殿下……一つ長寿のためのアドバイスをして差し上げましょうか」
「へ?」
にこやかに見下ろす公爵子息と困惑げに見上げる第二王子。身分の上下など無意味なくらいに力の上下を暗示している光景だとステファンは感じた。
驚きはなかった。
嫡男として申し分のないお行儀の良さを披露する反面、クラウスの本質はその限りではないのを薄々いや結構濃厚に感じ取って久しいからだ。どこかで見かける度にそう思っていたのが直接知り合って確定したと言うべきか。
片腕では依然エマをしっかり抱き寄せながら、もう片方の手を素知らぬ顔で王子へと差し出して立ち上がらせるクラウスは「とても簡単なことですよ」と笑みを深めた。
「――口を慎むだけです」
穏やかな声に刺されれば絶命必至の鋭いナイフが潜む。
ヒクッと王子の喉が鳴った。
ステファンはあまりやり過ぎるなよと呆れつつ、やれやれと密かに息をついた。
うっわあキッツーーーー!!
クラウスさんって時々辛辣だ。
だけど、私への侮辱に怒ってくれたんだよね? そこは素直にありがたい。くうう~っ嬉しいですよーっ!
たとえその声音は聞いた事のない冷酷さを秘めていて、まるで知らない人みたいだったとは言え、ね。
少しだけ怖かった。でも気付けば彼の服を掴んでいた。気が付いた彼の顔はもういつもの知ってる顔だ。この人に限っては怖くても優しくても美形は美形だし、人の表情筋って豊かだなあとしみじみ感じて見惚れていたら困惑された。
「エドウィン……?」
「はっ、ええと、早く帰りましょう。訊きたい事がてんこ盛りです」
そう言うと私は部屋の壁に立て掛けてあった愛剣へと視線を転じた。取りに向かおうと彼の腕の中で身じろぎすると、察したのか剣が鞘ごと浮かんでクラウスさんの手に収まった。彼の魔法だろう。見るのは初めてじゃないけど、やっばり使えると便利だよねえ。
「ありがとうございます」
「いつも不思議なんだけど、エドウィンはよくこんな重い剣をヒュンヒュン振れるよな」
「ああ、それは剣の主の私には最適な重さになるように元々剣自体に魔法が掛けられているそうです。私以外にはとても重く感じるそうですね。一応家宝ですけど、実は半分信じてません」
「おじさんが聞いたら泣きそうだな。まあでも使い手を限定する魔法剣か。貴重だよ」
「そうですかねえ? ――って長話してる場合じゃないですよね。帰りましょう」
彼から剣を受けとって懐に抱くと、嫌だけど一応フレデリック王子に手当てとかのお礼を言わないと、と顔を向けようとしたら体が浮いた。
「クラウスさん!? 自分で歩けますよ!」
「駄~目だ。俺が運ぶ。俺がどれだけやきもきして心配したと思って? レティだって相当だ。それにこの方が早い」
「早い?」
そうだ、とにやりとした彼が最早王子達には目もくれず、魔法でガラスの無くなった窓を開け放つや私を横抱きにしたまま窓枠に足を掛ける。
え、ちょ、何、猛烈に嫌な予感……。
「殿下っ、お世話になりましたーーーーっ」
だからこそ咄嗟に挨拶を叫んだ。それで正解。
だって直後、クラウスさんは窓から身を躍らせた。
あああぁぁーーーー……と私の情けない悲鳴が宮殿に尾を引いたと思う。目が回り過ぎてほとんど覚えてないけど。
人生初の飛行魔法は衝撃過ぎて、放心から気が付いたら帰りの馬車の中だった。
「エマも厄介な男から好かれたものだ」
廊下に佇むステファンは小さく独り言ちる。
目まぐるしい展開に茫然自失のフレデリック王子を気遣う気持ちは一ミリも起きない。誰だって恋敵は憎い。
ただし、なればこそ彼女が不利になるような発言はしないだろう。
無駄に寿命を削るような発言も。
予想通り、我に返った王子は暫し考え込むと、騎士達へと扉は鍵が壊れて開かなくなり、呼び付けたクラウスに破壊してもらったと証言した。
団長以下、表向き納得を見せた騎士達の誰も内心では信じていないのは明白だったが、ステファンはこれでいいと一先ずは安堵した。ここは腐ってもフレデリック王子の宮殿。深掘りするなとの宮殿主たる王子の意向さえ示されればそれで万事収まるのだ。




