「計算外の指名」第80話 ブロック4
ナレーター:「玄黒クロガネ。火の国家『ヴァレロストラ』の元軍人。その圧倒的な身体能力と類まれなる戦術眼を買われ、わずか十二歳という若さで軍に入隊した。二十歳でフィールド軍曹の地位に上り詰め、三十歳には中隊長として二百名以上の兵士を率いて戦場を駆け抜け、四十歳にして大隊長の地位を獲得。大将軍の一歩手前まで上り詰めた歴戦の猛者であった。新国家『スクシア』が建国された際、彼はヴァレロストラ軍を去り、新国家の軍門に加わる道を選ぶ。その圧倒的な武力と統率力故に、即座に大将軍の座に就き、全軍を統べる最高司令官として七年間もの長きにわたり国家の武装勢力を指揮し続けた。その軍歴のすべての歩みには、常に実の兄弟のような存在である親友、カゲアキ・クレナイが寄り添っており、共にスクシアへ移籍する決断を下したのも彼だった。そして現在、玄黒クロガネは軍の第一線から完全に退き、冒険者として過ごして三年の歳月が流れていた。軍人時代に培った底知れぬ実力とカリスマ性により、彼はギルドの最高峰である『ギルドマスター』に就任し、組織の全権を掌握している。彼の弟であるジョセフ・クロガネは、セルペンテ村の地方ギルドマスターを務めており、玄黒が引退した現在、かつての親友であるカゲアキ・クレナイが最高司令官たる新たな大将軍の座を引き継いでいる」
カルラ修道女が次なる選出を告げる言葉を発した瞬間、庭園の最も奥まった影から、一人の大柄な男がゆっくりと立ち上がった。
玄黒はテーブルの陰から一歩を踏み出し、その顔立ちを黒いフェドラハットの深いツバの影に完全に隠したまま、裏庭全体に響き渡る重厚な低音で宣言した。
玄黒クロガネ:「――残っているガキの一人、俺が引き取らせてもらう」
リュウは、庭園の最も暗い一角にそびえ立つその巨漢の男へと鋭い視線を向けた。薄闇のせいで表情こそ見えないものの、リュウはコンマ一秒でその脅威度を解析し、思考を巡らせる。
(まさか、ユーフラテスの審判官か……? いや、それならサムを引き取ってくれよ)
その位置からでは、男の素顔を視認することは不可能だった。だが、その風貌は異質でありながらも洗練されていた。上には真白なフォーマルシャツにネクタイ、そして黒く引き締まったラペルのジャケットをまとい、下には黒のアラビアンパンツ風のスラックスと上質な革のサンダルを履いている。トレードマークのフェドラハットを深くかぶったその男は、庭園のランプの光が届かない境界線上に仁王立ちしていた。
リュウは警戒心を極限まで高めながら男のシルエットを観察し、背筋に走る微かな冷気を感じ取っていた。
(一体何者だ……? いや、それ以上に纏っているオーラが異常すぎる。体から溢れ出している魔力の総量が桁違いだ……もし万が一、今の俺がリュウと再び合流していたとしても、魔力馬鹿の領域では到底敵わない。属性は――間違いなく『火』だ)
息を潜めてその得体の知れない脅威を値踏みしているリュウの横で、カルラ修道女は暗がりに立つ男に目を向け、穏やかな笑みで問いかけた。
カルラ修道女:「それでは、どちらのお子様をご所望でしょうか、ご主人様?」
玄黒は退屈を紛らわすかのように、ゆっくりとした動作で帽子の位置を直すと、そのままステージの明かりの方へと足を進め始めた。
玄黒クロガネ:「ふむ……どれにしようか」
大ギルドマスターの歩みは、重く、深く、そして静寂を伴っていた。その堂々たる足音だけで庭園全体が再び水を打ったような静けさに包まれ、貴族たちは「あの気品と威圧感を兼ね備えた男は何者だ」と互いに顔を見合わせてヒソヒソと囁き合う。
やがて明るい灯りの下へと歩み出て、カルラ修道女の目の前でぴたりと足を止めたとき、その体格差は歴然だった。玄黒は修道女よりも頭一つ分以上高くそびえ立ち、鍛え抜かれた分厚い筋肉の鎧を思わせるその巨躯は、周囲の人間を圧倒するほどの存在感を放っていた。
カルラがそっと顔を上げ、帽子の下に隠されたその素顔を直視した瞬間、彼女の瞳がわずかに見開き、その正体を即座に察知して息を呑んだ。
玄黒はそんな妹に向けて不敵な笑みを崩さず、親しげなトーンで声をかける。
玄黒クロガネ:「さてとな、妹よ……俺にどいつがお勧めだ?」
ナレーター:「玄黒クロガネには二人の血のつながった兄弟がいる。彼を含めた三兄妹は、いずれも貧しい平民の出だった。真ん中に位置する弟が、セルペンテ村の地方ギルドマスターであるジョセフ・クロガネ。そしてもう一人の家族が、このユーフラテス市の孤児院を束ねるカルラ修道女その人である。カルラは男たちのように軍の道には進まず、武装奉仕も行わなかったが、その代わりに『卓越した暗殺者』として裏の歴史にその名を轟かせた。致命的な劇薬から致死性のない緩慢な毒まで、あらゆる毒物の精製と使用において恐るべき専門性を誇り、短剣とナイフの扱いにおいては神業の領域に達していた。かつては王国の極秘裏の粛清任務を請け負う最高峰の暗殺者として恐れられた彼女だったが、血塗られた稼業に嫌気が差すと、その膨大な薬草と毒の知識を医療と人命救助の技術へとスライドさせ、最終的にユーフラテスの孤児院を庇護する慈悲深き母となったのである。彼女のフルネームは、カルラ・クロガネという」
カルラ修道女はプロとしての完璧な笑みを顔に貼り付け、落ち着いた声で返した。
カルラ修道女:「それはお客様ご自身の目で選んでいただくことです。あなたが最も相応しいと思う子をお選びください」
玄黒はフェドラハットの影の奥から、冷徹かつ鋭い視線をリュウとサムの二人に向け、数秒間の沈黙ののち、ゆっくりと人差し指を伸ばして指し示した。
玄黒クロガネ:「ふむ……じゃあ、あの黒髪のガキをもらっていこうか。なかなかに見込みがありそうだ」
その指名を聞いた瞬間、リュウの双眸がわずかに細められた。表情筋を引き締め、正面を見据えた冷徹な仮面を崩さなかったが、その脳内では猛烈なスピードで計算の修正が行われていた。
(クソッタレ……完璧だった計画が根底から狂い始めた。別のルートからのアプローチを再構築する必要があるな)
カルラ修道女は、大ギルドマスターの決定に対して柔らかく頷いた。
カルラ修道女:「かしこまりました。他の方々と同様に、会合の終了後に譲渡の正式な書類手続きを進めさせていただきます」
玄黒は帽子のつばに軽く指を触れ、身内に対する礼儀としてわずかに頭を下げた。
玄黒クロガネ:「頼む」
それ以上の言葉は交わさず、彼は踵を返し、再び己が陣取る暗がりのテーブル席へと重い足取りで引き返していった。
再び闇に包まれた席に腰を下ろし、遠くからリュウを観察しながら、玄黒の脳裏には一ヶ月前の記憶が鮮明に蘇っていた――。
[ 一ヶ月前 ]
古びた木材の匂いと、上質な葉巻の煙、そして熟成されたエールの香りが充満するセルペンテ村のギルド長室。激しい頭脳戦の末のチェスの終局を見届けた後、ジョセフ・クロガネは革張りのソファに深く背中を預け、冷徹な目をボードに向けながら呟いた。
ジョセフ・クロガネ:「あの少年の実力は信じている……だが、慎重すぎるということはない。お前自身が直接現地に出向き、奴の動きを監視するか、あるいは信頼できる者を潜り込ませておいてくれ。情報漏洩など絶対に許されない。ユーフラテスでのあの任務は、我がギルドの存亡をかけた最重要案件だ。兄貴、頼めるか?」
窓辺に寄りかかり、夕暮れの空を眺めながらワイングラスを回していた玄黒は、静かに溜息をついてから答えた。
玄黒クロガネ:「ああ、構わんさ。だが、まずは俺自身の目でそのガキの器量を見極め、その上で屋敷の一つにでも見張り役を忍ばせておくとするか。それで文句はないだろう?」
ジョセフ・クロガネ:「頼んだぞ。道中の無事を祈る」
[ 現在 ]
現実に引き戻された玄黒は、暗がりの特等席でふっと息を吐き、毅然とした姿勢で立つリュウを見据えながら、自身の内なる思考をまとめた。
(リュウ・ゼナク、か……。魔力も身体能力も、常軌を逸した異常値を示す子供だ。この危険な任務に自ら身を投じるお前の真の目的は何だ? 今日のところはその底までは暴けまい……だが、依頼を確実に完遂することさえできればそれで十分だ)
ステージの中央では、カルラ修道女が再び一歩前へ歩み出ていた。グラスを傾ける貴族たちに向かって両手を優しく広げ、澄んだ声を響かせる。
カルラ修道女:「それでは――残るおのこは、あと一人となりました。どなたか、この最後の若者を我が子のようにお迎えしてくださる方はおられませんか? 夜はまだ始まったばかりです。どうぞご自由に」
ユーフラテスの孤児院の裏庭は、再び張り詰めた静寂に支配されていた。富美子・日野の乱入と退場、霞シオリの圧倒的な介入、徳川軍の威圧、そして大ギルドマスター・玄黒の不意打ちの指名。華やかな社交界の皮をかぶったこの夜会は、貴族たちのドス黒い利害関係と謀略が剥き出しになる修羅場へと変貌していた。
ステージの中央、揺らめく松明の灯りとクリスタルのシャンデリアの光が照らし出すその場所に、サムはたった一人で立ち尽くしていた。すべての参加者の中で、彼だけがまだどの勢力にも引き取られていなかった。
高級な特製フォーマルスーツを纏っているにもかかわらず、サムの全身からは隠しきれない緊張と居心地の悪さが滲み出ていた。肩の力を抜き、気高さを保つことだけに全神経を集中させている彼の両拳は、あまりの力の入れように関節が白く変色していた。独り取り残されることへの恐怖ではない。彼を縛り付けているのは、背負い込んだ作戦の重圧だった。相棒であるはずのリュウは、あろうことかギルドの最高権力者に直接指名されてしまった。当初の計画にあった「二人同時の内部潜入」は完全に破綻した。今や、ユーフラテスの司法中枢と腐敗した利権構造にアクセスし、内部から網の目を断ち切るための唯一の希望は、このステージに残された彼自身の選択に委ねられていた。
カルラ修道女は、優雅な笑みの裏に数多の毒殺と暗殺の技術を隠し持ったその冷徹な眼光を緩め、テーブルの並ぶ庭園をゆっくりと見渡した。
カルラ修道女:「先ほども申し上げました通り、この若者は非常に勤勉で、忍耐強く、何よりも飲み込みが早い素質を持っています。会合が次の段階に移る前に、どなたかこの最後の原石に手を差し伸べてくださる方はいらっしゃいませんか?」




