「真実を告げよ」第3章 第6話(前編)
日はすでに傾きかけていた。空が鮮やかなオレンジと紫のグラデーションに染まる頃、リョウは村人たちからあてがわれた小屋の中にいた。ベッドの上に横たわり、頭の後ろで両腕を組みながら、静かに木の天井を見つめていた。リョウはうんざりしたようにため息を吐き、声を漏らした。
リョウ:「結局……また洞窟に金を回収しに行く羽目になったな。今度は金貨を三十枚ほど持っていくか。この場所じゃ金が減るスピードが早すぎる……どうなってんだこの世界の物価は? 経済が爆上がりしすぎだろ。ただの散髪に銀貨20枚だぞ! 高すぎるだろ……」
その瞬間、室内の気温が不自然に低下した。床に伸びるリョウの影から、不気味な漆黒のシルエットが滑らかに浮き上がってきた。パンドラが音もなくその姿を現したのだ。彼女は深い敬意を込めて視線を落とし、その可憐で静かな声を響かせた。
パンドラ:「我が主……」
リョウは枕の上で首を少し傾げ、不思議そうに彼女を見つめた。
リョウ:「お前が命令もなしに影から出てくるのは珍しいな。何かあったのか、パンドラ?」
パンドラは一歩前へ踏み出した。リョウに向かってゆっくりと手を差し出すと、手のひらを返してその中身を捧げるように提示した。
パンドラ:「完成いたしました、我が主。これは貴方様のためのものです」
リョウはベッドの上に体を起こし、眉をひそめながら疫病の悪魔が持つ物を見つめた。
リョウ:「完成したって……それは一体何だ?」
パンドラの白い手のひらには、洗練された銀色のピアスが鎮座していた。その中央には、精巧なカットが施された小粒のダイヤモンドが嵌め込まれており、まるで結晶化した一滴の血のように深紅の光を放っていた。
パンドラ:「ピアスにございます、我が主」
リョウは首の後ろをかきながら、完全に困惑した表情を浮かべた。
リョウ:「ああ……で、なんで俺がピアスなんてつけなきゃならないんだ? 嫌いなわけじゃないが、今の俺のファッションに必要とは思えないぞ」
パンドラはミステリアスな小さな笑みを浮かべ、静かに首を横に振った。
パンドラ:「ファッションのためではございません、我が主。私が貴方様の影の中に潜んでいた間、貴方様の持つ強大な力がその人間の肉体に多大な負荷を与えていることに気づきました。貴方様の魂には凄まじい力が宿っておりますが、現在の肉体の器はその威圧に耐え切れておりません。このまま野放図に力を解放し続ければ、肉体そのものが崩壊してしまいます」
リョウは口を閉ざし、真剣な眼差しで彼女の言葉に耳を傾けた。パンドラは宝石を指差し、説明を続けた。
パンドラ:「この魔具は、貴方様のエネルギーを抑圧し、肉体が耐えられる範囲へと収束・制御するためのものです。ただし……その保護の代償として、このピアスは貴方様の総力を封印し、全開の力を出せないよう制限してしまいます」
リョウは赤く輝くダイヤモンドを見つめ、その意味を噛みしめた。
リョウ:「つまり……本気の戦闘になった時、強い敵相手だと明確なハンデを背負うことになるわけか」
パンドラ:「左様でございます、我が主。ですが、それも考慮の上で作成いたしました。このピアスには防衛機能の付与を施してあります。貴方様の現在の実力を上回る攻撃を受けた際、その衝撃の最大三十パーセントを吸収・緩和いたします。三十パーセントと聞くと乏しく思えるかもしれませんが、一撃死を免れ、生存するための十分な余裕を作り出すことができます。必ずやお役に立つはずです、我が主」
リョウは指先で慎重にピアスを拾い上げた。
リョウ:「なるほどな……感謝する、パンドラ」
パンドラは深く優雅なお辞儀をし、従順な視線を床に向けたまま応えた。
パンドラ:「滅相もございません、我が主。それでは、私はこれにて失礼いたします」
パンドラはそのまま後退し、再びリョウの足元に広がる黒い影の中へと溶け込もうとした。完全に闇へと沈もうとし、その瞳を閉じかけたその時――主の低い声が彼女の動きを制した。
リョウ:「……なぜだ?」
短く、唐突な問いだった。パンドラは驚きに目を見開き、暗闇の中で完全に固まった。リョウの背後に位置し、背を向けた姿勢のまま、彼女は戸惑いがちに尋ねた。
パンドラ:「『なぜ』とは……何のことでしょうか、我が主? 何か問題でも……?」
リョウは全身を振り返らせることはしなかった。ただ顔を肩越しに半歩だけ巡らせ、薄闇の中でオッドアイの二色の瞳――青と赤の光を静かに煌めかせた。そして、彼女をまっすぐに見つめて問いかけた。
リョウ:「言え……なぜ俺のことを『我が主(主様)』と呼ぶ?」
静寂が、息を呑むほどの重圧となって部屋を支配した。パンドラは言葉を喉に詰まらせ、言葉を発することができなかった。時間が凍りついたかのように重く流れ、彼女はただ茫然とリョウを見つめ返した。
パンドラ:「………………」
数秒の沈黙の後、パンドラはハッと正気に戻ると、片膝を床について深々とうなだれた。
パンドラ:「……大変申し訳ございません。これからはもう『我が主』とは呼びません、ご主人様」
リョウは軽くため息を吐いた。身体の向きを完全に彼女へと変え、膝をつく彼女の元へゆっくりと歩み寄ると、静かだが揺るぎない眼差しで見下ろした。
パンドラは言葉を失ったまま、床の木目をじっと見つめていた。その表情には、恐ろしい疫病の悪魔とは思えぬほど深い、切なく哀愁に満ちた色が浮かんでいた。長い沈黙の末、彼女は意を決したように息を吐き出し、口を開いた。
パンドラ:「貴方様が魔界のすべてを捨てて去られると決めた時……私にはもう、貴方様を名前でお呼びする権利などないのだと悟りました。そして五千年の時が流れました……私と貴方様の関係は、完全に『主と従者』へと戻ってしまったのだと……そう思い込んでいたのです」
リョウは彼女の言葉に静かに耳を傾けた。恐れられる悪魔が見せたそのあまりにも脆く儚い姿に、リョウの瞳から冷徹さが消え、柔らかい温もりが宿った。
リョウ:「だから『我が主』なんて他人行儀な呼び方をしてたのか……いいか、パンドラ。どれだけ離れていた時間が長かろうが、俺たちの関係は何も変わらん。俺にとってお前は、単なる従者以上の存在だ。俺の理解者であり、仲間であり……そして、最高の友人だと思っている」
その言葉を聞いた瞬間、パンドラはゆっくりと顔を上げた。主の放つ温かい慈愛に胸を打たれ、二色の瞳をまっすぐに見つめ返した。
パンドラ:「……本当に申し訳ありませんでした、リョウ。どうかお許しを……本当は、どうお呼びすればいいのか分からなかったのです」
リョウは口元に微かな笑みを浮かべ、肩をすくめて見せた。
リョウ:「オロバスの奴が『我が主』と呼ぶのは昔からだから理解できる。だが、俺が赤ん坊の頃から世話をしてくれたお前までそんな呼び方をすると、どうにも居心地が悪くてな。……まあ、そういうことだ。戻ってもいいし、ここに残っても構わないぞ」
パンドラは、普段鎧のように身に纏っている冷酷な仮面を崩し、その美しい唇に一筋の小さく誠実な笑みを浮かべた。
パンドラ:「今は下がらせていただきます、リョウ。何かあれば、いつでも影の中におりますので」
リョウ:「ああ。またな」
パンドラは深く頷くと、滑らかな動作でリョウの影の中へと沈み込み、姿を消した。
光の届かない、寒冷で孤独な闇の世界――自分だけが佇む影の深淵の中で、パンドラは静かに漂っていた。彼女は虚無を見つめ、誰にも届かない声でポツリと呟いた。
パンドラ:「……覚えていますか、リョウ? 私たちが初めて出会った、あの日のことを――」




