「それぞれの行く先」第83話 ブロック4
玄黒はそれを聞いて堪えきれず、乾いた、しかし知的な愉悦に満ちた笑い声を漏らし、手の甲で軽く自らの太ももを叩いた。
玄黒クロガネ:「お前の分析力と推理力は実に傑出している。その通り、俺がギルドの最高峰だ。そして、俺のスケジュールが危機管理事項で埋め尽くされているという推測も正解だ。俺が自らお前を拉致するように連れ出し、直々にスカウトしたのには二つの戦略的理由がある。一つは、お前をしっかりと足止めして監視下に置くというジョセフからの指令を完遂すること。もっとも、俺自身がギルドの公務で直ちに首都へ発たねばならん都合もあるがな。お前をユーフラテスの私邸に住まわせることで、俺の直属の部下たちがその側面を完全にカバーしてくれる。そして二つ目の理由は――お前の任務に対する直接的なバックアップと物的支援の提供だ」
リュウは目を細め、その一手のもつ意味を頭の中で計算する。
リュウ:「ギルドに敵対するつもりはないし、そもそも俺の行動計画には一定の監視が含まれていた。だが、あなたの直接介入によって、当初の想定プランの少なくとも半分は強制的に書き換えられたぞ」
玄黒クロガネ:「かもしれないな。だが、有能な軍師というものは、盤面の駒が強制的に動かされた瞬間にこそ、新たな布石を打ち直すものだ。俺の裏の意図を教えてやろう。この街には、お前が今後どうしても接触し、手を組まなければならない一人の貴族の女性がいる。もし俺が何の連絡もなしにお前を野放しにしていれば、お前たちのやり口や手法はいずれ彼女と衝突を引き起こし、致命的な作戦のボトルネックを生んでいただろう。それを未然に防ぐためだ。それに、私邸に待機させる部下たちは、ただお前を見張るだけではない。いざという時の防壁となり、万が一状況が破綻した場合には、お前たちの偽装死亡工作を含む完全な脱出ルートを確保する。俺の不在による副次的な被害を最小限に抑え、安全網を提供するためにこれを設計した」
リュウはその新たな変数を頭の中で瞬時にシミュレーションし、メリットとデメリットを天秤にかける。
(リュウの思考:……あいつの組織に背後を抑えられるのは厄介だが、逆に本人が首都へ不在になるのなら、その私邸の圏内においてはこちらの自由度が増す。彼の用意した防衛網を逆手に取って利用すれば、これはむしろ強力な戦力倍率になる。もはや邪魔な足かせではなく、コントロール可能な変数の一つに過ぎないな……)
リュウ:「いいだろう。その条件を飲む。戦術的な異議はない。だが一つだけ明確にしておけ――その『組むべき特定の貴族』とは、具体的に誰のことだ?」
玄黒はテーブルの上に残されていた数葉の極密ファイルをスライドさせ、正確な手つきでリュウの前に差し出した。
玄黒クロガネ:「その女に関しては、ゼロから素性を洗うようなカウンターインテリジェンスの必要はない。すでにギルドの側ですべてのプロフィールを精査済みだ。ほら、完全なドキュメントはそこにある」
その瞬間、馬車は滑らかなブレーキ音を響かせ、重厚な鉄格子の門を備えた質実剛健な大邸宅の前でぴたりと静止した。御者が素早く席を立ち、軍用馬車並みの手際良さで扉を開け放つと、到着を告げた。
御者:「ご主人様、目的地に到着いたしました」
玄黒は愛用のコートを引っ掛け、最後にもう一度リュウを鋭く見据えると、無駄な形式張らない自然な仕草で小さく頷いてみせた。
玄黒クロガネ:「ここまでだな。首都での任務に猶予はない。俺はこのまま馬車を乗り換えて出発する。この盤面で次に顔を合わせることはもうないだろう。お前の任務の完遂を祈る」
リュウはその別れを微動だにせず受け止め、トランクケースを手にしっかりと大地へと降り立った。
リュウ:「手厚い物流のバックアップには感謝しておこう……一応な」
御者が外側からバタンと重く扉を閉め、純白の軍馬に引かれた馬車は華麗な弧を描きながら、ユーフラテスのメインストリートへと走り去っていった。
リュウは圧倒的な威圧感を放つクロガネ邸の黒塗りの門の前に一人立ち、手渡されたファイルケースの表紙をめくった。最初のページに記されたその名前に目を落とし、冷たく呟く。
リュウ:「――カスガ・シオリ……か」
――同じ頃、孤児院のバスルームでは、古びた蛇口から落ちる水滴の音だけが虚しく響いていた。
湿気でやや曇った壁の鏡の前に立ち、ケンゾウは憑かれたように何度もネクタイの結び目を正し続けていた。自分の両の掌で黒いスーツの生地を几帳面に撫でつけ、目に見えない埃をすべて払いのける。さらに蛇口をひねって水を手につき、サイドの髪をきっちりと後ろへ撫で付けて完璧なシルエットを作り上げる。
五分、十分、十五分。
最後に彼は自分の瞳を鏡越しに凝視した。傍目から見れば、最初の段階と何一つ変わらない完璧な立ち姿だった。だが、数ミリだけ顔を鏡に近づけた瞬間、彼の瞳孔がわずかに恐怖に揺らいた。
ケンゾウ:「なんだこれ……?」
引きつった声で、彼は絶望を漏らす。
頭頂部のほんの一ミリほどの、誰の目にも留まらないような小さなアホ毛が、どういうわけか言うことを聞かずにピンと跳ね上がっていたのだ。一般人にとっては取るに足らない瑣末な問題に過ぎないが、完璧主義と潔癖を極めたケンゾウの精神構造においては、軍の最高権力者の前での第一印象を完全に台無しにする致命的なバグだった。
ケンゾウ:「ふざけるな……こんな不完全な状態で出られるわけがないだろうが」
そこから始まったのは、重力と自らの毛髪に対する狂気的な戦いだった。再び髪を濡らし、水分量を計算し、角度を微調整し、ミリ単位でブラシを滑らせて秩序を取り戻そうと必死の作業を続ける。
その頃、孤児院の門前では、市の最高軍事司令官の忍耐が限界を迎えようとしていた。
屈強なペルシュロン種の軍馬に引かれた、装甲板付きの無骨な軍用馬車の傍らで、徳川は苛立ちに任せて同じ場所を何度も踏みしめながら歩き回っていた。歯を噛み締め、首筋の青筋がピクピクと痙攣している。そのすぐ傍らでは、右腕であり信頼厚い軍師のホンダが、微動だにせず腕組みをしたまま冷静に主人の様子を見守っていた。
徳川:「あのガキめ……! 一体中で何をやっているんだ、遅すぎるだろうが!」
ホンダは懐から懐中時計を取り出し、淡々としたトーンで告げた。
ホンダ:「お洒落にでも夢中なのでしょう。あるいは、軍の門を叩くことのプレッシャーに耐えかねて、怖気づいて逃げ出そうとしているのかも知れませんね」
徳川の拳が握り締められ、関節からバキバキと不気味な音が鳴る。
徳川:「俺の貴重な訓練の時間を無駄にさせやがったら、軍の厳しさをその身の痛みなき体で教えてやる……!」
その時、孤児院の重い玄関扉が開き、ようやくケンゾウが姿を現した。細部まで完璧に手入れされたスーツをまとい、非の打ちどころのない優雅な足取りで歩いてくる。出発する前に、彼は建物の入り口に立つ女性へと丁寧な一礼を送った。
ケンゾウ:「お世話になりました、カルラ修道女。お体に気をつけて」
カルラ修道女:「ええ、あなたもね、ケンゾウ。しっかりおやりなさい」
ようやく的が姿を現したのを見た瞬間、徳川の顔に浮かんでいた殺気だった怒りは、一瞬にして不気味で野獣のような笑みへと変貌した。彼は大げさに両腕を大きく広げ、待ち構える。
徳川:「おいおい坊主! 首を長くして待っていたぞ!」
間合いに入るやいなや、徳川は容赦なく巨体をぶつけ、ケンゾウを文字通りの『ベアハック(熊締め)』で抱え込んだ。鉄の塊のような筋肉の圧迫に、ケンゾウの肺から空気が一気に絞り出され、その体は地面から完全に持ち上げられる。
徳川:「二度と中から出てこないのかと思ったぞ! お前、逃げる算段でもしていたのか? それとも俺が怖くて泣いていたのかぁ!?」
酸欠で顔を真っ赤に染め上げたケンゾウは、必死になって徳川の分厚い胸板や肋骨をポコポコと殴りつけたが、鋼鉄の鎧のような巨漢の前では蚊に刺されたほどの効果すらない。
ケンゾウ:「だ、誰が……! 誰が怖がっている……! このゴリラ、さっさと離せ!」
徳川は腹の底から豪快に笑い声を上げると、ようやくその腕を緩めて放り投げた。ケンゾウは地面に両足から着地し、激しくむせながら息を整える。
徳川:「さあ、馬車に乗れ。今日からお前をしごき倒すための特訓メニューが待っている……泣き叫ぶ声を聴くのが楽しみだぜ! ガハハハハ!」
ケンゾウは頭を抱えたい衝動に駆られながら、馬車へ乗り込む徳川の背中を見つめた。だが、その瞬間に彼の顔面が引きつる。あの無慈悲な抱き締め攻撃のせいで、二十分かけて完璧に整えたはずのスーツの折り目がグチャグチャに崩れ、苦労して押さえ込んだアホ毛が再び盛大に逆立っていたのだ。
徳川の背中を、殺意に満ちた冷たい目で射抜く。
ケンゾウ:(……あのクソ筋肉、脳ミソまで筋肉で出来やがって。絶対にいつか仕返ししてやる)
怒りを飲み込み、ケンゾウはホンダの後に続いて軍用馬車へと乗り込んだ。重い車輪が砂利を鳴らし、車両は軍の駐屯地へ向けて走り去っていく。
それからわずか数分後、孤児院の門前は再び静けさを取り戻していた。
サムは私物を詰めた小さなバックパックを肩にかけ、静かに外へ出てきた。リュウと同様に、彼もまた治安維持組織である司法府へ正式な職員として潜り込むため、自身の武器をカルラ修道女の元へ一時的に預ける選択をしていた。
少し離れた場所では、装飾の一切ない漆黒の公用馬車が静かに停車していた。その扉の傍らで、主人のための書記官として直立しているのはヴァルだった。
白のフォーマルシャツに黒のネクタイを着用し、一滴の汚れもない服装の彼の手には分厚い業務用の手帳が握られている。そして、その肩の上には、周囲の視線から完全に隠された影の蛇がとぐろを巻き、周囲を警戒するように冷たい黄色の瞳を滑らせていた。
サムはリュウから受け取った最後の言葉を胸に刻み、背筋を伸ばしてその馬車へと近づく。
最高法務責任者であるヒデオ・タケナは、すでに車内の奥深くに座り、冷徹かつ人間味の一切感じられない目をサムに向けていた。彼にとって、雇い入れた者など使い捨ての歯車に過ぎない。
ヒデオ・タケナ:「乗れ。お前の実務は今この瞬間から始まる」
サム:「はい、心得ております」
それ以上の会話はない。ヒデオが視線を逸らすと、ヴァルが恭しく扉を開けてサムを招き入れた。そのすれ違いざま、ヴァルは眼鏡の奥の赤い目を細め、どこか意味深な笑みを浮かべる。肩に絡みついた影の蛇が、わずかに鎌首をもたげてサムの背中を舐めるように威嚇した。
サムは臆することなく乗り込み、ヴァルが最後に扉をしっかりと閉めた。馬車はそのまま、冷たい朝の空気の中を司法宮殿へと動き出す。
最後に残されたのは、アカリだった。
彼女もまた荷物を背負い、孤児院の庭先で静かに待機していた。だが、彼女を迎えに来たはずのカスガ・シオリの姿は外にはなく、建物内部の管理人室で、カルラ修道女とひそひそと言葉を交わしていた。
廊下の隅で待つアカリには、その詳しい会話の内容までは聞こえない。しかし、二人の間で交わされている言葉の重みは、これまでの形式的なものとは明確に異なっていた。
カスガ:「修道女……私は、アカリをただの使用人として雇うつもりはありません。彼女の『養子縁組』の正式な書類にサインをしたいのです」
カルラ修道女は手元のインクペンをピタリと止め、その整った顔を驚きに染め上げた。
カルラ修道女:「……アカリを、貴女の娘として迎え入れるおつもりで?」
カスガ・シオリは静かに頷き、その瞳にはこれまでの冷徹な貴族の仮面とは違う、深い慈愛の色が宿っていた。
カスガ:「ええ、可能であれば、そうしたいのです」
返答を返す間もなく、廊下の向こうからパタパタと軽やかな足音が近づいてきた。アカリが心配そうに顔をのぞかせる。
アカリ:「あの……私、もう出発の準備はできてますけど……?」
二人の女性は同時に視線を向けた。
白磁のような肌、淡いピンクの髪、そして澄んだ青の瞳。その容姿は、まるで本当の母子であるかのように美しい調和を見せていた。だが、それ以上に彼女たちの間にある共通項は、権謀術数の渦巻く貴族社会の汚泥とは無縁の、あまりにも純粋な魂の輝きだった。
カルラ修道女はアカリを一瞥し、それから目の前の女領主を見て、穏やかな微笑みを浮かべる。
カルラ修道女:「不可能なことではありません。ですが、それを決めるのは私ではなくあの子自身です。きちんと彼女と向き合って話し合いなさい。お互いの意思が確認できたら、いつでも正式な手続きを進めましょう」
カスガは深く頭を下げ、心からの感謝を告げた。
カスガ:「ありがとうございます、修道女殿。恩にきます」
彼女はゆっくりと振り返り、まだ状況を飲み込めずに小首をかしげているアカリの目の前まで歩み寄ると、その小さな両手を優しく包み込み、ゆっくりと語りかけ始めた――。




