(オートプシー)」第75話 ブロック4
少しして――。
リョウとパンドラは、先ほどまで夕食をとっていたテーブルのすぐ傍らの床に、怪物の亡骸を転がしていた。二人ともすっかりずぶ濡れになっていた。リョウの額には雨水に濡れた髪が張り付き、パンドラの頭部からは黒く湾曲した羊の角の曲線に沿って、太い水滴がぽたぽたと滴り落ちていた。
パンドラは青白い怪物の残骸を見下ろし、リョウに問いかけた。
パンドラ:「……調べる気ですか?」
リョウは無言のまま数秒間それを凝視し、冷え切った声で答えた。
リョウ:「口がきけないなら、解剖するしかないだろ……。その生物学的構造から情報を引き出す」
そう言うと彼は、きれいに洗われた皿のすぐ隣、怪物の黒い血に汚れた肉切り包丁が転がっている隅っこを指さした。
リョウ:「包丁を取ってくれ」
パンドラは調理台へと歩み寄り、その武器の柄を掴んで彼の手に手渡した。
パンドラ:「どうぞ」
リョウは木製の柄をしっかりと握りしめ、宣言した。
リョウ:「よし……解剖を始める」
死体の傍らにしゃがみ込むと、彼は金属製の刃先を右肩の上部に当てた。青白い皮膚に刃を食い込ませ、肩の関節から手首にかけて一気にまっすぐ切り裂いていく。最初の直線を開くと、同じ切れ目に再び刃を通し、さらに力を込めて深く抉る。包丁を床に放り出し、血に染まった自らの両手で肉を引き裂き、四肢全体の骨の構造をむき出しにしていった。
リョウは関節の結合部や、骨同士をつなぐ弾力のある組織を細部まで入念に観察した。数秒間じっと見つめた後、ふっと微かな戸惑いの呟きをもらす。
リョウ:「ふむ……」
すぐに他の五本の腕へと移動し、全く同じ作業を繰り返した。一本ずつ深い傷を入れて肉を開き、組織と軟骨を露わにしていく。この時点で彼の両手はすでに黒い血に染まり、指先から床の木板へと絶え間なく血が滴り落ちていた。
最後に、細長く引き締まった下肢へと向かった。同じように深くまっすぐな線を引いて骨の表面に到達させ、剥き出しの指で肉を剥ぎ取り、膝周辺の関節の結合を解析する。
小屋の床はすでに、どす黒い血と体液の濃い水たまりと化していた。リョウは関節の構造から目を離さないまま、ゆっくりと立ち上がった。
リョウ:「見事なもんだ……」
すぐ傍らに立ち、その一連の動作をじっと見守っていたパンドラが尋ねる。
パンドラ:「……何か妙なところでも?」
リョウは骨と骨の結合部を直接指し示し、膝や肘の白く分厚い組織に視線を固定させた。
リョウ:「こいつの軟骨を見てみろ。どう思う?」
パンドラは血に染まった床に大人しくしゃがみ込み、軟骨の構造を間近で観察し始めた。
そして、パンド라はリョウに詳細を告げる。
パンドラ:「軟骨が、人間のものより三ミリほど厚いですわね」
リョウは彼女を数秒間じっと見つめた。
リョウ:「で、それが具体的に何を意味する?」
パンドラ:「軟骨が厚いということは、衝撃の吸収力と緩衝性が桁違いに高いということです。通常ではあり得ないほどのスピードで移動でき、最高速度では時速四十から五十キロに達するでしょう。それに、関節の摩耗が少なく、高所からの落下でも骨折せず、長時間の激しい運動に耐えられる。要するに、速度、爆発的な機動力、そして耐久性のすべてが揃っているということです」
リョウ:「その通りだ。だからあんな短時間であんな遠くまで逃げられたんだ。走ることに特化してやがる」
彼は再び血まみれの死体の前にしゃがみ込んだ。
リョウ:「次だ」
攻撃の際に最初の切開で縦真っ二つに割れていた頭部へと向き直る。包丁の切っ先と血にまみれた指を使い、眼窩周辺の肉と組織を無理やりこじ開けて、巨大な眼球をごっそりと引き抜いた。
それを抜き取ると、むき出しになった頭蓋骨の内側にぽっかりと大きな空洞が残された。リョウはその脳組織と骨の形状をじっと観察する。
リョウ:「脳の後ろ側しか頭蓋骨で守られてねえ……中心の骨構造はC字型だが、この目玉は人間の手ほどの大きさだ。中身がどうなっているか見てみよう」
眼球を床にしっかりと押さえつけ、包丁の刃を真ん中に通して完璧な二つ割りにした。その内部構造が露出すると、眼房液と光を反射する物質が木床の上にこぼれ落ちた。リョウは剥き出しになった内側の膜をじっと見据える。
リョウ:「これを見ろ。この目の構造、完全に高性能な写真カメラと同じだ」
パンドラ:「何が分かるのですか?」
リョウは両手を広げ、それぞれの手のひらに眼球の半分ずつを乗せてパンドラに見せた。
リョウ:「まず、後方の網膜だ。フォトセプター(受光細胞)の密度が異常に高い。隙間なくみっちり詰まっている。つまり、ただ見ているだけじゃなく、何キロも離れた場所からでも完璧な視覚的解像度で画像を処理できるってことだ。俺たちの装備や顔の細部まで、一切の誤差なく捉えられる」
さらに一歩近づき、半分に断ち割られた角膜と透明なレンズを覗き込む。
リョウ:「次に、角膜が極端に湾曲していて、水晶体が球形だ。真ん中に一つしか目がないから大抵の生き物は周辺視野が死ぬはずだが、この湾曲のおかげで二百度を超える広大な視野を確保できる。頭を向けなくても、走りながら真横を警戒できるってわけだ」
パンドラ:「夜間はどうなのです?」
リョウ:「底面には光を反射する層、極限まで発達したタペツム(反射板)と赤外線受容体が備わっている。この膜が夜間のどんな微弱な光でも何倍にも増幅し、体温すら感知する。真夜中でも、この嵐の中でも、まるで昼間のように鮮明に見えていたはずだ」
最後に、目玉と頭蓋骨の内部を直接つないでいる太い神経の束を指し示した。
リョウ:「そして一番重要なのがこれだ。この視神経は普通の神経回路じゃない。脳の半分を占める巨大な視覚野に直結した、途方もなく太いデータ転送ケーブルだ。こいつの目は単に見るためだけに存在していたわけじゃない……生きた生物兵器カメラそのものだったんだよ」
パンドラがリョウに言った。
パンドラ:「速度と並外れた視覚……なんだかすごく特定の目的に特化していますわね」
リョウは横目で彼女を見やり、答えた。
リョウ:「その通りだ。次は胃をいくぞ」
リョウは眼球の破片を死体の傍らの床に放り出し、再び血塗れの包丁を掴んだ。怪物の垂直に裂けた口、すなわち首の中ほどから、お腹のあたり――もっとも、こいつにお臍などないが――まで伸びている縦の裂け目の前へと陣取る。その起点に包丁の刃を突き立て、腹部へ向かって一気に切り下ろした。
血に染まった指で皮膚と肉をこじ開けると、腹腔内の様子が露わになった。リョウはそれをじっと覗き込み、呟く。
リョウ:「胃があるかどうか気になってたが……いわゆる普通の胃じゃねえな」
通常の筋肉質の臓器の代わりに、腹部のあたりに靴箱ほどの大きさの膜状の袋がぶら下がっていた。巨大な縦の口の上方から延びる管につながっている。リョウはそれを支えている筋肉の繊維を包丁で正確に断ち切り、中身がこぼれないように指でつまんでから、体内から引きずり出した。
その袋を両手で軽く握ったり離したりしてみる。触感はドロドロとして液体状であり、まるで水の入った風船を掴んでいるような感触だった。
リョウは相棒を見やり、告げた。
リョウ:「おい、ちょっと外に出てくれ」
パンドラは静かに頷いた。
パンドラ:「ええ」
粘液に満ちた袋を手に、二人は土砂降りの雨の中へと外に出た。野外に出ると、リョウはその臓器を一つの岩の上に置き、軽く刃物で切り込みを入れた。蛍光の緑色を帯びたドロドロとした液体が、すさまじい勢いで噴き出し始める。地面や草木にほんの少し触れただけで、その物質は激しい音を立てて泡立ち、ツンと鼻をつく刺激臭の煙を上げ始めた。草や土が恐ろしい速さで溶かされていく。
リョウはその岩の削れ具合を見つめ、口を開いた。
リョウ:「すげえ強酸だな、おい」
パンドラは一歩近づき、濡れた地面の上で起きている化学反応を冷静に分析した。
パンドラ:「胃と呼べなくもありませんが、通常の消化器官の構造とは全く異なりますわね。ですが、これほどの高濃度な酸を蓄えている。排泄用の器官がないことは以前から気づいていましたが、つまり、動物の丸呑みさえも完全に溶かして原型をなくし、栄養分をそのまま液体の状態で一気に体内へ吸収するための仕組みなのでしょう。一般的な消化とはまったく勝手が違いますけれど」
リョウがパンドラに告げる。
リョウ:「中に戻るぞ」
安全な隠れ家の中へと戻ると、リョウは作業台の上の包丁を取り、木製のトレイの上で肉の袋を完全に切り開いて説明を続けた。
リョウ:「構造も機能も、鳥の砂嚢に近い。食い物をそこに貯め込んで、この極端な強酸で少しずつ溶かしていくってわけだ」
袋の内側を完全に広げると、その中から本来の収穫物が姿を現した。半ば溶けかけた動物の肉片、体毛、小さな骨、そして森に棲む何かの生き物の目玉が、腐食性の液の中にドロドロに溶けた状態で残されていた。
リョウ:「こういう砂嚢みたいな器官があれば、何も無駄にせず栄養を限界まで吸収できる。ここまでの代物を見ると、自然発生した生物というより、人工的に作られたようにしか思えねえな……。それを確かめる唯一の方法は生殖器があるかどうかだが、通常の生物がいるべき位置には見当たらなかった。まあ、こいつの構造の異様さからすれば、どこにあってもおかしくないがな」
パンドラがリョウに答えた。
パンドラ:「まるで地獄の底から引きずり出されたような怪物ですわね……もっとも、地獄のどの生物とも生物学的には一致しませんけれど」
リョウは開かれた胴体の前にしゃがみ込み、巨大な縦の口の奥底へと視線を凝らした。
リョウ:「真ん中のあたりに、四つの穴がある……そして、それぞれの穴から何かが突き出ているぞ」
パンドラ:「もしかして……」
リョウはその開口部に直接手を突っ込み、かなりの力を込めて穴から突き出ている黒い先端を掴み取った。力いっぱい引っ張り出すと、乳白色のベタつく液体にまみれた白い触手が姿を現した。
リョウは一目でそれを察し、動じることなく断言した。
リョウ:「オスだな、こいつは」
パンドラはくすっと小さな嘲笑を漏らした。
パンドラ:「ふふっ、そうみたいですわね……立派な生殖器が精液まみれですわ」
リョウは平然と触手を放した。両手は黒い血とドロドロとした体液の混合物まみれだったが、恥じらいや嫌悪感、感情の揺らぎなどは一切見せなかった。彼にとっては、これも単なる一つの生物学的データに過ぎない。自然繁殖していると分かったことで、一時的な魔法のオートマタ説は消えたが、現時点では大して役立つ情報ではない。
再び視線をむき出しの筋肉組織へと戻す。もう一度しゃがみ込み、切り取った組織片を指でつまんで間近で吟味した。
リョウ:「こいつの年齢も分かりそうだ」
パンドラも身をかがめて覗き込む。
リョウ:「木には年輪があるだろ。この怪物にも似たようなものがある。肉の繊維の中に、少し色の濃い細かい線が入っている。バラバラだが、どの筋肉の塊にも全く同じ数が刻まれている……十七本だ。もし一本が一年の発育に相当するなら、こいつはまだ若い。完全に成熟しきっちゃいないな」
ナレーター:「セイ・ブラッチア。それは魔王の支配下にある、この世界の固有の生物学的生態系に属する生き物である。プリンシパリティーズのような精神体の悪魔ではなく、肉体を持ち、性的繁殖を行う生物である。妊娠中、雌の背中には胚が育つための突起が成長し、身体の重心が崩れないよう配慮されている。六本の腕と、極めて高解像度の単眼を一つ持ち、驚異的な速度を誇る、スパイ活動と情報収集に特化して設計された怪物である」
リョウは立ち上がり、キッチンのほうへと歩み寄った。木製の盥に張られた灰汁の水に手と包丁を浸し、入念にこすり洗いをする。容器の中の水は瞬く間に濃い赤色に染まった。盥を持ち上げると一度外の嵐の中へと投げ捨て、再び新鮮な水を汲み直して一握りの灰を放り込む。二度目の手洗いで手と金属の刃を完璧に磨き上げ、きれいな水ですすいだ後、包丁をそっと引き出しへとしまい込んだ。
パンドラは死体の傍らに立ったまま、無関心な目で切り刻まれた肉片を見つめている。
リョウ:「もう片づけていいぞ」
リョウが脇に退くと、パンドラは無残に切り刻まれたセイ・ブラッチアの残骸へと手を伸ばした。直後、漆黒の炎がその肉体を完全に包み込んだ。木床の上にこぼれ落ちていた肉、骨、そして血の一滴に至るまで、炎に触れた瞬間に猛烈な勢いで蒸発していく。炎は灰すらも残さず焼き尽くし、まるで最初からそこで何も解剖されていなかったかのように、床を完全に綺麗に消し去った。
リョウ:「速度、卓越した視覚、そして効率的なエネルギーの吸収能力……となると……」
パンドラがその言葉を引き取る。
リョウの思考に合わせるように、彼女が口を開いた。
パンドラ:「完全に情報収集のために使われる生き物ですわね。可能性は二つです。誰かが私たちの存在をすでに掴んでいて、直接この化け物を送り込んできたのか。あるいは、この怪物がたまたま私たち――おそらくあの蛇との戦いの最中あたりに――を目撃し、独断で私たちを調査して主へと情報を持ち帰ろうとしたのか」
リョウは険しい顔で彼女を見据えた。
リョウ:「間違いない。後者であることを祈るぜ……それなら情報はこの怪物とともに消え、俺たちの存在を知る者は誰もいないってことになる。不測の事態が起きる前に、このゲームを素早く終わらせるぞ」
それ以上言葉を交わすことなく、リョウとパンドらは荒れ狂う雨音を背に、小屋の乾いた一角を後にした。




