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男装令嬢も歩けば棒に当たる?

 心穏やかとは言えなかった昼食後、私はステファンを見送りに屋敷前に出ていた。玄関先のロータリーに彼の乗ってきた馬が連れて来られると、彼は馬丁から手綱を受け取り馬の鼻面を撫でる。彼に鼻面を押し付ける馬の方もとてもよく懐いている。人と馬、互いに信頼関係がないとこうはならない。


 レティシアとクラウスさんには東家で昼食の続きをしてもらっている。二人は外での半ばピクニックみたいな食事も優雅に進めていた。

 私やステファンは比較的早く食べ終わったのもあり、ステファンに至っては非番の時間も稽古の時間に充てたいだとかで一足先に帰る運びになった。


 クラウスさんは私が見送りに行くのを露骨に不満がったけど、ステファンを邪険に扱うのは止めてあげてほしいなあ。とは言えステファン本人がしれっとして全く気にしてなさそうだから、それはそれで収まる形なのかもしれない。レティシアとベルフォード嬢みたいにね。

 二人が付いて来なかったのは、東家からこっちが見えるからなのもあるだろう。……遠くから視線を感じるのはきっと気のせいじゃない。ステファンは危ない人じゃないのになあ。


「それじゃあ道中気を付けて。あ、それと非番とかで実家に帰る事があれば師匠に宜しく伝えて下さい。弟子はあなたを目指して日々精進していますから、と」

「ああ。それを聞いたら祖父も喜ぶだろう。……改めて、今日は色々と世話になってかえって申し訳なかったな。勝手な決め付けでエマには多大なる迷惑をかけた」

「私こそ、男装の件を内密にしてくれて感謝ですよ。ステファンが徒に触れ回るような人じゃなくてよかったです」

「秘密にするのは構わないが、護衛としてアドレア嬢に付き従って、そのせいで危険な目に遭ったりしないかが心配だ。社交界の人間の中には身分下の者を同じ人間と思わない連中が少なからずいるからな。私の現在仕える男がそのような類いだ」


 あー、うん、第二王子だねー。我が儘で性格悪そうだもの。でも何だ、ステファンも思うところはあったんだ。王宮騎士は上下関係が極めて厳しいし上官命令には絶対だから、意に添わない命令でも従わないとならないもんね。よりにもよって第二王子の護衛に配置されたのは不運かなって思う。勇猛果敢と評判の王太子配下だったならステファンの心労もなかったんじゃないかな。


「案じてくれてありがとうございます。でも私も逃げるとこでは逃げますから安心して下さい。師匠と魔物討伐に出掛けると、必要な逃げ時もありますからね。そういう命に関わるような危機には退けと、師匠直伝の教えと直感で何度も危険を乗り切ってきました。社交界の魔物相手でもきっと大丈夫です!」

「……な、なるほど」


 死線を潜るとまでは言わないけど、たぶん、師匠との遠出で危なかった場面は実は両手の指じゃ数え切れない。師匠以外誰も知らないけどね。師弟の秘密だ。だって言ったらうちの親も公爵家兄妹もこの先討伐には行かせてくれないだろうから。

 馬の背に上がっても深く感心したような様子でいたステファンに手を振り彼を見送って、今日の一大イベントは一段落。

 東家へと歩き出す。


「これまで通りに、これまで通りに。平常心、平常心」


 二人の所に戻るまで、私はそう自分自身に言い聞かせる。四人でいた間も不自然にならないように努めてそれは成功していたはずだ。

 BL演技は継続するんだろうから、クラウスさんに下手な態度は取れない。心を落ち着けようとなるべくゆっくり歩いた。

 後はお待たせ~と席に戻って二人が昼食を食べ終わるまで、いつもの自分はどんなだっけと内心わからなくもなりながら、挙動不審にならないように頑張った。うん、頑張った!


 次の男装で行く夜会の話もした。毎回毎回クラウスさんも一緒なわけじゃないけど、次回は行けるそう。夜会までに別のお茶会もあるんだけど彼はそれには不参加。ここのところはより暇がないそうだ。

 ただ、彼の不在を知りどこかホッとしてしまったなんて、失礼過ぎて言えないけど。

 彼は普段通りに今度の絡みはこうしようああしようと提案をしてきたっけ。でも前以ての打ち合わせをしても本番じゃアドリブしてくるから心臓に悪いんだよね。

 昼食を終えて帰る二人の馬車を見送ってから部屋に戻ると、長椅子にごろりと倒れ込む。


「はあ、今日は半日でも盛り沢山だったなあ。すんごく疲れたあー」


 着替えないととは思いつつ、お昼寝だ。いつになく気疲れしたのか瞼の重さに抗えなかった。






「つくづく、お兄様ってあと一押しができないわよね」

「くっ……」

「あれ何よ、惚れればいいって。遠回し過ぎ。ふざけたって思われても文句は言えないわね。俺はエマが好きだーっくらい叫びなさいよって呆れたわよ」

「……俺もそう思う」


 帰りの馬車の中、レティシアの正面に座るクラウスはどんよりとして項垂れていた。呆れと窘めの眼差しを送る妹からの駄目出しに彼は細々とした声を返す。彼も彼で、エマの前では必死に明るく振る舞っていたのだ。レティシアは大きく溜息をついた。


「お兄様、怖がらず俺に身を任せろ可愛い奴めな顎くいからの濃厚キッスって流れでロイ並みにガンガン攻めないと、王宮騎士の誰かさんにあっさり盗られるわよ」

「そんなことできるわけな……あああっ」


 想像したのか赤くなって動じる兄へと妹はふふふと口角を上げた。因みにそんな赤面必至な強引甘い夜展開がレティシア愛読のBL小説にある。


「はいはいまあおふざけはこのくらいにしておくわね」

「からかわれた!」


 ガンと衝撃を受ける兄を妹はじっと真面目な面持ちで見つめる。


「冗談じゃなく、エマの観念を変えたいなら、それこそお兄様の所にこいつでもいっかな~ってエマの方からふらふら~っと迷い込んでくれるように、もっと徹底して誘惑しないと駄目よ。BL演技と同じくらいは露骨に明確に普段からのスキンシップを増やしていかないと」

「そ、それはまたハードな……って言うか妥協して迷い込まれても複雑だって」

「どこがハード? 何が複雑? お兄様は本当にエマをものにする気があるの? 妥協でも何でもとにかく彼女が欲しくないの?」

「欲しいに決まってるだろ! ……あ、いや、せっ節度を保つのに忍耐を要するって意味で俺にはハードなんだよ。やり過ぎて嫌われたら立ち直れない」

「ああ」


 背凭れに無造作に身を預けて参った様子で前髪を掻き上げるクラウスの、極めて悩ましげな我慢と遠慮と配慮をレティシアは全て悟ってにんまりとした。よくこれまで押し倒さなかったと感心もした。


「男の人って大変ねえ。理性と本能の挾間で」


 その目がやや同情気味にクラウスの股間を一瞥する。


「ほら、下半身とは別の生き物って言うし? 小説じゃ攻めキャラは案外そこでいつも悶々と葛藤していて、さっさと致せって何度も思ったものだわ」

「――っ、レティッ、レティシアッ! 女の子がそういうこと言うんじゃありません!」


 窘めつつも恥ずかしそうに斜め座りになった兄を妹は冷静な目で見据える。こうしていると純粋と言うか初と言うかそんな男にしか見えない。


「……ふう、お兄様もどこまでが素なのかしらね」


 小さく独り言ちる彼女は、兄にブラックな面も存在するのを知っている。ステファンとのやり取りでその片鱗が出ていたがエマは全然気にしてはいないようだった。僥倖だ。

 エマはたとえどんなクラウスでも受け入れるだろうと漠然と思う。その逆も同じ事が言えるだろう。

 どうか彼女が兄の隣に居続けてくれますように、とレティシアは願う。


 兄のクラウスを彼が心から笑える人間に変えたのはエマなのだ。


 昔、兄は嬉しい楽しいという感情から笑うような少年ではなかった。


 レティシアはそれを知っている。彼の笑顔はいつも義務的で欺瞞的で顔面の皮膚の下にからくりの機械が埋め込まれていて笑みを造り出していると言われても納得しただろう。彼に嬉しい楽しいという感情があるのかさえも当時は子供ながらに疑問だった。

 しかも兄は家庭教師達がベタ誉めするレベルで何でも完璧にこなした神童でもあったから、余計レティシアには兄が自分と同じ人間の子供には見えなかった。何か悪魔や魔物の類いが人の皮を被っているのではと思った事もある。

 それ程に幼い頃はレティシアの目には人間味がなくて不気味な存在として映っていた。

 造る綺麗な表情の裏の感情が薄かったのは、公爵家の後継者としてハードな英才教育を受けて育ち、良くも悪くも周囲の様々な言葉を耳に入れてきたクラウスだからこその、心の均衡を保つ自己防衛方法だったのかもしれない。

 今だからこそ言えるが、幼い頃は彼と一緒にいても全然楽しくなかった。気味が悪かった。一人の方がマシだった。


 むしろ、兄が嫌いだったのだ。


 エマに出会うまでは。


 レティシアはエマと出会ってすぐに彼女が大好きになった。


 クラウスはレティシアのようにすぐには打ち解けなかったようだが、気付けばジェラシーを感じるくらいにエマと仲良くなっていた。


 そしてある日唐突に気付いたのだ。エマの傍らで兄が極々自然に笑っているのに。


 いつから兄の笑みはイミテーションではなくなったのだろうか。


 それを認識した時は何かの幻覚かと思ったくらいに衝撃的だったのを覚えている。たとえて言えば魔物だと思っていた相手の正体が実は天使だった……くらいにはあり得ない光景だった。

 兄も血の通った人間だったのだと初めて実感した日だった。


 ただし、今ではエマが傍にいなくても普通に笑うクラウスだが、あの頃はエマがその場にいないと心から笑わない、いや笑えない少年でもあった。


 レティシアはクラウスの変化もとい進化を目の当たりにしてずっと心の根底に抱いている確信がある。


 兄はエマがいなければ駄目なのだ、エマじゃなければ駄目なのだ、と。


 だからどうか二人が結ばれるために必要な努力を怠らないで欲しいと願う。


 お兄様、とレティシアは向かいに座るクラウスを呼んだ。ん?と彼が顔を向ける。


「絶対に退化しないでよ」

「ええ……?」


 レティシアは言い聞かせるような目をした。

 クラウスは言われている意味がわかるようでいてよくわからずにキョトンとするしかない。彼は一体何の話だと訊ねたもののレティシアは微笑むだけで答えはしなかった。

 何はともあれ、妹の期待と懸念が半々の命令それ以前に、ステファンの登場でクラウスが決意を新たにしたのは言うまでもない。







 見慣れた実家の庭先で、明るい陽光の下で目の前に佇むのはクラウスさんだ。

 彼だって認識した瞬間から足取りがとても軽くなる。

 微笑んでいる彼の傍に芝生を踏んで近付いて、今日はどうしたのかなんて問いかける。レティシアは一緒に来ていないのかとキョロキョロとした。


「エマ、男女交際しよう」

「へっ!?」


 唐突な提案に一気に動揺が膨れ上がる。

 気まずさと恥ずかしさ、戸惑いを急に思い出して赤面を避けられず言葉もなく瞠目していると、彼は猫のように目を細めて顔を寄せてきた。その表情は彼らしくなくどこか狡猾で拒絶を許さない。


「ままま待ったー! このままじゃキスしちゃいますよ!」


 思わず後退すれば彼は不服そうにした。


「どうして避けるんだ? 良いだろうキスくらい。俺達は運命の番になったのに」

「なっ何を言い出すんですか! ……っていつそんなのになりましたっけ!?」

「俺がエマの項を噛んだの忘れたのか?」

「え、やっぱり噛ん……っていやいやタオル越しだったのでノーカウント! 無効ですよ!」

「ははっ、エマはわざと気付かないふりをしてるのか? 項を噛むのは形式上最も効果的だからであって、正確には互いのフェロモン同士の結び付きが重要なんだよ」

「は? え? そんな設定知らな――」

「――あの時エマは俺を受け入れた。気持ちの面では既にそうだったろう?」

「そっれは……っ」


 ドキドキしたし嫌じゃなかった。彼の言葉を否定できない。


「俺達の相性が抜群なのは、フェロモン同士が密接に絡んでも不快にならなかった点から証明されたんだ。だから躊躇う必要なんてない。キスしようエマ?」

「ささささっきからフェロモンって本当に一体何を言ってるんですか! 私もクラウスさんもアルファでもオメガでもないですし、そもそも架空の世界の理なので、噛んだからって運命の番がどうとかにはならないですよ!」

「なら、もう一度試してみるか?」

「え」

「項を噛んで試そうか」

 

 彼はぐいっと私を引き寄せる。まるでまさに攻めのロイそのものなんですけど!? 今は私アベルじゃないのに一体全体どうしたって言うんですかー!?

 大いに焦る間にも彼は後ろに回って私の項に唇を滑らせる。

 ひゃあああ擽ったい!

 抵抗らしい抵抗も出来ないでいたらそこに歯を立てられた。


「――あっ」

「エマ、どう? さあ今度こそ存分に恋人のキスをしようか」

「えええっ!?」


 逃げられず弱腰で抗する間にも顔が近くなる。

 吐息がかかる。

 唇が触れ――こんなの心臓爆発す、る――


「ほほほ本当にこの世界にオメガバースはないんですってーーーーっっ!」


 はっと目が覚めた。


「あ……何だ夢……」


 無造作に長椅子で眠ったからか体が痛い。

 ゆっくり全身の筋を伸ばしながら見やった窓の外は薄暗い。夕方、かな?

 はは、と薄い笑いがこぼれた。


「はあもー夢で良かったけど、次に顔合わせたらより変な気分になりそう……」


 自分は欲求不満なのか、なんて思ってまた長椅子に撃沈した。







「ああそうだ、今日はマクラウドとか言う赤毛の奴は非番か?」


 同日夜、王宮の執務室で第二王子フレデリックがふと思い立った口振りで配下の騎士達を見回した。彼は今日近隣の貴族の領地に視察で出ていて遅くに王宮に戻ったのだ。まあ視察とは言っても実質ご機嫌取りの接待だ。

 王子が休まなければ休めないのがここの騎士逹だ。そんな責任感と熱意が必要な職務を遂行していた彼らのうちの代表が、拳を胸に当てる独特のポーズで返答する。


 当騎士団団長マグヌスだ。


 因みに第二王子の護衛を務めるのは王宮に複数ある騎士団の中でも黒い制服が特徴の大鴉(レイブン)騎士団だ。

 発足時から変わらないこの騎士団の装備としての黒いマントが翻る様がまんまカラスを彷彿とさせるだとか、ここの初代団長が単なるカラス好きだったなど諸説あるが、とにかくその名になった。


「はい、非番であります。もしや彼が何か失礼を? 私用らしくまだ戻ってはおりませんが」


 大きな懸念の色を見せるレイブン騎士団団長マグヌスへと、フレデリックは表情を変えずに返す。


「いや、いつも髪の色で目立ってただろ。それが見えなかったから単に気になっただけだ」

「左様でしたか」

「で? 私用の中身は聞いているのか?」

「ええと……」

「知っているなら教えろ。降格させられたいか?」

「……エドウィンと言う近頃何かと噂の若い剣士に会いに行くとか。詳しい理由までは存じ上げません」

「エドウィン? ……ああ、あのレティシア嬢の専属護衛か。――実に気に食わない奴だよな」

「は、え?」


 目を合わせるのは不敬かと目線を下げて畏まっていたマグヌスは思わず目線を上げ真意を問うようにした。


「ああ赤毛ののことじゃない。エドウィンって奴がだ。平民出らしいじゃないか。そんな野良犬がレティシア嬢に侍るなんて身の程を知れってそう思うだろ?」


 マグヌスも先日の夜会でエドウィンの姿を少し見かけたが、別に侍っていたようには見えなかった。普通に護衛らしく控えていたように思う。

 今日この場にいないステファン・マクラウドとは何かがあったようだが詳細までは知らない彼はしかし、エドウィンという少年からただならぬ気配を感じたのも覚えている。彼も伊達にレイブン騎士団を束ねる地位にあるわけではないのだ。

 加えて、何となく王子に追従するのは嫌だった彼は返答に窮した。


「先日は、久しぶりにレティシア嬢の顔を見れたのに、彼女は途中でいなくなった無責任な例の護衛を気にしてばかりいたからな。正直面白くなかった。しっかしレティシア嬢はいつもの如く美しかったなあ~。他の令嬢がカボチャに見えたぞ」


 幸い答えや同意を求めていたわけではなかったらしいフレデリックが、話題をさっさと転換してくれたので良かった。


「だから余計にあの護衛にはムカつくな。綺麗な顔で女の注目を集めていただろう? けっ、機会があれば灸を据えてやる」


 いや、良くなかったとマグヌスは胸中で訂正する。女絡みの面倒事を仕出かしそうだと懸念すれば頭痛がした。こういう所がレティシアから相手にしてもらえない所以なのになあと、年長者と言うよりはごく一般的客観性から見て思う彼は、内心での嘆息を禁じ得なかった。

 もう王子も十七歳になったのだし、いい加減少し大人になってもらいたい、とマグヌスは内心での嘆息を重ねた。

 次の邂逅がいつになるのかは不明だが、猫が鼠をいたぶるようなそんな目になる王子を見ながら、苦労性の団長は件の少年に心底同情した。


(……うん? しかし殿下は他の令嬢をカボチャと称していたのに、エドウィンという少年の事は綺麗だと認識したと……? ふむむむ近頃の若者の感性はよくわからんな)


 なんて不思議にも思った。






 ステファンにはおよそ一月後の大きな夜会までに、非番だからと二回程手合わせをお願いされて付き合った。勝負事じゃなくて単に練習に付き合っただけね。

 レティシアとは男装必須の昼間のお茶会があったりしたから顔を合わせたけど、公爵邸にお邪魔しても忙しいクラウスさんとは一度も顔を合わせないまま当日になった。

 一月ぶりなのもあって実はいつも以上に緊張していたりする。以前見た変な夢、それがずっと尾を引いているせいで意識しちゃってるんだよね。ああ我ながら破廉恥な~。


 私の心境如何にかかわらず時間は流れていくもので、この日もいつものように馬車で三人で公爵家を出発した。


 盛装したレティシアは相変わらず真珠みたいに美しく、クラウスさんも妹と同じくシャイニーな麗しい顔を私へと向けている。

 馬車内はレティシアと私が同じ側、クラウスさんが向かい側だ。これも大体いつもの席順。

 だけどいつもと違うのはクラウスさんに微笑ましい目で見つめられている点だ。あーうん、実物は心に砂糖菓子を塗り込められるような夢の彼よりも更に糖分過多だねー……じゃなくてっ、何でいきなりそれも今日に限って!? うわあああ耐えられないーっ。今までは談笑しつつも、一定時間はそれぞれ車窓から景色を眺めたり眠ったりしていたはずで、こんな風に一点集中されなかったのにどうしたってわけだろう?


「ええええーとそのクラウスさん、私の顔に何か付いてます?」

「いや? いつも通り綺麗だよ」


 きき綺麗!? ああいや何も付いてなくて綺麗って意味か。焦った~。


「じ、じゃあ外の景色を見て下さいよ。こっちを見てなくていいですから。あ、それとも男装に不備でもありました?」

「不備なんてないけど、何だよ釣れないな。君を見るななんて悲しいことを言わないでほしい。月並みだけど俺の目はエマを見るためだけにあるんだってのに」

「そんなわけありますか」

「ある。それに目だけじゃない。俺の鼻はエマの匂いを嗅ぐためにあるし」

「はいい!?」

「俺の耳はエマの声を聞くために存在する」

「ちょっ、クラウスさん!」


 この人はまた、レティシアもいる前で恥ずかしげもなくふざけてえええ~っ。

 一方レティシアは後光さえ見えそうな聖母の微笑みでわたくしには全てわかっていますって穏やかな空気を醸している。一瞬誰だこれって思ったよ。でもさ、その方がかえって気遣われてるのがわかって恥ずかしさ倍増だ。

 クラウスさんは器用にも組んだ両脚の上に頬杖を突いてにんまりとした。それでも優しく爽やかな雰囲気は微塵も損なわれないから不思議というか美形はお得。


「それにさ、俺の口は」


 言葉を止めたので私が怪訝にすると、彼はトントンと自身の首を指先で示して更には可愛く首を傾げるようにする。


「エマを(かじ)るためにある?」

「なっ……! ややややっぱりあの時噛んで……!?」


 いつかの夜を思い出して瞬時に耳まで真っ赤になると、彼はそれを計算ずくだったように笑みを深めた。


「エマにそんな顔をさせられるのは、この先も俺だけだって信じてもいいよな?」

「そっそんな顔って、こっちはすごく恥ずかしいんですけどねっ。ああもうっクラウスさんって案外意地悪ですね!」

「……言っとくけど、俺だって恥ずかしいんだよ」

「だったら止めて下さいよっ。全然余裕そうで、女の子慣れしている遊び人みたいです」

「あ、遊び人!? エマ俺はそんな男じゃないっ。本当は余裕だって全然ないしっ」


 私が胡乱な眼差しをぶつければ彼は慌てたように抗弁したけど、すぐにその表情は全て柔らかいものに変わる。私の大好きな見慣れた微苦笑に。


「本当にさ、余裕そうに見えるだけだ。真実余裕なんてないから色々と頑張るんだよ俺は」

「……そう、なんですか?」

「そうなんですよ。だからエマ、こんな努力家の俺から目を離すなよ?」

「え、ええと?」


 上機嫌にウインクする今夜の彼は調子が良いようで何よりだね。次期公爵としての職務に忙殺されて疲れてるんじゃないかと心配してたけど、顔色も悪くないようだしホッとした。

 レティシアは途中からは眠ったように静かに目を閉じてたけど、口元がにやけてたから絶対起きてたねあれは。

 ふわふわと軽いような空気感のまま馬車はひた走り、とうとう目的地に到着した。






 広い夜会会場は今夜も例に漏れずがやがやと賑やかしい。

 先に馬車を降りていたクラウスさんから淑女扱いで手を貸された時は自分が男装をしているのをうっかり忘れそうになったっけ。だって何だかいつも以上に丁重で、あたかも恋人にするみたいに甘く感じた。主観の問題なんだろうけど。

 同じく続々と到着して横に広い玄関口で後車している他の招待客達からの注目を浴びると、自然と気が引き締まった。レティシアの傍に立って呼吸を整え気合いを入れる。

 よーし、今夜もカッコいい専属護衛エドウィンに徹するぞー!


「お嬢様段差がありますので足元にお気を付け下さい。お手を」

「ありがとうエド」


 会場入口へと続く階段を上る間、ヒールの高いレティシアが転ばないように手を貸し導く。


「エド、躓くと危ないから手を」

「え、あ、ありがとうございま……す?」


 クラウスさんは私が転ばないよう私の別の方の手を取る。公衆の面前だしBL演技の一環なんだろうから振り払うわけにもいかずそのまま繋いでいるしかない。

 クラウスさん、私、レティシア、と並んで階段を上がった。真ん中が私なんだけど……いやもう何これ? 傍から見たら公爵家の兄妹に両脇を固められている図にしかならない。両手にめちゃ綺麗な花だ。

 建物に入ると早々に会場係が公爵家二人の到着を声高に告げた。二人と手を繋いでいた私は慌ててレティシアの護衛として控える位置まで引っ込もうとしたけど、クラウスさんが手を離してくれずちゃんと下がれなかった。


「クラウスさん!」


 小声で窘めると彼は何が問題なのかって空とぼけた顔でにこりとしてくる。この人は~っ。

 レティシアはあらあらって呆れたようにしたけど、その目はキラキラと輝いている。お願いだから来たばっかりではあはあしないでね?

 いつまでも会場入口でもたもたしている方が目立つからと、これ以上の抗議を諦めて彼と共に進んだ。


 幸いクラウスさんがレティシアの専属護衛エドウィンを溺愛しているって噂はとっくにもう広がっていて、私達を見て驚く招待客はほとんどいなかった。


 この夜会は上流階級達の娯楽の面もあるけど、側面では新たな人脈や商機を掴むためって狙いもある。今夜の面子達はゴシップを掘り下げるより利己を掴むための情報や縁を重視するだろうから、若者の個人的な恋愛事情には興味が薄い。

 むしろ公爵家嫡男の趣味に難癖を付けてそれが後々自分達に悪い影響を与えても困るので言及しないって人もいるだろう。アドレア公爵家は誇張でなく各方面への影響力が強いからね。今夜は公爵夫妻は来ない。クラウスさんは公爵の名代としてこの場に赴いていた。

 かつてのように労働が貴族達から敬遠された時代は終わり、現在では商売を片手間にしている家がほとんどだ。

 中には地代収入よりも興した事業を領地経営の主軸に据えている家もあるくらいだ。


 言っておくとうちロビンズ男爵家もその一つ。領地が小さな家程その傾向は強いかな。

 ただし我が家は異色で、他の家とは違って社交界には滅多に顔を出さず、独自の訓練方法による護衛や傭兵の育成とその派遣を主な業務内容としている。平たく言えばロビンズ家は人材派遣業、戦闘メインのギルドとも言うかな。


 まあその話は置いといて、好奇の目が少ないと感じていたからか、私はいつもよりは気を抜いてしまっていた。


 しかしここは時に欲望と陰謀渦巻く魔物の巣窟も然りの社交界。


 こっちが予期していない形で厄介事が降りかかってくる事もある。


 常の如く、紳士淑女達は公爵家兄妹とお近付きになりたいと寄ってきては挨拶をしてくる。二人も余所行き用の仮面を被って無難に応対しつつ長話にならないように会話を主導していた。相変わらず大変そうだ。レティシアなんて扇子で口元を覆ったりしながら不要な誘いを巧みにかわしているし。

 私は慇懃にレティシアの傍に控えていたけど、好奇の視線はそこそこ向けられていて気の抜けない思いだよ。そんな僅かな緊張感に頬を硬くする私は、幸い令嬢達の目には凛々しく映っていたようだけど。

 皆をやり過ごしながら三人で会場を奥に進んでいくと、壁際で立って談笑している一団の中に見知った顔を見つけた。


 ステファンだ。


 所属するレイブン騎士団の黒い制服姿の彼は同じ黒服の王宮騎士仲間とリラックスした様子でいる。へえ、仕事中でも小難しいような顔ばっかりしているわけじゃないんだ。まあそりゃそうか。

 あれ? でも仕事中ならフレデリック王子はどこだろう?


「レイブン騎士団がいるなら、第二王子殿下もいらっしゃるってわけか。大方少数の護衛だけを連れて会場内をうろついているんだろう」


 横を歩くクラウスさんが遠くのステファンへと好意的じゃない視線を送りつつ冷めた声を出す。まあこういう場で騎士をぞろぞろ連れて歩くのは些か邪魔だけど、前回見た際はずらりといたような?


「きっとそうね。格好の女漁りの場に大人数で移動したら悪目立ちして近付く前に逃げられるもの。また顔を合わせて引き留められても煩わしいし、今夜は主催者(ホスト)に挨拶だけしてさっさと帰りましょ、お兄様。で、二人は帰りの馬車でロイ×アベやって? 実写で見たいシーンがまだまだ沢山あるのよ」


 今夜は絡まなくていいとホッとしたのに、馬車でロイ×アベえええ~っ!?


「全く、仕方ないな。ここには日頃の付き合いで顔を出しただけだし、ムカつく相手と顔を合わせるのは精神衛生上よくないもんな」


 そんなっ、クラウスさんまで賛成なの!? くっ、試練は尽きないみたい。


「うっふふエド、そういうわけだから宜しくお願いね?」

「はいお嬢様……」


 うん、腹は括った。それはさておき、前も思ったけどフレデリック王子って二人からそこまで嫌われてるんだ。

 レティシアが好んで受けに据えそうな可愛い顔はしてるんだけどね。性格に頗る難があるんだろう。

 クラウスさんがちょっと身を屈めて私の耳元に顔を寄せてくる。


「エマ、折角こうして同行してくれたのに無駄足でごめんな。けど可愛い男装は馬車で存分に発揮してもらうから安心してくれ」

「あ、はあ……」


 可愛い男装って何だ。男装中の私はレティシアや彼女の腐令嬢仲間からはクールって評されてるんだけど、彼にかかれば違うらしい。女だと疑われないようにもっとキリッとしないと駄目かなあ、キリッとね。


「それじゃあ主催者に挨拶してくるな。生憎到着時は誰か別の客の相手でもしてたのか、姿が見えなかったからな。俺が挨拶すればまあ十分だろうから、二人は待っていてくれ、端の方で軽食でも食べていれば目立たないだろ」


 そう言うとクラウスさんは一人人混みに紛れた。彼が一時的に不在になったせいか私は警戒心を上昇させる。何しろ私はレティシアの専属護衛。パートナーがいるくせに美人な彼女をチラチラと見てくる中身は紳士じゃなさそうな紳士達は、鋭く睨みを利かせてシャットアウト。

 知り合いなのに声も掛けないでいるなんてステファンには悪いけど、私の優先はレティシアだから勘弁してもらおう。


「お嬢様、私達もあちらの方へ行きましょうか」


 軽食が置いてあるテーブルを恭しく示して、同意するレティシアを凛々しい立ち居振舞いを心掛けエスコートする。

 今夜の会場たる貴族屋敷はとても広くて招待客だって多い。あまり堅苦しい集まりじゃあないって話だし、話が弾めば個人的な商談もできるように幾つかの密談部屋も用意してあるらしい。庭先にも出られるし、軽食が置いてある場所は会場の外れに近い小さなスペースだ。招待客達の目的はほとんどが食事じゃないからわざわざ料理を食べにくる人間も多くない。そんなわけで無難に過ごせそうだ。


 人の流れを抜けてもう少しでテーブルって時だ。


「誰かっ、誰か来て騎士を止めてっ! お願い彼を助けて! 死んでしまいますわっ! 誰かお願いっ!!」


 随分離れてるだろうここにいても聞こえてくる女性の悲鳴染みた叫び声。重なる人混みの向こうで一体何が起きているのかはわからないけど、周囲のざわめきが伝播してきた。

 只事じゃない雰囲気に私は表情を引き締めレティシアにより近寄ると小声で話し掛ける。


「レティ、一応私の後ろに居て」

「わかったわ」


 彼女も突如としての未知なる騒動への懸念に顔色は優れない。素直に私の後ろに入ってくれたのは良かった。暴漢なら細腕の彼女よりも武芸の嗜みのある私の方ができる対処に幅があるからね。

 依然助けを求めるような声は上がっていて、叫ばれている内容は変わらない。

 でも、こんなに大勢がいてどうして何も状況変化がないんだろう。私の疑問は程なく解ける。

 見ていると誰も手を差し伸べないのか声の主が移動して、次第に聞こえてきた足音と共に人垣も割れ、とうとう私達の目にもそれが誰なのかがわかった。


「ねえレティ、あれベルフォード嬢だ」

「そのようね。でも珍しいわね。あそこまで血相を変えてどうしたのかしら。外面を気にするタイプなのに」


 ベルフォード嬢は彼女を避けて退く人々を右に左に追いかけて懇願して回る。だけど誰も応じようとしない。

 それもそうかもしれない。


「お願いよ誰かっ! フレデリック殿下の護衛騎士を止めてっ! ジムがっ、わたくしの護衛が死んでしまうわっ!」


 第二王子配下の王宮騎士とトラブルを起こしたらしいけど、この会場の大半は関わっても損しかしないような面倒な相手に近付きたいとも、無駄に敵視されたいとも思わない。フレデリック王子は社交界じゃ実は敬遠されがちだそうから。レティシアが言うには本人は全く気が付いてないそうだけど。

 ベルフォード嬢の家も侯爵家と地位はあるとは言え、それよりも王家の方が遥かに上だ。加えて、ベルフォード嬢本人が危ないわけじゃないので、皆の天秤も無難に関わらない方に傾いたみたい。


 でも……ジムが危ない?


 こういう集まりで私を見つけると突撃師事願いをしてくる彼を厄介な崇拝者だと感じていたのに、無視できないと思い始めている。人懐こい大型犬みたいに走ってきて私に弟子入り志願の土下座をかますから迷惑なんだけど、根は悪い人じゃないんだよ。

 私にとってジムはジム。ベルフォード嬢とレティシアとの仲は関係ない。


「レティ私――」

「誰かっ――ああっエドウィン! エドウィン助けて!」


 行って様子を見てくるからと言いかけたところで、偶然にもこっちを振り返ったベルフォード嬢と目が合った。

 エドウィンエドウィンと彼女は連呼しながらこっちに駆けてくる。

 レティシアが長めの溜息を吐きながら額を押さえた。


「……こうなったなら仕方がないわね。行くわよエド」

「え?」

「あら、助けに行くんでしょ?」


 レティシアの目は言外にあなたに付き合ってあげるわよって伝えてきた。


「ありがとうございますお嬢様」


 私とレティシアはそれぞれ小さく頷くと走ってくるベルフォード嬢と合流する。


「ベルフォード様! ジム殿に何があったんですか!」

「エド、詳しい話は移動しながら聞きましょう。それでいいわよねセーラさん?」

「――! え、ええ!」


 ベルフォード嬢はレティシアを見直したのか、今まで見たためしのない感動した眼差しで見つめたかと思えば、急いでいるのだと思い出してか踵を返してこっちだと先導する。

 意外そうに貴族達が私達三人を眺め、誰もが道を開けてくれた。

 クラウスさんは今夜の主催者を探して会場から出ているのかもしれない。今夜の招待客のために温室やギャラリーなども開放されているらしいからね。


「――フレデリック殿下に言い寄られた!? ……んですか」

「ええ、それをジムが間に入って止めてくれたんですの」

「それをあの常春殿下が逆ギレしたのね。最低野郎ね」

「その通りですわ、最低野郎です!」


 ベルフォード嬢によれば、女性の尻を追いかけるのを邪魔されて酷く腹を立てたらしいフレデリック王子は、腹いせに彼の騎士にジムを殴らせていると言う。彼女の細腕では当然止められず、その場に残ると王子にまた言い寄られるのもあって、ジムからは逃げるように言われたそうだった。だけど誰か呼んできてほしいとは言われなかった。ジムはきっと自分が耐え抜けば事は小さく収まると信じた。彼は己の護るべきベルフォード嬢が王子に言い寄られたなんて醜聞が拡がるのを恐れたんだろう。

 一方ジムの誤算はそれで、ベルフォード嬢はただ逃げるんじゃなく、彼のために助けを呼びに走ったってわけだ。

 ……なーんだ、彼らはちゃんと互いを大切に感じているんだ。


 程なく駆け付けた場所はバルコニーの一つ。

 この広い建物にバルコニーは幾つもあって、一階部分でも床は庭先の地面から幾らか高くなっているので、一階バルコニーでもドレスの淑女が飛び降りるにはそこそこの身体能力と勇気がいる。先客としてバルコニーに出ていたと言うベルフォード嬢も、王子が同じバルコニーに出てきた際に逃げるに逃げられず、ジムが体を張るしかなかったに違いない。


「ジム!」


 バルコニーへと出るガラス張りの格子扉を開け放って踏み込めば、当事者達はまだそこにいて、ジムは一人バルコニーの床に倒れている。たぶんもう殴り終わったんだ。小さく呻くジムは痛々しくも鼻や口から出血していた。折角のイケメン護衛が台無しだ。それにも構わずベルフォード嬢は彼に駆け寄って膝を突いた。正直言うと剣で斬られたりしてなくて良かったよー。そこを懸念してもいたからさ。

 最初フレデリック王子は現れた私達へと邪魔だから去れ的な睥睨を向けてきたけど、うち一人がレティシアだとわかるところりと態度を変えた。


「おおっ! レティシア嬢じゃないか!」


 レティシアの端麗なかんばせが微かに不愉快の色を宿した。無理もない。目の前の王子は最早ジムやベルフォード嬢には目もくれない。

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