「骨と偽りの交響曲」第3章 第5話
【閲覧注意】
本エピソードには、極めて過激な暴力描写、顔面の欠損・肉体損壊の詳細な記述、および凄惨な臨終の苦悶(文章によるグロテスク表現)が含まれております。読者の皆様には慎重な判断をお願いいたします。刺激に弱い方は、十分にご注意のうえ、自己責任でお読みください。
カチ、カチ、カチ!
金属のハサミが奏でる軽快で鋭いリズムが、静かな理髪店内に響き渡っていた。木製の床には黒い毛束が散らばり、椅子の足元に静かに降り積もっていく。カメラはまだ少年の顔を映し出さず、店内の独特な空気感と、職人の集中した手元だけを捉えていた。
最後の一裁ちを終えると、理髪師は満足げに一歩引き、己の仕事に誇らしげな視線を向けてハサミをテーブルの上に置いた。
理髪師:「よし、カットはこれで完璧だ。さて、仕上げのセットはどうしようかね?」
鏡越しに映る自分の顔はまだ見えないまま、リョウの冷ややかで揺るぎない声が響いた。
リョウ:「ああ、こうしてくれ……」
それから数分間、室内は静寂に包まれた。時折聞こえるのは、コームが髪を滑るかすかな音と、革ひもを結び直す擦れ音だけだった。理髪師はまるで作品を仕上げる芸術家のように繊細な手つきで、若い客の綿密な指示を一つひとつ形にしていった。やがて、完璧な手応えとともに最後の手を離した。
理髪師:「できたぞ……お前の気に召すといいが」
リョウは木製の椅子から立ち上がり、肩に残ったわずかな毛くずを払うと、鏡に映る己の姿をじっと見つめた。
リョウ:「悪くない。いくらだ?」
理髪師:「ちょうど銀貨20枚だ」
リョウはポケットに手を差し入れ、仕立て屋でお釣りとして受け取った百枚入りの袋から銀貨20枚を取り出した。支払いを済ませると、出口に向かって歩き出した。扉の取っ手に手をかける直前、彼はいつもの無関心な調子で半身だけ振り返り、背を向けたまま右手だけを軽く上げて見せた。
リョウ:「じゃあな」
リョウが理髪店を一歩踏み出し、眩しい陽光がふり注ぐ通りを歩き始めた瞬間、周囲の空気が一変した。通りのあちこちから、抑えきれないささやき声が波のように広がっていく。行き交う人々は足を止め、露店で買い物をしていた年配の女性たちまでもが、驚愕と見とれたような眼差しで彼を振り返った。
ついに、彼の新たな姿が白日の下に晒されたのだ。
根本的な佇まいが変わったわけではない。しかし、その視覚的なインパクトは劇的だった。黒髪には密かに要求された不揃いなカットによって立体的なテクスチャが生まれ、幾筋かの毛束が計算された無造作さで顔を鋭く縁取っていた。そして頭頂部からは、二つの反抗的な毛束が左右へと微かにカーブを描いて立ち上がり、まるで小さな二本の漆黒の角のように見えた。
残りのセットは、機能性と美しさを極めたものだった。理髪師は頭頂部とサイドの髪だけをすっきりとすくい上げ、ハーフアップの形で革ひもを使って高い位置で硬く結い上げていた。一方で、髪の大部分は背中に向かって優雅に流れ落ち、以前と変わらぬ圧倒的な長さで腰を下回り、太ももの半ばまで届いていた。
周囲の視線を一切気に留めることなく、リョウは淡々と歩みを進めた。全体の長さは維持されていたが、完璧に解かれ、乾かされ、整えられた髪は、もはやTシャツを濡らすこともなかった。
新しくなった外見の軽やかさを確かめながら、リョウは村の賑やかな区画を抜け、メインストリートから折れて人通りの絶えた暗い路地へと足を踏み入れた。
薄暗い狭い路地の真ん中で、リョウはピタリと足を止めた。静寂を破るのは、遠くからかすかに届く村の喧噪だけだった。彼は静かに見上げ、建物の隙間に切り取られた空を眺めた。ちょうど一群の鳥が通り過ぎていくところだったが、一羽の大きな黒カモメが群れを離れ、彼の頭上の屋根瓦に舞い降りて、好奇の目で彼を見下ろした。
リョウは小さく息を吐き出すと、土の地面に視線を落とし、低く冷たい声で命じた。
リョウ:「出てこい」
その瞬間、路地の気温が劇的に下がった。リョウの足元にある影が、地面の上で不自然に伸び、横へと広がっていった。そしてその暗闇から、重く息苦しい黒い霧が溢れ出した。
闇の渦の中から、二つの異様な影が現れた――パンドラとオロバスだ。
二人が物質界に足を踏み入れた瞬間、その場のエネルギーが狂気的な変貌を遂げた。屋根の上で羽根を休めていたカモメは、二人が撒き散らす圧倒的な負のエネルギーの余波をまともに受け、一秒ともたなかった。鳥の目から大量の血が噴き出し、激しい痙攣を起こしながら屋根の上を転がり、黒い血を吐き散らした。
漂う黒い霧が、もがく肉体を一瞬だけ包み込んだ。煙が晴れた時、屋根の上のカモメは悪夢のような惨状と化していた。肉の大半が瞬時に削げ落ち、内臓と裸の肋骨が露出していた。頭部の片側は皮も羽毛も失われ、侵食された不完全な頭蓋骨の隙間から灰色の脳みそが覗いていた。まるで目に見えない虫の群れが、一瞬で体の半分を喰らい尽くしたかのようだった。最も不気味だったのは、その哀れな生き物がまだ死んでおらず、虫の息で絶望的な鳴き声を上げながら痙攣を続け、やがて最後の痙攣とともに息絶えたことだった。
頭上の凄惨な出来事には一切目もくれず、オロバスはリョウを見つめた。主人の新しい姿を目にすると、オロバスはいつもの冷徹さを崩し、洗練された一礼とともに心からの賛辞を贈った。
オロバス:「我が主……新しいお姿、実に見事でございます。大変お似合いですよ」
その傍らで静かに宙に浮くパンドラも、深く頭を下げた。
パンドラ:「主よ、私どもに何かご用でしょうか?」
リョウは、自分に向かって忠誠を誓い続けるオロバスに視線を向けた。
リョウ:「オロバス……あの蛇と結託していた老人のところへ案内しろ」
オロバスは胸を張り、執事服の袖をエレガントに整えた。
オロバス:「かしこまりました、我が主。人里離れた郊外の洞窟に、頑丈に拘束して封じ込めてございます」
パンドラが冷徹な声を添えた。
パンドラ:「身の程知らずな愚行への罰として、私の能力の苦痛も与えておきました。今頃、真の地獄を味わっているはずです」
リョウは配下たちの独断に対して何も責めることなく、ただ冷たく頷いた。
リョウ:「いいだろう。連れていけ」
オロバスとパンドラは声を揃え、再び主人の前で頭を下げた。
オロバス・パンドラ:「仰せのままに、我が主よ」
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森の奥深くへと続く険しい道を進み、リョウ、パンドラ、オロバスの三人はやがて一つの洞窟の入口に到着した。一見するとごくありふれた岩穴で、通りかかる者がいれば単なる穴ころだと思って見過ごすような場所だった。
三人は岩の開口部へと足を踏み入れた。リョウは静かで確実な歩調で先頭を進み、その左右を二つの異形なる従者が徒歩で固めていた。完全なる静寂と暗黒の中をまっすぐに進み、地の底へと深く潜っていくと、やがて突き当たりに行き着いた。
そこでは、壁に掲げられた一本の松明の光が、グロテスクな光景を浮かび上がらせていた。
大蛇に仕えていたあの老人が、石壁に磔にされていた。両の手のひらは太く錆びた鉄釘で岩に深く打ち付けられ、痛々しい星の形で固定されていた。足も同様の惨状だった。二本の巨大な金属釘が脛骨を直接貫き、骨を粉砕しながら壁へと縫い付けていた。
だが、肉体を突き刺す鉄釘の激痛など、彼の全身を苛む「病」の苦しみには遠く及ばなかった。老人の皮膚は完全な破綻をきたしていた。全身が膿んだ腫れ物や煮えたぎるような発泡、そして黄色い液体の滴る壊死性のアクネで埋め尽くされていた。全身のあらゆる毛穴から、腐敗の臭いが立ち上っているようだった。
リョウは老人の数歩手前で足を止め、哀れな囚人の惨状を恐ろしいほどの冷淡さで眺めた。そして、血も凍るような穏やかな声で語りかけた。
リョウ:「すごいな……相当酷い目にあっているらしい。どうだ、取引をしないか?」
血走った目で息も絶え絶えの老人は、うめき声を上げるのが精一杯だった。その瞬間、洞窟の中の時間が不自然に停止した。水滴の落ちる音すら消え去り、無の空間から、深遠で神秘的な全知の声が響き渡った……
ナレーション:――『Principados(権天使/魔界の公爵)』……魔界の悪魔たちはそう呼ばれる。実体を有し、やがて現世において肉体を得る至高の精神体。彼らは純粋なる闇の存在であり……だが、闇を象徴するのではなく、闇から生まれるのでもない。彼らこそが、肉体を得た『闇そのもの』なのだ。彼ら高貴なる種族を決定づける不変の証――それこそが、頭上に抱く黒き角。
パンドラ……彼女もまた、この恐るべき魔界の悪魔の一位階である。彼女の権能は一言で表される――『病厄』。
その鋭利な爪で生き物の皮膚に一筋の傷をつけるだけで、全身を爛れさせる猛毒の皮膚病をはじめ、あらゆる致死的な感染症を瞬時に発症させる。そして最も恐ろしいのは、彼女が撒き散らした病を治療できるのは、世界で彼女ただ一人という点だ。彼女の呪いに堕ちた者は、激痛と激痛の間に苛まれ続ける。死すらも与えられない、終わりのない拷問を味わうのだ。
彼女こそが疫病の悪魔パンドラ。その力と残酷さにより、魔界の階級においても上位に君臨する存在である――。
時間が再び動き出し、湿った洞窟の底に現実が戻った。老人は頭を垂れ、全身を苛む高熱と感染症の苦痛に激しく身体を震わせていた。
リョウは一歩踏み出し、オッドアイの瞳を薄闇の中で冷たく光らせながら、獲物の応答を待った。最も残酷な交渉が、今始まろうとしていた。
リョウは洞窟の中央へとさらに一歩足を進めた。松明の光に照らされた彼のシルエットが、背後の壁に不気味な影を大きく落とす。
リョウ:「俺が望むのは情報だけだ。他には何も要らない。俺の質問にすべて正確に答えろ。そうすればお前をここから出し、その体を元通りにしてやる。悪くない取引だろう?」
老人は途切れ途切れの呼吸の中で、顎から血と唾液の混ざった糸を垂らしながら、ゆっくりと顔を上げた。そして、湿った岩壁に響く、しゃがれた痛々しい嘲笑を漏らした。
老人:「ガキが……黙れ。ヒヒッ……黙れ! わしがお前ごときと取引などせずとも、ここから出る方法はあるんじゃ!」
老人は全身を震わせ、釘打たれた手を握りしめながら、膿だらけの顔に狂気じみた笑みを浮かべた。
老人:「わしのアザゼル様……あのお方が必ず助けに来てくださる! お前たちが何をしたのか、あのお方が今どこにおられるのかは知らんが、あのお方は生きている! 必ずやわしを救い出し、お前たちを叩き潰してくださるわ!」
リョウは瞬き一つしなかった。二色の瞳は、感情を一切排したまま目の前の囚人に向けられていた。
リョウ:「無理だな。そんなことは起きない。あんなバケモノが、ただの人間一人のために救出に来るとでも思っているのか? ……答えろ。あいつがお前なんぞのためにわざわざ出向く理由が、一つでもあるか?」
老人は歯をくいしばり、言い返そうと口を開いた。
老人:「来るとも! なぜならわしは……わしは……!」
言葉が喉に詰まった。老人の口から漏れたのは、かすれた「あ……」という情けない声だけだった。洞窟に再び静寂が戻る。老人はゆっくりと頭を垂れた。突如として彼を襲ったのは、屈辱的なまでの自覚だった。己の頭の中で、大蛇にとって自分が「不可欠である理由」を必死に探した。知識、技術、他の替えのきかない特別な何か――。
何もなかった。自分はただの代わりのきく駒に過ぎなかったのだ。
涙が混ざり合った汗と膿が頬を伝う中、老人は黙り込んだ。しかし、彼の愚かさと生存本能は、理性を遥かに上回っていた。歪んだ考えが脳裏をよぎる。『そうだ……わしには何の価値もない。だが……このガキに嘘を吹き込んでやればいい。騙されて餌に食いつけば、わしを解き放つはずだ。そうすれば自由になり、体を治して、あのお方が代わりを見つける前に戻ることができる……そうだ、それだ!』
偽りの自信に満ち溢れ、老人は顔を上げ、恭順と敗北を装った表情を浮かべた。
老人:「わかった……好きに聞け。答えてやる。だが、質問が終わったら約束通りわしをここから出すんだぞ」
リョウ:「取引成立だ。だが、真実だけを話すことを期待しているぞ」
洞窟内の空気が重く沈んだ。オロバスは腕を組みながら一歩下がり、パンドラはリョウの傍らで、嘘をついた時の代償を思い知らせるかのように哀れみの視線を老人に注いだ。
リョウは尋問を開始した。まるで獲物を品定めする肉食獣のように、囚人の前をゆっくりと往復する。
リョウ:「第一問だ。俺の現在の目的は、今後の道のりを安全に確保することだ。言え、お前の主と同類のバケモノや存在で、この国の政権や高官たちを裏から支配している者は他にいるか?」
老人は唾を呑み込んだ。喉の奥で潰れた腫れ物が激痛を走らせる。隣国の領主や王の側近たちの中に、人間の皮を被った魔物や悪魔の信徒が潜んでいることを、老人は明確に知っていた。しかし、それを隠すことを選んだ。
老人:「……いや」老人は震える声を絞り出した。「あのお方だけだ。あのお方は人知れずこの領地だけを暗躍しておられた。国を裏で操るようなバケモノは他に存在せん。王宮はクリーンだ。ただの人間どもが愚かな権力闘争をしているに過ぎん。安心して旅立つがいい」
リョウの表情は変わらなかった。ただ静かに頷き、次の質問へと移った。
リョウ:「良いだろう。次は俺たちの目的地についてだ。俺たちは『エウフレテス』の街へ向かう。あの街を裏から支配している者や存在はあるか? あらかじめ警戒すべき隠された脅威はあるか?」
老人の心臓が跳ね上がった。エウフレテスこそ、巨大な腐敗と魔物のネットワークの巣窟だった。もしリョウが何も知らずに乗り込めば、即座に伏兵に襲われ喰らい尽くされるだろう。
老人:「エウフレテスはただの商人の街だ」老人は平静を装って告げた。「欲深い貴族の評議会が治めてはいるが、魔法も、魔物も、怪しい教団も存在せん。うるさくて退屈な街だ。せいぜいスリに気をつけることだな。隠された脅威など何一つない、保証する」
リョウは老人の目の前で立ち止まった。松明の光が二色の瞳に反射し、老人の魂を直接突き刺すかのように輝いた。息の詰まるような沈黙が数秒間続き、老人は自分が破滅へ向かっているのではないかと冷や汗を流し始めた。
リョウ:「興味深いな……つまりエウフレテスは『潔白』というわけか。では聞くが、お前の主はどうやって外部と連絡を取っていた? あれほどの巨体が、仲介者や伝令もなしに暗黒街のネットワークを動かせるはずがない。この村と大都市をつないでいた連絡員は誰だ?」
老人は歯を食いしばった。足の肉を貫く鉄釘の痛みが増していくのを感じる。もし商人やスパイの名を明かせば、主の組織そのものを壊滅させてしまうことになる。
老人:「仲介者などおらん……あのお方は精神魔法を使い、森で迷った旅人を直接操っていたのだ。大都市の人間など誰もあのお方の存在を知らん。あのお方に直接仕えていたのは、この地域の数人の百姓だけだ。ネットワークなど存在せんよ、小僧。お前は幻影を追っているだけだ」
リョウは微動だにせず、静寂の中で老人を見つめ続けた。その冷徹な眼差しに老人の皮膚が泡立ち、背後のオロバスは血のような赤目で冷酷に老人を見下ろしていた。
リョウは、背後の暗闇に控えるエレガントな悪魔へとゆっくり振り返った。
リョウ:「オロバス……今の話、どう思う? お前の見解を……いや、『真実』を言え」
オロバスは一歩前に出た。松明の火が、彼の厳格で崩れない容姿を照らし出す。恐ろしいほど洗練された動作で腕を上げ、人差し指を怯える老人の顔へと真っ直ぐに向けた。
オロバス:「嘘をついています。奴は合計で『三つ』の嘘をつきました」
悪魔の言葉の後に続いたのは、墓場のような静寂だった。リョウは老人に視線を戻した。老人の顔から血の気が完全に引いていく。リョウは無関心そうに息を吐き、肩をすくめた。
リョウ:「……そうか。ならば、もうお前に用はないな。喋る気がないなら無理強いはしない。俺は他人の苦しむ姿を見て悦に浸るような、悪趣味な人間じゃないんでね」
リョウは迷いなく踵を返し、洞窟の出口に向かって歩き出した。
少年の背中が見え、自分の浅知恵が一瞬で見抜かれたことを悟った瞬間、老人を真のパニックが襲った。絶望が胸をハンマーのように打ちのめす。リョウが去れば、自分はこの暗い洞窟に繋がれたまま、パンドラの解けることのない激痛の病に内側から喰らい尽くされるのだ。
プライドも執着も投げ打ち、老人はなりふり構わず泣き叫び始めた。膿に濡れた頬をボロボロと涙が伝い、頭を激しく振り乱した。
老人:「待ってくれ! たのむ、待ってくれぇッ!」破れかぶれの甲高い、狂おしい悲鳴が洞窟に響く。「本当のことを話す! 全部話すから! だから頼む、わしをこんなところに置き去りにしないでくれ! この地獄から出してくれ! 何でも答えるからぁッ!」
血走った目から涙が溢れ出て止まらない。リョウは足を止めた。ゆっくりと振り返り、冷徹で揺るぎない表情で老人を見つめた。
リョウ:「いいだろう。聞いてやる」
壁にすがりつくようにして、老人はしゃくりあげながら、先ほど必死に隠そうとした真実を吐き出し始めた。
老人:「最初の……最初の質問だ! 嘘をついた! そうだ、魔物は他にいる! あのお方だけじゃないんだ!」老人は釘打たれた手を振ろうとして激痛に悲鳴を上げた。「王宮は……上層部は腐っている! 主と同じような暗黒の存在、魔物、そして悪魔どもが王国の政治に入り込んでいるんだ! 奴らは貴族どもと取引し、自分たちの狩り場を守るために州全体を陰から支配している……! 国家の糸を引いているのは奴らなんだ、本当だ!」
老人は荒い息を吐き、胸を激しく上下させながら、すがるような目でリョウを見つめた。
老人:「それにエウフレテスだ! エウフレテスはただの商人の街なんかじゃない、狂った毒蛇の巣窟なんだよッ!」老人は唇から唾を撒き散らしながら絶叫した。「あそこには……エウフレテスには、すべてを裏から支配する恐ろしい何かが潜んでいる! 貴族街の地下水道や地下室に、太古の悪夢のような化物が隠れているんだ! 街の評議会と結託して、誰も探さない孤児や旅人を喰らっているのさ! 富と権力を得るために、街全体がその化物に生贄を捧げる邪教の信徒なんだよ! 丸腰で行けば畜生みたいに狩られるぞ、本当だ、死の罠なんだよッ!」
老人はあまりの激しい慟哭に自らの唾液で窒息しかけ、パンドラが撒き散らした病魔の熱に全身を激しく震わせながら、歯を固く食いしばった。
老人:「それから通信網だ! 連絡役はいた! 本当にいたんだッ!」恐怖に狂った目を剥き出しにして白白と自白した。「わしの主は、エウフレテスの密輸商人どもを通じて大都市と連絡を取っていた! 奴らが生き贄を乗せた馬車を運び込み、代わりに主がここで集めた毒素と金を持ち帰っていたんだ! 交易路の商人どもは全員共犯者だ……たのむ! これが本当の全部だ、何ひとつ隠していない! ここから出してくれ……お願いだ、お坊ちゃん、ここから出してくれぇッ!」
老人は語り尽くすと完全に体力を使い果たし、打ち付けられた鉄釘にぶら下がったまま、その咽び泣く声だけが湿った洞窟内に空しくこだました。
リョウは震える男を静かに見つめ、小さく頷いた。
リョウ:「感謝する。お前はもう自由だ」
そう言い捨てると、リョウは一切の無関心さで踵を返し、立ち去ろうとした。しかし、誰一人として腕や足の太い鉄釘を抜きに壁へ近づこうとしないのを見て、老人は再びパニックに陥り、狂乱して身をよじった。
老人:「待て! どういうことだ! 全部話したら降ろしてくれると言っただろうが! 降ろせ! 今すぐ降ろせッ!」
リョウは足を止めた。血も凍るような静けさで旋回し、先ほど立っていたまったく同じ場所へと戻った。そして、狂乱する老人の眼差しに、その二色の瞳を打ち込んだ。
リョウ:「確かにそう約束した。だが、同時に『真実だけを話せ』と警告したはずだ。お前は白状する前に、三回続けて嘘をつくことを選んだ……そして運の悪いことに、それをオロバスの目の前でやったんだ。今すぐその壁から降ろしたところで、お前はすでに死んでいる」
老人の顔から、すべての表情が剥ぎ落ちた。
老人:「待て……何……?」
言葉を最後まで紡ぐことは叶わなかった。オロバスが一歩前へと踏み出した。その完璧な容貌に数学的な冷酷さを刻み込み、右手をゆるやかに掲げると、洗練された動作で指を鳴らした。
パチン!
その瞬間、湿り気を帯びた、規則的で不快な音が洞窟内に響き渡った。肉と骨が強く噛み砕かれる音だった。老人自身の恐怖をよそに、その不気味な破砕音は彼自身の口の中から発せられていた。顎が完全に意志を離れて激しく開閉し、己の舌を狂ったように噛みちぎり始めたのだ。歯が生き生きとした筋肉を何度も押し潰し、生肉のようにすり潰していく。
口の端から大量の血が溢れ出し、顎を伝って滝のように流れ落ちた。純粋な激痛と深い悲しみに濡れた老人の瞳は、この場にいる誰一人として持ち合わせていない慈悲を乞い、命乞いをした。老人はついに頭を垂れ、悶絶のスパズムの中で口を大きく開けた。原型を留めず、ズタズタに引き裂かれた舌が、赤く重い水たまりを作っている石の床へと、滴る血とともにだらりと垂れ下がった。
オロバスは顔色一つ変えずにその惨状を眺め、冷徹な声で宣告した。
オロバス:「第一の嘘」
新たな痙攣が囚人を襲った。今度の激痛は、喉の奥深くから発生した。筋繊維と腱が一心不乱に引きちぎられる凄惨な断裂音が響く。老人は己の体液に溺れながら激しい嘔吐とうめき声を上げ、やがて目に見えない凶暴な力によって、舌が根元から丸ごと引き抜かれた。
老人:「ぐああああああああああああああッ!!!」
その苦悶の絶叫はもはや人間のものではなく、洞窟の壁に鈍く反響する叫びとなった。老人は激しい血の噴出とともに、噛み砕かれた己の舌の残骸を床へと吐き散らした。
オロバス:「第二の嘘」
悪魔は次の判決を下す際にも、瞬き一つしなかった。直後、老人の体は強直性麻痺に捕らわれ、岩壁に叩きつけられるように激しく (痙攣)し始めた。まるで目に見えない何者かに叩き伏せられているかのように、頭部が前後左右に狂ったように揺れる。数秒の暴虐な痙攣の後、動きがピタリと止まった。老人は胸を極限まで前に突き出し、洞窟の天井に向かって首を逸らし、限界まで目を見開いた。
そして、最も凄惨な光景が訪れた。
バリリリッ!!
老人の下顎が文字通り外側に向かって炸裂し、凄まじい力で吹き飛んだのだ。爆発的な衝撃によって下顎骨の破片と血に塗れた歯が床一面に撒き散らされた。引き裂かれた肉の破片と皮膚の残骸が、わずかに残った頬と喉元から虚しくぶら下がっていた。
その傷口は、まさに地獄絵図そのものだった。下顎を完全に失ったことで、彼の首の内部構造――咽頭、喉頭、そして暗い気道の入口が、松明の揺らめく光の下に完全に露呈していた。上顎の歯だけが本来の場所にポツンと取り残され、顔の下半分を占める血の虚無とグロテスクな対比をなしていた。激しい出血が止まらず、衣服を黒く染め上げ、石壁を伝って濃密な血の筋となって垂れ落ちた。
オロバス:「そして、第三の嘘」
しかし、この試練において最も恐ろしいのは、老人がまだ生きていたことだった。露出した喉の穴から直接空気を吸い込み、ヒューヒューと短く途切れる呼吸に合わせて胸が上下していた。絶望すら喰らい尽くす圧倒的な苦痛によって涙すら枯れ果てた眼球が、左右へ狂ったように動き、己の肉体の惨状を見つめていた。神経系は激痛によって完全に過負荷を起こし、もはや苦痛を正しく処理することすらできず、ただ解体された肉の牢獄の中に閉じ込められ、洞窟の虚無を見つめることしかできなかった。
洞窟内の時間が唐突に停止した。静寂は濃度を増して空間を支配し、ナレーションの荘厳で神秘的な声が、凍りついた空気を満たした。
ナレーション:――『オロバス、真実の悪魔』……彼の能力は極めてシンプルでありながら、決定的な前提のもとに発動する。彼の存在の前に立つ者は誰であれ、その圧倒的な威圧感によって精神を苛まれ、物理的に嘘をつくことが不可能となる。彼が醸し出す原始的な恐怖は、『どんな些細な欺瞞であっても即座に破滅をもたらす』という事実を直感させるのだ。
しかし、ごく稀に例外が存在する。不屈の偏執、鉄の意志、あるいはあまりに肥大化したプライドゆえに、この恐怖をねじ伏せて彼を騙そうとする愚者が。だが、オロバスは偽りと誠実さを完璧に見分ける眼を持つ。彼の前で嘘を吐く愚行を冒した者は、不可避の三段階の死の宣告を受けることとなる。
第一の嘘は、犠牲者自身に己の舌を噛み砕かせる。第二の嘘は同様の苦痛を与えた上で、その舌を根元から強制的に引き抜き、魔法的に止血して永遠に言語を奪ったまま生かす。そして第三の嘘――最終判決は、前二つの罰に加え、下顎の完全なる破壊をもたらす。大量出血によって数分以内に命が潰えるまで、肉体が意識に固執する地獄の苦しみを与えるのだ。
オロバスはこのペナルティを発動させるタイミングを自在に操ることができるが、一度嘘が唇を割った瞬間、その者の運命は不可逆の死として刻まれる。彼こそはオロバス、魔界の公爵(Principados)。肉体を得て現世に君臨する、魔界の階級において上位に座す悪魔である――。
湿った洞窟の底に、再び時間が流れ始めた。
ほんの数分間の苦悶の呼吸の後、老人の胸の上下が完全に途絶えた。肉体は金属の枷に繋がれたまま物言わぬ骸となり、背後の壁を鮮血で染め上げ、石の床には重く光る血の海を残した。彼の苦しみは、ようやく終わりを迎えたのだ。
リョウは冷ややかで客観的な視線でその残骸を見つめ、小さく息を吐くと、吐き捨てるように呟いた。
リョウ:「愚か者が……最初から本当のことを言っていれば済んだものを」
振り返ることもなく、リョウは歩き出した。その左右で、パンドラとオロバスも静かな優雅さで歩調を合わせ、暗い坑道を進むにつれて濃密な闇の中へと溶け込んでいった。
その瞬間、老人の遺体が黒い猛炎に包まれた。神秘の炎は肉と骨を瞬時に焼き尽くして灰に変え、さらにその灰すらも跡形もなく焼き払い、この世界から彼の存在の一切を消し去った。
最後に松明の火がぷつりと消え、洞窟の深淵は完全なる静寂と永遠の暗黒へと沈んでいった。




