護る男装令嬢
フレデリック王子はレティシアに会えたからか上機嫌に懐を広げて近寄ってくる。ジムを殴っていたと思しき若い騎士は手首の調子を確かめるようにしていた。薄笑いを浮かべている様子からして少しも罪悪感がなさそうだ。実力主義だからこそ、中には卑劣なのもいるのが王宮騎士の実情だ。子供が憧れるキラキラした騎士ばかりじゃない。
とは言えこの王子にはお誂え向きの人選だねー。
「ハハハやっと会えたな。パーティーの度にレティシア嬢の姿がないかと期待していたんだぞ。しかし派閥が違うと中々顔を合わせる機会も少ないだろう。今夜はと期待していたところだ」
王族や貴族には出席すべく集まりが多く招待が重なる事もしばしばだ。どこの招待を受けるかは王宮での派閥も関係してくる。アドレア公爵家と第二王子は派閥的には異なっていた。
今夜のは派閥色の薄い集まりだからか、様々な顔ぶれがいるそうだ。
ハハハ、レティシアじゃない令嬢に節操なくも言い寄ってた癖に良く言うよ。紳士なクラウスさんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
王子は思い出したようにベルフォード嬢とジムにさっさとどこかへ行けと恫喝すると急に猫なで声を出す。不安そうにする彼女へともう行くように頷いてやると、彼女は力を得たように気丈な目になって頷き返してから、ジムを支えて立ち上がるとバルコニーを出て行った。どうにか支えられてでも歩けたのは良かったよ。そんなジムは私を「し、師匠……」と申し訳なさそうに泣きそうな面持ちで見てきたから、彼にも大丈夫だと頷いてやった。でも師匠じゃないよ~?
「今夜会えたのも僕達の運命だな。そうだレティシア嬢、僕とここでお喋りでもしながら親睦を深めないか?」
片手を差し出す王子の逸る声にも社交スマイルを張り付けたレティシアの眼差しは寒々しい。目は笑ってないってやつね。運命だとか平気でこじつけるのもとても滑稽だし。
「申し訳ございませんが、ここにはたまたま会った友人の困り事を手助けに来ただけですし、気分が優れずそろそろ帰る予定でしたので、殿下のご希望には沿えそうにありませんわ。それではわたくしお兄様を待たなければなりませんので、これで失礼致しますわね。ごきげんよう王子殿下」
品よく微笑みつつも優雅にお辞儀してさっさと踵を返したレティシアに、王子と長々と会話する気がないのは明らかだ。私も倣って小さくお辞儀をしてから背中を向ける。
にべもなく断られて押し黙った王子はけれどすぐに気を取り直した。
「待てレティシア嬢、そんな釣れない所も貴女の魅力だな。ここまで走ってきた癖に体調が悪い? ははっそんな見え透いた嘘をついてまで僕の気を引こうとするとはな」
いかに公爵令嬢と言えど、自国の王子に待てと言われたからには立ち止まらないわけにもいかずバルコニーの出入口で足を止めたレティシアは、周りに悟られない程度に苛立ちに肩で息をするとゆっくり王子を振り向いた。
ガラス張りの格子戸なのでこちらの様子がある程度わかるせいか、会場の一部がバルコニーへと視線を向けてきている。直前に出たベルフォード嬢達の有り様が注目を浴びたのもあるだろう。王子の他の護衛騎士達も集まってくるのが視界の端に見えた。
注目される前に立ち去りたい。
「申し訳ございませんけれど、殿下、どうかご理解下さい」
声音は沈着なのにレティシアの笑顔が極めて怖い。物凄く綺麗だけどだからこそ私にはわかる。綺麗な薔薇にはトゲがある。うん、ホント殺気に溢れまくってるーっ。今にもてめえこのボンクラとっとと失せろって言い放ちそうでヒヤヒヤだ。私不敬罪で連座は御免だからね?
指先でドレスの裾をつまみ改めて楚々とした淑女の礼をするレティシアを目を細めて見つめた王子は、何を思ったか近寄ってくる。
念のため私が少しレティシアの前に出ると、王子はこれ見よがしな横柄な態度で私の肩に肩で強くぶつかってきて「邪魔だどけ」と乱暴な声を出した。別に怖いとは感じなかったけど、レティシアが「エド!」と心から私を案じる声を出す。
「高貴なあなたがこんな野良などに執心するな」
はは、童顔王子様はレティシアが私を心配するのがどうにもこうにも気に食わないらしい。
百歩譲ってそこまではいいとしても、次の行動は見過ごせなかった。
彼は何と失礼にも強引にレティシアの手首を掴んで、ぐいぐいとバルコニーの奥の方に引っ張って行こうとする。
「放して下さい殿下」
「いいから来い」
足を踏ん張るレティシアだけど、華奢な彼女の力じゃ曲がりなりにも男の腕力には対抗できない。私だって力のいなし方流し方を熟知しているから男とも渡り合えるけど、単純に腕相撲じゃ大半に勝てないだろう。こんのフレデリックソ王子めええ~っ!
私はレティシアを引っ張る王子の腕を掴んでにこやかに制止してやった。
「お嬢様をお放し下さい殿下」
「……野良がっ、不敬だそ!」
人数を絞っているんだろうってクラウスさんの推測通り王子の女漁りに同行の騎士は先に言及した一人で、彼は任務の性質上「殿下!」と気色ばんでその殿下を掴んでいる私を「不届き者め!」と罵倒し進み出る。飛び掛かってきたから一度手を放してやって避けて足を引っ掛けてやったら、無様に転んだよ。
「既にお嬢様は返答を致しました。何卒ここはご容赦下さい」
「容赦などするかっ、これは王族命令だ!」
「なっ」
王族命令!? 身分を笠に着てそれをされたら余計に断れないじゃないかーっ! こんっの横暴王子いいーっ。クラウスさんとレティシアが避けたがるのもわかる。悔しさが込み上げて思わず歯噛みした。
だけど、今の私は表向きだけであってもレティシアの護衛なんだ。
横暴王子が彼女を放さないならこっちだって動けないようにしてやる、とまた王子の手を掴んでさっきよりも力を入れる。
「貴様……っ、さっきの雑魚は大人しくなったってのにっ」
あ~こいつ最低。きっとジムも王族命令って言われたから無抵抗に殴られたんだ。でなきゃ入団合格基準ギリギリだろうそこの騎士になんてやられっ放しなわけがない。身のこなしを見るにジムはそこそこ強いから。
王宮騎士は起き上がったものの、隙を窺っているのか再びは襲って来ない。いや単なるチキンか。相手にするだけ面倒だから是非ともそのままでいてほしいね。
レティシアも外では常だった社交スマイルを完全に消して王子へとあからさまな侮蔑の目を向けている。それがまた彼の神経を逆撫でしたのかもしれない。彼の無駄に整えられた金の眉が痙攣したのが見えた。
その憤りは口説こうとしている相手じゃなく、どこの馬の骨ともわからない少年エドウィンつまり私に向く。言うなれば女の嫉妬が女に向くのと理屈は一緒だ。男の嫉妬は男にってね。
また憎々しげに睨まれるかと思った矢先ふっと王子が歪んだ笑みを浮かべる。
え、なに?
「不敬罪だけじゃなく、王族に傷を負わせようとした傷害及び侮辱の罪も視野に入れるべきか。おいこの野良を縛って王宮まで連行しとけ」
既に他の王宮騎士達も駆け付けてきていて、彼らはちょうどバルコニーの扉を開けたばかりだった。そこに王子からの厳命が飛んだからか揃って目を白黒させた。けど、状況を見て顔色を変える。ま、王宮まで連行って言うけどおおかた王宮にある地下牢にぶち込めって意味だよね。重罪人が収監されるって言われるそこに。
他方、役立たずだと思われたくないようで、先のチキン騎士が慌てたように私へと手を伸ばす。
こいつは叩きのめしてもいいかなあ?
ステファンが懸念を孕んだ顔付きで一歩を踏み出したのが見えた。
表情からしてたぶん止めようとしてなんだろうけど、レティシアの動きの方が僅かに早かった。何と王子の手を振り払った。
私も私で手を離すと、ジムの仇だーっとチキン騎士の頬へとエルボーアタック。相手はあっさり白目を剥いた。
「なっ!? はっ!? ななな何が起きた!?」
王子はチキン騎士と私達を交互に見て混乱と動転の極致だ。
カツン、とレティシアのヒールがバルコニーの石床を打ち、やけに高く音を響かせる。
「殿下、彼はわたくしの専属護衛ですわ。彼の忠誠は他でもないわたくしの上にあるのです。ですので相手が誰であれ、それが王命であろうと彼はわたくしの言葉以外は聞き入れません。いくら殿下でもこのような暴挙は許されませんわよ!」
レティシアの勇敢さには感動だよ。くう~っ痺れるう~っ。さすがは我らが女神っ!
まさか意中の相手から手を振り払われ説教をされるとは思っていなかったんだろう、王子は顔を真っ赤にした。
「はっ、暴挙だと!? 王族に反逆した者には相応の罰が必要だろう!」
ついついぷっと噴き出しちゃったよ。
「反逆? 誤解ですよ殿下」
「何をしれっと余裕そうに! 野良っ、貴様は堂々と僕の邪魔をしただろうが、それで理由としては十分だ!」
「わたくしの護衛として当然の行動を取ったまでですわ。どうか拘束のご命令を撤回下さい」
「当然のだと? 王族の僕を害するのがか? ははっつまりその野良は僕に明確な敵意があるのか、そうなんだな。これでより反逆の罪が濃厚になった」
「そうではありません殿下」
「うるさいっ、命令は変えない。さっさと捕まえろ!」
命令されたからには従わないわけにもいかず、やや困惑げの騎士達が慎重に私を捕まえようと腰の剣の柄に手を触れながらじりじり距離を詰めてくる。
既にバルコニー付近の客達の結構な注目の的になっているのもあってか、たぶんこっちが暴れない限り騎士達も剣は抜かないと思うけど、うーん、分が悪いか。実力面じゃなく権力面で。腐っても彼は王子だから。公爵家の迷惑になるのは避けたい。
彼らに殴られるだけなら魔物相手よりは受け身が取れて、さりげない受け流しでダメージを最小限に留めておけるって、そんな公算はある。
激高していた王子だけど、何かを閃いたのかふと「しかしなあ」とどこか下卑た笑みを作った。表情を更に険しくするレティシアに顔を近付けて、彼は周りには聞こえない声を囁く。
「レティシア嬢が今夜ずっと献身的に僕の世話をしてくれるなら、取り下げてもいい」
「――!?」
憤慨の余り愕然と目を見開くレティシアは黙って唇をわななかせた。
そして、王子の卑劣な条件は私にも聞こえた。
こんっのクズ野郎ーって内心じゃ炎を吐いたけど、レティシアの様子に私の背筋には同時に冷たいものが滑り落ちる。
彼女は私を見つめて少し微笑んだ。
ねえ、どうして拒否しないの? まさか……?
「ん? どうなんだレティシア嬢?」
王子がいやらしくレティシアに顔を寄せる。彼女は両目をきつく閉じて慄きからか小さな唇を震わせて開いた。
「わ、かりまし――」
「――失礼、悪い虫が」
王子の襟首を掴んで後ろに引いた。ぐっと彼は息を一瞬詰まらせたけど、さっさと放してやったから大事はないはずだ。
「野良の分際で何をする!」
「変な虫が飛んでいたので、あわや刺されては大変かと殿下をお助けしただけです。危ないところでしたね」
「嘘をつけっ、そんな虫どこにいた!?」
「今ここに……ああもうどこかへ行ってしまったようです。安心ですね」
私はにこっと爽やかスマイル全開で、本当に案じたように振る舞った。王子はそんな私を見つめたまま、ぱくぱくと口を閉じたり開いたりして呆れか憤りで言葉も出ないみたい。
私は、こっちも些か呆気としていたレティシアを背に庇うと堂々として一歩前に出る。王子はまるで近付くなとでも言うようにビクッとして後ろへと数歩よろけた。へっカッコ悪う~。でもそこまで凄んだわけじゃないのになあ。
彼は慌てて駆け寄ったチキンじゃない王宮騎士に支えてもらって何とか無様に転ばずに済んだけど、彼らは職務熱心にもとうとう威嚇のための剣を抜く。
「の、の、野良のくせに……っ!」
だけど騎士達が更に動くより先に我に返った王子が負けっ放しじゃいられないとの王族の意地なのか、私の胸ぐらに手を伸ばした。私は敢えて避けなかったから掴まれて、身長差から爪先を浮かされる。この王子って童顔な癖に背丈はそれなりだから。でもクラウスさんとかステファンまでは及ばない。
反撃はしない。レティシアの護衛としてってよりも友として彼女が事なきを得るためなら殴られても構わない。
王子が拳を振り上げた。
私は目を細くして痛みに構える。
刹那、ドゴッと鈍い音が上がった。
……ん? 私は痛くないぞ?
「ってレティ!?」
ハッとして思わず素で呼んじゃったけど、そこは誰も気にしなかったと思う。
何しろ予想外にもレティシアが横から思い切り王子の顔をグーで殴ったからだ。
皆の意識はそっちに向いていた。
反撃などあり得ないと思っていた相手からの不意討ち、しかもグーパンされた王子は二歩三歩とよろけ、間抜けにも自分の足に足を絡ませてバランスを崩した。レティシアのはお嬢様パンチだし決して彼が吹っ飛ぶ強さじゃなかった。
でも精神的には大打撃だったのか受け身もなしに斜め後ろに倒れ込んでいく。その先には手摺りがあった。騎士の面々は、彼らも公爵令嬢の行動に度肝を抜かれていたらしく反応が遅れサポートは期待できなそう。
このまま下手に頭を打って死なれでもしたら、それこそレティシアが断罪されかねない。
ああもう最後まで面倒臭い男めと心で罵りつつも、咄嗟に身を躍らせた。
王子のクッションになるように下方にダ~イブ。
そりゃ当たり前だけど受け身は取った。だから床に倒れ込んでも王子が上から乗っかっても私が大怪我をする不安はない。
けど、手摺りが邪魔だった。
ゴッと耳が鈍い音を捉え、同時に頭への強い衝撃が襲った。
手摺りにぶつけたんだってのはわかった。
一瞬気が遠くなる。
いや、確かに刹那の空白はあったと思う。体は無意識に受け身を取ったけど、王子が私の上に折り重なったんだと認識したのは、短い気絶の後にハッと意識が覚醒してからだったから。
だから、彼が私のどこに触ったのかを、まだ自覚してなかった。頭がくらくらしてそんな余裕もなかったからなのもある。
しん、とその場は静まり返った。
「うぅっ、いてて……って痛くない?」
呻いて身を起こした王子の声にあたかも夢から覚めたように皆が息を呑む。
「殿下ご無事ですか!?」
王宮騎士達が慌てて王子の元に集まったけど、目眩を散らすように頭を振り振り手を突いていた部分に力を入れて身を起こした王子は、何故かギョッとしたように瞠目してその手を跳ね上げると、まだ組み敷いた体勢で私を見下ろした。
アハハ、おっかしいの、まるで全く予期せずゲテモノにでも触った人みたいな反応だ。普段から女遊びしているんじゃないの?
でも失礼なとは思いつつ、私も半ば想定外な展開に気まずい思いしかない。
それでも、彼に怪我がないかが気になった。
見たところないようだね。
「良かった。怪我がないようで」
何となく無傷なのを確認したかったのもあって、極々自然に手を彼の頬に滑らせて安堵にふっと微笑んだ。
触られたのが嫌だったのか相手は無意識にか一瞬体を震わせて、後は暫く無言になった。
「…………………………な、何だこれは?」
ようやく正気に返ったかと思いきや唐突にどうしたんだかね。何だこれはってこっちが訊きたいよ。
目を見開いて私を見つめるフレデリック王子はみるみる顔と耳を赤くして、自分でもよくわからないようにしつつ心臓の辺りを押さえた。
初めて見るような挙動不審者にこっちも不思議そうにしてしまった。真面目な顔のまま、望まずも王子と見つめ合っちゃったよ。
彼は尚も動かずまた暫く呆けたようにしていた。それでも私から視線は逸らさないで。
「野良の、それ、その胸……――お、っごはあ!」
彼の口が「お」の発言を形作った時点で私はくわっと両目を見開いて鍛えた腹筋力を披露してやった。
フンッと強い鼻息と共に勢い良く上半身を起こして彼の顔面に頭突きしてやったんだ。ぶつけたとことは違う額の真正面だけど、やっぱりくらくらはした。
「殿下!」
レイブン騎士団の一人、この時点で私には彼が団長マグヌスだとはわからなかったけど、とにかく屈強な騎士の一人から鼻先に剣の切っ先を向けられた。顔面に攻撃なんて、顔だけが取り柄な王子の取り柄を故意に害したんだから当然かもね。そこはレティシアもだけど。
どうして頭突きなんてしたか?
直近、王子は意図せずも私の胸の上に手を突いた。
掌にダイレクトに感触が伝わって彼は悟った、私の性別を。
私もまさか胸を揉まれるなんて思ってもみなかったけど、羞恥心を感じる以前に危機感増し増し。
私が女だってバレたら、それ即ちレティシアの嘘もバレる。
レティシアの立場が悪くなる。
見栄を張ったなんて陰口を叩かれる。まあ真実そうなんだけど、親友として共犯者としてレティシアを悪く言われるのは我慢ならない。
で、王子が「女」だか「おっぱい」だかって言いそうだったから即席で口封じをしたってわけ。
でもこの先どうすればいい? 強制的に誤魔化し続ける? でもできるかな……。
一人床の上を転げ回って悶絶していた王子が痛みが治まってか涙目をこっちに向けてきた。これで降参してくれたら良かったのに、彼は私と目が合うと怖じけたようにぐっと固まるも、どこか悔しそうに歯がみしてからその顔にふと人の悪い笑みを浮かべた。
「何だ。ははっ道理で。よくよく見ればそうだよな。綺麗な顔だ。よくもまあ今までバレずにいた。その長い髪もまさにお前がお――っ!?」
ポタポタポタと床に鮮血が滴る。
「私の髪が何か? なっにっかっ!? いやー前々からさっぱりしたいと思ってたんですよねえー、ちょうど良い機会でしたよ、あはははは」
私の手から遅れてパサリパサパサと長い黒髪が滑り落ちる。
「エド何をしているの!?」
「なっ、正気か!?」
レティシアが悲鳴染みた声を上げ王子は青くなった。
私は彼にまた女って言わせないよう、またもや咄嗟の判断で動いた。
王宮騎士から突きつけられていた剣の刃を素手で握って長かった自毛をバッサリ切って落としたんだ。
剣を持つ騎士は騎士で私の暴挙に見事に固まっている。それでも剣を離さなかったのはさすが王宮騎士と褒めたいよ。
とにかく、女っぽい要因を一つ減らしたってわけ。
レティシアのためならこれくらい屁でもない。髪はほっといてもまたすぐ伸びるしね。
でも一度レッテルとかイメージが付いちゃうと簡単には変わらない。そんなものでレティシアには苦しんでほしくない。
「ええ、正気です。それと、王宮でも地下牢でもどこでも行きますよ。しかしこの騒ぎにお嬢様は関係ありません。全部この私エドウィンがやらかした事ですので、責任は私が取ります」
「エド何を言うの!? 元はわたくしがっ」
「お嬢様申し訳ありませんけど、今日はクラウス様とお帰り下さい。今頃お嬢様を捜しているかもしれません」
「エド!」
私はこれ以上の議論はしないと暗に示してレティシアから顔を逸らすと、次にフレデリック王子へ向けて大人しく降参の意に両手を挙げてみせた。
ただし、女って言ったら殺す女って言ったら殺す女って言ったら殺すって暗黒オーラを放って威圧する。王子は的確に私の殺意いや決意を理解したようで蒼白な顔で瞬時に口をつぐんだ。
「ふ、ふんっ生意気な奴め。まあいい、誰かこいつを王宮に連行しろ。あとそこで寝てる役立たずも連れ帰ってやれ」
御意の返事をした騎士達が私へと寄ってくる。血で剣が汚れた騎士はそれには加わらず静かに剣を脇に下ろした。
拘束せんと伸ばされる手。
ああ、もう限界だ。
痛いのは掌なのか頭なのかどこなのかわからなくなる。
何故なら、さっきからずっと目が回る感覚を我慢していたけど、少し安心したら気が抜けてしまって姿勢を保てなくなった。意識が薄れると同時に体から力が抜ける。驚くくらいに全ての五感が軽くて他人事みたいだった。
騎士の誰かの腕が倒れる私を支えてくれたのはわかった。何となくステファンな気がしたけど、正解はわからない。
頭からも血がって、レティシアが悲鳴っぽい声で叫んだのも聞こえた。道理で。あと案の定。ジンジン熱かったし鉄錆臭かったし髪が湿った感じがしてたんだよね。もしかしたらとは思いつつも確かめてる余裕がなかっただけで。
本当に心配かけてごめんね。でもいざってなれば脱獄だってしてみせるからさ。過度な心配はしないでほしいと伝えたいけど、儘ならない。とにかく、公爵家には一切お咎めがない事を願いたい。
あと、クラウスさんにも絶対心配掛けるだろうなあ。うぅ、マジでごめんなさい。暗転。
エドウィン――エマが怪我をした。
レティシアはエマが気を失った様を初めて見たのもあり、自覚なく動転した。
エマの事は不幸中の幸いにも、この場では敵同然の王宮騎士達の中の唯一の顔見知りステファン・マクラウドが傍で怪我の具合を確かめてくれている。
王宮での訓練中に怪我人や昏倒者が出るのも珍しくなく、その都度率先して救護してきた彼が即座にエマの状態を診るのには、誰も異論は唱えなかった。彼がその方面では信頼されている証拠だ。
レティシアも内心では現状一番怪しまれず無難な相手がエマを介抱してくれたのでホッとしていた。
一方、フレデリック王子は元凶にもかかわらず、不可解にも不安そうな顔付きでエマを見つめている。初めて見る表情ではあるが、それが余計にレティシアの神経を猛烈に逆撫でした。この事態は一体誰のせいだと思っている、と。
王子へと足が一歩進み出る。高いヒールも難無く履きこなす彼女はカツカツ、カッカッ、カカカッと速度を上げた。
誰もが気付いた時には、彼女が王子の胸倉を掴みメンチを切っている絵面が完成していた。
王子も王宮騎士達も再度の予想外の光景に息を呑む。故にこそ、誰一人として早期の制止に動けなかった。
「ホンットふざっっっけんなよお前、フレデリック殿下様よお! もううんざりなんだよ。てめーの無神経な横暴さで今までどれっだけイラつかせられたかわかってんのか!? ああん!? 我が儘馬鹿息子のお前と違って公明正大な陛下の事は大好きだからお前の暴挙にも今まで波風立てないように大人しく目を瞑ってきてやったんだぞ? けどな、それも今日で終わりな! わかったかこの常春エロボケクズがっ!!」
「レ、レティシア嬢……?」
公爵令嬢の暴言に王子は怯むと言うより完全に頭が真っ白になったようだ。幻聴とでも思っているような目をしている。いや、先程からのあれこれで彼女の隠されていた本性の確定か。
一方、彼があんまりにも間抜け面だったせいでかえって冷静さを取り戻したのか、レティシアは咳払いすると冷めた目で続けた。
「金輪際わたくしに話し掛けないで下さいませね、フレデリック殿下」
ふんと鼻を鳴らして突き放すようにして掴んでいた胸倉を離した彼女は、エマを診るステファンを促して応急処置のために医務室へ運ぶように促した。
「まっ待てレティシア嬢! そいつは王宮に連れていく! さすがに不敬が過ぎるからな!」
「何ですって?」
「ひっ、そ、そいつも自分の責任で全ての責任は取ると言っていただろう。望み通り王宮で猛省させてやるんだよ!」
「あれはわたくしを庇うために仕方なくそう言ったのです!」
「ならば尚更そいつを連れていく必要があるな。いくら僕でも公爵令嬢を罰するのは世間体が悪い。しかし平民のそいつなら別だ」
「エドウィンは平民じゃ――」
レティシアはあわやの暴露に口を閉じる。エマと相談もなしに勝手に素性を明かせない。
王子はレティシア鬼怖いと顔に出ていたが、虚勢を保って騎士達へと指示を出す。
「おいマクラウド、早いところ止血してそいつを僕の馬車に乗せろ」
「……は? 殿下の馬車にですか?」
怪訝に思ったのはステファンだけではなかったらしく、他の騎士達も眉を傾げた。
「めっ目を覚まして逃げられても困るだろっ。僕が見張れば下手な真似はしないはずだ。マクラウド、お前も同乗しろ」
騎士達はなるほどそれもそうかと、とりあえずは納得したようだ。ステファンも安堵を顔には出さずに御意と頷いてみせた。馬車でこの王子と二人きりにさせるわけにはいかなかったので幸いだった。
「レティシア嬢、異論があるなら是非王宮の僕の宮殿まで出向いてくるといい」
「くっ……!」
レティシアは逆らえず悔しげに憎々しげに歯がみする。王子はその凄んだ眼差しにビクビクとして一番に逃げるようにそそくさとバルコニーを出て行った。
エマを抱き上げて運ぶステファンがレティシアとすれ違い様に言葉を掛けてくる。
「アドレア嬢、私の言葉は気休めにしかならないとは思うが、エドウィンは任せてくれ。怪我もきちんと治療すると約束しよう。何より、身の安全と秘密を死守するつもりだ」
彼女は一時じっとステファンを睨むように見つめると、短く溜息をついた。
「わかったわ。あなたに任せるしかないものね。くれぐれも頼むわよ。……嘘だったらシバくかんな?」
「あ、ああ」
怯みはしないが微苦笑を浮かべたステファンは、高貴な令嬢は令嬢で色々と秘密があるのだなあ、としみじみ思ったという。
一人バルコニーに残されたレティシアは、悔しく、苛立たしく、泣きたい気持ちで額を押さえて荒い声を吐き出した。
「ああもうお兄様に何て言えば……! 内乱になんてならないわよね?」
兄クラウスが本気でぶちギレたら妹の自分にも止められないだろう。彼はその界隈では一目置かれる魔法の天才だ。
レティシアはそれ以外にも懸念がある。
クラウスではなく、フレデリックの方だ。
「あの時確かにエマの胸を触っていたわよね? ボーッとして真っ赤になったりして様子もおかしかったし、エマも彼の言葉を遮るみたいにして変だったし……って、え、まさかバレて?」
カタン、と扉の方から音がして即座に振り返った。
「あ、お兄様……」
クラウスは挨拶を終えてレティシア達を捜して、ようやくレティシアを見つけてここにやってきたに違いない。
けれども、彼女は違和感に気が付いた。
「……お兄様?」
「今のレティの話と、この床の髪の毛と、……床の血と、エマに何があったんだ?」
レティシアは急に寒気がしてきた。
まだ会場からの若干の衆目があるせいか、取り乱さずいるクラウスの薄っぺらい穏やかさに戦慄したのだ。
怖い、と本能的に感じていた。
震えないよう努めながら、知る限り話して聞かせた。話しているうちに沸々と怒りが再燃して、結局は別の意味で震えたが。
二人で帰りの馬車に乗り込むまで、終始クラウスは良き公爵子息の仮面と薄い笑みを崩さなかった。
それが余計に彼の怒りの深刻さを物語っているのだとレティシアは思う。
しかも馬車に乗り込むや否や、顔面から一切の感情の色を消した。空気がとても重い。こんな居心地の悪さはいつぶりだろうかと記憶を手繰ると、なるほどエマと出会う前だ。
「エマ……」
無意識に呟いていたのが聞こえたのかもしれない。ふと目が合うと思慮深げな声が掛けられた。
「レティのせいじゃないんだから、気に病むなよ。これは兄命令だ」
内心憤怒していても妹を慰める心はあったようで、どこか嬉しくもホッとしたレティシアだ。
「ああ、エマは俺が必ず連れ戻すけど、この先もしもうちがお家取り潰しとか一族郎党皆ギロチン行きだーってなったらごめんな? 一応先に謝っておく。ま、その時は一家で国外逃亡でもするか」
兄は目が完全に据わっていて怒るとかのレベルじゃない、全く正気じゃない……とレティシアはやっと悟った。内乱云々も彼女自身でも本気の本気でそう考えたわけではなかったのだが、そんな己の甘さを悔いた。前言撤回、全然ホッとなんてできない。放置厳禁だ。この直後に王宮を襲撃しに行っても不思議でも何でもない様子なのだ。
「よし、善は急げだな! どうせなら革命でも起こしてく――」
落ち着けーっと、馬車内にこちらも全然冷静でない絶叫が上がった。




