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終わらない男装

 もうホント死ぬかと思った。

 クラウスさんと一緒なら普通は安心するはずなのに、落下と浮遊と密着で物理的心理的に大混乱で、冗談抜きに口から魂が半分出てたと思う。


「はふーはふーはふーっ、ふーう……さ、さてと、きちんとわかるように説明してくれますよね?」


 クラウスさんが乗ってきたんだろう馬車の中、ようやく正気に戻り気持ちを落ち着けた私が少し恨みがましく見つめると、向かいの席で律儀に私の精神回復を見守っていた彼は満面でまるでとろけるようににこりとした。きっと社交界の令嬢達が見たら真っ赤になって卒倒しただろう微笑みだ。

 しかしながら、私は何となく結婚詐欺師と駆け落ちしている気分になってくる。

 だってここ笑うとこ? 綺麗に笑っておけば女性がメロキュンして言いくるめられてくれるとか思ってる? だとしたら酷い。そんな猜疑心が顔に出ていたのかもしれない。彼は慌ててキリッとした表情を取り繕った。


「勿論全部説明するよ。何しろ俺達の最重要事なんだしな」


 ああ折角引き締めた顔がまたにこにこにこと緩んでますよー?

 でも何がそんなに嬉しいんだろう。


「王宮じゃどん底級に不機嫌そうでしたけど、今はどうしてそんなに上機嫌なんですか?」

「え? だってエマがさ、俺が君をフィアンセだって宣言した時に馬鹿言うな婚約なんてするかーっとか、婚約そんなの破棄だーっとか、拒否したり怒ったりしなかったから? エマは俺との婚約を受けてくれたって事だろ?」

「……」


 ど、どうしてそう自分に都合良く捉えられるんだーっ。

 不意打ち同然に勝手に婚約者なんて名乗られて、あの場じゃより混乱してたから良し悪しを考えられなかっただけだ。

 文字通り絶句していたら、彼は随分と眉間を寄せて深刻な顔をすると、表情を変えずに私をじっと見る。


「それとも、エマは嫌か?」

「――っ、そ、そうは言ってませんよ。そもそも昨日の今日でどうやって国王様にまで正式な同意を取り付けてきたんですか? 両家の許可も」

「ああそれ? 陛下の方は許可くれないならもう魔法関係で一切協力しないけどどうしますって提案したらくれたし、うちは当人同士が納得ならってくれたし、エマの家は出先まで押しかけたら俺の情熱を理解してくれて許可をもらえたよ。ほら、エマのとこ二人共魔物討伐に行ってるだろう?」


 両家はともかく、国王陛下のはほとんど脅しじゃ……。この先大丈夫なんだろうか。親しい友人が処刑台に送られるのは見たくないよー?

 思わず深刻に考え込んでしまって少し俯くように頭を傾けると、首元をざんばらな毛先が擦っていく。


「エマ、ごめんな」

「はい? 何がです?」


 目だけで応じれば、彼のその瞳にふと切なげな(さざなみ)が広がった。


「護れなかった」


 彼は私の不揃いな髪に手を伸ばしてくる。

 きっとみっともないに違いないそれに。

 嫌だ、これ以上見られたくない!

 咄嗟にそう思ってしまって危うく顔が引き攣りそうになる。寸でで笑って誤魔化したけど彼に悟られてないといい。


「あははは! なーに謝ってるんですか! クラウスさんには一切非がない事なのに。気になっても気にしないで下さいよ。前々から髪を切りたいなあって思っていたからちょうどいい機会ですね。ほら、バッサリ短くするのっていざするとなると思い切りが必要でしょう? 稽古時に一つに結ぶとしっぽビンタされて痛いんですよね。ホントにもう毎回ビシバシって当たるんですよ顔に。この苦労わかります?」


 普段から女神なレティシアを見慣れている彼からすると、今の私なんて見れたものじゃないだろう。

 多少不自然に饒舌にはなったけど、内心の動揺を押し殺し努めて明るく接していたら、次の瞬間、ふわりと首の回りにそよ風が吹いて私の細かな黒髪が舞った。それらは床に一纏まりになる。


「伸ばしてはやれないけど、長さだけは整えたから。あとで髪型はエマのしたいようにしてくれ」


 無事な左手で確かめてみればなるほど長さが綺麗に揃っている。彼はこんな芸当もできるんだと俄かに感激した。


「すごいですね、一瞬で……」


 感謝の言葉も掛けようとすると、向こうは思いの外真面目な顔でいたから言葉は声にならなかった。


「だからもう無理して笑わなくていいよ。落ち込む必要なんてない」

「え、落ち込む?」

「落ち込んでいたんじゃないのか? 今もだし王宮でも悲しそうにしていただろ」

「あっあれは別に短い髪だからと嘆いていたわけじゃ……」


 ああもう気付かれてたなんて。


「ならどうして?」

「それは……あなたにみっともない姿を見られたからですよ。せめてこうやって整えてからならまだ良かったんですけど。羞恥心です羞恥心」

「それは、寝間着姿よりも?」

「なっ! 忘れてたのに言わないで下さいよーっ!」

「あはは」


 ぼっと顔から火が出そうな心地で、彼から借りている上着の前を掻き合わせた。


「エマは髪形一つでも俺には良く見られたいんだ?」

「それはそうですよっ。綺麗所を見慣れている男の人からしたら品がなくて嫌かとはと思いますけど、我慢して下さいね」

「どんな想定の男だよ? そこに俺まで括られるのは心外だ。俺はエマをみっともないとか思った事は一度もない。可愛くて仕方ないとはいつも顔を見る度に、いや見なくても思っているけど」

「かっ可愛いって、ふざけないで下さいよ! 私はこの通り男の子みたいですしどこにそんな要素があるんですか。下手な慰めやお世辞は逆効果ですよ。フィアンセ云々も後でトラブルにならないための肩書きが必要だったからでしょうけど、婚約しちゃって本当に大丈夫なんですか? 解消するにしても簡単にできないかもしれないんですよ。今更ですけど」

「そうそう今更だ。だから気にするな」


 言葉の通り全く気にした風もなくからからと彼は笑う。


「もうっ真面目な話ですよっ。あなたの負担になるのは嫌なのに……」

「俺の負担?」

「はい」


 変に鋭いような間があった。もどかしさとかショックを押し殺したような感じの。


「……っんとに、自覚するまでどこまでもとろっとろに甘やかしたくなるな」

「はい?」

「エマは自分を全くわかってないっ。負担になんてなるわけないだろ。変な思い込みで自分を貶めるな。いいなエマ? 大体な、俺は好きでもない相手を、たとえどんな切迫した事情があったとしてもフィアンセになんてしない」

「え? でも?」


 それなら私は一体……?


「鈍いのか往生際が悪いのかどっちなんだか。くすん、エマは俺が嫌いなのか?」

「え!? まさか大好きですよ!」

「そうか。俺もエマが大好きだから、婚約するのに何ら問題はないな」

「いやいやいや駄目でしょっ、好きのニュアンスが違いますって。ホント何血迷ってるんですかっ、好きな人がいるって言ってましたよね!? 私と婚約なんて完全に詰むじゃないですかっ」

「詰まないよ」

「根拠は!?」


 彼はふっと相好を崩すと席を移ってくるや隣り合う手を握ってきた。顔を覗き込んでもくる。


 こういう恥ずかしいのレティシアの本棚ラインナップの中でも見かけた。いつになく狼狽しちゃったのもあって顔を背けて半ば反射的に手を引き抜こうとしたけど、そうする前に彼の太ももの上に繋いだ手を持ってかれた。加えて、指を絡められた。私の掌の皮はレティシアや社交界の令嬢達みたいに繊細で薄くない。剣だこだってある。美しい白魚の手には程遠いのに、彼は嫌な顔一つしないでこんな攻めを講じてくる。

 絶妙な力加減で握られてもいるから逃がしてもらえないみたい。

 何故至近距離でいる必要があるのかも思い至らなくて、恥ずかしさだけが急上昇で更に思考がカオスになっていく。あれこれ飛び交っていてむしろ真っ白に近い頭で唯一思うのは、得体の知れない痺れ薬にじわじわ侵されるみたいだって事。

 くらくら、くらくら、くらくら、メロメロ。

 先の魔法で切ってもらった毛先から何か媚薬でも流し込まれた?


「エマ、避けないで俺を見て」


 懇願みたいな声を無視はできなくてそろそろと視線だけを向けると、計算したかのように角度があざとい上目遣いな彼の目と目がバチリと合う。


「――っ」


 大きな緊張と動揺に見舞われて瞳が潤んで揺れる。

 ――メロい~~~~っ!

 叫ばなかったのは僥倖だ。もうこの人どうしてくれようかっ!

 こんなに胸が苦しいのに嫌じゃないから嫌になる。

 詰まないって発言の意味もよくわからないし。

 気恥ずかしくてじわじわと頬が熱くなるのに彼から目を逸らせない。


「俺は婚約解消はしない」

「私で本当にいいんですか? 社交界にはおしとやかで綺麗で可愛い女の子が沢山いるのに?」

「言っとくけど、その淑女達以上に君はキラッキラの宝石なんだよ。普段はピシッとした勇敢さにその可愛さは隠されているけど、腹立たしくも気付く奴は気付く。既に二匹も虫が……」

「虫……?」

「いや、とにかく、エマって実は俺が思う以上に相当慎重だよな」


 彼は耳元に唇を近付けてきた。


「あの夜遠慮なんてしないで、タオルなんかで防がないで、本当に噛み付いておけば良かった。ま、この世界にオメガバースはないけど?」

「へ? オメガバース? ――って、なっ……ななななな!?」


 彼が言わんとしている意味がわかって一気に首まで熱くなる。


「でっでも意中の人は――」

「――だからそれがこの子だよ」


 この子、と持ち上げられた手の甲にちゅっと唇を押し当てられた。


 BL演技でもないのに気障な真似をした彼の顔も気付けば猛烈に赤い。


 な、何だそれ……。

 じゃあ、じゃあ、今までの恋絡みの全部は私に向けられた言葉だったわけ? 確かに少し前までは恋愛モードとは程遠かったから振り向いてもらえてないって思われても仕方なかったけど。

 びっくりな展開に思考が追い付かない。


「あ、そうか、こんな有り得ないくらいに嬉しい展開現実なわけないよ。うん、そうだよ、これ夢か!」

「君ってホント斜め上……」


 呆れたのと拗ねたのと不満を含んだ声がすぐ傍で響く。


「一度ハッキリ示さないと駄目か」


 示す? って何を――


 引き寄せられて首筋に当たる彼の髪の毛がくすぐったい。

 ん?


 ……え?

 …………ちょっと待って?


 どうして彼の髪の毛が首筋に当たるの?


 予期せぬ彼の位置を認識した直後、かぷっと噛まれた。


 痛くはなかったけど、どさくさで噛んだ後に絶対に嘗められた。


 ……噛まれて、嘗められた、――項を!!


「もう未来永劫、エマは俺の運命の番だから。小説以上に甘やかすからな。覚悟するように。それと、一応確認しておくけど、エマも、さっきの俺を好きって言ったの本当の本当だよな?」

「え……?」

「えっ……」

「……――ぷふふっ、慎重過ぎるなんて、人の事言えないじゃないですか」

「焦った~。俺だってな、エマには臆病になるんです。エマは臆病な男は嫌いか?」


 ここまでするなんて、彼は本当の本当に私を好きなんだとそう理解した。夢でもないんだとも。

 これは私達の現実で本物で、いくら動揺しても無意識に気持ちの歯止めができていたBL演技の時と違って好きが駄々漏れてどうしようもない。どこまでも舞い上がって青天井だ。

 それでもついつい目が行くのはたった今触れてきた唇。

 確かにこの麗しい唇で項が……そしてこの先それは私の項だけじゃなく、もっと他のとこにも触れるはずで……。


 BL小説カプ、ロイ×アベの番になってからのめくるめく悩ましい展開が怒濤のように頭を過り、首も顔も耳も、ううん全身が沸騰したように熱かった。のぼせたみたいにふわふわフラフラ。


 溺愛に慣れるって剣の道よりもハードモードかもしれない。


「もうっ、それわかって言ってますよね! 私がどんなクラウスさんであれ嫌いになんてならないって!」


 へはっと彼は底抜けに嬉しそうに相好を崩した。


「むしろ、あなたこそどうなんですか? この先私はあなたに何か迷惑をかけるかもしれません」


 男装してるし、女だてらに剣士だし、師匠と結構危険な魔物退治にだって行っちゃうし、実家は血気盛んだし。そもそも本来彼と釣り合う家柄でもない。そんな私の何かが彼の重い負担になる日がくるかもしれない。

 でも、奇跡にも数多の女性の中から彼は私を選んでくれた。


 だからこそ胸にある不安も願望も曝け出す。


「誰も予想もしないとんでもない厄介を背負うかもしれません。それでも――この手を放さないで下さいよ?」


 彼は目を瞠った。私がこんな要望を口にするなんて思いもしなかったんだろう。ややあってふわりと微笑む。


「ああ、放すもんか。エマとなら何であれ必ず克服していける自信しかない」


 ……言い切るんだ。肩から余計な力が抜けた。

 彼となら酷い通り雨みたいな困難も虹がさす雨上がりみたいな幸福も、きっと地にしっかり足を着けて見上げられる。

 この人だけが、この人だからこそ、私にそう確信させるんだ。


「今更だけど勝手に婚約を決めてごめんな。エマが言っていたように、君を迎えに行く正式な立場がある方が、後々のトラブルを回避できるからって側面も確かにあったんだ。とは言えそれは動機のほんの僅かな部分で、大半は俺のエマへの独占欲なんだけど」


 独占欲なんて強い言葉を聞かされて、ドキンと心臓が高鳴った。

 私の中にも同じくそれはあるんだろう。


「改めて言うけど、エマ、どうか俺と婚約してくれ」


 真摯な眼差しと熱を帯びた声に腰が砕けそう。

 だけどお腹に力を入れてしかと頷く。


「はい。喜んで」


 向こうは目を細め満足そうにふっと微笑んだ。


「……万一断られても婚約解消なんてしなかったけどな」


 何かをボソッと呟いたその目が、一瞬獲物を狙うみたいにぎらりと鋭く光った気がして内心首を傾げたところで、彼は指先で私の顔の輪郭をなぞり出した。


「なっなななななにを!?」

「しーっ」

「!?」


 人差し指を立てて秘め事の相談でもするみたいに顔を寄せてくる。私はもう言葉にならない。彼の指先に片っ端から抵抗力が吸い取られていく。ついには敏感な唇にまで触れてきて、どうしていいかわからない。


「エマは自分を可愛くないなんて言うけど、とんでもない。さっきも言ったけどすっごい可愛いよ」

「なっ、嘘っ」

「何で嘘? 俺には誰より可愛いよ」

「~~っ」

「何度でも言う、エマは可愛いんだよ。自覚して」

「……っ」

「目を逸らさないでこっち見て、エ~マ? 俺の愛しい愛しいフィアンセ殿? あ、目を瞑るなんて反則しているとキスしちゃうからな」

「えええっ!?」


 大きく目を開ければ、近付く端正なかんばせが。

 わーっこの人眉毛凛々しい睫長い青い瞳に乾杯鼻筋綺麗肌ツヤツヤ唇も色艶厚さ形全部良い~っ。


「悪いエマ、今度は目を閉じて」

「あ……はい」


 甘さ控えめでお願いしま~す……なんて注文は受け付けてないみたい。

 二人きりの馬車の中、唇を甘い熱が蹂躙した。






 あの後、お互いの熱を少しずつ少しずつ冷ますように、二人で静かに並んで座って、でも手は指を絡めて甘く繋いだままに馬車は走った。掌だけじゃなく彼の上着と寄り掛かった体の片側の温もりと、嗅ぎ慣れた人の匂いと、ここは私の場所なんだって妙な安堵も加わって、時折りうとうともしながら幸福が沁みた。

 過ぎる景色とか彼の魔法の話とか、取り留めのない会話はゆっくり穏やかで、馬車はそのうち公爵家へと着くだろう。


 ……なーんて私の気楽さを悔いたい。


 クラウスさんは私が落ち着いたと見るや何と説教してきた。言葉にするのも恥ずかしいイチャイチャをした後できっちりと。うん、そういうとこ恋人になってもクラウスさんはクラウスさんだよねー。


 もう無茶するなって叱られたんだ。もし嘘がバレても、レティシアは腐っても公爵令嬢でしたたかだからどうにかするって。彼女は自身の評判よりも私が怪我をする方が堪えるとも言われた。

 言われてみればそうだ。レティシアはそういう人間だ。

 淡々と私を諭しながらも、彼も私がこの先無茶をしないようになるのを願っていると肌で感じた。

 好きな人が自分を案じてくれるのが純粋に嬉しい。

 だけど案じるより安心してほしい。


「誰も罰を受けなかったのは結果論ですし、レティを護れたとは言え反省すべき部分があるのはそうですね。無茶しないよう善処します」

「はあ、そこは無茶しないって言ってほしいんだけど?」

「あはは、それは難しいかと」

「だよな、わかってた。だから無茶してエマが自力じゃ自分を護れない所は、俺が全力でエマを護るからな」

「クラウスさん……はそこまで暇じゃないですよね?」

「……ああホントそういう所だよなエマは! もう少しくらい甘えて!」


 そこはかとなく投げ遣り感を出してクラウスさんは頭を掻いたけど、その顔は私に拗ねていた。


「じゃあ、今少し甘えます」

「……エマはホント狡い」

「ふふっ、お互い様ですよ。私もあなたに滅法弱いですからね」


 いつか肩を貸した日のように、今度は私が寄り掛かる。もう彼は満更でもなさそうにして文句を言わなかった。

 ただ横に居てくれるだけで私の中のネガティブ思考は遥か彼方。今なら彼のどんなお願いでも聞き入れてしまいそう。

 レティシア的に言わせると私も彼もチョロいの括りだろうか。

 そのレティシアには彼女が怒る前に抱き着いて謝り倒してしまおうか、なんて卑怯な段取りをあれこれ考えていたら、いつの間にか馬車は公爵家の門を潜っていた。






「エマ! ああエマ! 帰ってきて良かった……! あらその髪は? わたくしが整えようと思っていたのに」


 馬車を降りた私の髪を見てちょっと目を丸くしたレティシアは、すぐさま彼女の兄がそうしたって悟ったみたい。傍に立つクラウスさんに少し恨めしい一瞥を向けてから私に直ると、泣きそうな顔になって抱き着いてきた。彼女が涙を浮かべるのは極めて珍しい。とても心配させたんだ。先に謝り倒す作戦は見事に失敗だ。


「怪我の具合はどうなの? きちんと消毒したの? 清潔そうな包帯は巻いてあるけれど、手も頭も薬は塗ったの? 鎮痛薬は? まだ痛いわよね? と言うか寝てなくて平気? 必要ならすぐにでも担架を持ってこさせるから具合が良くないなら遠慮せずに言って!」


 親友からの怒涛の質問にちょっとだけ気圧される。


「こらレティ、心配なのはわかるけど少し落ち着け。エマがたじたじだ」

「あっ、嫌だ、わたくしったら。ごめんなさいエマ」

「ううん、私こそ無茶して心配掛けてごめんねレティ。怪我は王宮のお医者さんが診てくれたらしいから大丈夫だよ」

「それなら腕は確かね。良かったわ」


 薄く滲んだ涙を指で拭ったレティシアは安心したようだった。


「エマとこうして無事会えるまでは本当に帰ってくるのか不安だったのよ。マクラウド卿がいるとは言ってもやっぱり一騎士では立場が弱いもの。フレデリックのあの野郎に何をされるかわかったものじゃなかったでしょう? だからこそお兄様には必ずエマを連れ帰るようにって厳命したのよ。もしできなかったら男辞めろって脅し……いえいえ、何にせよお兄様の妙案を試す事にしたのが功を奏したようね」


 ……脅し? 聞き違いかな?


 クラウスさんを見れば読めない顔付きでいる。なるほど、詮索するなってやつか。時々思うけど兄妹仲は大丈夫なんだろうか。


「そっか、それが婚約なんだね」

「そうよ! 上手く各方面の許可を取り付けたのはヘタレな割にはでかしたわお兄様って心底感心したものよ」

「はは……エマを連れ帰れって言うけど、具体的な方法は俺に丸投げだったからなー」

「そ、そうだったんですね」


 表情を陰らせるクラウスさんに少し同情した。しれっと国王様を脅したとか出先に突撃したなんて言ってたけど、よくよく考えれば普通じゃないんだよね。妹のために私のために凄く頑張ってくれたんだろう。


「うふふっお兄様は無事にエマのOKをもらえたようね?」


 私とクラウスさんは顔を見合わせて、ごく自然に微笑み合った。そこには照れ臭さと擽ったさと優しい気持ちが溢れた。

 レティシアも笑みを深めた。


「フフッフフフフフ……より気持ちの籠った熱いロイ×アベが見れそうねえ~」

「「……」」


 腐令嬢最強説……。


「さあさ、中に入りましょう。エマは着替えないと。いつまでもお兄様の上着で隠しているわけにもいかないでしょう。……まあ脱がせるのは簡単そうだけれど」

「ちょっと待ってどういう意味レティ! 私達は健全だよーっ!」

「ごほごほっ、早く中に入るか」


 湯気が出そうになる私とニヤニヤするレティシアと、何か不埒な思考を誤魔化そうとしているように見えなくもない紳士なクラウスさんと。

 三人で揃って歩き出す。

 嗚呼、何と言う幸福時間。

 どんな宝石も敵わない心満たされる輝きが胸一杯に広がっている。いつまでも味わっていたい無防備になれる私の安息地。

 私は世界一の果報者だなって感動が、泣きたいような衝動を伴って胸に強く拡がった。


 余談だけど、フレデリック王子にメンチを切ったレティシアは、レイブン騎士団の中ではちょっとした伝説になってたみたい。後日ステファンからそう聞いた。






 昨夜は送り届けてもらった私が馬車から降りるや、髪の毛と包帯を見て卒倒しそうにもなった実家の使用人皆は、私に遅れて馬車を降りたクラウスさんを見ると安堵した顔になった。


『悪しき王家よりお嬢様を救出下さり誠にありがとうございます! あなた様がお嬢様の婚約者なら一生安心です!』


 代表してうちの執事が涙ぐんで頭を下げると他の皆も彼に倣った。

 でも悪しき王家って言い方……不敬罪が危ういよ。

 さすがのクラウスさんも苦笑いしてたっけ。一応アドレア家は王家の遠戚だからね。

 レティシアは国王様に好意的だから、きっと国王様はまともな人なんだろう。……二番目のフレデ何ちゃら王子とは違って。


 私達は婚約式を執り行わない。


 婚約者の素性はまだ世間一般へは明らかにされないためだ。

 公になれば記者達が押し寄せるだろうからって言って、騒がしくなるのを嫌った両親の意向が大きい。

 まあそうは言ってもいつかは絶対するってクラウスさんとレティシアの主張が激しいし、国王様とかの一部の人間は知ってるけどね。他に言い触らしたりしない人で幸いだよ。

 ただ、フレデリック王子までそうなのが最高に解せないけど。

 正直私はしなくてもいいかなと思ってる。結婚式はしたいけどね。それを言ったらクラウスさんが酷く切ない顔をしたから少し罪悪感が湧いたっけ。


 それでも公爵子息が婚約した事実だけは周知になっているからこそ、婚約者はベールに包まれたミステリアスな女性として社交界での話題をさらっていた。


 話は変わるけど、私は相変わらずレティシアの専属護衛エドウィンをやっている。


 専属護衛と言えば、ベルフォード嬢の所のジムは後遺症もなく無事復帰した。しかも夜会で見かけた二人は何だかちょっとイイ雰囲気そうだった。たださあ、まだ私を見ると弟子に云々と追いかけてくるからなるべく避けるようにしていた。

 レティシアとは顔を合わせると相変わらずウフフオホホと張り合っているけどねー。でも以前までとはどこか違って、ベルフォード嬢も本気でレティシア憎しと思っているわけじゃないみたい。ふふふ素直じゃないな。


 こっちの話に戻ると、限定的に張らないとならないレティシアの見栄はともかく、私が一つ腑に落ちないのはクラウスさんだ。

 彼はもうわざわざ女除けのために男装の私と演技をする必要がないのに継続してるんだもの。


『エドウィンに手を出されないよう牽制が要るだろ』


 と大真面目な顔付きで理由を告げてきたよ。

 えー……要るかなあ?


 一方、これも相変わらずで、私は日々剣の稽古に励んでいる。


 いつか蓋を開けてみたら、公爵子息の相手は単なる筋肉馬鹿でしたーなんて私が嫌だ。彼に見合いたいって思いが一段と強まっていた。

 どうしたら胸を張れる婚約者になれるかを、もう定番になりつつある合同稽古でうちを訪れたステファンに相談してみたら、何とも真っ当な筋道を示してくれた。


 うちの家業を一層繁栄させて、この国トップクラスにすればいいって。


 改めて考えれば当たり前なんだけど、指摘されるまで自分じゃ考えもしなかったから、なるほどそうだよって目から鱗だった。

 そのためには魔物討伐なりダンジョン攻略なりの功績を上げるのが手っ取り早く、将来家業を継ぐ私自身にも腕っ節が必須だ。

 より迅速に効率良く腕を上げるには、やっぱり戦闘経験の積み重ねがベストだろう。師匠不在だからって現状維持じゃなく、その間に少しでも強くなっておきたい。

 ならさてどうやってと考えて、両親に同行するのも一つの手だけど、依頼はイレギュラーだから効率は良くない。あと師匠との討伐よりもレベルがガクンと落ちる。

 相談したその場で悩んでいたら、ステファンは躊躇いがちに次のような助言をくれた。


 王宮騎士になればいい、と。


 王宮騎士は各騎士団ごとに多少の中身の差異はあれ、日常任務だけじゃなく、毎日の鍛錬の他、野外訓練、魔物討伐などなど盛り沢山らしい。実力で割り振られる任務もあるらしく、困難を乗り越えれば越えるだけ必然的に腕が上がるそうだ。うんうん納得だよ。師匠の扱き程じゃなくてもその中で過ごせば私一人で素振りをするよりは遥かに有意義だ。


 だから、王宮騎士になろうと思う。


 目標が定まり希望的展望を抱いて全騎士団一律の入団試験への準備を進めていたある日、アドレア公爵家に少年剣士エドウィン宛の手紙が届いたとの連絡があった。


 それも何と王宮から。


 表向きエドウィンはレティシアの専属護衛として公爵家に住み込んでいるって設定だから手紙は公爵家に届いたってわけ。


 まさかエドウィン宛に手紙が来るなんて予想もしていなかったから驚いた。


 そして手紙を開いてみて更にびっくり。


「これは……」


 公爵家の誰もエドウィン宛の手紙を勝手に開封したりはしなかったから、レティシアに呼び出されて公爵家の応接室で一番に手紙を読んだ私の反応に、向かいの長椅子に並んで座るレティシアとクラウスさんが興味津々だ。

 読み終えた私は二人へと居住まいを正すとこほんと咳払いする。


「ええっとですねえ、この度私エドウィンは……王宮騎士団にスカウトされました~」

「「はああっどこの!?」」


 ワオ、息ぴったり。向かいの席から身を乗り出してくる兄妹へと文面を見せながら、一応は口頭でも説明する。


「下弦の月騎士団から」

「下弦の月と言えば現在は王太子配下の騎士団だな。どうして急にそんなところから? 接点なんてないだろう?」

「はい何でも、王太子達もあの第二王子との騒動があった夜会にお忍びで来ていたらしくて、私達の騒動を目撃したんだとか。それで私みたいな反骨精神のある若手が欲しいんだそうです」

「反骨精神って……あの方はまた……」


 クラウスさんは何故かげんなりしたような顔をした。この話し方からして王太子と知り合いなんだろう。

 王宮騎士になりたいって希望をクラウスさんには既に話してある。そこに来てのこの手紙だ。時に危険を伴う騎士団に婚約者の私が入るのを本当はよく思っていないみたい。

 ……私がそれより危険な魔物討伐に師匠とちょくちょく行ってたって聞いたら、卒倒するかもなあ。


「読んで早々だけど、エマはどうするつもりだ?」

「このお話を受けようかと。何か裏があるならそれはそれで対応して行けばいいと思いますし」

「うふふ、エマは時々世界最強じゃないのって思うわ」


 苦笑するレティシアとは裏腹に、クラウスさんは考え込み少しだけ眉間にしわを寄せている。すると、レティシアが両目をこれでもかって程輝かせた。


「そうだわ王太子と言えば、彼の周辺と言えば、美形男子ばかりよね! しかも王太子は何と女嫌いでゲイだって言われているわ!」

「え、あ、そうなの?」

「へえ、そうなのか」


 眉間を開いたクラウスさんが何だかホッとした様子を見せる。レティシアがそんな兄を残念な目で見据えた。


「お兄様、その顔はエマを狙われなくて良かったとか思っているわよね。でも生憎王太子にとってエマは美少年エドウィンなのよ。男認識なのよ! わたくしの言わんとしていることがわかるかしら?」


 クラウスさんがハッと大きく息を呑む。


「そうよ、入団するなら男として。実は女だと知られたら王族を欺いたと断罪されるかもしれないもの。だからうっかりしたら王太子に服を脱がされるかもしれないのよ。まあ本当は女子だから脱がされるだけでしょうけれど」


 ああうん、女には萎えるから最後まではされないって意味だよね。際どいなあもう。


「だがしかしよ、エマの裸は見られるわ。お兄様よりも先に他の男に嘗め回されるのよ!」

「――!?」

「ちょっとレティ変な事言わないでよー! 大体ね女嫌いなら嘗め回される心配はないよ!」

「あらそれだって油断大敵よ。エマなら女でも平気だーってなるかもしれないわ」

「えー、さすがにそれはないんじゃないのー?」


 呆れていると、無言で席を立ったクラウスさんがこっちに回り込んでくるなり両膝を突いて見上げてくる。それも懇願の眼差しで。


「クラウスさん?」

「エマ、下弦の月だけはやめよう。断るのが手間なら俺から断りを入れておくから。エマに不利なようにはしない」

「お兄様ったら自分勝手~」

「レティはエマが俺以外の男に迫られても平気なのか!?」

「わたくしの目の前で、それも男装でなら宜しくてよ~オホホホ!」

「この裏切り者ーっ!」

「オーホホホ新たなBLカプを見れるなら、それもまた一興。お兄様の事情なんて二の次よ~」


 えーと、懸念事項が締まりないなあ~……。思わず精神疲労の溜息が出た。

 いや、立場が反対なら私も不安になるか。


「クラウスさん、周りにどんな人間がいようと私はあなた一筋です。オメガバース的に言うなら私の番はあなたです。もしも変な事をされそうになっても叩きのめしますから安心して下さい。相手が高貴な誰であれそうしますから、その時は尻拭いお願いしますね?」


 両側からぐいっと彼の頬を挟んで目と目を合わせ、しかと言い聞かせる。図々しいのは承知だけど、私はあなたをそれくらいに頼りにしているから、不安に思わないで婚約者として堂々としてていいんだよって示したかった。安心して笑顔になってくれたらそれでいい。ううん、それがいい。

 何だかきゅんとした乙女のように向こうは瞳を揺らした。


「ああ……うん、任される」


 えっ素直~っ。しかも頬に添えていた私の手に彼の手を重ねて頬を擦り寄せるや可愛くはにかむ。

 あ、甘えられてる? な、撫でたい~っ。


「……あらあら、尻拭いどころかお兄様ったらもう尻に敷かれてるわねー」

「は!? そそそんなつもりじゃないよ~っ」

「ははっエマになら尻に敷かれても本望だな」

「ちょっ、クラウスさんも否定して下さいよっ」


 朗らかな兄妹の笑い声が上がって最後には私も笑った。過程はともかく、どうにか説得できたのは良かった……とそう思っておこう。


 そんなわけで、私は下弦の月騎士団からのスカウトを受けた。


 エドウィンとして。


 そう、男装は解かない。


 何故なら、女騎士はまだまだ好奇の目や偏見の目を向けられて、一部から変な嫌がらせもあるって言うから、その相手をする無駄な手間を省けるならそうしたい。


 セコいけど、男として入団する。


 ところで話は逸れるけど、何とフレデリック王子はレイブン騎士団に自分の護衛任務の解除を命じたそう。全員他の任務に回すよう国王様に訴えたそうだ。稽古に来たステファンからそう聞いた。どういう心境の変化だろう。

 護衛居なくて大丈夫? 背中から刺されない?


 変な事を企んでないといい。


 そんな一抹の不安を抱えて迎えた、下弦の月騎士団の新規団員の入団式当日。場所は騎士達の鍛錬場になっている王宮の広場の一つだ。


 ここの制服は男女兼用だから普段から男装と言っていい。しかもカッコイイんだよこれがまた。

 黒が基調のレイブン騎士団の制服とはまた違ってこっちは白が基調なんだ。エンブレムとかの刺繍糸は銀だしね。

 それはさておき、私は大いに驚いていた。


「な、な、な、な、何でここに!?」


 下弦の月騎士団関係者の前だってのに素っ頓狂な声を上げてしまった。一部他の騎士団のメンバーもいる。それぞれの団長や副団長だろう。


「ああ、エドといつも一緒にいたかったから、王太子殿下に俺を臨時団員にしてくれって頼んだんだ」

「私はレイブン騎士団に異動願を出したら、偶然にもここに配属が決まった次第だ」

「ふんっ、お前がスカウトされたと聞い……ごほごほ、お前に負けないようもっと鍛えないとと思ったから、ここに入れてほしいと兄上に頼んだ。ふふん、これでもちゃんと全体の入団試験はパスしたんだぞ」


 私の目の前にはクラウスさん、ステファン、フレデリック王子の三人の男達がそれぞれ佇んでいる。

 何だかクラウスさんは笑顔が怖い気がするけども。

 彼と一緒なのは嬉しいし、ステファンがいるならこっちの鍛錬意欲も増す。

 フレデリック王子は基本関わらないのがベストだ。


 なーんてぐるぐる考えて整列にもたもたしていたからか、前方中央に立つ王太子がパンパンと手を叩いて整列を促してきた。

 ライオンの鬣みたいな金髪の、ガタイの良さといい表情といい豪快さが際立つ青年だ。……あれはどう見ても攻め担当だよね。


 今日の新規入団者は私達以外にも、普通に試験をパスしてここに割り振られた者達や特別に許可された者達がいる。それでも全部で二十人はいないかな。


「まずはじめに、本日の諸君らの入団を心より歓迎する!」


 列が整い広場が静まると、王太子その人による祝辞が始まった。ただ単に身分だけが上だったフレデリック王子とは異なり、騎士団の団長職にもある彼の力強い声を聞きながら、クラウスさんの隣に立つ私はふふふと内心で笑った。わくわくする。騎士団の仲間と早く手合わせしてみたい。


「――であるから、当騎士団の団員として各々が自分を磨き仲間と切磋琢磨し大きく成長していってほしい。そして下弦の月騎士団の更なる発展、及び王国の繁栄のため、諸君ら一人一人がその礎となる事をしかと胸に刻み、誇りと責任を持って日々の任務に当たってほしい。改めて、入団おめでとう!」


 気付けば滔々と述べられていた祝辞の終わりに、王太子が私達を見渡してにかっと太く笑った。

 うおーっアニキ! カッチョイイゼ~!

 そう叫びたくなる人だ。


「エド、余所見は感心しないな」

「――っ」


 そんな事を考えて密かに興奮していたら、クラウスさんが耳打ちしてきた。しかも今の絶対わざと息を強めに吹きかけてきたよね! この場で何を考えてるんだよーっ! 思わず赤面したじゃんね!

 って、うわあああほら王太子がめっちゃガン見してる……!

 ステファンとフレデリック王子までじと目だしっ!

 あああもう~っ目立たず余計なトラブルなく過ごしたいのに~っ!

 この調子じゃ厳しいどころか甘い騎士団生活の始まりになりそうだよ。

 入団は早計だったかもしれない?

 いや、いや、私が乱されないで堅実に鍛錬に集中すればいいだけだ。クラウスさんもわかってくれるはず。

 だけど、非番の日は恋人らしく過ごしたい、かも。

 こそりとその旨を告げたら、今度は彼の方が赤くなった。

 うわっ王太子からまだガン見されてるけど!?

 咳払いしてピンと背筋を伸ばして居住まいを正す。


「クラウスさん、これからここで、公私共に宜しくお願いします」

「ああ、こちらこそ宜しくな」


 前を向いたままこそりと告げたら同じくこそりと返された。

 ああ大好きな人と臨む騎士団生活なんて贅沢過ぎる~っ。

 婚約者のクラウスさんが居る、それだけで何でもできそうだよ。


 さあ、新天地下弦の月騎士団にて、王宮騎士エドウィンの始動だ。


 因みに、レティシアはうちの騎士団に頻繁に差し入れに来るようになった。彼女が何を求めて訪れるのかは、言わずもがなだろう。ここは彼女の理想郷。薔薇の園だ。

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