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「情報とは資産であり、無知とは死刑宣告だ」 第3章 第8話(後編)

数時間後、馬車の規則的な前進が徐々に減速し始め、朝の黄金色の光がカーテンの隙間から温かく差し込み始めていた。


最初に目を覚ましたのはサムだった。木製のベッドの上に体を起こすと、両腕を大きく上に伸ばし、車内の静寂を切り裂くような豪快なあくびを噛み殺した。その音で、他の面々も一人、また一人と目を覚まし始めた。


サム:「ふあぁぁぁ……みんな、おはよう」


まだ夢の中にいたアカリは、小さな手で目をこすりながら、寝ぼけ眼で呟いた。


アカリ:「おはよう、お兄ちゃん……」


ケンゾウ:「おはよう」


リョウはゆっくりと体を起こし、姿勢を整えてから口を開いた。


リョウ:「みんな、よく眠れたか?」


全員:「うん、大丈夫だよ」


リョウ:「よし、なら荷物を片付けるぞ」


リョウは立ち上がり、己の毛布を丁寧に折り畳み始めた。他の面々もそれに倣い、毛布や枕を収めて車内を完璧に整理整頓していった。


すべての準備が整うと、リョウは小さなあくびを噛み殺しながら入口へと歩み寄り、革ストラップを解いてカーテンを両脇へ押し開いた。瞬時に、眩いばかりの太陽の光が車内へとなだれ込み、外に広がる雄大な景色を浮かび上がらせた。


御者:「皆さん、おはようございます! ユーフラテスへようこそ。道中はよく眠れましたかな?」


サム・アカリ・ケンゾウ:「おはようございます!」


元気よく声を揃える三人とは対照的に、リョウだけは無言で地平線を見つめていた。


まだ朝の八時を回ったばかりだったが、ユーフラテスの街はすでに活気に溢れていた。目の前には、色彩と洗練された建築美に彩られた壮大な水上都市が広がっていた。赤い屋根を持つ多層階の建物群、青空へと高くそびえ立つ時計塔、そして馬車や歩行者が行き交う石畳の喧騒。


何よりも圧巻だったのは、街を網の目のように縫う網状の水路網(運河)だった。澄み切った水がまるで都市の血管のように流れ、そこには優美な石造りの橋が幾重にも架けられていた。朝日に照らされた水面の上を、人々や物資を載せた小型船や小舟が自由に行き交っている。


馬車は賑やかな石畳の通りを進み、やがてユーフラテス中央ギルドの重厚なファサードの前で静かに停車した。


車内の扉が開き、一行は一人ずつ降り立った。濃い髭を蓄えた中年男性である御者は、幅広の帽子を脱いで胸に当て、敬意を込めて乗客たちに別れを告げた。


御者:「ここまでです。お送りできて光栄でした。どうぞ良い一日を」


リョウ:「あんたもな」


淡々と応えるリョウに続き、他の三人は愛想よく応じた。


サム・アカリ・ケンゾウ:「ありがとうございました! おじさんもお元気で!」


護衛を務めてくれた冒険者たちも同様に帽子に手を当てて挨拶を交わすと、静かに去っていった。広場に残されたのは、ギルド前の混雑の中に立つ彼らだけだった。


リョウはサムとケンゾウの方へ振り返り、声をかけた。


リョウ:「よし……二人とも、ギルドカードを出せ。身元確認を求められた時、その方が何かと都合がいい」


ケンゾウ:「分かった……」


四人は活気に満ちたギルドの建物へと足を踏み入れた。必須の登録手続きに思いのほか時間を取られ、再び朝の澄んだ空気の中へと出てきた頃には、太陽の位置が少し上がっていた。


しかし、ケンゾウとアカリの足取りは怪しく、顔色は露骨に蒼白で、眩暈(めまい)のせいで目を半開きにしていた。


ケンゾウ:「おい……ほんの一滴の採血だって言ってたのに、全身の血を絞り取られた気分だぞ……」


頭を押さえて不平を漏らすケンゾウの姿に、サムは思わず吹き出した。


サム:「あははは……ごめんごめん、災難だったね」


一方、リョウはすでに重い白いジャケットを脱ぎ捨ててインナー姿になり、サイドのタクティカルショルダーバッグの位置を調整していた。羊皮紙の古い地図を取り出すと、両手で大きく広げ、朝の光に透かしてインクの跡を精査した。路地や運河の位置を入念に確認すると、手際よく一瞬で巻き取り、手に収めた。


振り返ったリョウの表情は、相変わらずの冷徹さを取り戻していた。


リョウ:「よし、孤児院の場所は把握した」


ケンゾウは眩暈を振り払おうと何度か瞬きをし、眉をひそめた。


ケンゾウ:「……孤児院?」


リョウ:「ギルド受付のホセから、まずはそこへ向かえと指示されている。着いたら詳しい任務内容と具体的な手順を説明する」


これ以上の質問を挟む隙を与えず、リョウは踵を返して力強い足取りで歩き始めた。仲間たちも余計な口を挟むことなく、すぐさま彼の背中に続いてユーフラテスの路地へと足を踏み入れた。


◆


通り沿いの喧騒から離れ、冷たい影が落ちる狭い石畳の裏路地を縦列で進む中、ケンゾウがリョウの隣に並びかけて静寂を破った。


ケンゾウ:「なぁ、リョウ……お前たちはギルドカードを持ってるのか? それともただの身分証明書か?」


リョウは口を閉ざしたまま無言を貫いた。代わりに、サムが楽しげに答えた。


サム:「僕たちはギルドカードを持ってるよ。これのいいところは、更新の手続きがいらないことなんだ。ランクが上がった時に表面の数値を書き換えるだけでいいし、ステータスの能力値は自分の成長に合わせて勝手に自動更新されるんだよ」


リョウ:「検問での身分証明にも使えるし、都市の通行料が無料になる特典もある」


淡々と補足するリョウに、アカリが目を輝かせた。


アカリ:「すごい! 冒険者になるのって、そんなにたくさんの特典があるんだ……!」


リョウ:「実際はそうでもない」


冷たい視線を前に向けたまま、リョウは彼女の幻想を切り捨てた。


リョウ:「与えられるのは単なる『自立』だ。そして自立には常に危険がつきまとう。親元を離れれば、親の保護なしで一人で世界と対峙しなければならない。過酷で危険な状況を己の力だけで生き抜く必要があるんだ。決して得ばかりというわけじゃない」


ケンゾウは視線を落とし、顎に手を当ててその言葉を噛みしめた。リョウの言う通りだった。一瞬、リョウがこれほど実感を込めて語るのは、彼自身がすでにそうした凄惨な経験をくぐり抜けてきたからではないかという考えが頭をよぎったが、深入りするのはやめた。


空気を変えようと、ケンゾウは別の話題を振った。


ケンゾウ:「カードといえば……お前たちの見せてくれよ。俺のとどれくらい違うか比べたい。年下に負けてる気はしねえからな」


肉体的な発達は年齢に大きく左右される。ケンゾウはリョウやサムよりも少なくとも三歳は年上だった。


サムはバックパックを前に回すと、ジッパーを開けて金属製のカードを取り出し、ケンゾウに差し出した。


サム:「ほら、どうぞ」


ケンゾウがプレートに刻まれた魔導刻印に目を走らせると、驚愕で瞳孔が開いた。


ケンゾウ:「物理平均:50-60……!? ウソだろ、凄すぎる……属性は火か、サム? 魔法平均も30-40……とんでもねえスペックだな。そういやお前、火の国バレロストラ出身だったな。だから火属性しか出ないし、火しか扱えないのか。納得がいったぜ」


話を聞いていたリョウが、密かに興味を示して口を挟んだ。


リョウ:「それが国とどう関係しているんだ?」


ケンゾウ:「俺の知る限り、ウロボリアスには現在五つの国がある。俺たちが今いるのは二十年前に建国されたスキューシアだが、中心となるのは四大王国だ。火の国バレロストラ(首都カステロン)、水の国ルナリシア(首都セレーネ)、土の国ドラコン(首都イグニス)、そして風の国ゼフィラ(首都アウラ)。それぞれの国の人間は、生まれた土地の属性しか扱えない。サムが火しか扱えないのは、バレロストラ生まれだからだ。他の国の人問も同じさ」


リョウ:「知らなかったな」


ケンゾウ:「まあ……俺も連れてこられる前はバレロストラ生まれで火しか使えねえが、ショックなのはサムにステータスで負けてることだ。俺の物理平均は20-30で、火の魔法平均はせいぜい20だってのに……ん?」


ケンゾウが首をかしげた。


サム:「何か変なところでもある?」


ケンゾウ:「いや……『赤龍』っていう登録スキルがあるんだが、これは何だ?」


サム:「さあ……僕も全然心当たりがないんだよね」


頭をかくサムからカードを受け取ると、ケンゾウはそれを返却した。


ケンゾウ:「サンキュな」


サム:「気にしないで」


路地を抜け、少しひらけた通りに出たところで、サムがアカリを見つめた。


サム:「アカリのはどう? 見せてくれる?」


アカリは少し照れくさそうに、おずおずとカードを差し出した。


アカリ:「はい、お兄ちゃん……」


サムは黙って数値を目で追った。


サム:「物理平均:10……火属性、魔法平均:20か。悪くないね。はい、アカリ」


アカリ:「ありがとう、お兄ちゃん」


サム:「アカリも……バレロストラの生まれなの?」


ケンゾウ:「アカリは、襲撃されて孤児院に送られる前に俺がいた同じ村の奴なんだ」


ケンゾウが横から挟んだ。


サム:「そうだったんだ……」


ピースが繋がり、サムはアカリが孤児である理由と、ケンゾウと同じ惨劇で家族を失っていたことを察し、胸の奥に小さな痛みを覚えた。


ケンゾウは、道中ずっと沈黙を保っていたリョウへと視線を向けた。


ケンゾウ:「で、リョウ……お前のはどうなんだ? 見せてくれよ」


ケンゾウは好奇心で破裂しそうだった。リョウの機転や判断力はすでに目にしていたが、その真の力量の底までは測りかねていたからだ。


リョウはポケットに手を突っ込むと、銀色のカードを取り出し、感情の篭もらない手つきで差し出した。


リョウ:「ほらよ」


ケンゾウが記載された数値に目を走らせると、読めば読むほどその目が限界まで見開かれていった。その数字はサムを遥かに凌駕しているだけでなく、同年代の人間としては常軌を逸した異常な高水準だった。


ケンゾウ:「腕力:70……素早さ:76……反射神経:84……感知:63……物理平均:70-80……!?」


絶句しながら物理ステータスを読み進め、ふと魔法セクションに目を落とした瞬間、ケンゾウは息を呑んだ。


ケンゾウ:「火:34……風:27……土:14……水:22……魔法平均:50-60……!? あり得ねえ! リョウ、お前……四属性全てを扱えるのか!? なんで……どこで生まれた? どんな家系なんだ!?」


驚愕するケンゾウに、サムが笑いながら割り込んだ。


サム:「リョウと僕は同じ村の出身だよ。二人ともバレロストラ生まれで、小さい頃からの親友なんだ」


ケンゾウ:「じゃあなんで四属性も使えるんだよ! みんなと同じで火しか使えないはずだろ!?」


サム:「そういえば……僕も知らなかったな」


サムはリョウをじっと見つめた。


サム:「ねえ、リョウ……本当に四属性全部使えるの? 僕、君が火を使ってるのしか見たことないけど」


リョウは深く重いため息を漏らした。


リョウ:「……ハァ。黙っていて悪かったな。見ろ……」


リョウが右手を横に差し出し、手のひらを上に向けた。すると何もない空間から、四つの小さな元素の球体が実体化し、彼の掌の上で完璧な均衡を保って浮遊し始めた――炎の火花、水滴の球体、風の旋風、そして岩石の欠片。


サム・ケンゾウ・アカリ:「すごい……!」


ケンゾウ:「俺たちは火しか扱えないのに……お前は四つ全てを網羅してる。そんなことが可能なんて聞いたこともねえ……」


その時、サムの脳裏にふとある記憶が蘇った。


サム:「そういえばリョウ……洞窟で大蛇と戦った時、黒い炎を使ってただろ? あの炎を受けた時、あの蛇はすごく苦しんでた……君の精霊の相棒もそれを使ってたよね。あれは何だったの?」


リョウ:「あれは俺の相棒である精霊の力だ。あの戦闘の時だけ一時的に借りたに過ぎない」


リョウに対するサムの信頼は絶対的であり、彼が嘘をつくなどとは微塵も疑っていなかったため、サムはそれ以上追及することなく納得した。


サム:「そっか、分かったよ」


アカリ:「リョウ兄ちゃん、かっこいい……!」


一方、ケンゾウはカードの最下部に釘付けになったまま、穴が開くほど凝視していた。突如として、彼の瞳孔が収縮する。


ケンゾウ:「……なんだこれは……『未知の属性』……?」


そこには、本来存在するはずの属性名の代わりに、判読不能な謎の記号と、桁外れの天文学的な数値が刻まれていた。


??????? : 120


???????? : 114


ケンゾウ:「おいリョウ……この『未知の属性』ってのは何なんだ? 名前が表示されてねえのに、120と114なんてバカげた数字が出てるぞ」


リョウ:「俺の相棒である精霊たちが使っていた力だ」


ケンゾウ:「なるほどな……精霊だからこそ、固有の特殊な力を持ってるってことか」


アカリ:「きっとそうだよ!」


事情を聞いたサムは腕を組み、不満そうにリョウに抗議した。


サム:「それも聞いてないよ、リョウ!」


リョウ:「言い忘れていた。すまん」


至極無頓着に応えるリョウの精神の内部で、パンドラの静かで澄んだ声が響き渡った。


パンドラ:『闇と光の属性について、彼らに真実を伝えなくて良いのですか?』


リョウ:『必要ない。このままでいい』


パンドラ:『かしこまりました、リョウ』


一行はカードを仕舞い込み、再びユーフラテスの街道を無言で進み始めた。遠くには、目的地の孤児院のシルエットが徐々に大きく浮かび上がりつつあった。


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